第五話 西暦二二〇八年 八月十三日 ①
第五話 西暦二二〇八年 八月十三日
紗奈が新しい人生で幸せに生きられているだろうか、痛みも悲しみもない世界で生きているのだろうか、それを確認したい。俺はそう言って生まれ変わりを繰り返し始めた。
それは酷く悪質な大嘘だ。結局のところ、俺は失ったものを取り戻したかっただけなのだ。大義名分を掲げておいて、その実もう一度紗奈に会って結ばれたかったのだ。
東道が紗奈を殺さなければ、俺が衰弱死しなければ、俺は親になるのと同時に社会人になり、分からないことだらけの生活に四苦八苦しながら愛する人と日々暮らしていたはずだった。俺も子育てに参加するつもりだったし、祝日の夜は俺が食事を作ろうと思っていた。紗奈に喜んで欲しくて、彼女の笑顔が見たくて、結婚記念日には何を贈ろうかとか子どもが生まれてからの最初のクリスマスは何をしてあげようとか、たくさんの未来を想像していた。未来には無限の可能性が待っていると思い込んでいた。
その全てを失ってしまったことを「運が悪かった」と割り切ったり諦められるほど、俺は大人ではなかった。なぜ俺たちがこんな目に合わなくてはいけないのか。こんなことがあっていいのか。許せない。必ず取り戻す。こんな悲しい人生はごめんだ。失ったものを全部返してもらう。全部手に入れてやる。そう考えることが悪か?
……悪に決まっていた。追っていた紗奈が全くの別人だと気づいてから何度も何度も何度も何度も生まれ変わって死んできたが、その度に必ず誰かを傷つけてしまう。
瑞樹有の記憶を思い出すまでに築いたものは、やはり瑞樹有であることを思い出す前の人格のもので、必ず現れる恋人ポジションの女性は記憶を失って別人だった頃の俺を愛していたのだ。その人たちから恋人を奪い、追いかけさせては不幸に巻き込んで、最悪死に追いやった。
これのどこが正義だというのか。天使も呆れ果てたのかたまにしか姿を見せなくなり、俺は孤独に彷徨い続けていた。たくさんの人に不幸を振りまきながら歩き続けてきた。
最早全てを投げ出して永遠の安らぎを得る資格はない。心を保つこともそろそろ限界だが、俺は進み続けるほかない。それだけ罪を重ねてきたのだから。
だから俺は再び生まれ変わる。
もう限界だと感じながら、俺は十度目となる人生へと旅立った。
***
おぎゃあ、おぎゃあ、という泣き声をきっかけに瑞樹有としての記憶が覚醒する。
顔を上げるとそこはどこかの学校の中――とある教室の一つで、六つの机を繋げて俺を含めた六人の男女が囲んでいる。横に立っている女性は「おーよしよし」と赤ん坊を腕で抱えて揺り動かし、その姿を微笑ましそうに俺を除いた四人が眺めていた。
「ごめんなさいね、会議中だっていうのに。パパの声が大きくて起きちゃったみたい」
「ええ? 俺のせいかよ。そんな声でかいかなぁ?」
父親である二十代の男の困惑顔を見て、茶色のショートボブヘアでデニムのジャケットを着た女性が笑い声をあげた。
「教室って以外と声響くもんね。でも、赤ちゃんの泣き声は私たちにとって希望だから、心地良いぐらいだよ」
「そう言って貰えると助かるわ。さ、会長、木葉がまた泣き出す前に話を続けて」
「ええ、じゃあこの机の模型を見てもらえる? まあずいぶん荒い作りだから分からなかったかもだけど、これはね、今私たちが侵入を試みてるA級国民専用の隕石災害用シェルターよ。掘削を始めて丸一年、ようやくこのポイント――水害対策の緊急貯水庫の壁の五分の四まで掘り進められた。ほら、この柱と柱の薄いところ。ここであってるんだよね、十弥?」
それが自分の名前であることにしばらく気づかず、ショートボブの女性が「十弥、大丈夫?」と訊ねてきた。
「え? ……ああ、何も問題はない」
「そう? なんか顔色悪いよ? 働き過ぎなんじゃない? ちゃんと寝てる?」
「大丈夫ですよ、伊都さん。あ、いや、会長。あれ……何て呼んでたっけ……まあいい、とにかく伊都会長の言う通り、掘削は順調だ。あと数時間もしたら貫通する見込みだ」
「ギリセーフってとこだね。この『カルミア会』も今や百人の大所帯になっちゃったけど、まあ明日の夜明けの隕石群が降るまでに収容は間に合うでしょう。あと問題なのは隕石が降ってきて地表がめくれ上がった時に開けた穴がどう作用するかってことだね。このことの対策は栗田君がどうにかする話だったけど?」
「そうそう、それなんですけど! モモ爺さんと協力してブルドーザーの遠隔操作装置を作ったんです! シェルターに侵入した後、トンネルに土砂を流し込もうってことにしまして!」
「大声出すな、栗田。また木葉ちゃんが目を覚ましちまうだろうが」
溜息をついたモモ爺さんはドーム型の模型の一部に車の模型を突っ込ませた。それから地表を表す台形の上に幾つかの点を油性マーカーで描く。
「明日の隕石群落下までに壁の穴を補修するのは、やはり不可能だ。シェルターに使われているAKゼロハチってぇ構造材料どころかコンクリートの基すら見つからねえ。隕石災害後のシェルターの補修のために、そういったもんはシェルター内に全部持ってかれたんだろう」
「そんでモモ爺さんと土木関係の仕事してた人とかに相談しまして、この貫通した穴に掘削機をそのまま嵌め込んで、掘り進んだトンネルにはブルドーザーを遠隔操作して土砂を流し込ませるってことにしたんす。そうすることで隕石落下の衝撃破を少しでも和らげられるんじゃないかっていう結論にいたりまして」
「まあ、それぐらいの方法しかないよね。その他の懸念点は、シェルターの中の人と衝突するかもってことだけど……ここに瑠香さんと仁太君を呼んだのは、それについて話があるからなんだ」
「私たちに? 掘削班で何か仕事があるの?」
「流し込む土砂を集めるとかですか? 今は養育班で活動させてもらってますけど、昔は重機動かす仕事してたんで力になれますよ」
「ああいや、そういうことじゃなくて。シェルターに侵入する時の第一陣、つまり私と十弥、モモ爺さんと栗田君と一緒に二人も加わって欲しいの。というより、木葉ちゃんが必要なんだよ。政府に見捨てられた私たちって、四親頭まで遡って犯罪歴のある親族がいる人たちなわけじゃない? あとは専門的技術がないとか、学歴が低いとか色んな理由で地上に居残りになったわけだけど……とにかく正式にシェルターに入れた人にとって、私たち地上組の印象ってすごく悪いと思うの。だからね、利用するようで申し訳ないんだけど、木葉ちゃんっていう無垢な命が外でも育まれてることを見せつけて欲しいのよ。言ってしまえば印象操作に木葉ちゃんを使わせてくれってことね」
瑠香と仁太の夫婦は顔を見合わせて、「もちろん」「力になりますよ」と笑ってみせた。
「ありがとう、二人とも。じゃあ、まずはこの場にいる六人でシェルターに侵入して、受け入れを懇願してみよう。駄目だった時は力づくってことになるけど……誰も血を流さないために、私たちが頑張りましょう」
伊都会長は俺たち『カルミア会』――隕石災害用シェルターの収容権から外れ、明朝に降る隕石群によって死を定められた人間たちの代表として力強く言葉を紡いだ。
六人とともに学校を後にすると、目の前のグラウンドにはたくさんの人たちの日常があった。並び立つ仮設住宅の前で洗濯物を干したり、野菜や肉などを売る出店があったり、太陽の下で子どもたちが体育の勉強をしている。みんな俺たちの存在に気づくと、「会長! みんな! 後はお願いね!」「避難誘導の準備はできてるから、指示を待ってるよ!」と声をかけてきた。
「オッケー任せとけぃ! いやぁ俺たち何だかヒーローみたいっすね」
「栗田の坊主は幾つになっても坊主のまんまだな。生きるか死ぬかの瀬戸際だってこと分かってんのか?」
「ま、大丈夫大丈夫。何とかなるっしょ。それより会長、シャインマスカットって知ってます?」
「うん? ああ知ってるよ。私の大好物だ」
「食ったことあるんすか? いいなぁ、すごい美味いんでしょ? 俺、二十年前のシェルター大移住の年に生まれたもんだから、シェルターの中に持ってかれた高級食材とか知識でしか知らないんですよ。シェルターに入れたら食えるかなぁって期待してるんすけど」
「あぁ残念だったね。シャインマスカットは特級シェルターで保存されてるって話だよ」
「特級って? 何すかそれ」
「政府があるシェルターのことだよ。大企業のトップとか高学歴とか何かのスペシャリストとか、明日の隕石大災害後の復興に役立つ人物が集められたシェルターがあるんだ」
「えー? そんなのあるならそっちに侵入した方が良かったんじゃないんすか?」
「場所は避難が始まる前から秘匿されてて見つけられなかったの。でもA級シェルターにも良く育つように品種改良された作物に上等な畜産物も収容されているはずだから、きっと栗田君が驚くような美味しいものでいっぱいのはずだよ」
マジすか、楽しみ! と笑っている栗田の様子に他の連中は微笑みを向けていたが、俺と伊都会長は今年で三十歳で、瑠香と仁太は二十代後半、モモ爺さんに至っては『あの事件』の当事者だから内心かなり緊張しているはずだ。
何十年も前から明日の夜明けに隕石群が日本を襲うことが予想されており、二十年前、生き残る権利を得た者たちだけがシェルターへの大移住を始めた。当然ながら全人類を収容できるはずもなく、大勢が難癖をつけられて見捨てられることとなったのだが、当然その対象となった人たちが抗議し、暴力でシェルターへの侵入を試みる連中が現われた。
政府は日本存続の危機として自衛隊を使い暴徒を鎮圧したのだが、それは悍ましい殺戮に発展してしまった。俺たちはそれの目撃者で、モモ爺さんは当時自衛隊員で暴徒鎮圧側の人間だった。命を奪うつもりはなかったが、鎮圧のために抑え込んだ男性が何らかの原因で死んでしまったらしく、殺人犯としてシェルターへの移住権を剥奪されたという経緯を持つ。シェルターで暮らしている者たちにとって、俺たちは人殺しの犯罪者に見えることだろう。シェルターに侵入して「俺たちも仲間に入れてくれ」と頼んだところで反発されることは目に見えていた。
「あ、そうだ! みんな、花を胸に差しておくなんてどう? それだけでも印象が全然違うんじゃない?」
『カルミア会』のコロニーから十分ほど歩いたところで瑠香が声を上げた。
右手側には『カルミア会』の生命線の太陽光パネルが視界いっぱいに並んでおり、左手側には俺たちに『カルミア会』という名を与えてくれたカルミアの花が群生している。瑠香は木葉を落とさないように気を付けながらしゃがみ、カルミアを一輪摘んで木葉の胸元に差し込んだ。
「おっ、良い案だな! ほら、ママの分。そんで俺も一凛。家族みんなでお揃いだ!」
「えー、俺、花なんて柄じゃないんだけどなぁ」
「ごちゃごちゃ言ってねえで、坊主も身につけろ。わしらの印象を少しでも良くしにゃならん」
各々どれがいいかなと眺めて元気に咲いているカルミアを何本か摘んでいた。
ぼうっとそれを眺めていると、「ほら、十弥の分」と伊都会長が俺に一凛を差し出してきた。
「突っ立ってないで、十弥も自分を飾りつけなよ。この中で君が一番陰気な顔してるんだから」
「俺はいらない。多少飾り立てたところで意味なんてないさ」
「そうかな。カルミアってね、『大きな希望』っていう花言葉を持つんだよ。それは私たちにとって今一番必要なものじゃない?」
「俺は……希望はもう必要ない。その一凛は代わりに伊都会長が持っていてくれ」
「ふぅん? それじゃあ、プレゼントとして受け取ろうかな」
「は?」
「一緒に『カルミア会』を立ち上げて、見捨てられた人たちを集めて、もう十年だよ? それなのに君からは誕生日プレゼントすら貰ったことがない。私は律儀に毎年用意したのに」
「ああ……そう……だったっけ」
「だからこの花、君からの十年分の思いが込められたプレゼントだと思っていい?」
「……どうぞ、好きにしてくれ」
嬉しそうに微笑んだ伊都会長は胸ポケットにカルミアを差し込んで、「どう? 似合う?」と訊ねてきた。
ああ、と俺は返したが、正直目の前に立っている伊都会長はしゃべる泥人形にしか見えない。四度前の人生ぐらいだったろうか、紗奈以外の人間に人間性を感じなくなっていた。いや五郎だった時からだったろうか。いやもっと前から? 七渕だった時の記憶は最早ない。考えるだけ無駄だ。俺にはもう紗奈への執着しかない。もう全てが何の価値もないのだ。伊都会長が美しいかどうかなんてどうでもいい。全てがどうでもいい。何もかもがどうでもいいことだ。
そんなことを考えながら伊都会長たちを眺めていると、つんざくようなクラクションが聞こえてきた。これから向かう掘削現場の方向から軽トラックがこちらに向かってきており、助手席の窓から誰かが手を振っている。
「伊都さん! 十弥さん! みなさんも! 全員荷台に乗ってください! ちょっとおかしなことになってまして、意見を聞かせて欲しいんです!」
「なあに? おかしなことって?」
「貯水庫の壁、もう少しで貫通する予定なんですけど、掘ってる壁の中から何やら変な音が聞こえてきて……とにかく一旦指示を仰ごうってことになって作業を止めてるんです」
Uターンした軽トラックの荷台に俺たちが乗り込むと、強めの慣性を感じさせて発進した。
明朝に世界が滅ぶとは到底思えない長閑な道を進んで行くと、草木の生えていない荒地に辿り着く。後に遠隔操作で穴を塞ぐ土砂の山の間を突っ切り、一年以上かけて掘削機で掘った穴を下りていった。
坂道が終わり古臭い電球で照らされた平地に到着すると、俺たちは掘削班の挨拶を受けながら停止している掘削機を見上げた。貯水庫の壁の半分以上掘り進めているはずだが、何か危険でも察知したのか、穴からバックして平地まで戻していた。
「みなさん、穴の中に入って来てもらえますか? この奥から聞こえてくるんですよ、何かの音が」
助手席に座っていた男が懐中電灯を点けて手招きしてくる。俺たちはそれに従って貯水庫の壁の穴の中へ入っていった。
そして行き止まりまで進むと、微かにだが重低音が聞こえてくる。
「どう思います? 会長。もしかしたら中で異常事態が起きて貯水庫の中は水没してるんじゃないかって意見も上がってまして」
「そうだったら穴を開けた瞬間、ここにいるみんな溺死だろうね」
「何すかねぇ、この音。モモ爺、何だか分かる?」
「これは……掘削音じゃねえか?」
「掘削音? 誰かがこっちに向かって掘り進んでるって? それはないっしょ。シェルターから脱出しようとする理由なんてないんだし」
栗田はそのように否定したが、俺たちの目の前で壁から鉄の棒が突き出てきた。それとともに、「か、貫通したぞ!」と声が聞こえてくる。
「おい! そこに人がいるんじゃねえか? いたら返事をしてくれ!」
「あっ……はい! います! ここにいます! 私は『カルミア会』の会長で……あぁそれは置いとくとして、今そちらはどのような状況ですか?」
「たぶんあんたらと同じだ! この貯水庫の壁を掘り進めて来たんだよ! 道路の舗装とかで使うしょぼい機械で長い時間をかけてだ!」
「どうしてシェルターの中の人がそんなことを?」
「その話は後にしてくれ! 音からして大工事で使うようなクソでかい掘削機械があるんだろ? さっさとそれで穴を貫通させてくれ! 早く外の空気が吸いたいんだ!」
みんな等しく困惑の表情を浮かべていたが、壁の貫通は俺たちが目指していたことだ。穴から退避した後、掘削機の運転手に合図して再び掘り進める。それから数十分ほど硬い壁を削り崩す音を聞いていたが、不意に音が止んだ。ついにシェルターの貯水庫へ到達したようだ。
掘削機をバックさせ、懐中電灯を手に穴へと入る。壁の向こう側に辿り着くと、黄色いヘルメットを被りタオルを首に巻いて、小型の掘削機やツルハシを持った男たちと対面することになった。
「良かった! 良かった……! やっぱり外から掘ってるやつがいたんだ! ほらみんな言った通りだろ? ここがシェルターの中で一番もろい部分なんだ! だから侵入を試みてんならここしかないんだって!」
「あ、あの、すみません、私は後ろにいる人間たちの代表の伊都と申します。今どういう状況なんでしょう? その……御覧の通り私たちはシェルターに避難するためにこの壁を掘ってきたわけなんですけど……」
「あぁ、そうだろうな。明日だもんな、隕石群が日本に降り注ぐの」
「ええ、それを分かっていてなぜ穴を?」
「最後に空を見たかったんだ。本物の空を。シェルターの狂った天井じゃなくて、本当の空を……」
「はあ、狂った、というのは?」
シェルター側の人間たちは豊かな生活を送っているとは思えないほど痩せ細っており、骨ばった顔に憐れみの表情を俺たちに向けていた。
「ついて来なさい。シェルターの中を見せてあげよう。それで……君たちも今この瞬間から明朝までの時間の使い方を考えるんだ」
そう言った初老の男とその仲間たちに案内され、俺たちは後を追った。みんな嫌な予感でもしたのだろう。誰も何も言葉を発せず、不安そうな顔をしていた。
貯水庫から地上への長い階段を上り、俺たちは大きな貯水タンクが並べられて壁中にパイプが張り巡らされた建物の中に出た。水道局というワードが頭に浮かんだが、どうしてだろうか、稼働している様子はない。不思議に思いながら、黄色ヘルメットの連中とともに建物の外に踏み出した。
するとそこには大勢の人が集まっており、俺たちを見てどよめいていた。大きな反発があると予想していたのだが、聞こえてきたのは歓声に近い声だった。
「皆さん、やっぱり外の人たちが貯水庫の壁を掘っていました! 本当にぎりぎりのところでしたが、これでみんな外に出られます! 本物の空を拝めるんです! 外の方々の努力に感謝しましょう!」
ありがとう、ありがとう、と涙声があちこちから聞こえてくるが、俺たちはシェルターの中の有様に愕然としていた。
そこは、隕石災害から逃れるためのシェルタ―のはずだった。生き残ることを許された者のユートピアのはずだった。だが、ランダムで天候を映し出すというドームの天井のパネルは幾つも剥げ落ちており、昼間のところがあれば夕焼けを映す部分もあり、満月が浮かんでいる。
近くには畑があるが萎れた作物が絨毯のように広がっていて、遠くに見えるマンションは爆破でも受けたかのように半壊していた。すぐ横の公園には墓が幾つも並んでおり、名前が書かれた角材が突き刺されている。
「これは……どういうことですか? 私たちは生きるためにここへ来ました。あなたたちと衝突することも覚悟で侵入を試みたんです。でも、こんなボロボロだなんて……」
「あなた方には気の毒ですが、残念ながらここは隕石災害用シェルターじゃないんです」
「なんですって? 私はここのシェルターへの移住を求めて抗議活動をしたことがあります。そんなはずはないでしょう」
「政府が謀ったんですよ」
「謀った? というと?」
「ある日、一人の大学生が気づいたんです。ラジオが百回を迎えると初回に戻って再放送されることに。放送局を見に行ったら、中は無人……政府からの世界情勢などの放送は全部作りものだったんですよ。そしてシェルター内をあちこち探ってみたら、シェルターに数人はいるはずの政府関係者、つまり指導者に当たる人物がいないことに気づきました。作物の種はあるけど専門家はおらず、畜産物の管理ができる設備もない。天井のパネルのメンテナンスや修理ができる技術者もおらず、そのための機械もなくて、剥がれ落ちてきたパネルに何人も潰されて死にました。住居も見ての通りです。みんなで水も食べ物も節約に節約して……生き残ったのはここにいる者だけです」
「そんな馬鹿な……じゃあ、ここは何のための施設だって言うんですか?」
初老の男は深々と溜息を吐き、「棺桶ですよ」と応えた。
「とある一人が他所のドームと通信に成功しまして、向こうの情報によるとどうやら隕石は各地のシェルターに直撃するんだそうです。このシェルターは隕石によって引き起こされる地表の捲りあがりを軽減させる役割なんだそうで……」
「そ、そんな……おかしくないですか? 隕石災害を軽減するためなら、ここに人を集める意味はないでしょう!」
「おそらく政府から報じられたものより、ずっとずっと大きな災害が起こるんでしょう。特級シェルターに入れた選ばれし者だけしか生き残れないんです。しかしそんなことを発表すれば特級に入れろと暴動が起こる。だからこの施設をシェルターと偽り、わざと所在地を公表し、選ばれなかった者たちの怒りをここに集めたんです。特級シェルターの安全を確保するためにね」
伊都会長は頭を抱えてぐらりと体を揺らした。瑠香と仁太は真っ青で凍りついている。「え、えっ、それマジな話? 死ぬの、俺? まだ二十年しか生きてないんだけど」とうろたえる栗田の背をモモ爺さんがとても虚しい顔でさすっていた。
「……い、一旦、コロニーに戻ろう! 明朝まで時間がない、早急に対策を練らないと!」
伊都会長がそう言って貯水庫に駆けて行くのを見て、瑠香も仁太も栗田もモモ爺さんも後を追って駆けだした。
ただ一人、俺だけがその場に残った。
俺は公園の滑り台が埋め込まれている小さな丘に登り、痩せ細って薄汚れた人々に視線を走らせた。
「紗奈……聞こえるか、紗奈」
俺は必死に言葉を喉から押し出した。
「紗奈! 花瀬紗奈! いるなら返事をしてくれ! 俺はアルだ! 瑞樹有だよ! 随分待たせてしまったけど、俺は今ここにいる! だから、お願いだから返事をしてくれ! 紗奈っ!」
十弥になってから日本各地を転々とした記憶があるが、その中に紗奈の手がかりはない。そして明朝、死が確定しているのなら、あとは叫ぶ他なかった。隕石で死んだとしても人類が生き残っていたら再び蘇ることはできるだろう。だが、災害後はきっと人探しなんてできる状況じゃないはずだ。だからここで見つけなければならない。きっと、たぶん、これが最後のチャンスなのだ。
「紗奈っ! 頼むから返事をしてくれ、紗奈! 俺だよ、アルだ! 君と結婚するはずだった瑞樹有だ! お願いだから……声を聞かせてくれ、紗奈っ!」
色褪せてしまった記憶の中の紗奈を想いながら叫んだ。忘れられない彼女の天真爛漫な笑顔を頭の中に映し出しながら声を張り上げた。
シェルターの人たちは俺を見上げ、気の毒そうな眼差しを向けてくる。俺の姿に何か思うことがあったのか泣き出す者もいて、抱き合っていた。
そんな中、一人の中年男が俺から更に上、壊れた偽りの空を眺めて呟いた。
「あぁ……終わるんだなぁ……」
それを聞いた途端、喉が締め上げられたかのように声が出なくなった。
……終わる? 終わり? 紗奈を探すことは不可能? もう二度と会えない?
かっかっか、と乾いた笑い声が聞こえてくる。一線を越えて狂ってしまったかのような、痛々しい笑い声だ。
発していたのは、俺の喉だった。
顔を掴んでも喉を掻き毟っても、笑うことを止められない。
込み上げてくる狂気に耐えられずに体を折り曲げる。俺は体を上下に震わせて笑い続けた。
何も為せなかった自分の人生の惨めさ。とうの昔にいなくなった人を追いかける虚無感。
あまりにも滑稽で、あまりにも虚しくて。
俺はただ一人、壊れたロボットのように笑い続けた。




