第二話 西暦二〇四四年 七月二十四日 ②
学校を出て帰宅した俺は、まず土産を見繕おうと帰りがけに見かけたワインショップへと向かい、父親から引き継いだ預金口座から下ろした金で店員のおすすめを購入。再び家に戻った後は服装をどうするか悩み、スーツが無難かと結論を出した。
そうして買いにでかけている間も着替えている間も、ずっと哲也のことを考えていた。
高槻哲也はみんなから親しまれ、毎月一人以上の女子に告白される人気者だった。そのことごとくを断り、「恋愛は俺の告白から始める」なんて嘯いていたが、あれは男気とかではなくて、彼の天然気質からの発言だろう。愛の告白に失敗する可能性が頭にないのだ。まったくもって羨ましくなるぐらい非常にシンプルで愉快なやつだった。
死にかけの俺を病院に連れて行く時のあいつの悲痛の顔は、記憶にある限り初めて見る顔だ。あの時の哲也と二十年後の現在の哲也……まさか俺たちの死を未だに引きずっているせいで、あんなに擦り切れた顔つきになってしまったのだろうか。しかし支えてくれる人は大勢いたはずだし、死を乗り越えられないほどやわな奴ではない。この二十年、あいつはどんな日々を送っていたのだろう。
今回、紗奈のことだけを考えて生まれ変わったわけだが、それだけでいいのだろうか。哲也のために何かしてやるべきではないだろうか。
迎えとやらが来る間、悩みの種が増えたことで俺は一人悶々としていた。そんな中、玄関のチャイムが来訪者を告げる。思ったより早い迎えだな、まだ十六時なのに――そう思いながら玄関のドアを開け、考えねばならない悩みの種がもう一つあることを思い出した。
「やっほ、浩二――え、何でスーツ? まさかそれでお祭りに行くわけじゃないよね?」
一瞬花畑にでもいるかのように視界が華やかになった。玄関先に立っていた新居田楓はアジサイ柄の浴衣姿で、後ろで団子状にまとめ上げた髪にシュシュをつけており、唇を上品に赤く染めていた。
「浩二? ぼうっと突っ立ってどうしたの?」
「え? ああ、昔のことを思い出してて」
「昔のことって?」
「知り合いが似たような浴衣を着ていたんだ。ずっと昔の夏祭りで」
「こんな花柄の浴衣を? じゃあ女の子確定だ。私を前にして他の子を考えるとか、あんまり気分良くないなぁ」
「あ、あぁ、悪い……失礼なことをしたな」
「冗談だよ! その格好のせいで空気が重苦しいって! それで、何でスーツなの? これからお祭りに行くの忘れてないよね?」
「ああ、でもごめん。実は東道パーフィニティの社長と縁があって、これから会うことになったんだ。祭りには一緒に行けない」
「えっ、嘘、東道の社長と? 縁があったって……もしかしてお父さんと関係してる?」
「父が東道の社員だと知ってるんだったか?」
「うん。表現が良くないかもだけど、小間使いみたいなことしてたよね?」
「ああ、それで社長が父のために偲ぶ会を開いてくれるんだそうだ。その会に相応しい格好はなんだろうって考えていたらこうなった」
「あー……それは断れないよね。仕方なし。でも、その後は? そんなに時間がかからないなら、ほら、約束したアレを見に行かない?」
「アレって?」
「天の川だよ! ここ数年すごいじゃん、夏の夜はもう目の前にあるんじゃないかってぐらい空いっぱいに星が広がってさ。しかも毎年新しい星が現れて、それを探すのがすごく楽しいって言ってたでしょ」
「ん、何だって? 新しい星が現れる? 何の話だ?」
「えー? 何の話って、天体異常のことだよ。今まであった星が消えたり、気づいたら見たこともない星が現れたりするやつ。浩二の方がずっと詳しいはずでしょ? 新しく現れた星は感動的なほど綺麗に輝くから、今度一緒に天体観測しようって誘ってくれたじゃん」
話を聞いているうちに、またも桐野浩二の記憶が掘り起こされていく。確か、十年ほど前からだ。星座の位置が変わっていたり、消滅したり、新しい々が空に現れたりと宇宙に異変が起き始めた。未だ原因不明で、世界の破滅の予兆だと陰謀論が飛び交っている。
そうだ、俺は父親の暴力から逃避するために天体観測に夢中になっていた。綺麗に輝く星々は宝石のようで、この美しさを楓にも知ってもらいたいと思って、俺から星を見に行こうと誘ったのだ。恋人として、ささやかな幸福をプレゼントしたかった。
でも前世の記憶が戻った今、その想いは許されないものだ。
「悪い……その話、忘れてくれないか」
「やっぱ今日は無理そう? なら後日で――」
「違う、そうじゃない。俺は楓と天体観測には行けない。祭りも、全部」
「ええっと……よく分かんない。どうして?」
「俺、心に決めた人がいるんだ」
「えっ……え? なに、『心に決めた』って」
「好きな人が他にいる。そういう意味だ」
「す……ん、好きな人……? へえ、ああ……そういうやつ」
かくかくと頷いた楓は言葉を口にしようとして、飲み込むように喉ぼとけを上下させた。
見て取れる動揺に俺も落ち着かなくなり、やはり俺の喉ぼとけも動いていたと思う。ほんの一音口から漏らしただけで、彼女をずたずたに切り裂いてしまうんじゃないだろうかという恐怖があった。そうして、俺たちは透明な壁を挟んで向かい合ったまま沈黙を作り上げていく。
「…………、そっか。りょーかい」
情けなくも、立ち尽くす俺の代わりに楓が沈黙を破った。
「なんか、恋人と別れる時みたい。勘違いさせちゃってごめんね」
「か、勘違い?」
「二か月前のあのキスは、そんなんじゃないから。そういう雰囲気になっちゃったし、やっちゃえ! っていうアレのソレで」
「あ、ああ。アレのソレ……」
「ま、どっちかが告白したわけじゃないし、ノーゲームってことで! 分かった、うん、じゃあ天体観測はなしで! その心に決めた人と行っておいでよ! 絶対良い思い出になるし、その人も誘ってくれたらすごい喜ぶと思うよ! あー、で……ちなみになんだけど、その人はどんな人なの?」
「それは、あー……そう、クールなタイプだ」
「クール、かぁ。芸術家肌的な感じ?」
「まぁ、そう……だな。絵が得意? とかまあ、そういうことを言っていた」
「私とは真逆な感じだね。浩二はその人と一緒になれたら幸せ?」
「えっと……ああ、幸せだ。一緒になれたら、幸せ……だと思う」
「ならばよし! 浩二を痛めつけてきた厄介者はいなくなったんだし、これからは目一杯人生を楽しまなくちゃ! 失ったものは取り戻さなくちゃね!」
俺の反応を待たず、楓は身を翻した。顔が見えなくなる寸前に目尻に涙が浮かんでいたのが見え、俺は思わず手を伸ばしてしまう。しかし、一刻も早くこの場から去りたかったのだろう。楓は物の数秒で路地の角に消え、足音もすぐに聞こえなくなった。
「天使……天使! いるか!?」
俺はたまらない気持ちになり、ツーブロックヘアの天使を呼んだ。
不意に背後に気配を感じて振り返ると、天使はトイレの扉に寄りかかって天を仰いでいた。これ見よがしにぺちんと額を叩いて、「なにやってんだよもぉ」と漏らす。
「なあ、『記憶保持オプション』は本当に前世の記憶を引き継ぐものなのか? 実際は桐野浩二という人間を乗っ取ったんじゃないのか? 確かに前世の記憶を『思い出した』という感覚はある。そういえば鍵をかけ忘れてたな、みたいな感じで『俺は瑞樹有だったな』と記憶が蘇ってきた。だけど……浩二だったときの楓への愛情が今はない。浩二だった時の記憶は、まるで映画を観て知っているみたいに俺のものという感覚がないんだ」
「いや、その肉体に入っている魂は最初からずっと一つだ。あんたはずっとあんたのままだよ。時間が経てば前世と今世の記憶が馴染んでいって地続きの記憶だと思えるはずだ。つまり、浩二が新居田楓に感じていた愛は本物で、瑞樹有に戻っても失われてはいない」
「だが、俺はもう浩二じゃない。それってつまり、俺は楓から浩二を奪ってしまったことになるんじゃないのか?」
「だぁから! 桐野浩二と瑞樹有は同一人物なんだってば! 新居田楓はあんたのその魂が大好きだったんだよ! なのにこっぴどくフっちゃって……酷いやつだよ、あんた」
「仕方ないだろう! 俺には婚約者がいるんだ!」
「あんた、花瀬紗奈の安否を確認できれば良かったんじゃなかったのか? 見つけたもう一度恋人になるつもりなの?」
「それは……いや、生まれ変わった紗奈が俺のことを好きになってくれるかもわからないし、そういうつもりはないが……」
「じゃあ浮気でも不倫でもないじゃん! 今すぐ追っかけて愛を叫んで来いよ! あんたが生まれてからの二十年、こちとらずっと二人のこと見守ってきたんだぜ? 愛し合ってるのにあんたの父親が邪魔してよぉ。どうにかこうにかか細い繋がりを二人して必死に手繰り寄せてようやく恋人になれたってのに……結ばれた瞬間の感動を返してくれよ! 俺、嬉しくてホロリと涙流したんだぜ?」
「そう言われても……やっぱり俺は紗奈のことしか想えない。それにお前だって紗奈を探すことに賛成してくれてたじゃないか。どうして急に態度を変えた?」
「俺はあんたの天使として、あんたを幸せにすることが仕事なんだよ! 花瀬紗奈を探すことが幸せに繋がると思ったから応援したけども、手に持っていた幸せを捨て去るのは見過ごせないって! 新居田楓と恋人やりながら花瀬紗奈を探せばいいだろうに!」
「それは楓に失礼だろ。片手間に恋人やるなんて、あんまりじゃないか」
「はぁぁ、一途は素敵だよなぁ! この二十年ずっと見てきたから、想いを貫くことがどれだけ尊いのか知ってるよ! しかしこんなこじれ方するとは……なあ、本当に新居田楓に脈はないのか?」
「ない。幸せを願ってくれるのはありがたいが、できないことはできない」
「言っておくけど、これから探りを入れる東道の社長の娘が花瀬紗奈なのか、まだ判ったわけじゃないんだぜ? ただの勘違いの可能性もあるし、もしかしたら一生見つからないかもしれない。その時は新居田楓と寄りを戻すことを考えたらどうだ?」
「俺にとって紗奈が一番なのは変わらない。一番だと思えないのに近寄るのは、相手の想いを踏みにじる行為だろう」
「ああ、そうかい! 勉強になったよ、これが『生真面目』ってやつか! 悪いことじゃないけど、なんつーかイラっとするな! 前世でモテなかった理由が良く分かったよ!」
天使が深い溜め息を吐くのと同じくして、家の前に車が止まる音が聞こえた。開けっ放しの玄関から道路を見ると黒塗りの車が止まっている。運転席からグレーのスーツを着た男が下りてきて、こちらに頭を下げてきた。
「仕方ない。社長の娘が花瀬紗奈か確かめてくればいいさ。でも忘れるなよ。噂じゃあ、東道の社長は娘を監禁するようなヤバいやつかもしれないってことをな。干渉してはならない規則があるから、万が一のことがあっても俺は助けてやることはできないからな」
気配が消えて顔を向けてみれば、天使の姿が消えていた。やはりこの世の者ではないらしく、埃の上に足跡は残っていなかった。
……万が一、か。
とんとん拍子で話が進み浮かれてしまっていたが、天使の言う通りだ。火のないところに煙は立たずで黒い噂が立つ理由も存在するはずである。
有名税であればいいのだけど――俺はそう願いつつも、一抹の不安を抱えたまま迎えの車に乗り込んだ。




