第二話 西暦二〇四四年 七月二十四日 ⑤
はっと目が覚めると死後の世界だという無機質で真っ白な部屋の中だった。
「あ……ああ、紗奈……うぅぅぅぅぅ、ぁぁぁぁあああああああっ!!」
目の前の真っ白なテーブルを何度も何度も殴りつけ、それでも胸の痛みに耐えられなくて座っている椅子を壁に投げつけた。一体どういう素材なのか、椅子は跳ねてテーブルの向かい側にいた天使へとすっ飛んで行く。
「危ねえなぁ、キャッチボールはボールでやろうぜ」
天使は飛んできた椅子を軽々と片手で掴み取り、俺の下に持ってきた。地面に置いて座れとばかりに肩を掴んで押し込もうとする。俺の足や胴体は鉄筋が差し込まれているかのように強張っており、がたがたと震えて自由が利かない。
「くそっ、くそッ!! 紗奈が死……殺され……ぅぅぅううううっ!! あの野郎、よくも紗奈を……!! いやでも……なあ、紗奈は本当に死んだのか!? 銃声は聞こえたが、その瞬間を目撃したわけじゃないし、しっかりと確認してないんだ!」
一縷の望みをかけて訊ねるが、天使は神妙な面持ちで首を振った。
「実はあの時、俺も傍で見守ってたんだが……三発のうち一発が命中してた。しかも運悪く頭に、だ」
「何でだ!! どうして紗奈がそんな運命を辿らなくちゃならない!? 『幸運プラン』を選んだのに、どうしてもう一度紗奈を失わなくちゃ――待て、まさか生まれ変わりを紗奈に悟られたからなのか? ペナルティってやつが発動したってことなのか?」
「いや、相手も同じ前世の記憶持ちならペナルティの対象にはならない。輪廻を明かすことが許されないのは、社会をいたずらに混乱させることを問題だとされているからだ」
「じゃあどうして!」
「言ったろう。『記憶保持オプション』は誰よりも有利な人生を送れる分、強烈な不幸が訪れるって。酷い環境に生まれて父親を殺されたところで、それは終わらない。死ぬまでそのデメリットはつきまとう」
「だけど『幸運プラン』の力が効いていたはずだろう!? どうして相殺されないんだ!」
「考えてみろ。常に幸運にみまわれたのなら、幸運は平常となる。つまり幸運ってぇのは『波』、または『点』なんだ。瞬間的に訪れるものなんだよ」
「なんでそれを最初に言わない!? 知っていればやり方を変えたのに!」
「日常生活の中で起こりうる偶然ぐらいなら、幾ら願っても反動は軽微で済んだ。だけどあんたは花瀬紗奈らしき情報を掴んで、東道社長に接近し、家にまで押しかけ、いるかどうかも分からない彼女を見つけられることを願っちまった。そんな連続で幸運を願えば、当然反動は大きくなる。一気に幸運の波が引いて、記憶保持オプションのデメリットが強く表れちまったんだ」
「俺が望んだから……? 確かに、何もかも都合が良すぎた……完全に俺の想像の通りにことが進んでいた……くそっ、確かに何回連続で奇跡が起こったんだって話だ。デメリットも抱えてるってことを知ってたのに、考えなしに求め過ぎてた……!」
「最初に言っとけっていうのは、本当にその通りだ。悪かったよ。でもまさか、あんたが捜し当てた紗奈さんも『記憶保持オプション』を使ってるだなんて思わないじゃん? あれ、きっと友人に『前世の記憶がある』って話したせいで、プランの効力切れてたんだと思うぜ。だから監禁なんていう不幸な目にあって、そこから抜け出せなくなってたんだ。そしてあんたの不幸と向こうの不幸が合わさって、ここまで酷い目にあったってわけさ」
死後の世界にあるこの肉体に血液が流れているのか不明だが、血の気が引く感覚が全身を包み込んだ。『前世の記憶がある女』の噂を聞いて紗奈の可能性を感じた時、彼女が不幸の只中にいることに気づいても良かったはず。気づいて、天使にアドバイスを仰ぎ、慎重に行動できたら結果も違ったはずだ。最悪は回避できたかもしれない。
「ああするべきだった、こうするべきだった、って後悔してんだろうけど、もう終わったことだ。考えても無駄だよ。それよりも次だ、次。新しい人生のことを考えようぜ」
何を馬鹿のことを! と俺は叫びそうになった。紗奈が死んだのに、殺されたっていうのに、次の人生なんか考えていられるか!
……頭を撃ち抜かれた瞬間、痛かったのだろうか? 苦しみはあったのだろうか?
分からないが、後悔や悔しさは感じているに違いない。前世の記憶を引き継いだということは、何かしら目的があったからのはずだ。
……でも、その目的は何だったのだろう。俺を心配して様子を見に来てくれた、と考えるのは自惚れか? それともお腹の子が生まれ変わっていないか探しに来たとか?
東道が隠蔽するデータを外部に漏らした云々は生まれ変わった後に見つけた目的だろうが……何にせよ、紗奈は紗奈という人格を引き継いで生まれ変わりを果たした。目的を果たせたとは到底思えないし、再度記憶を引き継いで生まれ変わった可能性がある。
確認しなければ。その目的の先に幸福があるのかどうか。場合によっては記憶保持オプションの使用を止めるように説得しないとならない。死という痛みから抜け出すために。不幸から逃れるために。
「……天使、俺はあと何度生まれ変われる? 人生をカスタマイズするには、善行ポイントっていうのを消費するんだろう?」
「その通りだけど、当面心配はいらない。あと千回は記憶を引き継いで蘇れる」
「よし、ならもう一度だ! もう一度『瑞樹有』として生まれ変わる! 今度はすぐに紗奈の居場所を割り出せるような手段が欲しい! 何か適したプランはないのか!?」
「あー、残念。あんたみたいにプランを利用できる人間にはランクがあってさ、仮に一番上がAランクだとしたら、あんたは一番下のDランクなんだ。魂の透視なんていう超能力はCランクから付与できるものなのよ」
「なら、生まれた瞬間に記憶を思い出させることは?」
「生まれた直後の赤ちゃんに二十四歳並みの知能があるなんてありえないだろ。まあ、そうやって蘇ってる人もいないことはないんだけど、それは二つ上のBランクからだ」
「なら複数のプランを組み合わせることは!?」
「そんな贅沢はAランクじゃないと許されない。今のあんたの最適は、やっぱり『幸運プラン』だと俺は思う。幸運があればスポーツの才能も文芸の才能も開花するかもだし、体験した通り望めば特定の人物を探し出すことも可能だしな。常に持続するものではないってとこがネックだけど、『幸運プラン』はあんたが選べるプランの中で一番強力なものなんだよ。でもさ、そうして蘇って、また紗奈さんを探しに行くの? 見つけ出した前世の記憶持ちの紗奈さんをさぁ」
「当たり前だ! 何か文句でもあるのか?」
「言った通り、俺はあんたの幸福を願ってるし、そのためにここにいる。あの前世の記憶を擁する紗奈さんに近づいたらさぁ、ロクなことにならないのは目に見えてるじゃん? だから気が進まないなぁ、と思ってね」
「俺の人生にとっての最善は紗奈が幸福であることだ! 紗奈がまた不幸な目に合うかもしれないっていうのに、新たな人生を進むのは無理だ!」
「ああそうかい、分かったよ。やれやれ、俺の計画じゃあ今頃あんたは楽しく愉快に人生を送り、時折訪れる困難はパートナーとともに乗り越えて幸福を掴んでいくはずだったんだけどなぁ。それが身を滅ぼすような道を進むだなんて、人間ってのは不器用なんだなぁ」
天使がしみじみと言ったところで部屋が揺れ動き、天井が捲れあがると壁が切り離されて無限に広がる水面に沈んでいく。
決して慣れることはないだろう、捲れ上がった湖に閉ざれた世界でもみくちゃにされる恐怖――
記憶が俺の体より紐解かれ、流星となって俺とともに落ちていく。紗奈や哲也との記憶だけではなく、今回は名前を思い出せない友人たちや楓との記憶が混じっていた。
子どもの頃より一緒だった楓の笑顔。彼女が子どもから大人になるまでの過程を俺は見ていた。色々なことをともに経験し、ゼミで出会った友人たちとゲームセンターに繰り出したり、父親に呼び出されて渋々帰宅する俺を心配する楓の姿が見える。
父親に殴られて腫れあがった頬を心配そうにさする楓の顔。湿布を貼ってくれる楓の眼差し。父親の仕事を早く終わらせるために楓が仕事を手伝ってくれた夏の夜、その帰り道、満天の星空の下でなんだかそうするのが当然のように唇を重ね合わせた思い出――
手放すべきではなかったんじゃないかと思わせるほど眩く輝きながら、思い出が俺から零れ落ちていく。後ろ髪を引かれて輝きを追うと、天使がキャッチしてカバンにしまった。
「どれだけ後悔したって、この過去とは決別しちまったんだ。存在したこの幸福はもう手に入らない。だが安心しろ。俺がついている。神様と交渉して、より直接的に協力できるようにしてきた。次の人生は期待していてくれ」
そんな声が聞こえた瞬間、俺は足元より現れた真っ白に燃え上がる太陽に突入した。
身動きが取れない中、「期待って?」と訊ねるが、答えは返ってこなかった。




