第三話 西暦二〇六一年 九月九日 ⑥
気づけば俺は真っ白な死後の部屋にいた。
熱と頭痛と海水が肺を圧迫する感覚が残っていて、体は小刻みに震えている。俺は今見てきた光景を思い出し、感情の整理ができなくてたまらず顔を手で覆った。
「天使……どうなったんだ……船は、俺は、みんなは……」
テーブルを挟んで向こう側にいる天使は暗い表情でノートパソコンをかたかたと操作し、口を開いた。
「とりあえずあんたの家族は無事だ。かなり迅速に退避して、『プロジェクト・ジ・アース』の連中も『東研』の仲間たちも無事。あんたが船中を走り回ったおかげで『幸運の道』ができあがり、他の乗客も乗組員も逃げ出せた。もちろん重軽傷を負って多くが病院に緊急搬送されたし、意識のない重体の人もいるが、死者はでなかった」
天使は大きく溜息をした後、「あんたたちを除いて……の話だがな」と付け加える。
「……誰だ。誰が死んだ……」
「まずは『東研』のリーダーだ。見て知っての通りで、自爆して跡形もなく消し飛んだ。きっとテロの主犯として後世に名を遺すことになるんだろうな。それが東道の計画なんだ。『東研』は非公認組織ですってすっとぼけるに違いねえ」
「後は誰が……俺以外に誰が……紗奈は……」
「紗奈さんは……本当に残念だが……」
「死んだのか?」
「ああ、出血多量でな」
体の震えが高まり、俺は、ふぅ、ふぅ、と苦しくて息を吐く。だが時間が経つにつれて体を覆う恐怖は増すばかりだった。
「……死者は、それだけか? もう一人、いるんじゃないか?」
「…………、その通りだ」
「溺れ死ぬ時、誰かが俺を助けようとしていた。小柄でパーカーを着ていたように見えた」
「そう、小柄でパーカー姿の女の子だった。あんたの予想通り、津野田珊瑚だよ。彼女は屋外プールで別れた後、あんたを追ったんだ。爆発に巻き込まれた後も、怪我をこらえてあんたを探し続け、吹っ飛んでいくのを確認するや否や海に飛び込んだ。そんで……はぁ……そんで、船の残骸があんたら二人を海の底へと押し込み……亡くなった……」
俺は顔に爪を立てた。痛みで恐怖を誤魔化さないと心がもたない。
紗奈を救えなかった悔しさがある。悲しさがある。それと同じぐらい、身を包む罪悪感は大きかった。
新居田楓は俺を探して東道に殺された。瑞樹有としての記憶を失っている間に仲良くなってしまったからだ。
津野田珊瑚は俺が半端に構ったせいで巻き添えを食った。プールの前で別れた時、リーダーが爆弾を起動させることが目に見えていたのだから、彼女の体を抱えて海に投げるなどして逃がしてやるべきだった。
二人の死は、俺が招いたものだ。俺が記憶を保持したまま生まれ変わり、失った恋人を探し始めたからこそ起こった悲劇だ。
「さて、これからどうするよ。善行ポイントはまだまだある。何度だって特別待遇で生まれ変わることできる。でも、あえて利用しないという手もある。真っ新に生まれ変わって、新しくなった魂にこのポイントを引き継ぐということも可能だ。心が苦しくてしょうがないってんなら、そういう手もあるぜ」
天使なりの優しさだろう。彼は声に感情を乗せずに淡々と語って聞かせてきた。
「……それはない。ありえない」
「どうして?」
「二人も巻き添えにして、何の結果も出せずに投げ出すだなんて……あまりにも無責任だ」
「はぁ……そうな。そう言うんじゃないかと思ってた。でも俺たちが出会った頃より状況があまりにも変わっちまった。だからもう一度提案させてくれ。新しく生まれ変わって、幸せに暮らす選択肢がある、と。必ず、絶対に、確実にあんたは愛し合える人と出会って幸せになれる。天使の俺が確約する。それでも茨の道を選ぶのか?」
俺は顔から手を除け、天使の目を捉えた。
「ああ……やらなくちゃならない。始めてしまった責任を取らないと……」
しばらく睨み合いが続いたが、最後は悔しそうに天使が目を伏せ、「分かった」と頷いた。
部屋の天井が開き、壁が倒れて湖の中へと消える。
盛り上がり卵となった湖に飲み込まれ、俺は流星となって白い星――新しい人生へと向かう。
どくんと心臓が跳ねて我に返ると、そこはどこかのレストランだった。煌びやかで、店員だけでなく客も皆フォーマルな格好だ。ドレスコードのある店らしく、そこにいる全員が上品に着飾っていた。
「どうしたんですか、志野さん?」
呼びかけられて顔を正面に戻すと、ドレスに身を包み、イヤリングやネックレスで自分を華やかに演出している美しい女性が座っていた。
「あの、続きは? だ、大事な話って……その……そういうこと、かしら」
女性の頬はほんのりと赤らんでおり、その目は期待に満ち満ちている。俺の言葉を待ちきれずに、つい言葉を零してしまったという様子だった。
「ああ……そう……大事な話があるんだ」
「は、はい」
「君との関係は今日この瞬間を持って終わらせようと思う」
「は……えっ?」
「本当に申し訳ない。俺が好むのは体が丈夫で簡単に死んだりしないような、強い女性なんだ。君はあまりにも可憐すぎる。良い出会いがあることを祈ってるよ」
えっ、えっ? と酷く動揺する女性を他所に俺はウェイトレスを呼んだ。「あの、私なにか悪いことしたかしら?」、「昨日まで幸福に暮らしてたのに、本当は違ったの?」と女性が捲し立ててくるが、全て無視して電子クレジットコードで会計し、この後も目の前の恋人であろう女性が飲食できるようにプラスアルファで多めに振り込んだ。
その後はすぐに店を飛び出し、紗奈の下へ至るために歩き出す。
スーツの胸ポケットで異物感を放っていた箱を取り出し開いてみると、指輪が収まっていた。俺が友人たちから多額の借金をして購入した紗奈への結婚指輪よりもずっと上等なものだ。
背後へ投げ捨てると、金属と金属がぶつかる、からん、からん、という音が響いてきた。指輪が下水道に落ちていく音だろう。
指輪は何百万としたはず。まだ名前を思い出せない先ほどの女性のために購入したのは間違いない。愛しているという想いと、一緒になりたいという願いを込めて。
だが、俺はあったかもしれない様々な可能性に背を向け、歩き続けた。




