第三話 西暦二〇六一年 九月九日 ⑤
貨物室の階段を上がると、職員専用であろう無機質な廊下に出た。幸運プランの効力を信じて乗組員に出会う危険性をあまり考えず廊下を走り抜け、見つけた扉に飛び込んだ。
そこから先は乗客も利用する空間なのだろう。床は大理石で、木目模様の壁が照明を照り返している。ひとまず潜入は成功だ。
目立たぬように小走りで廊下を進み、階段を探す。すぐに見つかり、予想通り船内マップが設置されていた。
今俺がいる階は窓のない客室が並んでいるフロアで、上に行くと外を一望できる高級客室があるらしく、レストランは驚くことに五か所に点在していた。日本料理やフランス料理店にビュッフェ、コーヒー等が飲めるロビー・バーとカクテルバーなど様々だ。
想定外の事態に汗が噴き出した。ワインボトルの入った木箱はどこへ運び込まれたのだろうか。とにかく箱は相当な重量だろうからエレベーターを使っているのは間違いないだろう。鉢会わせる可能性もあるし、まずはエレベーターホールを目指すことにした。
時折乗客とすれ違うが乗組員の姿はない。人の目がないことを確認して今度は思い切り急いで走るのだが、エレベーターホールに着く直前でふと気になった。
通り過ぎていった客室のドアに細長い紙袋がかけられている。
細長いものしか入れられない特殊な形状……それこそボトル専用の袋に見える。凄まじく恐ろしい考えが頭を過り、マナー違反を承知で近くの客室の袋を覗いてみた。
入っていたのは、白ワインのボトル。先ほど港で見たばかりの偽装爆弾だ。
……失念していた。俺と紗奈、つまり大尾真宵との会話を傍受していたというのなら、この船には東道の敵が大人数乗っていると知られているということだ。
視線を通路奥に向けると、全ての客室のドアにボトル用袋が提げられている。東道が計画したのは出航阻止ではなく、皆殺しなのかもしれない。
急いでエレベーターホールへ向かうのだが、一基は登っていくところで、もう一基は下に下りていくところだった。待っている時間はない。俺は通路を逆戻りして階段を駆け上り、各階に『東研』のメンバーを探す。
この瞬間にも船が、紗奈が吹っ飛んでしまうかもしれない。恐怖で唇が震えるのも抑えられず、俺は半狂乱で上へと目指す。しかしブランド物に身を包んだ客はいれど、どこにも『東研』メンバーが見当たらない。到着が遅過ぎたのか、東道の息がかかった乗組員も手を貸し効率的に仕事をしたのか、どの階もボトル爆弾が設置されていた。
そうして各階を探して階段を登り切り、廊下の突き当りのレストランらしき両扉を押し開いた。
そこはビロードのカーペットが敷かれた広々としたフロアだった。どうやらここはイベントフロアのようで、奥のステージにはマイクスタンドが設置されており、客席がステージに向かって扇型に並べられている。腰を下ろしている者もいれば、サンドイッチなどの軽食並べられた壁際のテーブルで話し込んでいる者もいるが、一様にステージを気にしていた。
『東研』メンバーを探して周囲に視線を走らせると上品なスーツを着た人物と目が合ってしまった。乗組員なのだろう、近づいてくると「いらっしゃいませ、お客様」と頭を下げてみせた。
「こちらの会場は十九時まで貸し切りとなっておりまして、招待状または身分証明ができるものを確認させていただいております。どちらかをご提示いただけますでしょうか?」
動揺しまくっていた俺は「えっ、あ」と上手に対応できず、思わず手でポケットやその周りを探るフリをしてしまった。当然、招待状なんてものがあるはずもないし、乗船するに相応しい身分証明証もない。
僅かに乗組員の目が鋭くなった。
怪しまれて船を下ろされるのだけは避けなくては――そう思い「すみません、場所を勘違いしたみたいで」と誤魔化した。
そうして逃げようとしたところで、「あっ、あーっ!」と甲高い声が響いてくる。
「おま、お前、この前の! なんだお前、何であんたがここにいるのよ!?」
視線を向けてみれば、随分とふくよかな女性が顔を真っ赤にして俺を指さしていた。
さぁっ、という血の気が引く音を俺は初めて聞いた。その女性は先日、瑞樹有の記憶を取り戻した時に俺と相対していた女性である。
「みんな大変よ、大変、大変! 東道の手先が潜りこんでるわ! ほらこいつ、デモ活動を妨害してきた子の一人よ!」
椅子に座ってイベントの開始を待っていた人たち、周りで立ち話をしていた人たち、軽食で腹を満たしていた人たち、全員が一斉に俺に顔を向けてきた。
驚愕、困惑、怒りの視線の嵐。どよめきとともに俺を咎めようと足先を向けてくる。マズいと思って踵を返すが、すでに複数人が逃げ道を塞いでいた。
捕まって問い詰められるのか、それとも監禁か、警察に引き渡されるか……何にせよ詰みの状況だった。だが諦めるわけにはいかない。「聞いてください! 事情があって――!」と悪あがきに声を張り上げた。
すると、「あら、あらぁ!」と俺を取り囲む人たちの背後から聞き覚えのあり過ぎる声が飛んできた。
「昼間の子じゃない! なんて言ったけ、智三郎くん!」
「お母さん、『郎』は余計だ。智三君でしょうが。やだねぇ、ボケが始まったか? 介護はよろしくな我が子らよ」
人だかりをかき分けて現れたのは、本当に驚くことに、俺の家族――瑞樹家の面々だ。
「はいはい皆さん聞いてくださいね。彼はね、ほら、今日おこなった対談の相手よ」
「我々が招待したんだよ。『東研』はよろしくない組織だと知ってもらうために、真宵ちゃんの演説を聞いてもらおうと思って」
弟の蒼太が「こちらへ」と耳打ちし、双子の環奈と美玲に両腕を掴まれ、俺は半ば引きずられるようにフロアから連れ出された。
「羽田智三君だっけぇ。あんたどうしたん?」
「対談ぶっちして、まさか船乗り込んでくるなんてねぇ。随分やんちゃじゃん」
「まあ僕たちにとって悪いことではない、かな? 母さんが今さっき言った通り、実は君ともう一人の女の子をサプライズでここに呼ぶ計画があったんだ。だから対談を今日の昼にしたんだけど、哲也さんの様子が変だったり、君がいなくなったりで有耶無耶になっちゃったんだよね」
母さんと父さんがフロアの扉を閉め、こちらへ歩いてくる。家族が棺桶になりかねない船内にいる恐怖を感じながらも、それと同じぐらいこの幸運に昂っていた。
「聞いてください、大尾真宵さんがこの船にいることが東道にバレてしまいました! 今この瞬間、彼女と彼女の支援者をまとめて排除するため、『東研』の人間が爆弾を船中に設置しています! だからどうか俺に協力してください! この船に乗っている全員を降ろさなくちゃならないんです! もう、この瞬間に吹っ飛んでもおかしくないんです!」
五人はきょとんとした顔をして、目配せしあった。
「はあ、『東研』が爆弾を? 君もそれに関与してるって?」
父さんは不思議そうに言って顎を掻いた。
「いえ、俺はむしろ東道とは敵対してる側で、危険を知った哲也とともに大尾さんを助けに来たんです! それが予想していたより悪い状況になってて……とにかく、仲間の皆さんに呼びかけて、できれば関係ない他の乗客も巻き込んで今すぐ下船して欲しいんです! 爆弾はワインボトルに偽装されていて、すでに船内のあちこちに設置されていて……!」
必死になって言葉を紡げば紡ぐほど、五人の表情が怪訝そうに曇っていった。冷や汗を拭って説得を続けるが、「話の途中でごめんなさいね」と母さんが遮ってきた。
「さすがに荒唐無稽過ぎるわよ、爆弾だなんて。隠れ家に移した後は妨害とかそういうのもなかったし、真宵ちゃんのことがバレた気配はなかったわよ?」
「てかさぁ、教えてないこの船の場所知ってるってことは……あんたバックれた後、影からあたしたちのこと尾けてたんじゃないの?」
「お母さん、やっぱ『東研』は『東研』だわ。若い子らなら耳を貸してくれるかもって思ったけど、こりゃ大金握らされてんだよ。やっぱ対談なんて無視するべきだったね」
環奈と美玲は軽蔑を隠さずにそう言って、俺を睨みつけてきた。蒼太は残念そうに息を吐き、父さんは「うーん」と判断のつかない唸り声を漏らす。
「これがあなたの仕事かもしれないけどね、ごめんなさい、信じてあげることはできないの。『東研』には追いかけ回されたり、家に落書きされたり、色々と嫌がらせされてきたものだからね」
「必死なのは伝わったが、しかし君の善性を確信するには一日では足りないってこったな」
もう話は終わりだと五人は俺に背を向けた。「ま、待ってください!」と呼び掛けても無視され、遠ざかっていく。
大尾真宵として生まれ変わった紗奈。五人の家族。この火薬庫と化した船の中には大切なものが、守りたいものが多過ぎた。ここで諦めてはならない。何としてでも信じてもらわなくてはならない。死なせないために。守るために。
だから、俺は叫んだ。
「息子のっ! 息子の最後の頼みだっ!」
五人はぴたりと足を止め、再び俺に顔を向けた。五人のまん丸に開かれた目を見つめ、俺は最後の賭けに出る。
「正真正銘、本当に最後の頼みだ! 瑞樹有としての、命も何もかんも全部を賭けた頼みなんだ! 今すぐに五人で避難指示を出してくれ! 乗組員には東道の息がかかっているやつがいる! だから、頼みの綱は母さんたちだけなんだ! これが俺からの、最後の言葉なんだよっ!」
蒼太は一度も見たこともない、嫌悪、いやそれを超えた憎悪の表情を浮かべた。環奈と美玲は「あんた……よくも兄貴を!」「故人を利用しやがって、ふざけるな!」と髪が逆立ちそうな勢いで怒り狂う。
三人が俺に向かって一歩踏み出した。視線には拒絶の意思しか見えない。表情には家族を侮辱した罪を償わせてやるという怒りに染まっていた。
やはり、家族の縁は切れてしまったのだ。
死んだあの日に、俺たちは完全に他人になってしまったのだ。
悔しくて、悲しくて、でもどうしようもなくて、俺は拳を握ることしかできない。賭けは、失敗に終わったのだ。
そう思ったのだが、
「待ちなさい、三人とも」
「手を出すんじゃない。冷静になれ」
不意に母さんと父さんの言葉が弟妹たちの足を止めた。
蒼太と環奈、美玲は俺の手前で両親へと振り返る。俺も双子の妹と弟の間から二人に視線を向けた。
落ち着き払い、俺の体を突き抜けその先にあるものを見通すような真っ直ぐな視線は、とても澄んでいた。
「もう一度。もう一度聞かせてくれる?」
「この船は、本当に危険な状況なんだな?」
両親の言葉を俺は胸の奥で受け止めた。泣きそうになるのを堪えて、「はい」と応えた。
「そう……分かったわ。やっぱり危機が迫っているだなんて実感は湧かないけれど……いいでしょう。わたしたちはあなたの指示に従います」
「本当に? でも急にどうして?」
訊ねると、母さんは「それはね」と言って微笑んだ。
「息子の声が聞こえたの。わたしの大事な息子だったアルの声が。ね、お父さんもそうなんでしょう?」
「わしはこの子の背後にアルの姿を見たよ。本当に一瞬、海面に反射した煌めきみたいに」
母さんと父さんはからからと笑い、俺に顔を戻す。
そして二人は、馴染み深い穏やかな笑顔でこう口にした。
「わたしたちのことは任せてちょうだい。必ずみんなを助けるわ」
「お前さんはお前さんで、やるべきことをやりきりなさい。わしらはそれを応援するよ」
二人が踵を返して展望フロアに向かって歩き始めると、弟妹たちは納得いかない顔をしながらも追いかけた。「思ったんだけどさぁ、あいつの声そっくりだよね」「ああ、兄貴にってことでしょ?」「僕も今そう思ってた。急にお兄ちゃんの声が頭の中に蘇ったよ」と、そんなことを言い合いながら。
きっとこれが、今生の別れになる。おそらく哲也からだろう、ポケットでスマホが着信を訴えていたが、愛した家族を目に焼きつけるために数秒だけ五人の背中を見つめた。
「……もしもし、こちらは今協力者を得て乗客を非難させるところです。実はボトルが船中にばらまかれていまして――」
俺がそう言うと「智三! 聞こえてる!?」と言葉を遮られる。哲也ではない、女性の声だ。
「あ、ああ珊瑚か。悪い、今時間がないからまた後で」
「待って! 聞いて! 船底に近い階層に、機関室? 動力室? があって、『東研』のメンバーはそこに集まってたの!」
「は? ……お前、今船の中なのか!? どうして帰らなかった!」
「先生が捕まっちゃったの! 乗組員っぽい人たちにどこかに連れてかれて、だから私、マズいんじゃないかと思って!」
「今どこだ!? 何階にいる!?」
「今、リーダーからボトル奪って、屋外プールに向かって走ってるとこ! 捨て……はぁ、海に捨てないと――!」
電話の向こう側で「待て、津野田! オイ!」と凄まじい怒声が聞こえた。どうやら珊瑚は今まさに追われている最中らしい。
俺は階段まで全速力で駆け、マップで屋外プールの位置を確認する。二階下の船体中央部に存在するようだ。
俺は踊り場から踊り場に飛び降りる勢いで階段を駆け降り、客とぶつかりながら廊下を走った。
すると「止まれ、津野田ァ!」と怒声が聞こえてくる。振り返ると『東研』のリーダーが見えた。俺はつんのめりそうになりながら方向転換し、怒り狂った彼を追いかける
「このクソがぁ! 大切なものだったのに! 何なんだよ、お前は! せっかくの贈り物だったのに! 何でだよぉ!」
屋外プールで追いついた時、リーダーはうつ伏せの珊瑚に馬乗りになり、髪を掴んで頭を持ち上げ、今にも叩きつけようとしていた。
「この……っ!」
俺は咄嗟にリーダーを蹴り飛ばし、プールに突き落とした。泳いでいた客が悲鳴を上げて何事かと視線を向けてくるが、構わず珊瑚の傍に跪き「怪我はないか!?」と訊ねた。
すると、「セーフ! やったよ!」と起き上がった珊瑚は鼻血をパーカーの袖で拭き、興奮気味に言った。
「リーダーが持ってた赤ワインのボトル、海に捨てた! ほんと、ギリギリ……これで爆発がどうのってのは大丈夫なんだよね!?」
「あ、あぁ、一先ず安全になったと思う。船の急所でボトル持って隠れてたっていうなら、リーダーが起爆の役だったんだろう。他のメンバーは?」
「分かんない……何人かは私の話に耳を貸してくれたけど、半信半疑って感じで……」
ざぱっ、とプールの淵から這い上がってきたリーダーが「お前もか、智三! うぇ……爆弾がどうこうって誰に吹き込まれたんだよ!?」とえずきながら立ち上がった。
「違う、リーダー! この目で爆弾であることを確認した! 珊瑚が言ってることは間違いじゃない!」
「あれは東道大先生からの贈り物だ! この船は就航十周年、そして俺たち『東研』は結成五年目だから記念として贈って貰ったものだったんだ! みんなでワインを楽しんでるところを写真に撮っておいてくれって、東道の活動の歴史として残しておきたいからって言われてたのに、お前らのせいで台無しだ!」
「動力室で記念撮影!? そんなのおかしいだろ! 撮れって言うなら見栄えのするデッキとかを指定するものなんじゃないのか! 東道は動力室で爆発させて乗客をまとめて殺すつもりだったんだよ!」
「それはない絶対にあるわけない!」
「なんで分かる!?」
「俺は社長の養子なんだよ! 親が子を殺すってのか!?」
唖然として思わず口を閉ざすと、リーダーも息を整える間を取った。
「智三、年長組とされる俺たち二十歳以上のメンバーは半グレ上がりだ。腐り果てて世間に絶望していたそんな俺たちを、社長が拾ってくれて人間らしい生活を与えてくれたんだ。俺たちの保護者になってくれて、社会に居場所を作って、仕事をくれたんだ。そのおかげで今があるんだよ。俺も、身寄りのなかったお前たちも、全部東道大先生のおかげで生活できてんじゃねえか。その恩を仇で返すっていうのか?」
「仕事と言ったって薄汚れたものばかりだろうが! それに年長組は危険なこともやってるって噂になってるぞ! 暴力的で、誰かの命を危険に晒すような仕事を押しつけられてきたんじゃないのか!?」
「危険に晒す? はっ! 甘ぇよ、危険に晒すどころか殺してんだよ俺たちはよぉ!」
「はぁ!? 殺したって……その手でって意味か?」
「ああ、その通りだ! だからこそ社長は俺たちを殺すような真似はしねえ! 『東道』の前に立ちはだかる邪魔者を消す役は、地位を確固たるものとするために必要だ! 大先生がそう言ってたんだ! 人を殺って罪悪感に負けないことは一種の才能で選ばれた者であり、自分が求める人材だって言ってたんだよ! あぁ……俺たちは今日の仕事を終えたら正式に東道の社員になって、高槻先生の上の役に就くことになってたはずなのに……そうなったらお前たちにもっと仕事を回してやれるし、給金だって上げてやるつもりだったのに、クソッ……!」
「目を覚ませ、リーダー! 東道が人を使い捨ててきたのを見てなかったのか!? やつの邸宅近くで見つかった三人の白骨死体のうち一人は実子なんだぞ! あんたは間違いなく消される! 容易く手を切られる! 東道を信頼しちゃならない!」
リーダーは俺の説得に顔をこれ以上なく赤黒くさせたが、何かに気づいたかのように船内の方にちらりと目を向けた後、息を吐いて右手を振ってみせた。
「へっ、話は終わりだ。お前家族いねえもんな。父の偉大さなんて分かんねえんだろ? そこで津野田と一緒に妄想垂れ流してな。後で俺の話が本当だって見せつけてやるからさ」
へらっ、と勝ち誇ったような笑みを浮かべたかと思ったら、突然リーダーは船内に向かって走り出した。
瞬間、『予備』というワードが頭を過った。間違いない、リーダーは船内のどこかに用意しておいた予備のボトルに手を出すつもりだ。
「珊瑚、お前はすぐに船を降りろ! 今すぐにだ、いいな!?」
「智三、ダメ! 戻って、智三!」
珊瑚の悲鳴じみた声とその手を振り切り、俺もリーダーを追って船内へと走った。
一拍遅れたせいですぐには追いつけない。それでも何とか食らいつき、あともう少しで手が届くところまで来たのだが、リーダーは急に横へそれてビュッヘレストラン――【19時半 PTE 遠征班様 貸し切り】の看板が立てられているその店へと飛び込んだ。
ようやくバーカウンター前でリーダーを追い詰めるが、そこには偽装爆弾が詰め込まれているだろう木箱が三つ並んでいた。
「ちっ、しつけえな! ああでも、来たならちょうどいいか。証明してやるよ、俺と大先生、いやお父さんとの絆ってやつをな」
誇らしそうに言って、リーダーは木箱の一つから赤のワインボトルをするりと抜き取った。「とりあえず開けてみるか。駆けつけ一杯ってね」と言いながらコルクに手をかける。
壊す覚悟で足の筋肉を奮い立たせる。だが、間に合わない。
リーダーは得意げな顔で親指と人差し指をコルクに絡め、ぐっと捻った。
――瞬間、目の前が真っ白に染まり、何も聞こえなくなる。
何が起こった? どうなってるんだ? 俺は一瞬意識が飛んでいたことを感じながら目を開く。すると眼球が痛みを覚えるほどの熱気に襲われた。
飛び起きると周囲は炎の海と化していた。どうも爆発の衝撃から守ってくれたのであろう燃え盛るテーブルから顔を出してみるが、リーダーの姿はない。どこか遠くで爆発音が聞こえ、その度に床が揺れた。
「ふぅ、ギリセーフ! 何であんたはあそこで逃げずに追いかけるかねぇ。あのまま海に飛び込めばよかったものを……」
声がして横を見てみれば、天使が左腕を庇いながら膝をついていた。
「お前がテーブルの影に引き入れてくれたのか。すまん、助かった。その腕、怪我したのか?」
「あーいや怪我じゃねえ。天使の俺には爆発の影響はねえよ。でも、あぁ、やっぱり、だよな……うううぅぅ、がぁぁぁ……!」
突如天使の左腕が、大道芸人が動物などに仕立て上げる細長い風船のように膨れ上がる。
そして驚く俺の目の前で弾けた。「いっ、でぇぇぇ‼」と天使は悲鳴を漏らして転げ回る。左腕が丸々なくなり、穴があいた肩からは白い煙のようなものがゆらゆらと漏れ出ていた。
「天使!? どうしたんだ、これ! 何が起こってる!?」
「ぐっ! うぅっ! あんた、を爆発から救うために、実体化って禁忌を犯した挙句に襟を掴んでテーブルの影に引っ張り、込んだ……現実への不介入のルールに抵触して……ペナルティってこった……!」
何かできないかと天使の傍に膝をつくと、「いい! 俺のことはいいから!」と天使は汗だくの顔を俺に向けてきた。
「この世のモノじゃないもんが、権限を越えてあんたの命を助けちまった……これはもう、幸運の領域を超えてる……あんたは今、『幸運プラン』の効力が完璧に切れてる状態だ! 今すぐに広い場所……それこそ港に退避しろ! 襲ってくる反動に備える……んだ! 俺のことは放って……俺の腕は死後の世界に戻りゃ元に戻るから……さあ、早くしろっ!」
天使の怒鳴り声に駆られて俺は立ち上がる。
言われた通りにするために一歩踏み出すが、そこで俺は止まってしまった。
「おい、早くしろって!? 何ぼけっとしてんだ!」
「……ダメだ、紗奈を探さないと。記憶保持プランの反動がくるっていうのなら、紗奈の退避が間に合っていないことがそれに当たるんじゃないのか?」
天使に視線を向けると、彼の目が少しだけ見開いた。
俺はそれを確認し、すぐに顔を正面に戻して駆け出す。
レストランを出ると、そこは炎の回廊だった。壁は崩れ、天井も足元も破壊され、捻じれた炎の輪っかのようになっている。
「紗奈……! いるのか、紗奈……!?」
煙を吸わないよう口元を抑えながら、瓦礫によって波打つ廊下に足場を見つけて必死に駆ける。
今この時も肌は焼けていて、じりじりとした痛みが徐々に増していく。転びそうになって金属の手すりを掴むと激痛が走り、手を離せば皮膚が剥がれた。
上へ続く道はない。見つけた下層へと続く穴から飛び降り、道を見つけて下って行った。
「紗奈、どこだ紗奈!? 返事をしてくれ!」
足りない酸素を堪えて叫ぶ。頭が酸欠や煙のせいで頭痛を発していた。きっと今この瞬間に絶命してもおかしくない状況なのだろう。だが、俺は炎の回廊の中に暗闇を見つけた。どうやら船首のデッキへ出るための出口のようだ。
俺は意識を失う前にとデッキへと飛び出し、必死に呼吸を繰り返した。ひゅー、ひゅー、と喉が鳴る。全身が痛みの塊のようだ。肌は爛れて半ば服と溶け合っていた。
それでも俺は叫んだ。命の全部を費やし、愛する人の名前を叫んだ。
「紗奈ぁぁぁ! いるなら返事してくれぇぇ! 紗奈ぁぁぁ!」
轟々と燃える船の音と混ざり合う絶叫。俺の言葉もまるで爆発のように猛っていた。とても痛々しい声で、血の混じった声だった。
だからこそ、届いたのだろう。
凛とした声が、俺の耳にはっきりと響いて聞こえた。
「どこにいるの、アル君っ! 探しに来てくれたんでしょ!? お願い返事して、アル君!」
はっと振り返り、頭上を見上げる。
まだ崩れていない上層の手すりから、見たこともない女性が顔を出した。
見下ろした彼女と視線が絡み合う。俺と彼女はほぼ同時に口を開いた。
「紗奈か!? 紗奈なんだな!?」
「アル君だよね!? 良かった……探しに来てくれてると思ってたよ!」
涙を浮かべる彼女は不思議と火傷も軽度のようで目立つ傷もない。
俺は内臓を吐き出す勢いで胸を撫で下ろし、「良かった、良かった……」と繰り返した。
「あぁ、ああ、迎えに来たよ、紗奈!」
「うん、うんっ! この船の危険を報せに来た人がいたって聞いて、確信してたよ! アル君が来てくれたんだって!」
「待ってろ、今すぐそっちに行くから!」
「ダメ! ずっと下りる道を探したけど見つからなかったの! それに戻ったら爆発に巻き込まれちゃうかもしれない!」
「じゃあ飛び下りるんだ! 俺が下で受け止めるから、その手すりを乗り越えろ!」
彼女がこのデッキに下りてこられたら海へと飛びこめる。それが最も安全であることを彼女も理解できたのだろう。一度真下を見て怯んでいたが、すぐに表情を引き締めた。
「分かった、ここから下りるよ! お願いね、アル君! 絶対受け止めてね!」
俺はいつでも来いと両腕を広げて待ち構えた。それを見た紗奈はほんの少し微笑む。手すりを掴み、乗り越えるためぐっと身を乗り出した。
そんな彼女の背後から、音もなく何者かの腕が伸びてくる。
その腕の片方、左手が紗奈の顎を掴み、ぐっと顔を持ち上げた。
驚愕に染まる紗奈の顔の下にぎらりと光るのは銀色に光るナイフ――
ほんの一瞬だった。炎の色を反射する刃が首の前を横断した。
紗奈の首から赤い飛沫が弾けた。
咄嗟に傷を塞ごうと彼女は首の傷に手を当てるが、指の間から噴水のように深紅が飛び散る。口をぱくぱくと動かし、苦鳴が漏れた。
「やりました、始末しましたよ、東道さん! これで家族を解放してもらえるんですよね!?」
乗組員の格好をした見知らぬ男がスマホかインカムに向かって言い、紗奈の胴体を抱えた。意識が消えかけ力なく崩れ落ちそうな彼女を手すりの外へと持ち上げ、トドメとばかりに突き落とす。
俺は紗奈の名前を叫んだ。
両腕を突き出し、血の軌跡を宙に描いて落ちてくる彼女に向かって飛び込む。
あともう少し。手が届く。
その寸前、船の内部より吹き荒れた真っ赤な爆風に飲み込まれた。体が空中に投げ出され、浮遊感を覚えた後に海に叩き込まれた。
思い切り海水を飲み込み、肺が冷ややかで悍ましい痛みを発する。必死になってもがくが、あるはずの左腕がなくなっており、水面に上がることができない。
急速に狭まる視界。動けという命令を体が受け付けない。
ダメだ、意識が持たない。そう考えた時、水面より誰かが俺に向かって手を伸ばしているのに気づいた。
その体は小さく、着ているパーカーのフードが揺らめいている。
その人の手が俺を掴もうとするが、巨大な鉄塊のようなものが頭上より落ちてくる。
俺たちはそれに抑え込まれ、底へ底へと沈み込み――




