第二話 西暦二〇四四年 七月二十四日 ④
…………。
…………………………。
…………………………――――――
むせ返るような土の臭い。がさがさと落ち葉を蹴り進む音が耳に届く。
ぎりぎりのところで繋ぎ止めていた意識がようやく頭の中心へと戻って来た。途端、後頭部に凄まじい痛みが走り、体の指揮系統をぐちゃぐちゃにしてしまう。引きずられているらしいということが分かっても抵抗することはできなかった。
不意に浮遊感に包まれ、直後全身に衝撃を受けた。高いところから投げ落とされたらしい。しかし、俺に続いて落とされた誰かの悲鳴を聞いて苦痛など吹っ飛んでしまった。
目を開く。暗くてよく見えないが、すぐ横に同じようにして目を開く者がいた。
両手を縛られているその人は女性だった。
ただ、俺とは違って猿ぐつわを嚙まされておらず、彼女は訊ねてきた。
「アル君、なの……?」
その囁きに「あぅぁ!」と頷いて答えると、「アル君も死んじゃったの? 一体どうして……何でこんなことに……」と彼女は悲痛な声を小さく漏らした。
「あぁ目を覚ましたみたいだね、浩二君。いけないなぁ、勝手に家探しだなんて」
頭上を見上げると、四角く切り取られた空の縁にメガネをかけたシルエットが見えた。
どうやら俺たちは深く掘られた穴の中にいるらしい。東道社長の他にも無数の人間が穴を囲んでおり、一人がスマホのライトを点けるとその者たちの顔が照らし出される。誰もが残忍な目つきで俺たちを見下ろしており、半数はだらしなく前を開いたスーツ姿で、もう半分は俺の家に襲撃をかけたやつらと酷似したライダースーツに身を包んでいる。
「さて、キョウカ。勉強になっただろう。これが裏切りの代償だ。育ててもらった恩を忘れ、貶めるような真似をするからこうなる。あぁ、でも一つだけ、データを渡した相手があの欲深い桐野だったことには感心したよ。あいつは金の亡者だったからな。私から追われるリスクを背負いながらも必ずどこかに売り捌こうとする。情報が必ず明るみになるという点では最適な人選だった。その頭の良さは親として誇らしく思うよ」
「お願い聞いて! 接触したのは桐野さんただ一人なの! この彼がどうしてここにいるのか分からないけど、とにかくこの件とは完全に無関係なの! だから解放してあげて!」
キョウカと呼ばれた女性は、先ほど確かに「アル君」と名を呼んだ。紗奈だ。紗奈が目の前にいる。紗奈が必死に訴えている。後ろ手に縛られ、身動きできないでいる。
守らなくては、とその一心で俺は必死にもがいた。しかし、全身を縛りあげられていて、落ち葉をかき鳴らすことしかできない。
「ただの偶然で私の前に現れたりしない。ただの幸運だけで、ここに辿り着けるはずがない。大方、データを開くパスワードを聞き出すためにキョウカを探していたんだろう。でも残念、キョウカが君たちに教えたパスはすでに書き換え済みだ。それにね、専用の装置がないと解くことはできない仕様なんだよ。買い叩かれることにはなるが、さっさと適当な業者に売ってしまうのが正解だったね」
「お願いだから……本当に、本当に彼とは何の関係もないの! 会ったのも今ここが初めてのことだし、誰なのかもさっぱり……」
「彼は桐野の息子だ。存在は知ってるだろ?」
「えっ……桐野さんの、子ども?」
「なあ、彼はなぜ親の死に憔悴した様子もなく、怯えるでもなく、何かを決意した顔で私の前に現れたんだろうね? 襲撃者がまたいつ現れるかも分からないのに、なぜ私がPR映像の撮影で訪れた日を狙って外へ出て来たのだろうね?」
「それは、それは……!」
「どうであれ、お前のことを知られてしまったからには野放しにしておくことはできない。ただ、そうだな……何も知らないことが真実である可能性を考えて、こうしてみようか」
何の話をしているかさっぱり分からず、視線を紗奈と社長の間で行ったり来たりさせていると、スマホのライトを向けられた。眩しさに目を細めると、社長の邪悪な笑顔がこちらに向けられているのが見えた。
「浩二君、実はね、重力操作技術、ひいては熱核融合炉には致命的な欠陥があるんだ。キョウカは正義感に駆られ、そのことを世間に報せようとしていたんだよ」
紗奈が息を飲み、「な、なんで」と呟いた。
「これで浩二君は当事者だ。データについて全く知らないなんて言い訳はできない。さて浩二君、よく考えて答えてね。今君は運命の岐路に立っているんだよ。助かりたければ、私の指示に従いなさい」
紗奈、データ、父、欠陥……次々と現れる言葉は結びついているのだろうが、この状況のせいもあって整理が追いつかない。半ばパニックに陥っていた俺は、その言葉が救いのように思えて頷いてみせた。
すると社長は何かを見せつけてくる。
思わず、唾を飲み込んだ。
社長が俺に見せつけてきたのは、拳銃だった。海外映画によく登場するオートマチックと呼ばれるものだ。黒光りしていて、重厚感があり、おぞましい存在感があった。
「私に忠誠を誓いなさい。常に発信機を持ち歩くことを約束しなさい。君の実家に、自らの手で爆発物を取りつけなさい。我が社の奴隷として働くことを宣誓しなさい。恋人ができたのなら、必ず社に報せなさい。結婚するのならば、相手の家族構成や住居の場所をまとめて報告なさい。多額の金銭を黙って受け取りなさい。その金で贅沢に振る舞いなさい。その贅沢が誰によってもたらされたのか、毎晩思い出しなさい。赤ワインを飲みながら、今日のことを思い出しなさい。常に発言を録音されることを容認しなさい。我が社の敵を殺しなさい。キョウカをその手で殺しなさい」
俺は何度も何度も喘いだ。何度も、何度も。しかし社長の言葉を飲み下せない。
全身から汗が吹き出す。スマホの灯りで薄っすらと見える社長からは笑みが消え、表情は能面。冗談や脅しではなく、本気なのだ。本気でこの男は実の娘を殺す気なのだ。
「やって……アル君、やって」
紗奈が低い声でそう呟いた。
顔を向けると、紗奈はスマホのライトの下、目を見開いて俺を見つめていた。
「お願いだから、頷いてみせて! もうそれしか助かる方法がないの……!」
俺は何度も首を振った。逆、逆だ、俺を殺して紗奈が助かるんだ、と伝えようと唸った。
「悪いが忙しい身でね、あと一分しか待ってあげることができない。さあ、どうする? とても簡単のことだ、私の目を見て、頷けばいい。それで君の人生はこの後も続いて――」
不意に社長は言葉を切り、顔を上げた。
何人かが倒れ込むように姿を消し、誰かがこちらを覗き込んでくる。怒号が響くのと同時に、スマホのライトがその人に向けられた。
哲也だ。俺の友が怒りを露わに立っていた。
「社長、何考えてんですか! 子ども相手にこんな……しかも片方はあんたの娘でしょう!?」
「名前も憶えてない女が勝手に産んだ子だ。体裁のために引き取っただけで情はない。しかし遅かったな。招集がかかったら十分以内だという取り決めだろう」
「そんなのどうだっていいでしょう! それより、これです! これは無理です! 同時に二人殺すだなんて隠し通せるはずがない! 俺の時と同じように脅しでもして、仲間に引き入れる形で収められないんですか!?」
「今その決断を待っているとこなんだがね。それにあれだ、お前は少し勘違いしてるよ」
社長は愉快そうに笑い声を上げると、銃を上下にぶらぶら揺らしながら言った。
「我が社は誰も殺しはしない。今までもずっとそうだった。誰かが、奇跡的に、私たちの敵を排除してくれる。私の手はいつだって清潔に保たれている」
「何を馬鹿なことを!」
「事実そうじゃないか。君の親友二人が死んだのも君のせいだろう?」
哲也は言葉を飲み込み、顔を引きつらせた。
耳に入ってきた情報はあまりにも奇怪な響きで、理解するのに時間がかかった。
哲也の二人の親友……俺と紗奈のことだろう。その俺たちを、哲也が殺した?
そんなことは決してありえない、一体どういう意味なんだ? と俺は哲也に視線を向ける。しかし哲也は目を見開き怒りを露わにするも、否定の言葉を発しない。
「一分だ」
社長が呟き、タンッ、タンッ、タンッ、と破裂するような音が連続で鳴った。
暖かい液体が顔にかかり、俺は咄嗟に目をつぶって顔を背ける。
そう、背けたのだ。何から? 紗奈からだ。
付着した液体が目に流れ込むのを覚悟で目を見開いた。
後ろに倒れ込んだ紗奈の顔は驚愕で止まっている。目は見開かれ、眼球が赤い液体に沈んでも瞬くことはない。
恐る恐る、空を見上げてみる。
体の震えで視界がブレる中、社長の銃から煙がうっすらと漏れているのが見えた。
「あぅあ……?」
猿ぐつわの奥で、必死に名前を呼んだ。
反応はなかった。
「あぅあ! あぅあ?」
静かだ。呼吸の音すら聞こえない。
「あぁう、あぅああ!? ぁ、ぁぁぁああああああああっ!!」
体の奥底から絶叫が迸る。頭の中が弾けて馬鹿みたいに紗奈を呼ぶが、目の前に横たわる彼女は微動だにせず、顔と目はどこかから漏れ出す液体で黒く塗り潰されてしまった。
「今回もそうだ。浩二君が何らかの理由で……そうだな、痴情のもつれとかそういうのでキョウカを殺してくれたことになる。まあこの二人は親族がいないから捜索されることもないだろうし、そんな理由づけは必要ないんだがね。念のためにそういうことにしておこう。全員、忘れないようにな」
社長が人の良さそうな笑顔を振りまくのが見える。
俺は咄嗟に膝立ちをし、体を逸らそうとする……が、こめかみに強烈な衝撃が走り、勢いで倒れ込んだ。
そのまま真っ暗闇へと墜落していき、ぐるぐると暗闇の中を回転しながら落ちて行く。
そして――




