第三話 西暦二〇六一年 九月九日 ④
連絡先をスマホに登録して「後でかける」と言って切った後、俺は急ぎ家に戻りスマホスタンドにスマホを戻した。それから俺は家の表で哲也と瑞樹家に「具合が悪い」と噓を吐き、哲也の引き留める言葉を背に駅へと走る。
意味はないと分かっていながらも、乗り込んだのはかつて在籍していた大学方面行き。席に座ってスマホを取り出すと、ブラウザを立ち上げた。
『新居田楓』――検索するとすぐに彼女に関する記事が出てきた。山中で三体の白骨死体が発見され、内二人は身元不明、残る一人は幼少期の骨折の痕跡が見つかり身元が判明した、ということだった。十七年の時間を経ていること、発見された場所が東道久道が所有する敷地内ということの二つを結びつけられて報道され、死人に口なしとばかりに楓のプライベート写真が掲載されていた。
「天使……これは、俺のせいか? 記憶保持プランの反動に巻き込んだってことか?」
斜め前に座っていたOL風の女性がこちらをちらりと見てきた。俺はそれを無視し、ガラガラの席で一人分の隙間を空けて隣に座る天使の反応を待った。
「うーん、まあ……そうだな。記憶保持プランのせいで死んだのは間違いない」
「……、俺のせいで死んだってことだよな」
「多角的な視点と豊かな感受性を介して視ると、そう捉えることもできなくもない」
強烈な吐き気と眩暈に襲われる。これは何というのだろう……罪悪感? を覚えて呼吸が苦しくなる。胸が押しつぶされそうだ。
「一応、言っておく。あんたの担当天使としてはよぉ、津野田珊瑚と仲良くなっておくのが一番丸いと思うのよ」
「……丸いってなんだよ」
「みんな幸せってこと。あんたが追ってる紗奈さんは、あんたが穏やかな人生を送ることを望んでるんじゃないかと思うのよね」
「……違うだろ。紗奈は今、東道の悪行と戦うことで精いっぱいって話だろうが。何とか……何とかして解放してあげないと……」
天使のわざとらしい大きな溜息を聞いていたところ、手の中のスマホがバイブした。
画面には通話をオンにするボタンと『先生』という文字が表示されている。相手は哲也だ。仕事を勝手に抜けだしたことへの怒りの電話だろう。俺はマナーを守って通話に出ることはなかったが、コールが途絶えた数秒後、哲也からチャットメッセージが届いた。
『緊急だ。至急連絡をよこせ』と、通知を知らせる画面中央のバナーに書かれている。緊急に至急という言葉をわざわざ重ねたのだから、相当切羽詰まっているのだろう。お叱りの連絡、という感じではなさそうだ。
何か纏わりつくような嫌な予感があった。少し迷いはあったものの、俺は意を決して哲也にコールした。
「智三、東道本社から連絡はあったか?」
俺が身元を報せるよりも早く哲也が訊ねてくる。その声は強い緊張感を孕んでいた。
「いえ、ありませんでしたが……?」
「履歴を確認しろ。お前たちに登録させた『東研本部』から連絡はないか?」
「えっと…………今確認しましたがありません。先生からの電話が一本あっただけですが」
一体どうしたのだと不穏に思っていると、哲也は「ジャンパーを調べろ! すぐにだ!」と怒鳴るように言った。
親友のドスの効いた声に驚きながら、俺はポケットに手を突っ込んでみる。
「何か違和感はないか?」
「違和感? というと?」
「異物はないかと訊いているんだ。ポケットだけでなく全体を触ってみろ」
言われた通りジャンパー全体をまさぐってみると、襟の中に薄くて丸い何かが入っていることに気づいた。
「襟にコインみたいなものが入ってるみたいです。先生が探してるものはこれですか?」
「コイン? ちっ……いいか、何も言わずに今すぐジャンパーを脱ぎ捨てろ。とにかく遠くへ離れるか何かで遮断しろ」
鼓動がどんどん加速していく。間違いなく不都合なものだと理解し、俺は隣の車両にジャンパーを投げ、扉で隔てた。
「何なんですか、あれ。俺の襟に入っていたのは何なんですか?」
「盗聴器だ。お前たちに着せた時……いや、俺が東道の社員から渡された時から話を聞かれていたんだ」
「一体どうして? 会談を東道本社の人たちも聞こうとしていたっていう――」
そこまで言ってはっとなる。会談前より今の今まで俺の声を聴かれていたというのなら、つまり紗奈との会話を知られたということだ。
「数分前、珊瑚に東道の幹部と名乗る者が連絡してきた。新しい仕事がある、と言ってな。お前たちに仕事を割り振るのは俺の仕事のため、俺を介さず指示が飛ばされることは不自然極まりない。それに東道本社もざわついているという情報が部下から届いている。今現在、日本に停泊している大型客船の中で今日中に出国するものはないか調べろと上から指示が降ってきたと言うんだ。智三、この理由に思い当たる節はないか?」
大型客船、出国……間違いない。紗奈が乗り込んで今晩出発する船のことだ。
「答えろ、智三! 瑞樹家で一人になった時、カメラ替わりのスマホを触ったんじゃないのか? 誰かと連絡を取ったんじゃないのか?」
山奥で殺される時に聞いた「親友を殺したのは哲也だ」と受け取れる東道の言葉、先ほどの毒を盛ったという話、瑞樹有として衰弱死する寸前に見た哲也の姿が頭を過る。
今ここで打ち明けていいのか? 紗奈との会話を知らせていいのか? 哲也を……変わり果ててしまったかつての親友を信じていいのか? 正解が分からない。額から垂れた汗が、言葉を吐き出せないで開けっ放しになっている口の中に入り込んでくる。
そんな俺の耳に、哲也の言葉が刺さった。
「信じろ! 俺はお前の味方だ!」
さっと吹き抜ける風のように、幼い哲也の正義感の強い顔が思い出された。クラスで起こっていたイジメに憤慨する姿、引ったくりを追いかける勇気、暴力を振るう教師の家に突撃した無鉄砲さ――
それまで溺れていたかのように俺は呼吸を再開し、スマホを握りしめた。
「大尾真宵です。東道の悪事を握ってるっていう例の女性と連絡を取りました。そこで、船に乗って日本を発つことを聞いたんです。たぶんその時、俺は出国か、または亡命という言葉を発してしまったと思います」
「間違いない。本社が動いたのはそれが理由だ。ついに見つけた危険分子の排除に乗り出したんだ」
「で、でもどこの港から出国するのかは聞いてませんが」
「本社はとうに割り出している。すでに俺の耳にも届いているんだ。今日これから出国する船は一隻しかない」
「どうしたら、俺はどうしたらいいですか?」
「今電車の中だな? どこへ向かってる?」
「来た道を逆戻りする方角です」
「次の駅で降りろ、迎えに行く。すでに車を飛ばしているから、すぐに合流できるはずだ」
次の駅名を伝えて通話を切ると、俺は扉の前に立った。開くか開かないかというところに体を捻じ込みホームへ躍り出ると、階段に向かって駆けた。
三段飛ばしで下りている間に凄まじい排気音とクラクションが聞こえてきた。改札を抜けるとすでに哲也が待ち受けており、「乗れ!」と助手席を開いて叫んだ。
俺が体を突っ込むや否や早く車は発進する。天井のグリップを掴み、どうにか扉を閉め、俺はバックミラー越しに哲也に視線を向けた。
「先生、俺は大尾真宵を保護するつもりです。つまり東道に敵対するってことです。先生は俺と一緒にいて大丈夫なんですか?」
「さあ……次は肉体そのものを持っていかれるかもな」
「え、なんですって?」
「私は身の守り方を心得ている。心配は不要だ。お前は自分のことだけを考えていろ。……しかし、大尾真宵を保護すると言っても何をするつもりだ? 遅かれ早かれ東道の人間が港を封鎖する。連れ去るのは困難だぞ」
「彼女がいる船は『プロジェクト・ジ・アース』の人間と東道に反する人間たちが乗り込んでるそうなんです。その人たちの協力を得て、どうにかできないかと……詳しくはまだ考えてないんですが……」
「私は『東研』のメンバーが本社から命じられた任務を確認し、場合によっては妨害に当たる。だからお前に手を貸す余裕はない。大尾真宵と合流したあとのことは命をかけて考えろ。一時間もしないうちに着くぞ」
まだ夕暮れの時間だというのに、空には茜色を貫いて輝く星々が散らばっていた。まるでクリスマスのイルミネーション……そんな異次元の光景を背景として海が見えてくる。
その海を侵食するように埋立地が突き出ているのだが、その先端、夕日を凸型に切り抜く大型船がある。哲也はコンテナターミナルへとハンドルを切り、貨物が積まれている一角に滑り込ませて停車した。
「あ、先生! もうそろそろ出発する時間だって、乗組員さんが――えっ、智三!? なんで……先生だけかと思ってたんだけど……」
ビニールで梱包された食材の山の影から顔を出したのは珊瑚だった。俺がいることに気づくと、彼女は慌ててフードを被った。
「珊瑚こそなんでここに? 俺たちを待ってたのか?」
「待ってたのは先生だけだけど……さっき連絡があったから……」
「『東研』の動向を窺うのと同時に、連絡が取れなくなった他のメンバーを引き留める役目を頼んだんだが……珊瑚、お前一人か?」
「あっと、ごめんなさい。リーダーに待つよう言ったんですけど、本社の指示だからって貨物と一緒に乗り込んじゃいました」
「貨物? なんだそれは?」
「箱です。ほら、そこの。私のノルマなんですけど、先生に何もするなって言われてたんで、触れないでおきました」
珊瑚が示したのは何のラベルも貼られていない木箱の山だった。哲也はすぐに一番上の箱を地面に下ろし、蓋を開く。中はマス目状に区切られており、ボトルが詰められていた。
哲也が一本取り出してみると、ごぽっと中の液体が揺れる。
「白ワイン? 珊瑚、本当にこれを船に運べと言われたのか? 就航十周年記念という名目で贈答すると部下から報告があったのだが」
「ええ、社長からのお祝いのメッセージカードもついてましたよ」
俺は「馬鹿な」と思った。決して『白』は飲まない、必ず『赤』だと言い切った東道が白ワインを贈答するだなんて、恐ろしいほどに違和感しかない。
「このワインを届けたやつはどこにいる? 東道の人間か?」
「いえ、なんとか酒屋ってとこがトラックで」
「重要なことだ。どこの酒屋だ?」
「ええっと、なんだっけ……キクチ酒店、だったような……」
哲也の目が僅かに開き、喉仏が動く。「何かまずいことでも?」と訊ねてみるが、哲也は応えずスーツの内側から銀のジッポライターを取り出した。
そして火を点けるとワインボトルの表面を炙り始める。意味が分からなくて「先生?」と俺はもう一度呼びかけるのだが、その時、ボトルに驚くべき変化が起こった。
ノイズだ。ボトルの表面に、まるで壊れた液晶モニターのような横線や変色する部分が現われた。しかも焙られている部分が黒焦げになって穴が開いてしまう。
「……キクチは東道の末端の人間で、とある専門家だ。見てみろ。このボトルの正体を」
差し出されたボトルの穴を覗き込むと、中は表から見たのとは全く違う様相だった。
銀の筒が四つコードに巻かれて詰め込まれており、コードの先端の黒い機械がボトルの内側に接着されている。不気味なことに黒い機械のランプは赤く点滅していた。
「なんですかこれ……まさか爆弾とか、そういうのですか?」
「そういうの、ではなくそのものだ。表面のフィルムモニタに白ワインを映すことで怪しまれずにターゲットの近くに持ち運ばせる……言わばトロイの木馬だ」
「これ全部ですか? あぁいや待てよ、すでに幾つか船に搬入したって話だったよな?」
珊瑚に視線を向けると、口元に手を当て驚愕している彼女はびくりと肩を震わせた。
「う、うん。何十箱も船に運び込んじゃったけど……先生、爆弾って冗談ですよね? サプライズ的な、そう、花火とかそういう――」
「珊瑚、お前はすぐにこの場から立ち去れ。これから何が起ころうと、決してここで聞いたことと私に会ったことを誰にも言うな」
哲也はそう言って立ち上がり、俺に視線を向けてきた。
「私は味方が非常に少ない。手助けが必要だ。非常に危険を伴うが、頼めるか?」
哲也の真っ直ぐな眼差し。今は俺に対する恐怖心めいたものはないようで、燃え上がるような強い決意のようなものが見て取れる。
「もちろんです。急ぎましょう」
俺は意思表示して自分から先に船に向かって一歩を踏み出した。哲也もすぐに足を踏み出し、俺たちは船へと向かう。
「智三、大尾真宵のことが気になるだろうが、ひとまず『東研』のメンバーと『赤』のワインボトルを探せ。それが起爆装置だ。栓を抜くことで爆弾は起動し、電波で繋がっている全ての『白』のボトルが連鎖する。間違いなく『東研』の一人に『赤』のコルクを抜く指示が出されているはずだ。まずそいつを止めないと、救出も脱出も不可能になるぞ」
「それ、東道は『東研』の一人を犠牲にするつもりってことですよね?」
「不都合なものは替えの効く手駒を巻き添えにしながら吹き飛ばし、死んだ手駒にテロリストの汚名を着せ罪から逃れる。常套手段だ」
「……本当に……本当に汚いやり口ですね。反吐が出そうです……」
「人命がかかってる。冷静さを忘れるな」
「分かってます。それで、搬入されたボトルがどこに持って行かれたか予想つきますか?」
「そうだな……食材の保管庫なら怪しまれず置いておけるだろうから、第一候補はそこだ。だが起爆するのはもっと致命的な……例えば機関室のような場所だろう。出航を中断させて乗客を港に引きずり出し、ここへ向かっている東道の裏仕事専門チームが大尾真宵を捕らえる。そういった策のはずだ」
「なら俺はまずレストランへ向かってみます」
「ああ、それでいい。俺は機関室を調べる。すでに起爆役がいるかもしれないからな」
「分かりました。あ、でも先生、どうやって船に乗り込むんですか? 乗船チケット、今から買うことできるんでしょうか?」
哲也は俺の顔を見て僅かに眉をひそめた。「こっちだ」と言って船の貨物搬入口の方へと歩く方向を変える。搬入口の近くにはフォークリフトがあり、哲也は無人であることを良いことに勝手に乗り込んだ。
「こ、これを使って入るんですか?」
「まず、お前だけ先にな。私はこっちに向かって走ってきている乗組員への対処に当たる」
哲也の視線の先を見れば複数人の男たちが怒鳴り声を上げて向かって来ているのが見える。俺は慌ててフォークリフトの爪に乗った。
「いいか、智三。出航日に記念品が突然贈られて運び込まれるなんてことはありえない。乗組員の中の何人かは東道の息がかかった人間だ。極力人とは接触せず、慎重に動け」
搬入口の中に飛び込んで振り返ると、哲也は俺の瞳を真っ直ぐ見つめてきた。そこには確固たる信頼が存在し、俺は胸の奥から込み上げるものを堪えながら「ああ」と応えた。
哲也がフォークリフト下りて去って行くのを見送っていると、背後で誰かの気配がした。俺は急ぎ物陰に身を潜ませる。物音に引き寄せられたのだろう乗組員たちに気づかれないよう移動し、上層部への階段へと急いだ。




