第四話 西暦二〇八五年 十一月三十日 ②
怖いぐらいに静かなロボット三体を引き連れて階段を上り、四階上まで吹き抜けになっているエントランスへと俺たちはやって来た。お客様には一杯サービスすると看板が置かれたカフェテリアや、ふかふかなのが見て取れる高そうなソファとテーブルが並んだエリア、流れる水をモチーフにしたのか表現の難しい銅像を横切り、受付へと向かう。
「おかえりなさいませ、高槻社長。時刻通りですね。あの、そちらの方々は……?」
受付には緑のスカーフを首に巻いた四十代ぐらいの女性が一人立っていた。俺はともかくライフルを持つ重武装のロボットには驚いているようだ。
「これらは襲撃者役を演じてもらう者たちだ。武装した人間を送ると聞いているだろう?」
「失礼しました。その……予想していたより、ものものしいというか、本格的過ぎたもので」
「残りの受付はどこだ。警報を鳴らす係、客への避難指示、テーザー銃での制圧の役割を五人には体験してもらう手筈だったはずだが」
「はい、承知しております。ですが……残りの者たちは避難者のチームに加わるように指示を出しましたので、この場には私しかおりません」
「理由は?」
「危険だと判断しましたので」
「間違いが起こる可能性はなくはないが、それを含めて対処を覚えるのが訓練だろう。社長の私より君の判断が上である理由を述べてみよ」
よく見てみると、女性は穏やかな表情をしてはいるが極わずかに体を震わせていた。化粧した顔も心なしか青白く見える。
「哲也、今更なんだが、この後どういう風に動くつもりだったんだ?」
「ロボットたちが受付たちに銃を向け、警報を鳴らす。あとは事前に仕込みをしておいたシャッターで会長の逃走経路を限定し、そこを襲うか、または社内から脱出したところを待機させているロボットに捕縛させる。我々はただロボットの後を追うだけいい。そのはずだったんだが……」
哲也が鋭い視線を投げかけるが、受付の女性はその眼差しを受け止めようとせず、哲也の胸元あたりをじっと見つめている。何かを恐れているか、震えが大きくなってきていた。
「何かきな臭くないか、哲也。明らかに様子がおかしいぞ」
「……、もう一度訊ねる。なぜ私の指示とは違う行動をした。その理由と正当性を述べよ」
「は、はい、社長。私は……っ……あの……」
「言ってみなさい」
「今回、本社にテロリストの襲撃を想定した対処訓練とのことですが、はたしてそんなものが必要なのか疑問に思います。銃器などの危険物は敷地と外部の境界に設置されたセンサーで発見できますし、シャッターなどで本社到着前に対処できるようになっているでしょう?」
「この訓練は防御機能が働かなかった、または破壊されたり機能不全に陥った時のための訓練だ。必要かどうかの判断は私がする」
「でも、銃器を実際に使うんですよね?」
「実弾ではないがな。ゴム製の弾と捕縛用の粘着弾の二種のみ使用する」
「あ、当たったら怪我をするかもしれないじゃないですか。若い子たちが、き、傷つくかもしれないのは、あまりにも……その……可哀そうだと思いませんか」
女性はあくまでも穏やかに言葉を並べる。しかし、徐々に綻び始めた。
そして、
「しゃ、社長……お考えを変えてはくれませんか?」
そう口にした女性は決壊したかのように大量の涙を流し、顔を歪めた。
「哲也、絶対まずいことが起きてると俺は思うぞ。一度撤退するべきじゃないか?」
「社長と言えど、本社の業務と機能を停止させて全社員を退避させることは簡単ではない。だから襲撃の被害を最小限に留めるには今日しかなく、この機会を逃して次を待っていたら襲われるのは我々の方だ。無血で東道を倒すには今日以外に機会はない」
「じゃあ、このままやるんだな。分かった、俺も腹を括るよ」
頷いた哲也は歯の根をがたがたと鳴らして泣きじゃくる受付係に向き直る。彼女は哲也に視線を戻されると、「息子が!」と叫ぶように言った。
「息子が……今……後頭部に銃口を押し当てられてるんです! 言うことを聞かなければ、うぅ……息子を殺すって、会長から動画を送られてきて……!」
「もういい、それ以上言葉にしなくて結構だ」
「社長っ! 今回の訓練を中止してください! じゃないと息子が……まだ、十五歳になったばっかりなんです! 人生これからなんですっ!」
「申し訳ないが、中止はできない。だから、君は会長の指示通りにしなさい。これから何事が起ころうと、君に責任を求めたり評価を下げることもなければ居場所を奪うこともしないと約束する。だから、やりなさい。息子を守るため、会長から下った命に従いなさい」
哲也の振る舞いはたくさんの人間の上に立つ者の威厳があった。
受付係はようやく哲也の視線を受け止め、真意を確かめるようにしばらく見つめる。
それからしばらくして、女性は震えを更に大きくするのとは反比例して表情に決意と覚悟の色を滲ませた。
「申し訳ありません、社長っ! 息子のためなんですっ!」
あぁっ! と叫んだ受付嬢はカウンターの下に隠していた両手を勢いよく哲也に向けた。
その手に握られているのは銀色に輝くオートマチックの銃だった。俺がそれを認識したときにはすでに銃声が鳴っており、哲也が機械の左手で銃を逸らした後だった。
弾丸がどこかに着弾した音が鳴り、同時にジリリリと警報が響きだす。それを合図にして大勢の足音が湧きおこり、本社の中に続く廊下や上階の手すりから悪意を表情に滾らせている男たちが現われた。
「殺せ! あのジジイがターゲットだ! 今日この場所で絶対に仕留めろ!」
スーツ姿だがいかにも反社会勢力と言った柄の悪い男たちは俺たちを目で捉えると、海外のマフィア映画のように一斉にライフルを構えた。
だが武器を用意していたのはこちらも同じ。すぐさま階段に待機させていたロボットたちが雪崩れ込み、敵より先にライフルを撃ち放った。
哲也が言っていた通り、弾丸は殺傷性のない粘着性のもので、最前線にいた男たちは粘着液に包まれて動きを止められていた。天窓からもロボットたちが入り込み、上階に飛び込んで武装集団を蹴散らしていく。
「来い! 強引に突破する!」
哲也の声で我に返り、俺は慌てて走り出した哲也の後を追う。向かっていく通路にも武装集団がひしめいていたが、哲也が持ち上げた左腕――手の甲から粘着弾が発射され次々に無力化していく。運良く潜り抜けた最後の一人に素早く接近すると、左手で顔を掴んだ。するとバチッという電気が弾ける音と「うぅぅ!」と引き攣るような声がして、男は崩れ落ちた。
「おい哲也。こうなると想定していたのか?」
「当然、反抗してくるものとは思っていた。しかし、こちらが把握していた何倍もの人数を集めたようだな。我々が知りえない秘匿された出入口があるのかもしれない」
「上の階もヤクザみたいなのがひしめいてたぞ? 俺たちだけで突破できるのか?」
「さあな。それはやってみないと分からない」
階段を駆け上がると待ち受けていた武装集団が銃口を向けてきた。横道に飛び込み、弾を避けるため壁に背中をくっつける。ロボットたちが武装集団に突っ込むのを確認して通路を横切り、哲也は背後に手榴弾のようなものを投げた。それは爆発すると泡を噴き出し、すぐに石膏のような物質に変わって壁へと変貌する。足止めのようだ。
「東道は何階にいるんだ? というか、襲撃がバレた時点で逃げられたんじゃないのか?」
「外部の協力者が避難通路と社内を監視カメラで観測し、リアルタイムで位置情報と照合データを送ってくれている。その情報ではまだやつは三十階のプライベートエリアと化している保養施設から出ていない」
「手下を集結するのに使った秘密の通路で逃げた可能性は?」
「十分ありえる。悪いな、スマートに始末するところを見せるつもりだったんだが……この歳になっても、どうも何か一つ抜けているのは変わらなったらしい」
エレベーターを使おうものなら出待ちにあってハチの巣だ。階段を上るしかないが、どの階も当然敵が待ち受けており、弾丸の雨が降ってきた。ロボットを突っ込ませて強行突破するのだが、その度に制圧のため数体をその場に残していかなければならず、最初は五十体ほどいたロボットは最早八体しか残っていない。
そうして二十階へ上がると、やはりそこにも敵が待ち受けている。横道に逃げ込むが、そこにも待ち伏せがいた。
咄嗟の判断だったのだろう。哲也は俺を突き飛ばし、自分は反対側の廊下へと飛んだ。ロボットたちが背中合わせで正面と背後をけん制してくれているため無事だが、嵐のように飛び交う銃弾の中を通って哲也の下へ向かうのはあまりにも危険過ぎた。
判断に迷っていると、「おい」と哲也が声をかけてくる。左目の義眼が赤く点滅しており、それに伴って俺の左手の甲が赤く光り始めた。袖をまくると、スマートウォッチから立体的な建物の構造図が宙に投影された。
「始末をつけるところを見て欲しかったが、君を連れて行けるのはここまでらしい。その構造図に記したポイントへ向かってくれ。テロ行為が発生して避難通路から逃げられなかった場合に駆け込めるシェルターだ。そこで事の全てが終わるまで待っていて欲しい」
そう言うと哲也側の傍で待機していた残り三体のロボットが銃弾を食らいながらこちらに走ってきた。それに加えて哲也は銀色の物体を床に滑らせて渡してくる。受付係が哲也に撃ったオートマチック拳銃である。あの瞬間に奪い取っていたらしい。
「それを渡しておく。危険が迫ったら躊躇わずに撃て。いいな?」
「待て哲也! お前も身を隠して、ロボットたちが全てを終わらせるのを待てばいいだろう!」
「俺の左目で収集した情報を下に、外部の協力者がロボットたちのAIを逐次更新してコントロールしているんだ。私は極力前線にいなければならない。それに先ほど見せたが私自身も武装して戦える体に改造してある。心配はいらんよ。君は君の安全だけを考えなさい」
言うや否や哲也は背を向け、俺とは反対側の廊下奥へと走って行ってしまった。「哲也っ!」と呼び止めるが、廊下に出した顔を弾丸が掠める。慌てて身を引き、たまらず舌打ちをした。
確かに守らなければならない対象がいると哲也も動きづらいだろう。だが、哲也だけに任せて逃げて良いのだろうか。敵の数と社内の破壊っぷりは、必ず哲也を仕留めるという東道久道の本気の悪意に満ちているような気がしてならない。
「よお、もうこんなとこまで来てたのか。この人数相手だから苦戦してるかと思ってずっと下の階を探してたよ」
思考を巡らせていたところ、場違いな溌剌とした声が聞こえてくる。あろうことか武装集団がいる廊下から天使がひょっこり顔を出してきた。
「お前……ついてきてたのか? 一緒に上がって来なかったから、地下に待機してるのかと」
「いや、俺は姿が見えないことを良いことに一足先に社内を見て回ってたんだよ。東道と誘拐された高槻哲也の女性秘書を探しに行ってたんだ」
「やっぱりその人が紗奈なのか?」
「うん、まあね。最上階の会長室に隠し部屋があって、その中に監禁されている」
「なに!? 本当か、それ!」
「ああ、ただその隠し部屋を開けるには特別なセキュリティカードが必要みたいなんだけど、所持してるだろう東道久道の姿がどこにもないんだよ」
「やっぱりか……襲撃を知っていて残っているはずないよな……」
「でも高槻哲也には協力者がいるんだろう? 高槻哲也のセキュリティカードを会長仕様に書き換えるとか、何ならロボット集めて火力で扉をぶっ飛ばすとか、とりあえずその部屋まで来てもらえればやりようはあると思うんだよね。そんで早く来てもらおうと迎えに来たわけだけど、肝心の高槻哲也はどこだ?」
「先に行っちまった。くそっ、俺が引き留められていれば伝えられたのに……!」
霊園で哲也と合流し襲撃に参加できることになり、ほとんど瑞樹有の生まれ変わりだと明かしながらもルール違反と判断されなかったという幸運を得たばかりだ。プランの効力が切れていてもおかしくない。すれ違いは決定事項だった可能性がある。
分かっていても苛立ちを抑えられず俺は歯噛みするのだが、しかし天使は得意げな表情で「別れてからそんな時間経ってないんだろ?」と落ち着き払っていた。
「そんなら追っかけりゃいい。ほらさっさと敵どもを蹴散らそうぜ」
「それが出来ないから困ってるんだろうが! ロボットを三体預けてくれたけど、これだけでどこまで行けるか……」
「ちょいちょい、地下での俺の話聞いてたのか?」
「ああ? 何か言ってたか?」
「もっとあんたを直接的に手助けしたいって神様に直談判しに行ってきたって話だよ。すげえ重要な話だぜ? 何で結果を聞いてくれんのかね」
天使は十字路に立ち、銃弾を浴びまくって機能停止しかけているロボットに並んだ。疑念の眼差しを向ける俺に彼はにやりと笑ってみせ、不意に敵陣へと走り出す。
何するつもりだ? と覗き込むと、天使が武装集団の一人の腕に手をかけるのが見えた。銃口を横に反らして強引にトリガーを引かせると、弾丸が壁と天井にアーチを描く。
武装集団は何事だと暴走した一人に銃口を向けた。「えっ、えっ、違う暴発だ!」と天使にトリガーを引かされた一人は両手を上げるが、その時にはすでに天使は別の人間の腕を振り回していた。乱射される銃弾と悲鳴、「馬鹿よせ!」「なんだ、裏切か!?」という怒声と動揺、それとともに「ひゃっはっは!」という天使の馬鹿笑いが廊下に響き渡った。
「どうよ、これ! やりたい放題だぜ! 直談判が通って現世の色んなものに干渉できる許可を神様がくれたんだ! ほら見ろよ、体が破裂しないだろ?」
とんでもない恵みというか、ズルや卑怯というか、とにかく都合の良すぎる展開にきょとんとしてしまった。慌てて思考を戻し、「天使、こっちだ!」と叫んで十字路を突っ切り哲也が姿を消した方へと駆けた。
「見ろよ、あいつらの動揺っぷり! 疑心暗鬼で社長暗殺どころじゃないみたいだ!」
「本当に助かる。哲也はきっと会長室に向かっているはずだ、俺たちも急ぐぞ」
天使は健脚を見せて俺を追い越し廊下を突っ切ると、待ち受ける敵の中に突っ込んで無理やりライフルのトリガーを引かせた。弾丸がむちゃくちゃに発射され、一気に場は混乱に陥る。何人かは防弾チョッキで受け止めることになって吹っ飛び、その隙をついて三体のロボットが粘着弾で制圧した。
ガラスで幾つかの区画に区切られたオフィスの中、俺は弾丸と砕けたガラス、誰かが演出しているんじゃないかと思うほどちょうど良く機器が爆発して巻き起こった煙の中を駆け抜け、無人の廊下に身を滑り込ませた。
「よし、階段までもう少しだ! 天使、ロボットと一緒にそのまま北側の道を切り開いて――」
壁に隠れながら騒乱の中に声を放ったその瞬間、ぞわりと首筋が粟立つ。
背後に人の気配――俺は慌てて振り返り、哲也に渡された銃を構えた。
そこには一人の男が立っていた。少し捩じれるような癖のあるロン毛を頭から垂らし、淀んだ目を俺に向けている。
長い年月を生きてきたかのようにくたびれているように見えるが、顔立ちは若々しい。着ているグレーのスーツは長いこと使っているのか張りがなく、ワイシャツの襟の角が反り返ってスーツから飛び出している。いつの間に現れたのかも分からないし、武器をもっていないから武装集団の一員ではないらしいが、纏う異様な雰囲気は社員とも思えない。
「だ、誰だ、あんた! 俺がこの廊下に飛び込む寸前はいなかった……よな?」
「…………、トイレ」
「は?」
「そこのトイレから出てきたところだ」
男は両手を上げながら顎で自分の背後を示す。角度の問題で入口は見えないが、壁には確かにトイレマークが飾られていた。
「社員、ってことでいいんだな? ならさっさとどこかへ消えてくれ! 今日が避難訓練の日だってのは知ってるだろう?」
「ああ、知っている。だが仕事を任されたものでね」
「そんなこと言ってる場合じゃないのは、この銃撃音で分かるだろうが!」
「そうだな、危険な音……人が死ぬこともある音だ。何度も聞いてきた。しかし僕には会長から任された仕事がある」
「会長? お前、東道の下から来たのか? 居場所を知っているってことか!?」
やけにゆっくりとした瞬きをした男は俺の目をじっと見つめ、「ああ」と虚ろな声で答えた。
「今どこにいる? あいつはこの状況をどこかで見てるのか? 人質に取った女性はまだ生きてるんだろうな!」
「社長の秘書のことなら大丈夫、まだ生きている。会長の居場所は少し説明が難しい」
それから男は「でも」と続けた。
「案内することはできる。二者択一だ。女性秘書の下へ向かうか、会長を探しに行くのか……君はどちらを選ぶ?」
遠くから「おーい! 早く来いよ! 何してんだぁ?」と天使の声が聞こえてくる。
天使がいるなら哲也に追いつくのも時間はかからないだろう。何なら先に敵全部を無力化するのも難しくはない。居場所も分かっていることだし、紗奈が閉じ込められている隠し部屋に到達するのは容易だろう。
だが、もし隠し部屋の扉をどうやっても開けられなかったら、会長……東道久道から鍵を手にいれなければならない。それに、今ここで追い詰めないと完全に姿をくらまされる。それは俺たち全員にとっての脅威が一生残り続けるということだ。
「天使! お前は哲也と合流して、どうにか紗奈の居場所を伝えてくれ! 俺は……やらなくちゃならないことを終わらせてくる!」
はぁ? 何だってぇ? と遠くで天使の声が聞こえるが、俺は勝手にトイレの中に入っていくくたびれた男を追った。
「おい、勝手に動くな! 場合によっては本当に撃つぞ!」
男は俺の忠告を無視して奥へと進み、掃除用具室を開くと「ここだ」と言って中へ入っていく。駆け寄って銃口を掃除用具室に向けると、予想外なものが待ち受けていた。
掃除用具などが置かれた小さなスペースの奥、壁の中に空洞があった。男はそこに入り、「エレベーターだ。早く乗れ」と視線を向けてくる。
恐る恐る近づき、男に銃口を向けながら踏み込んで背中を取った。扉横のボタンを見るに、どうもこの隠しエレベーターは十階毎に停まれるようになっているらしい。会長のプライベートエリアである三十階のボタンもある。
しかし男は並んでいるボタンの中から一番下の『F13A』というボタンを押した。俺たちが乗る小さな箱はゆっくりと下降し始める。男に注意しつつスマートウォッチで哲也からもらった構造図を見てみるが、俺たちは柱の中を移動していることになっていた。しかも地下深くへと潜っていく。
「この先に何があるんだ? 本当に東道久道の下へ向かってるんだろうな?」
「この秘密のエレベーターは本社から少し離れたところにある、隕石被害から身を守るためのシェルターに繋がっている。それをこの場で証明することはできないが……会長に会えると確信を持って乗り込んだんだろう? なら黙ってついて来ればいい」
彼の言う通り、俺は東道に会えると半ば確信していた。幸運の後には記憶保持オプションの反動的不幸がやってくる。ならば天使の到着が遅れるという不幸があった後にやってくるのは幸運の方だ。
エレベーターが停まり、扉が開かれる。男とともに踏み出すと、そこはアーチ状の通路、いやトンネルだった。足元から頭上まで大理石で作られており、磨き上げられていて自分たちの姿がぼんやり映っていてために閉塞感はあまり感じない。
男はカツカツとブーツの音を鳴らして歩いていく。その後を追いながらスマートウォッチで居場所を確認していると、本社の真下からどんどん離れて行くのが分かる。
一体どこまで歩けばいいのか――そんなことを考え始めた頃、俺たちはハンドルがついた重厚な扉へと辿り着いた。
「さあ、ここだ。入るぞ」
男は目の前の扉の大きなハンドルを捻って扉を押し込んだ。
部屋はドーム状で柔らかい絨毯が敷き詰められている。壁際に花が飾られていたり、背の低い棚などの調度品も設置されていて、人間が暮らせるようなコーディネイトだった。
その中で、奥に見える車椅子はよく目立っていた。
髪が薄くなってほとんど抜け落ちている後頭部が見える。俺をここまで案内をしてきた男はその車椅子に近づき、「連れて来ました」と声をかけて椅子を動かした。
振り返るその時間は、スロー再生かのようにゆっくりと感じた。
骨ばった手の甲。スーツの袖から覗いている宝石をあしらった高級腕時計。
染みだらけのこけた頬。乾き切ってミイラのような肌。
どれだけ時代を超えようが、その眼差しは悪意と傲慢の色が宿っている。
かっと頭の中が燃え上がる。俺はその熱に身を任せて銃を向けていた。
「東道久道ぃ! もうお前の時代は終わりだ! 踏みにじってきた人たち全員に詫びろ!」
全てはこの男から始まった。紗奈の死もお腹の子の死も俺の死も、哲也の人生が壊れてしまったのも、何もかもが東道久道の手によるものだ。
もし天使と哲也が紗奈を救い出しても、彼女はまた東道と戦う未来を選ぶだろう。ならば東道は更なる悪意の炎を巻き散らす。必ず死をもたらしに紗奈の下へとやってくる。
今ここで、死の連鎖を断ち切らなければならない。
哲也の「必要になったらためらわずに撃て」という言葉の「必要」が目の前にあった。
人を殺すことへの抵抗を吹き飛ばすために叫び声を上げ、俺はトリガーを引いた。
何度も何度も、一発でも当たるまで――
だが、すぐに異常に気付いた。
俺が撃ち放った弾丸は部屋の中央で制止していた。壁に埋まっているかのように、時間が止まっているかのように。
えっ、と呆然としていると、何かが覆いかぶさってきたかのような凄まじい圧力に襲われた。
まず銃を握りしめる両手が床に叩きつけられ、たまらず倒れ伏してしまう。慌てて起き上がろうとするが、片膝を突くだけで精一杯だった。辺りを見ても自分に触れるものは何もない。おそらく重力操作の類だろう。
「ようこそ、ここは私の……はぁ……いわゆる隠れ家というやつだ。人を招くのは君が……はぁ……初めてだよ。良ければ自己紹介してもらえるかな?」
俺を見下す東道の視線を感じる。銃を向けられたことへの動揺は一切ない。この部屋で決して間違いは起こらないと確信しているのだ。
そんなこと俺だって分かっている。何世代にも渡って立ちはだかってきた男だ。簡単に殺せるはずがない。
はずがない……が、この場にいるのは記憶を引き継いできた亡者だ。地獄に引きずり込むための策はある。
「……ああ、いいだろう。名乗ってやる。耳をそばだてて聞きやがれ!」
俺は必死に顔を上げ、精一杯東道を睨みつけ、憎悪と覚悟を吐きつけた。
「俺は『羽田智三』であり『桐野浩二』、そして『瑞樹有』だっ! ニュートラリーノ結晶体に変異したダイヤの持ち主のな! 奪われたものを取り戻すために蘇ってきたぞ!」
明確なルール違反。生命の循環を現世の人間に伝えるという禁忌。
これで俺は『幸運プラン』の効力は得られなくなり、『記憶保持オプション』の反動だけがやってくる。
でもそれでいい。反動は近くにいる人間も巻き込むことは分かっているのだ。紗奈を救うためには絶対に東道を殺さなくてはならない。だから、俺の下へ訪れる強大な不幸に巻き込んで確実に息の根を止める。これはこの町へ来る間、考えに考えて辿り着いた秘策だった。
………………。
……しかし、どうしてだろう。部屋は静まり返り、何も起こる気配がしない。
「……あぁ、なるほど考えたな。君はあれだ、私を巻き込んで道連れに……はぁ……するつもりだったのだろう? 記憶保持が引き起こす『不幸』が、君の必殺の刃だったわけだ」
俺は驚き、辺りを見回していた視線を東道に戻す。随分と間抜けな顔をしていたらしく、東道は薄ら寒い笑みを浮かべ、くっくと体を揺らしていた。
「残念だったね。私も……はぁ……私もなんだよ。記憶保持を付与した選択式転生権……今は『プラン』と言うのだったか? それを使って蘇った口だ」




