第四話 西暦二〇八五年 十一月三十日 ③
突きつけられた事実を受け入れられず、何度呼吸しても空回っているかのように息苦しさが拭えない。
東道もプラン利用者? 記憶を引き継いで蘇ってる? そんなことありえるのか?
「な、何でだ? 何であんたみたいな悪人がプランを利用できる? あれは善行を積んだ者だけに許された特別な権利のはずだろう?」
必死に否定しようとする俺に向かって東道は鼻を鳴らしてみせた。
「君も善行や徳という言葉を……はぁ……天使から聞かされたようだね。つくづく卑劣なやつらだ。それらの定義を……はぁ……説明せずに『君は特別だ』と嘯く。そして理想と語る人生に送り出し、選択式転生権を無為に消費させ、通常の輪廻に戻すのだ。そこに意味などない。我々人類の願いが叶う様も散る様も、引き起こされる奇跡も悲劇も……はぁ……全て神を楽しませる喜劇でしかないのだから」
「あぁ!? 一体何の話だ!」
「善行とは、徳とは、全ては神の目線での話であると説明しているのだよ。この世界は神が作った箱庭で、その中で繰り広げられる人類の繁栄、文明の発展こそが神の求めるものだ。善人とは神を楽しませた者のことで、徳とは……はぁ……箱庭を大きく発展させること。例えば、ニュートラリーノ結晶体を生み出し、熱核融合炉を完成させた、などがそれにあたる」
「まさか……俺を殺してダイヤを我が物にしたのは、徳を稼ぐためか? そんな妄想のせいで紗奈を、大勢の無関係の人間を巻き込んだっていうのか!?」
「妄想ではない。九回に及ぶ蘇りで確信したことだ。信じられないなら訊ねてみたらいい。こいつは私を担当する天使だ。神の遣いの言葉なら信じられるだろう?」
東道は視線で横に控えるくたびれた男を示した。
「あんた、天使だったのか? 今の話は……事実なのか?」
「ああ、事実だ。神は世界を大きく動かした者にプラン利用権を与える。再び何かを成せるのか、それとも惨めな転落を見せるのか……とにかく神は偉業を成した人間に注目し、特別な扱いをする。期待によるものか戯れなのかは僕たち天使も知るところではないけれどね」
「そんな……いや、おかしいだろ! 俺は生前、文明の発展に貢献した覚えはない! 二十二年の人生だぞ? そんな短い命で何を成したっていうんだ?」
俺がそう言うと、東道は喉を鳴らしながら深い息を吐いた。
「『瑞樹有』を始末したと報告を受けたその日より、重力操作技術の開発に着手した。それまでの輪廻の中でニュートラリーノ結晶体の痕跡は発見していたし、それが生み出すものの価値も遠い昔より理解していた。だから大いなる技術に昇華させるまで時間はかからず……はぁ……世界は熱核融合炉というクリーンで安全な夢のようなエネルギー源を得た。だがね、ある日、客船を爆破して敵対者を殺した後ぐらいだったかな。ふと重力操作技術がどれほど神を喜ばせたのだろうと思って天使に訊いてみたのだ。私の徳はどれだけ増えたのかな、とね。そうしたら……はぁ……どんな答えが返ってきたと思う?」
俺はそう問われ、様々な情報と状況を頭に巡らせて答えを絞り出した。
「……もしかして。まったく増えていない、その功績は別の人間のものだ、とかじゃないか?」
「概ねその通り。無能な部下が君を殺し損ね、あげく処理完了と誤った報告をしてきたせいで、君が生きているうちに技術開発に着手してしまった。そのせいで、ニュートラリーノ結晶体の発見と技術開発の功績は君に奪われてしまったのだよ。だから君は選択式転生権を得たのだ」
「ああ、そうかよ……今更そんな真実はどうでもいい! 問題はあんただ! あんたは何の目的で蘇ってるんだ? どうして多くの人間を不幸にしてまで蘇りを繰り返す!?」
「ただ私は……はぁ……神の使徒でありたいのだ。神の最たるしもべになりたいのだよ」
「し、しもべ? 何だそれ、何の意味があるんだ?」
「意味? 実に明快だろう。神より賜った生を、神のために費やすということだ。神に生み出された存在として、神の望む『世界の変化』をもたらすのが人間として真に正しい姿というものだ」
「馬鹿げてる! そんな理由で人を殺しまくったってのか!? 殺した人たちの中には文明を発展させる可能性を秘めた者がいたかもしれないじゃないか! 行動が矛盾している!」
「自分で言うのものなんだが……はぁ……私は人を見定めるのが得意でな。神のために役立つ可能性を秘めた人物は殺さないようにしている。私が選択した『多値遇人生』……つまり多くの出会いを得られる効果で何人もの人間と繋がり、私の力の一部として取り込んできた。善人も悪人も分け隔てなく平等にだ。しかし記憶保持効果の反動でどうしても障害が現われる。私は……はぁ……戦い続けることを宿命づけられた。そう、かつて私の娘であった者、機密を抱えて亡命しようとした女子高生、高槻哲也と協力者たち、といった具合にね。それは絶対に避けられないのだ」
東道は忌々しそうに、苦虫を噛み潰したように、表情を歪めた。そこに罪悪感など一切ない。自分が正義。自分こそが正道。それを邪魔する人間は愚者。きっとそう思っているのだ。
「私だって好きで人を殺めているわけではない。言ってしまえば、全人類の幸福を目指しているのだからね。そこで……はぁ……君にお願いがある。君の徳を、善行ポイントを、私に譲渡してくれないだろうか」
「突然何の話だ? ポイントを譲渡?」
「君は先ほど言ったな。自分は『羽田智三』であり『桐野浩二』であったと。その事実が示す罪の数々を自覚しているだろうか? 君が私の娘のキョウカを探しに来たから、あの子と君、それと君を探しにきた新居田楓という子を殺さなくてはならなくなった。君が干渉したせいで亡命寸前だった大尾真宵は居場所がばれて死ぬこととなった。そして何度も何度も姿を現し刺激するから、高槻哲也は罪悪感に駆られて罪滅ぼしに私と戦う道を選んだ」
「大勢が傷ついたのは俺のせいだって言いたいのか? お前が重力操作技術の問題に立ち向かわなかったから戦う者が現われるんだろうが!」
「目を逸らしているというのは間違いだ。私はかねてから重力操作技術が引き起こす災害の阻止を進めている。少し時間がかかり過ぎてしまい老いてしまったが、また記憶を引き継いで蘇ることができれば、いずれ解決できよう。私に徳を渡せば……はぁ……必ず平穏が訪れるのだ。悪い話ではないだろう。将来的にすべての魂が恩恵を得られるのだから」
「悪いに決まってる! 俺たちは自分の生が奇跡であることを信じ、一度切りだと腹を括って命を燃やしているんだ! 確定していない将来、未来のために犠牲になろうなどと思うわけがない!」
すると東道は鼻息を鳴らし、「愚かな」と呟いて咳き込んだ。それから横の天使に赤ワインを用意させ、余裕を見せるかのように手に持ったグラスをゆっくりと回してみせた。
「では、『お願い』というのは撤回しよう。その代わり私と取引しないか? 君が徳を譲渡してくれるなら……はぁ……それ相応のものを君に与えよう」
「取引もなしだ! 金品なんてどうでもいいんだからな!」
「ならば、君の大切な人の命ではどうだ?」
「は? 大切な人……?」
「亡命しようとした大尾真宵とコンタクトを取ったことがあっただろう? 君は彼女を『紗奈』と呼んだそうだな? 君のフィアンセだった女の子も何らかの理由でポイントを獲得し、記憶を引き継いで蘇っているのではないかね?」
見抜かれていたことに怖気だった。それが分かっているということは、哲也の秘書を誘拐したのは哲也への抵抗ではなく、俺との交渉に使うつもりだったからじゃないだろうか。
「おい、哲也の女性秘書は無事なんだろうな!? まさか手ぇ出したりしてねえだろうな!?」
「この提案を彼女にもちかけて拒否された時は処理してしまおうかと思ったのだがね。君の存在を思い出して踏み止まった。まだ生かしてあるし、丁重に扱っている。しかし、この後に何が起こるかは君の答え次第だ。監禁している部屋は……はぁ……君の答え次第でガスが充満することになる。十秒もせず人の命を奪うガスだ」
「卑怯者っ、卑怯者がっ! 何が取引だ、ただの脅迫じゃないかっ!」
「かつて山奥でもそうしたように、一分待ってあげよう。その間に答えを決めなさい。さもなくば……はぁ……君の愛する人に悍ましい苦痛を与えて亡き者にしてしまうよ」
悪意を多分に含む笑い声を上げた東道は、天使に支えられながらワインに口をつけた。味わうように口の中で攪拌し、ごくりと美味そうに飲み込む。
……俺は一体どうすればいい? 抵抗すれば躊躇なく紗奈を殺すだろう。だが善行ポイントを譲渡したとして約束を守ってくれるのか? あぁいや違う、考えるべきはそこじゃない。東道が生き続ける限り紗奈は戦い続ける。ならポイントを渡すのは紗奈を孤立させるだけで誰も救われない。東道はまた革新的な技術を開発し、あえて問題点を残して大勢の犠牲の上に解決し、再び技術を生み出す。未来永劫、人が殺され続けるということだ。考えろ、やつの凶行を止める手段を見いださなくては――
「……待てよ。どうしてポイントの譲渡を求める? 俺があんたの周りをうろちょろするのがうっとおしいというなら、それを止めさせればいいんじゃないか? 二度と記憶を保持して蘇りたいと思わせないぐらい痛めつける方法もあったはずだよな?」
「そんな手間のかかる真似をしなくても、ポイントの全てを譲渡してもらえれば君の消滅を確信できる。最も簡単で痛みのない、君にとっても最善の結末だ」
「本当にそれが理由か? あんた今さっき『また記憶を引き継いで蘇ることができれば』って言ってたよな?」
「それが……はぁ……どうしたのかね」
「あんた、今どれほどポイントが残ってるんだ?」
「……なに?」
「おい、東道の天使! ニュートラリーノ結晶体の発見と重力操作技術の功績は俺のものになったのなら、東道は世界を滅亡に導く悪魔とも取れるよな? その場合、持っていたポイントはどうなる? 滅びを導いた者にはペナルティが科せられることもあるんじゃないのか?」
東道の天使は陰鬱の目を俺に向け、「それは」と口を開いた。
しかしそこで、
「黙れ天使! 発言を許可しない!」
東道が声を張り上げ、天使の言葉を遮った。
ああ、化けの皮が剥がれるとはこのことか、と俺は思った。
あくまでも上の立場であることを誇示していた東道が、すっかり動揺していた。本当に慌てて、といった様子で、俺に視線を戻したやつは、明確に、まざまざと焦燥を浮かべていた。
「あと二十秒だ! 愛する人間を苦しませて死なせるのか否か、さっさと決めろ!」
最早隠す気もないようだ。東道は間違いなく追い詰められている。神の定めたルールには必ず恩恵と罰則が伴っていた。やはり東道はペナルティを食らったのだ。死を目の前にポイントを失い、魂が消滅するかもしれない恐怖の中で俺がやってくるのを待ちに待っていたのだ。
紗奈が戦い続け、哲也が人生を賭けてくれたから追い詰められた。
でも、それなのに、俺はあまりにも無力だ。
ここで、この場で、目の前の朽ち果てる寸前の男にトドメを刺さなければならない。俺がここで東道を倒さなければならない。だが、重力を浴びせられて俺は一歩も動けない。右手はまだ銃に触れているが、床に張り付いたそれを引き剥がすどころか指を動かすことすらできないでいた。
あと一歩、あと一手なのに、俺には何の武器もなかった。ここまでなのだろうか。ここが俺の命の結末。絶望して終わるのが、俺の運命だったのか?
「残り、十秒! そろそろ答えを聞かせてもらおうか!」
俺の心は絶望に満ちていて、思考を纏めるどころではない。どうしてこんなことになってしまった? なんで紗奈がこんな絶望の螺旋に捕まってしまったんだ? 俺たちが何をしたっていうんだ……?
俺は祈る他なかった。誰か俺たちを救ってくれ、と。
俺の全てをあげるから、紗奈を救ってくれ、と。
――その祈りに応じるように、スマートウォッチが着信音を鳴らした。
「電話? 天使っ、ジャミングはどうした? なぜ機能していない!?」
東道の慌てる様を眺めながら、俺は「応答」とスマートウォッチに指示を出した。
『おい。聞こえているか? 高槻哲也だ。こちらは姿の見えない協力者のおかげで秘書を助けだすことができた。その協力者が番号をメモして残してくれていたのだが、きっと私に帯同したさっきの彼の番号なのだろう? そちらは今どういう状況だ?』
その声は、深い闇を切り裂く一筋の閃光だった。
俺は無力だ。何の力もない。ただ死んでは生き返って、誰も助けられず嘆くばかりだった。
だけど、孤独に苦しんだわけではない。いつだって必ず隣には友がいた。
「…………哲也」
俺はスマートウォッチに、その向こう側にいる親友に語りかける。
落ち着いて、ちゃんと聞こえるように、確信を込めて、俺は訊ねた。
「俺は瑞樹有だ、と言ったら信じてくれるか?」
東道がはっと表情を変えてワイングラスを落とした。
「天使! あいつを殺せ! 今すぐにだ!」
命令された天使が俺に向かって駆けだす。
距離はさほどない。すぐに辿り着く。天使が伸ばす手は目の前だ。
だが、それより一瞬早く、スマートウォッチから応答があった。
『ああ、もちろんだ。信じるよ、アル』
次の瞬間、部屋の天井がぐにゃりと歪み、襲い掛かってきた衝撃破によって俺は横薙ぎに吹き飛ばされた。
頭をしたたかに打ちつけられる。そこへ大量の瓦礫が頭上より落ちてきた。回避する余裕などなく、為すすべなく押し潰される。
俺はやってくるだろう痛みや死の苦痛に備えるが、どういう訳か凄まじい重量感にまみれながらも大して苦しくはなかった。何かが俺を包み込んでおり、打ちつけられた後頭部も守られ、押しつぶされるギリギリのところで瓦礫を支えている。
雄叫びを上げて瓦礫を押し上げ立ち上がったそいつは、東道の天使だった。頭から血を流し、両手の甲の皮がめくれて痛々しい。状況から察するに、俺は彼に抱きかかえられて倒れ込み、瓦礫に押し潰されるのを防いでもらったらしい。
なぜそんなことを、と呆けていると、あろうことか「無事か?」と言って俺に手を差し伸べてきた。「あ、ああ」と俺は信じられない気持ちがあるものの、彼の手を取って立ち上がった。
「やれやれ、シェルターが木っ端微塵だ。隕石の直撃を食らって中にいた人間が無事だったのは幸いなことだが、隕石災害用シェルターとして機能したと言えるんだろうか。君はどう思う?」
「え? さあ……いや、それよりあんた、どういうつもりなんだ? どうして俺を庇った?」
俺の問いに答えようと東道の天使が口を開こうとすると、「天使、天使ぃ!」という苦痛にまみれた声が聞こえてきた。少し離れたところに瓦礫から体を半分出した血まみれの東道がおり、血走った目をこちらに向けていた。
「どうして……きさま、見たぞ! なぜ、そいつを……助けた!? 私ではなく、なぜ……お前は、私の天使だろう!? なぜだぁっ……!」
俺と向き合っていた天使は溜息を吐き、胸ポケットから煙草を取り出した。
一本咥えて火を点け、一服。それから東道へと体を向けると煙を吐いた。
「そうだなぁ。どうして、と言われると、見限ったからとしか言いようがない」
「見限る⁉ この、私をか!? 一体どの立場でものを言っている! お前は……お前は私の天使ではないか! 私の意に従う責務があるはずだろう!」
「天使は死者を現世へ戻すのが仕事だ。そんな責務なんてありはしないんだよ。それでもずっと傍で仕えてきたじゃないか。どんな場所にもついていき、移動中という一番危険な時間はドライバーとして警護にあたった。あなたが休んでいる間は書類仕事をして、部下たちの管理にあたり、客人として彼を迎えに行くのだってやらされた。そこまでサービスしても満足しないっていうのか?」
東道の天使がちらりとこちらに視線を向けてきて、その時ぱっと過去の記憶が蘇った。桐野浩二だった時、家まで迎えに来てくれたドライバーは彼だ。すでに会ったことがあったのだ。
「御託はいい! は、早く、助けなさい……! 体が酷く痛むんだ……! 瓦礫を……早く……ごほっ! 早く瓦礫をどけろ……!」
「もう遅い。あなたの体は半分以上損壊している。あなたの人生はここまでだ」
「か、神がそう決めたのか!?」
「いいや、決めたのは僕だ」
「なに!? 天使ごときが、どうしてそんな権限を……!」
「あなたはすごく微妙な立場だった。瑞樹有の功績になってしまったものの、重力操作技術は大いに文明を発展させ、神の興味を引いた。しかし、あなたは同時に破滅も呼び込んでしまった。だから神は東道久道が生きるべきか死ぬべき存在なのか見極めるよう僕に命を下し、より近くであなたの本質を見られるようにと肉体をくださった」
「なぜ……なぜ、私を見限った!? なぜ、お前は、私を……」
「例えそれが非道であろうと覇業の礎となるならば、僕はそれでいいと思っていた。歴史に栄光を刻み込む大器ならば、と目に余る所業に目をつぶってきた。だが、あなたの先ほどの言葉を聞いて心底がっかりしてしまったよ。神の使徒となりたい、神の最たるしもべになりたいだなんて、呆れ返って笑う気にもならない」
「それの何が、悪いんだ……!? 事実この世界は、神が作った箱庭……人はその箱庭を発展させる目的で作られた物のはずだろう……!?」
「それで神のご機嫌をとってあなたが得ているものは、結局のところ記憶を引き継いで蘇ることだけだ。あなたは消えるのが怖いんだろう? 東道久道である人格が消えてしまうのが嫌なんだ。だから神が望む世界の発展に従事する。あなたは夜の闇におびえる子どもと同じだ」
「違うっ! 違う……! 私は……はぁ……私は人類の繁栄を……!」
タバコを一本吸い切った東道の天使は近くの瓦礫に腰を下ろし、「ほら、君の」と言って俺が落とした銃を投げて寄越した。
「瑞樹有さん。あなた方の勝ちだ。東道久道は今世をもって完全に消滅する。この悪魔相手によく粘ったと賞賛させてもらうよ」
「お、終わった……のか? あまり実感がないが……ところであんた、体は大丈夫なのか? 頭の出血が酷いぞ。それに俺を助けたせいでペナルティを食らうんじゃ……」
「頭の傷は大丈夫、もう出血は止まってる。あと、僕は現実に関与して『人を守ること』を許されているからペナルティを食らうことはない。東道久道を守るか否かという話にも聞こえるが、よくよく思い出してみると神は『対象』を指定されなかった。ジャミングを切った時も特に罰則を受けなかったことだし、こうして今も無事のままということは、やはり神は東道久道ではなく彼に立ち向かう者に肩入れしても良いと考えていたんだろう」
「そうか……おかげで助かった。心から感謝する。えっと……あー……とりあえずここから脱出しようか? ここにいる意味はもうないわけだし」
「いいや、僕は東道久道の天使として、彼の最期を見届けようと思う。気遣いは無用だよ。だから、さあ、早く仲間の下へ行ってやりなよ」
天使は行った行ったと片手をひらひらさせた。
死に瀕した東道という悪魔。血塗れで彼を見つめる天使。血生臭いが神秘的で不思議な絵面だった。俺はもう一度天使に礼を言い、東道の恐怖と苦痛に塗れて正気を失った顔を数秒見つめた後、瓦礫の上を歩き始めた。
東道の天使が「隕石が直撃」云々と言った通り、周囲一帯はクレーターと化していた。俺は銃をポケットに突っ込み、地面の出っ張りを掴みながら坂を上ってどうにか地上へと辿り着く。
少し離れたところに見える本社ビルに向かって、俺は緩やかに走り始めた。東道とは自分の命と引き換えに道連れにするつもりだったから今生きていることが何だか不思議に感じられて、東道との戦いもこれで終わりだという実感もなく、心がふわふわと浮ついていた。
でも、本社の入り口に哲也の姿を見つけると、さっとカーテンを開くように俺の心は晴れ渡った。のろのろ動いていた足に活を入れて全力で走り、哲也たちの下へ向かう。
彼とロボットに囲まれて体を抱いている女性……ブラウスに膝下丈のスカートという格好の彼女が哲也の秘書なのだろう。俺が、ずっと探し求めていた人に違いない。
彼女は駆け寄って来る俺を見つけると涙を溢れさせ、満点の笑顔を浮かべた。
「またっ! また来てくれたんだね! 待ってたよ、心の底から……絶対にまた会えるって、私、信じてた……!」
「ああ、遅くなってごめんな。体は無事か? ずっと監禁されてたんだろう?」
「大丈夫、暴力を振るわれることもなかったし、食事も用意してもらってたから。少し量が少なくて良いダイエットになったよ」
辛い経験をしてもなお心を保ち続けてきた彼女の姿には、感服するとともに胸を撫で下ろす思いだった。それと打って変わって哲也の方がぼろぼろだ。スーツはところどころ引きちぎれていて、機械化した左半身が一部露見していた。それに戦いはまだ終わっていないらしく、本社入口前でタブレット端末と外部の協力者と思われる誰かと通信を交わしていた。それでも俺の存在には気づいているらしく、視線だけこちらに向けてくる。
「ああ、その手順で頼む。では切るぞ。……アル、無事でなによりだ。それよりだ、今隕石の落下地点から来なかったか?」
「地下に隕石災害用のシェルターがあって、そこで東道と一戦交えてたんだ。そうしたらデカい石が降ってきて直撃した」
「まるで映画のワンシーンだな。それで東道との戦いはどうなった?」
「終わった、と思う。今東道の側近がクレーターの中で死にゆく東道を見守っているはずだ。必要なら確認しにいってくれ」
「やつは隕石で命を落とす、と? それは何とも皮肉な話だな。神罰とでもいうのだろうか」
「哲也、まだ中の連中と戦ってるのか? 協力できることは?」
「いや、戦いはほぼ終わっている。ただ隕石の落下の衝撃でビルの一部が損壊してしまった。大事な様々なデータを出来うる限り回収しなければならないし、残党を狩りながら倒壊に巻き込まれた連中を助け出してやらなければならん。もう誰かが死ぬのは十分だ」
「それは大仕事だな。とりあえず適当にそこら辺のパソコンを持ち出したらいいか?」
「いや、お前は私の秘書をどこか遠くへ連れて行って匿って欲しい。私はこの後、武装集団を警察に突き出し、東道が働いた不正非道の尻拭いに奔走することになる。3Dプリンターの違法利用、銃器の保有でも罪に問われるだろうし……まあとにかく私はしばらく身動きできなくなる。だが、正義感で協力してくれた彼女にその罪滅ぼしに付き合わせるのは忍びない。今日ここで起こったこと全ての責任は俺一人で請け負うつもりだ。だから、アル。彼女を安全なところへ連れて行ってくれ」
「そうか……分かったよ。必要以上の責任を取ろうとするのはお前の悪い癖だからな。できるだけ東道に罪を着せて、自分の罪を軽くする努力をしろよ」
「ああ……ああ、そうだな。大丈夫、もう自罰的な心は捨て去った。さあ行け、アル。西に向かえば森林公園があるから、そこを通ればすでに向かって来ているだろう警察と出会うこともないはずだ」
「了解だ。それじゃあ……哲也。無事切り抜けろよ」
俺は女性に――紗奈に手を差し伸べた。「さあ、行こう!」と。
神のルールに抵触しないためだろう、彼女は俺の名前を呼ばず、「うん!」と嬉しそうに微笑み手を握ってきた。
「アル! 実は孫が八人いる! 高槻の姓に出会ったら仲良くしてやってくれ!」
走り出した俺たちの背後から、親友の声が追いかけてきた。俺は振り返って頷き、森林公園に向かって駆けた。
「アル君……アル君! 全部終わったんだよね? もう誰かが傷つくことはないんだよね?」
「ああ、東道は今日この日に消える! もう紗奈が戦う必要も苦しむこともない!」
「私のことはいい! アル君が傷つかないことが大事だよ! 私が正義感を働かせて、後に引けなくなったせいで、ずっとアル君を巻き込み続けたんだもの! アル君が解放されることが一番大事!」
「とにかく俺たちの勝ちだ! もう誰かが殺されることも暴力で支配されることもない! 本当に全部が終わったんだよ!」
まるで世界が祝福してくれているかのように、頭上には幾つもの流れ星が尾を引いて瞬いていた。一体いつぶりになるのか、俺は紗奈とともに笑った。失ったものを取り戻せた嬉しさ、紗奈の手の温もりへの感動で涙ぐみながら、俺たちは笑っていた。
「アル君、これからのこと考えてる?」
「とりあえず俺の家に行こう。この後の人生のことはゆっくり休んだあとに考えたらいい」
「失ったものも多いけど……またやり直せるかな? 一度死んだ身だけど、改めて人生を始められるかな?」
「もちろんだ! 取り戻せないものはあるし、その辛さはずっと尾を引くんだろうけど……今度こそ俺が紗奈を守る。ずっと傍にいるよ。そして……そうだな、いずれまた哲也とも会いたいな。いつもの三人でバカみたいな話で笑い合いたい。あいつの奥さんと子どもたち、あと八人の孫の顔も見てみたいよな。あんな辛気臭い顔しといてやることやってやがったんだ。どんな親でどんな祖父なのか聞いてみよう」
俺は瑞樹有として、そのように言った。心は遥か過去へ戻り、楽しかった学生生活に戻った気分でいた。
きっと紗奈も同じだろうと思っていた。なのだが、奇妙なことに紗奈は「いつもの三人って?」と訊ねてきた。
「そりゃ俺と紗奈と哲也の三人だよ。まさか社長の哲也が同姓同名の別人だと思ってたのか?」
「えっ、どういうこと? アル君って社長と知り合いなの?」
「社長って、随分と他人行儀だな。数時間前にあいつと少し言葉を交わしたんだが、何だかんだ根っこは変わってない。年齢は食い違ってしまったけど、俺たちは俺たちのままだ。哲也を含めた三人がまた一緒に生きていけるんだ」
森林公園の雑木林の中、不意に俺の手から紗奈の手がするりと抜けた。
立ち止まって振り返ると、なぜか紗奈は困惑を浮かべている。「どうした?」と訊ねると、紗奈は自ら引いた手を胸元で震わせた。
「ねえ、アル君。アル君は…………アル君、なんだよね?」
「え? ああ、そうだよ。どうしたんだ?」
「いつも私はアル君と一緒だった。だけど……知らない。三人目は……高槻社長とは今世で出会ったばっかりで……」
時間を凍りつかせるかのように酷く冷たい風が俺たちを取り巻いていた。
紗奈の顔にはありありと恐怖が浮かんでいる。
俺も、とある可能性に気づいて体を強張らせていた。
「……アル君。アニメ映画の主人公の名前を取ってアル君って名づけられたんだよね?」
「あ、ああ、そうだ。それは間違いない。二度目の人生でそれを確認したのも覚えてる」
「おかしいな……何度も生まれ変わったせいで、記憶を一部失ったりしてるのかも」
「それは……ないとは言い切れないよな。なあ、紗奈……あの、いや……」
「……苗字は?」
「えっ?」
「あなたの苗字は、ミズキ?」
「も、もちろんだ」
「漢字は? お水の『水』に樹木の『樹』?」
「え? ……違う。ミズは『ずい』と読める方の漢字だ」
「ど、どうしてだろう、何で食い違うのかな。間違えて覚えてた……っていうことは、ないはずだけど……」
「…………君の……紗奈の苗字は?」
「私の……?」
「花瀬、だよな? フラワーの『花』に浅瀬の『瀬』で花瀬だろう?」
救いを求めて俺は紗奈に訊ねた。何かのジョークだろう? と俺は笑みすら浮かべていた。
でも紗奈は全身を震わせ、細かく白い息を口から吐き――
「……違う。私は、渡会紗奈……花瀬じゃない……」
そう言って紗奈は顔を苦痛に染め上げ、口を大きく歪めた。
俺は後頭部を殴られたのかと思うほどの酷い眩暈に襲われた。地震でも起こっているかのように足元がぐらつき、直立できない。世界が歪んで見え、体がばらばらに千切れていくような感覚を覚えた。
東道の別荘の地下、穴の中での邂逅。
客船の甲板から見上げた彼女の姿。喉を掻き切られて落ちてくる紗奈。紗奈を受け止めようと必死に駆けた俺。
自分の命を引き換えに東道と戦った今日一日。無事だった目の前の彼女を見つけた時の喜び、感動、安堵、繋いだ手の温もりで止まっていた時間が動き出したような感覚。
頭の中を様々なものが駆け巡り、嘘だ、嘘だと心が叫んでいる。これまでの出来事は何だったんだ? 俺は今まで何のために何をしていたんだ?
「天使……天使ぃッ!」
自分のこれまでの人生の中で一番大きな声で彼を呼んだ。
背後に気配がして、振り返ればツーブロックヘアのやつがいる。
俺は天使の胸元を掴み、近くの木に叩きつけるようにして押しつけた。感情が荒ぶるのに任せ、俺は内側より弾けて飛び出してきた言葉を彼に浴びせた。
「いつからだ!? いつから入れ替わってたんだ!?」
「最初からだ。あんたは最初から人違いをしてたんだ。入れ替わったわけじゃない」
「どうして言わなかった!? お前は俺が無様に人違いしている様を見て笑ってたのか!?」
「そんなわけないだろう。俺だってどうにか伝える方法がないか模索してたんだ。でもどれだけ頭を捻ったところで天使の規則に引っかかっちまう。どうしても伝えることができなかった」
「なら止めてくれよ! こんなことになる前に俺を止められただろ!?」
「何度も考え直せって伝えてただろうが。それでもあんたは止まろうとしなかった。なら、俺にできることはできるだけ早くそこの紗奈さんと会わせてあげることだけだった。現実を知ってもらうために、受け止めてもらうために、真実を見せてやることしかできることがなかった」
天使の声には虚しさが滲んでおり、彼も苦しい立場だったことを思わせた。
どうして、どうしてこんなことになった? 紗奈が死んでからずっと不幸が渦巻いている。どうしてこんなことなってしまうんだ? 俺が、俺たちが、何をしたっていうんだ?
「……アル君……『私のではない』アル君」
項垂れていると、背後からか細い声が聞こえてきた。
「あなたのおかげで良い夢が見れたよ……アル君とはもう二度と会えないんだって思ってたから……あなたがアル君そっくりの性格で、アル君本人みたいな声をしていたから……あなたが捜しに来てくれて涙が出るほど嬉しかった……あなたが追いかけてきてくれたから、まだ私は青春の中にいる気分になれた……ありがとう、本当に……」
するりとポケットから何かが抜き取られる感覚があった。
振り返ると、銃口を側頭部に向ける紗奈の姿があった。
「でも、もう疲れちゃったなぁ……」
薄っすらと微笑んだ彼女は一切の躊躇いなくトリガーを引いた。
弾丸は容赦なく彼女の頭を貫通し、宙に血のアーチを描く。
彼女の体は力が抜け、捩じれるように崩れ落ちた。
俺は目の前で起こった事態を受け止めきれず、動けずにいた。空を向いて倒れている彼女は目を開いたままで、実は生きてるんじゃないだろうか、なんてことを考えていた。
だが、彼女は息を引き取っていた。
涙に沈んだその瞼の内側は、イルミネーションかのようにぎらぎらと輝く星空を映していた。それはとても美しく、力の抜けたその表情からは安らぎを感じられた。
彼女のその姿を哀れだとは思わない。それどころか彼女こそが正しい気がして、俺は膝をついて彼女の手から銃を取った。
銃口を側頭部に押し当て、トリガーを引く。
カチリ、と音はしたが何も起きない。何度もトリガーを引いても弾丸が出てこない。見れば上部のスライドするパーツが下がったままで、空っぽの銃身を晒していた。
俺は何の価値もなくなったそれを捨て、立ち上がる。酷く重たい足を前に進ませた。
「どこへ行くつもりだ? そっちには何もないぞ」
天使が呼び止めてきた。
「決まってるだろ。紗奈を……本物の紗奈を探さないと」
俺は当たり前のことを口にして、歩を進めた。
何だか左足が暖かく感じ、触れてみると水音がするほどスーツが水分を含んでいた。固い物――鉄筋とか、瓦礫の一部か、ガラスか、とにかく何かが脇腹に突き刺さっており、左足を血塗れにしていた。
でも、そんなことはどうでも良かった。
俺は歩き続ける。満天の星空の下に横たわる深い闇の中へと。
愛する人を探すために。諦められない未来を取り戻すために。
俺は深い深い闇の中を進み続けた。




