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第三話 西暦二〇六一年 九月九日 ①

 


 第三話 西暦二〇六一年 九月九日



 紗奈の亡骸と対面できたのは葬儀の時だった。棺の中の紗奈は大量の花に埋められ、顔だけが出されている状態だった。その顔もミイラのように包帯に包まれていて、安らかなのか、苦痛に満ちているのか、表情を見ることはできなかった。

 包帯に包まれた顔は不自然なほど平らだった。人の顔らしき凹凸がほとんどなく、中央にS字に歪んだ細い皺が寄っていた。

 遺骨は拝んだ。だが俺は、紗奈の死に顔を見ていない。

 あの事故以来、俺はまだ紗奈に出会えていない。俺はまだ紗奈とお別れができていないのだ。もう会えないんだと実感できないと、人はその人を求めて彷徨い続けるしかない。亡霊のように。

 この生まれ変わりの繰り返しは、生前にできなかったお別れをするための儀式なのかもしれない。


   ***


 お別れ……お別れ? 一体誰と?

 一か月ほど前からだろうか。唐突にその言葉が不意に頭に浮かぶようになった。遠くに引っ越す友人もいないし、一人暮らししたいと言ったら寂しがってくれる両親もいない。俺を生んだ男と女は三歳だった俺をゴミ捨て場に置き去りにし、それ以来会っていない。じゃあお別れとは? 一体誰との別れだ?


「ちょっと、聞いてるの!? 今日ここでデモをするって警察に許可取ってるのよ、あたしたち! 反論結構ですけど他所でやってもらえます!?」


 思考に耽っていたところ、下手くそなバイオリンのような甲高い声が脳を貫いてきた。

 顔を上げると不満げな表情を浮かべた女性が立っている。今何してたんだっけ、と周囲を見回してみれば、そこは繁華街の噴水広場で、黄色いシャツを着た人間で溢れていた。

 目の前の女性も同じ格好で、丸々としたお腹の上にプリントされている宇宙空間と『SAVE THE SPACE』、『PROJECT THE EARTH』という文字が立体的に見える。俺の視線に気づいたらしく、女性は腹を引っ込め頬を赤く染めた。


「で、どうなの!? あんたたち、あの男の仲間じゃないでしょうね!?」


「は? あの男?」


「あれよ、あの男! 悪の総代!」


 女性はふっくらとした腕を必死に伸ばし、広場の傍に並ぶビルの一つを指し示す。

 屋上に設置されたプロジェクターによって空中にニュースが投影されている。【元反社会性勢力疑惑】、【殺人事件に複数関与か】というテロップとともに、議員バッジをつけた初老の男のインタビューが立体映像として宙に映し出されていた。


『何度も申し上げておりますが、東道パーフィニティはすでに他人の手に渡っておりまして、ええ。万が一そういった事実があったとしても、私は一切関与していないと、改めて表明いたします』


 その大仰で堂々とした振る舞い。縁なしの丸眼鏡。人の良さそうな丸顔に取ってつけたような嘘くさい笑顔。

 バチンと電流が走るかのように『瑞樹有』の記憶が蘇る。山奥の家、重力操作技術によるアート、赤ワイン、地下、紗奈、穴倉、銃声、動かない紗奈、向けられる銃口――


「話題になってる死体が見つかった山! あの男の私有地だそうじゃない! それで無関係って言われても説得力ないわ! 何なら見つかった死体って、あの男が殺したのかもしれないわよ!」


「あぁ……ああ、そうだ」


「えっ?」


「あいつが殺した……都合の悪い情報を隠すために殺しやがったんだ!」


 蘇った記憶は鮮明過ぎて、今一度紗奈を殺されたかのような感覚に陥った。女性が怖がるのも構わず、「俺の目の前で、紗奈を! あの野郎っ!」と感情をぶちまけてしまう。


「ちょ、智三ともみ!? なに大声だしてんの! びっくりしてるじゃん、相手の人!」

 不意に腕を引っ張られ、真後ろを向かされる。そうしたのは、パーカーを着て前髪にブルーのメッシュをいれた小柄な女の子だった。


「殺人を肯定なんて、何考えてるの? わたしたちの仕事、忘れた?」


 心配してくれる少女の名前は、確か津野田珊瑚つのださんごだ。孤児で身寄りがなかった今世の俺『羽田智三』は非合法なアルバイトをして生活しており、彼女とはそういったバイトのどこかで出会ってからの腐れ縁である。そこまで思い出すと、今まさに反重力操作技術を訴える活動家たちの邪魔をするアルバイト中であることも蘇ってきた。


「悪い。ぼうっとしてた……」


「はあ、もぉ……すみません、おばさま。こいつが変なこと言ったみたいで、困惑しちゃいましたよね。私たち『東道未来研究塾』はNT結晶体が持つ可能性を広めるために活動していまして、決してあなた方の邪魔をするつもりは全くなく……ほら、智三! あんたも何か言って!」


「すまん、珊瑚。俺、用事があるから後頼む」


「は? ちょ、ちょっと智三!?」


 呆気に取られている珊瑚と肉付きの良い女性を置き去りにし、俺は人込みをかき分けて広場を出た。

 すっかり世間に馴染んだ水素自動車が行き交う町並みに視線を走らせ、片側二車線の道路を挟んだ向こう側にオープンテラスの喫茶店を見つける。俺は信号など気にせず道路に踏み出し、上手いこと車の間隙を縫ってクラクションを鳴らされることなく横断する。


 テラス席を見回し、幸運を祈る。するとすぐ傍の席でコーヒーを飲んでいたサラリーマン風の男が立ち上がった。前払いのシステムらしく、清算のために店員を呼ぶことなく去っていった。俺はその男が座っていた席に滑り込み、男が残していった超薄型の電子書籍リーダーであるビニールのような感触の機器を開いた。

 美容室、ラーメン屋、喫茶店に置かれていた雑誌は姿を消し、代わりに置かれるようになったこのフィルム型電子書籍リーダーは店が契約している企業のニュースやスクープ記事、漫画なども読むことができる。俺はその中から新聞会社のバナーをタッチし、今日の朝刊の一面を表示した。

 新聞の日付は、二〇六一年、九月九日。前世である『桐野浩二』として死んでから、十七年が経ったということだ。その年月の長さは、大見出しで写されている東道の白くなった髪が表していた。


「よぉ、ようやくお目覚めだな。生まれた瞬間から、っていうあんたの希望通りとはいかなかったけど、可能な限り早く記憶を取り戻せるように取り計らっておいたぜ。感謝してくれよ? 首と腰が折れるんじゃないかってぐらい神様に頭下げたんだぜ?」


 顔を上げてみればテーブルを挟んだ向こう側に天使がおり、足を組んで誇らしげな表情を浮かべていた。


「天使、記憶の擦り合わせがしたい。俺の名前は羽田智三で年齢は十七。三歳で親に置き去りにされて施設育ち……で、あってるか?」


「その通り。中学は卒業したけど高校には行かず、同じ孤児や問題児だけで構成されたチンピラみたいなチームに所属していて、グレーなバイトで生活費を稼ぐ毎日を送ってる」


「紗奈につながる手がかりは……全く覚えがないな。記憶が戻る前に向こうから接触してきたってことは……?」


「いやないね。あんたの交友関係は津野田珊瑚とバイトグループで完結してるし、前世で頭を撃ち抜かれた、なんて奇妙なことを口走るような女性は今んとこ現れてない」


「前回同様、紗奈に辿り着くためには幸運を待つしかない、ということか……」


 そもそも紗奈は前世と同じように記憶を引き継いでいると確定しているわけではない。記憶を引き継いだのは目的があったからで、それは達成できなかったと決めつけているが、ただの思い込みの可能性もある。前世で出会えたのは、やっぱり幸運を超えた奇跡だったのだ。もっと慎重に行動していれば多くを語れたかもしれないと思うと、後悔で胸が張り裂けそうになる。

 と、頭を悩ませていたところ、「こほん、こほん」と天使がわざとらしい咳払いをした。


「幸運待ちってことなら、ほら、目の前にあるぜ。飛び切りの幸運がな」


「どういう意味だ?」


「今回なんと、あんたが記憶取り戻すまでに俺個人で紗奈さん探しをしておいたのよ」


「なに、ほんとか!? でも、現実に干渉すると破裂するんじゃなかったか?」


「大丈夫、神様から許可は得てるぜ。まあその代わり、一万人ぐらいの死者の泣き言聞きながら蘇りの手続きをやらされたんだけど……ま、そういうわけで、今回の俺は多少なりともあんたに協力することができるんだ。アドバイスしてみたり、あんたの手足や目の代わりになってあげたり、あとは――」


「ああそうかそれは本当にありがたい。で、紗奈は今どこにいる?」


 半ば遮るように答えを求めると、「残念ながら、まだ見つかったわけじゃなくてだな」と天使は決まり悪そうに姿勢を正した。


「何だよ、期待させておいて……」


「待てって、最後まで聞けよ。いいか、東道パーフィニティが生み出した重力操作技術ってさ、実は今、熱核融合炉が完成した時よりも注目を浴びてるんだよね。とある少女が、天体の異常と重力操作技術は関係してると暴露したからだ」


 天使はそこまで話して俺の顔を伺ってくる。


「その少女――『大尾真宵おおびまよい』というんだが、科学者の親を持つわけでもなければ東道の社員の子どもでもない。親族も東道とはまったくの無縁。なのに、だ。東道の機密情報をなぜか知っていて、それをネットの海に放り込んだ」


「それだけじゃあ誰も信じないだろ。裏付けでもあったのか?」


「公開された情報の中に他社も関わってくる機密が混ざってたのさ。そんで東道相手に訴訟を起こす企業が現れた。当然東道は情報漏洩を全面否定し無関係を装ってるわけだが、しかし訴訟を起こすってことは漏洩した情報が真実だってことを証明していることになる」


 重力操作技術の欠陥……もちろん覚えている。現実世界では十七年の月日が経っているが、俺にとってその話題は体感で数十分前に聞いたばかりの話だ。


「……そうだ、前世で紗奈は重力操作技術の問題を世間に公表しようとしてた。だったら、その少女は――」


「ちょー紗奈さんっぽいよね。同じタイミングで死んでるから、今のあんたと同じ十七歳であるってことも条件に一致するし」


「この都合の良すぎる展開、まさに『幸運プラン』の効果だよな? その少女が紗奈本人とは限らないけど、でも手がかりであることは間違いないってことだよな?」


「ああ、俺もそう思う。だから彼女を今まで探してきたんだが……しかしなぁ、雲隠れして居場所がまったく掴めんのよ、これが」


「雲隠れ? 東道から逃げてるってことか?」


「おそらくな。あんたと紗奈さんを殺した東道が機密をバラされて黙ってるはずもない。うん、やっぱりそれも分かってたんだろう。紗奈さんっぽいその子は機密を公開した後、すぐに姿を眩ませたんだよ」


「あと一歩なのに、でもその一歩が遠い……『幸運プラン』の悪いところだな……」


「でも肩を落とすなかれ。その子へ続く道しるべはある」


 天使はカバンを膝の上に置き、ノートパソコンを取り出した。


「さっきあんたがバイトで妨害してた活動家たち――『プロジェクト・ジ・アース』は少女と繋がっていて、その団体の東日本支部のリーダーたちが雲隠れに協力してるんだ」


 天使は動画サイトを開き、その団体名と同じ名前のチャンネルを表示する。そして、「これがそのリーダーね」と言って一つ動画を再生してみせた。

 初老ぐらいだろうか、夫婦らしき男女が映る。二人が着ているシャツは、先ほど広場に集まっていた人たちと同じ黄色のシャツだ。

 何者なんだこいつらは、とその二人の顔を睨みつけると既視感を覚えた。

 はて何だろうと、何度も何度も老夫婦を見比べてみる。答えに至ると「マジか……」と思わず声を漏らしてしまった。


『ヤッピー! ホッピー! 地球にピース! プロジェクト・ジ・アース東日本支部の瑞樹家です! 今日はとても天気が良いですね!』


『いやいやこの動画がアップされるの三日後ぐらいだし、天気の話はなしでしょうよ。もうお母さんじゃなくて婆さんて呼ぶか』


『とか言って、うちの旦那はたまに私のことを桃ちゃんて呼ぶんですよぉ! 瑞樹家はモモちゃんトシちゃんコンビでやっております』


『はっはっは、何の話だいお母さん! あれ、今日のお題なんだっけ。蒼太、カンペ出して』


 その痛々しい老夫婦は、俺の両親だった。最初の『俺』である『瑞樹有』を生んだ二人である。まさか動画配信者になっていて、妙な活動家の一員になっているなんて……感動も何もなく、恥ずかしさが込み上げてくる。


「……天使。お前、どういうつもりだ? なあ? 何でこれを見せてきた?」


「ははっ、すっげえ苦そうな顔! 死に別れた家族の姿を見られるなんて幸運に違いないのに、全く反動が来ねえじゃん! 相当ショックだったみたいだな!」


「どうしてこんなことに……何があったら活動家のリーダーになるんだよ……」


「動揺するのも分かるが、とにかく話を聞け。いいか、大尾真宵についてなんだが、あんたの両親が動画ではっきりとその子を隠したって明言してるんだ。真宵さんからもらったお礼の手紙も動画で紹介してる。あと、その動画投稿直後に『誰かに付け回されてる』って内容の動画が上がったんだが……なんと前世のあんたが殺される場に居合わせたやつらだったんだよね」


「東道の連中が追ってるのか? じゃあもう確定じゃないか!」


 両親と東道、記憶を保持したままの俺、『プロジェクト・ジ・アース』という団体。関係のなかったものが解けるかどうか怪しい具合に絡み合っている。それにしても東道に目をつけられているだなんて……俺の家族たちは無事なのだろうか。紗奈を見つけ出すためでもあるが、安全を確認するためにもかつての家族と接触したいところだ。

 そうして行動指針を考えていると、「なあ、ちょっと判断がつかないんだけどさ」と天使が思考に割り込んできた。


「もう一人、触れておいた方がよさそうなやつがいるんだ。そいつもあんたの両親同様、幸運に分類されない存在で、でもあんたと深い関係にある」


「誰だ、それ?」


 天使は顎をかき、「んー」と感情の読めない音を口の中で鳴らす。それから不安そうに眉をひそめて『そいつ』の名前を口にした。


「あんたが今所属してる『東道未来研究塾』に怪しいバイトを斡旋している、東道の人間。高槻哲也だ」


「え、哲也? 今世でも俺とあいつは関わってるのか?」


「そう、今世では部下と上司みたいな関係にある。あんたの親友で生前は家族のように仲が良くて、衰弱死する寸前で病院に運ぼうとしてくれて、あんたと紗奈さんが頭を撃ち抜かれる時、何もしなかったあいつとだ」


 何もしなかった? 何を言ってるんだ、止めようとしてくれただろ、と俺は反論しようとした。

 だが、なぜだろう。不意に思い出される、東道の言葉――


「君の親友二人が死んだのも君のせいだろう?」


 変わり果てた哲也の姿。東道の一味である事実。

 天使は、「あの人、俺たちにとって味方なのかね?」と訊ねてくる。その通りだと答えたいのだが、体の中が嫌に冷えていて、凍りついたかのように口を開くことができなかった。


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