第三話 西暦二〇六一年 九月九日 ③
過去と現在の姿を二重に眺め、浮ついた気持ちのまま目的地に到着した。
実家は特段変わっておらず、しかし向かいの柳さんのお宅がなくなって月極パーキングになっており、右隣に新築と思われる小綺麗な洋風のアパートが建っているものだから、夢でも見ているかのようだ。
そうして呆けているうちに哲也がインターホンを押した。すぐに扉奥から応答があり、ドアが開かれる。
「あぁどうも、哲也さん! お久しぶりです、こうして顔を合わせるのは三年ぶりですねぇ」
「もうそんなに経ったのか。みんな元気にしているか?」
「ええ、そりゃもう。哲也さんと会えるのが嬉しいのか、ここ数日は特に賑やかでしたよ。あ、そちらのお二人が今日のゲストですね? こんにちは、よく来てくれました! ま、立ち話もなんだし、どうぞ入ってください!」
『プロジェクト・ジ・アース』のTシャツを着たその中年男に見覚えはない。団体の協力者だろうか。そんなことを考えながら案内に従い、馴染み深い玄関で靴を脱いで上がった。かつてそうしていたように。それこそ久々に帰省したような気持ちで。
足音の響き方。芳香剤の香り。何も変わらない。男に案内されたたリビングで、家族全員が待っていてくれるような気がした。
だが、かつて団欒の場だったそこは、スマホをカメラとして固定する三脚やデスクトップパソコンが何台か置かれ、緑色の垂れ幕が吊るされた奇妙な空間になっていた。そして待ちうけていた二人……区別をつけるように右と左でサイドテールにしている中年女性が俺を酷く困惑させる。
「いぇーい、いらっしゃーい! 哲兄ぃ、お久! そして瑞樹家へようこそ!」
「どもどもー! 今日はあたしたちも参加するからヨロ! そっちの若い子たちはあたしたちのこと知ってる? 数字の『2』に『SIS』でトゥシスって言うんだけど」
二人とも、俺が知るよりも少し背が高くなっている。目じりにはたくさん笑った証のような小皺があって、溌剌だった眼差しは穏やかになっていた。
それでも、二人のことは分かる。双子の環奈と美玲だ。
「は、はじめまして、津野田珊瑚と言います! 二人のことは大好きで、初回放送まで全部観ました! 今日はよろしくお願いします!」
「うわぁ恥ずかしー! 姉貴がゲップしたやつでしょ? 最悪なデビューだよねぇ」
「双子なんだから半分はあんたがしたようなもんでしょ。最悪の半分はあんたのものよ」
「ごめんねぇ、姉貴は結構適当なこと言うから、そん時は流してあげて」
珊瑚と話す双子の妹の変わり様に眩暈がした。二人が十七歳の時に死に別れたから、二人とも五十四歳だ。十代から五十代へ。変化して当たり前だ。そんなこと分かっている。分かっていたはずなのに、なぜか胸が苦しい。
はっとして案内してくれた中年男に視線を向けると、「適当なのは美玲姉さんも一緒でしょ。騒がしくてごめんね、二人は哲也さんに会いに来ただけで収録に参加しないから安心して」と穏やかな声で微笑んだ。その表情が末っ子の蒼太の笑顔と被る。ここに至ってようやく彼が弟なのだと気づいた。
うるせー! あんたはその変な姉たちの弟なんだからな! と笑い合う妹たち、そして末っ子の蒼汰。他人と感じてしまうほどに大人びており、歳を取っていた。ずっと可愛がるものだと思っていたのに、三人は俺よりも長く生き、たくさんの経験を積んだのだろう。俺はその事実をうまく受け止めることができないでいた。何となく、顔立ちをそのままに背だけ大きくなった姿を想像していたせいだ。
でも、そうだ。母さんたちは変わっていなかった。それは確かなことだ。
俺は両親の姿を探す。この落ち着かなくて寒々しい気分を馬鹿笑いで払拭して欲しかった。
そこへ、「お待たせ」「ごめんねぇ、お化粧直してたの」という声が聞こえてくる。俺は麦茶とスイカをお盆に乗せて運んでくる二人の姿を思い出しながら、勢いよく振り返った。
挨拶を返そうとして、喉がきゅっと締まる。
そこに立っていたのは、髪は真っ白で顔は皺とシミだらけの腰の曲がった老人だった。八十三年という歳月を積み重ねた姿で二人はそこにいた。
「どうも瑞樹家です。遠路はるばる良くお越しくださいました」
「お母さん、何を格好つけてるんだい。若い子が恐縮しちゃうでしょうが」
「お父さん、こりゃ礼儀ってもんでしょうが。ほんでこちら方がずっと年上だってマウントを取っておけば、わたしたちの方が多く発言できるというものよ」
「ああ、これはお母さんのジョークね、ジョーク。さあさ、そちらのソファに座って。まずは一服といきましょう」
挨拶を口にした珊瑚が「智三も」と肘で突いてくるが、俺は首を絞められているみたいに何も言うことができない。どうにか案内に従って用意されたソファに腰を下ろし、蒼太がテーブルに置いてくれたグラスの中の麦茶を一口飲んだ。
「哲っちゃんも老けたわねぇ。あんたちゃんとお休みいただいてるの? 顔色悪いわよ」
「ご心配なく。適宜休んでます。それより今回の対談ですが、なるべく早く、最低限のやりとりでお願いできますか? こちらの都合であまり時間をかけられないもので」
「あらそうなの? 実はわたしたちも夜に大事な用事があるから、そんなに長く引き留めるつもりはないわ。でも残念、恋バナぐらいは聞きたかったのに。ねえ、お父さん」
「何が恋バナだよ。わしら老いぼれが聞いたって圧倒されるだけだぞ。知らんか? 若い子はネット経由でチューするんだそうだよ」
「チューの定義が問われる時代なのねぇ」
「おばさん、そろそろ……」
「あぁごめんごめん。ほらお父さん、哲っちゃんがオコよ?」
「ほらとはなんだい。あんたのせいだろうに」
「それじゃあカメラ回しちゃいましょうか。交換した質問リストの回答は用意してきてるわよね? 遠慮とかいらないから、今日は本音で話し合いましょう」
環奈と美玲がそそくさとカメラの後ろに移動し、すでに準備していた蒼太がスマホの録画ボタンを押して手を挙げる。父さんはそれを確認すると、ぱんっと一つ手を叩き、「こんにちは! 瑞樹家です!」と笑顔を浮かべた。
「さあ、本日はスペシャルゲストをお招きした特別回です! デモ隊の皆さんはご存じ、『東道未来研究塾』から代表の二人がいらっしゃいました!」
「悲しいことに、わたしたちはデモをする側と妨害する側ですれ違っています。どうしてそんなことをするのか、どうしてそうする必要があるのか、わだかまりの消化を目指して深堀りしていきたいと思います。今日はよろしくね、お二人とも! 意見を交わせるこの機会をとても楽しみにしてたのよ! お名前を伺ってもいいかしら?」
「あ、はい、津野田珊瑚です。私もその、ある意味でお二人にお会いできることを楽しみにしていました。よろしくお願いします」
「そちらの男の子は?」
「……羽田智三、です」
「あらやだ緊張してるのぉ? もぉ、お父さんが怖い顔するからぁ」
「この仏顔のどこが怖いってんだよ。お母さんの香水がキツイから鼻もげそうになってんだろ。なぁ、羽田君」
「……いえ、あの――」
「うん? どうしたんだい?」
「二人とも……動画で見た姿より、ずっと老けているから……」
一瞬、両親はきょとんとした顔をしていたが、すぐに割れるような笑い声をあげた。
「あんなもん編集に決まってるだろう! 今や動画投稿サイト側で若返り補正してくれるんだよ!」
「まあ、やり過ぎの自覚はあるわよ。配信と動画でしかワシたちのこと知らない人は『成りすまし』だって勘違いすることもあるしね」
二人はひとしきり笑った後、それじゃあと言って話題を戻した。題目は、なぜ『東研』がデモを妨害するのか、『プロジェクト・ジ・アース』はなぜ重力操作技術を敵視するのか、そもそも二つの団体は何を主目的に活動しているのか、などだ。
口を閉ざす俺に代わり、珊瑚が緊張しながらも必死に語っていた。重力操作技術の可能性、エネルギー問題、二酸化炭素排出量がどうのこうの。そんな話が飛び交う。その全てが、俺の中を通り過ぎて消えていく。
母さんたちの向こう側に見える食器棚……五つのマグカップが置かれている。俺の百均で買ったマグカップはどこにも見当たらない。
テレビの横の本棚……高そうな日本酒の一升瓶が置かれていて、『傘寿』の筆文字が入った金色の帯がネクタイのようにかかっている。傍には傘寿祝いのパーティを写したのであろう家族写真が飾られていた。当然ながら、そこに俺の姿はなかった。
蒼太の運動会に俺が弁当を作って持っていく約束だった。
俺と同じ大学に進学するつもりだった環奈と美玲の入学祝いには、銀座の有名店のケーキを買うつもりだった。
蒼太の小学卒業と進学、妹たちの大学卒業と就職、両親の退職祝い。結婚、子どもを含めた親族会議、家族旅行。たくさんの予定が、可能性があったはずだった。でも、俺は思いつく全てに関わることができない。俺がしたかったことは五人で完結してきたし、これからもそうだ。そこに俺はいない。もう俺を思い出すこともないのかもしれない。
俺は自分が死んだことについては受け止められたと思う。でも、帰る場所がないことには気づいていなかった。
「――という理由で、私たち『東研』は活動しているんです。熱核融合炉ありきの現代社会で原子力発電に戻ってもエネルギー不足に苦しむことになりますし、地球汚染につながります。前時代に戻るよりも現在の技術をフルに活用して対応策を生み出すべきだと思うんです」
「あらまぁ隙のない完璧な答えね。お父さん、どうしましょ。わたしたちみたいな配信者崩れが偉そうに物言っていいものかしらね」
「まあ、戦えるような意見はないわな。言われた通り東道が悪の巣窟って話も天体異常についても疑念止まりだし」
「ねえあなた、『東研』抜けてこっち側につかない? あなたのような口達者な若者が来てくれるとチームの信用度が上がると思うのよ」
「おぉそりゃいいね。変人の集まりと思われてる現状を変えられるかもなぁ」
「い、いえ、言った通り、ええっと、信念みたいなものをもって活動しているので、鞍替えは無理かと……それより、お二方がこちら側に来てみては?」
「お誘いありがとう。でも、お断りするわね。わたしたちも目的があって活動してるから」
「おばさま方も信念があると?」
「そんな大したものじゃないわ。本当に極々、個人的な思いよ」
俺は喪失感に打ちのめされ、俯いていることしかできなかった。目の前の家族がもう家族ではないことがたまらなく悲しくて、顔を見ることができない。声はくぐもって聞こえ、深海に落ちていくように全てが遠く感じられ、崩れ落ちてしまいそうだった。
だが、そんな俺の耳に鮮烈なほどはっきりと母さんの言葉が響いた。
「わたしたちはね、息子を見殺しにしてしまったの」
顔を上げると、柔和な表情の中に後悔を滲ませた母さんが珊瑚の目を見つめていた。
「悲しい事故があって、息子の大切な人が亡くなってしまったの。息子は憔悴してしまってね。でも、わたしたちはあの子を一人暮らしのアパートに置いて家に帰って来てしまった。忙しい時期に仕事を長いこと休んでしまっていたし、子どもたちの世話もあったしね」
「恥ずかしながら、一家の大黒柱のわしよりも息子のアルの方がしっかり者だったんだ。だから大丈夫だと思ってしまったんだよ。アルならいずれ乗り越えられる。悲しみに耐えられるって……でも、そうじゃなかったんだ」
「極度の栄養失調で死んでしまったの。わたしたちがあまりにも愚かだったから、息子は死んでしまったのよ」
「何もできなかった。しなかった。だから、今必死になって行動しているんだ。息子が生まれ変わることができるように、この地球を滅ぼす可能性と戦っているっていうわけだ」
「何もかも手遅れなのは分かっているのよ。でも何もしないわけにはいかない。アルのためにしてあげられることは、もうこれしかないの。せめて未来で恋人と一緒になれるよう、この星を残してあげたいのよ」
俺は拳を握りしめた。胸が詰まって、熱いものが込み上げてくる。泣いてしまわないように堪えるので精いっぱいだった。
忘れられていない。俺はまだ家族とともにある。死がたくさんのものを奪い消し去ってしまったが、でも全部を失ったわけではない。死んでもなお、残るものはあるのだ。
「……違う。アルが死んだのはおばさんたちのせいじゃない。見殺しにしたのは私です」
母さんの言葉を打ち消す乾いた声が響いた。
部屋にいる全員が同時に哲也へと視線を注いだ。哲也は母さんたちの向こう側を見ているかのように遠い目をして言葉を続ける。
「覚えてませんか? 『アルは一人になりたいみたいです』と私が言ったことを。アルを実家に連れ帰ろうとするあなたたちを引き止め、仕事に戻った方が良いと囁き、食事は俺が用意すると嘘を吐き、アルを孤立させました。そして俺は、俺は――」
次第に哲也の表情から余裕がなくなっていき、顔面を歪ませる。過去の光景でも見ているかのような空虚な眼差しに恐怖を滲ませた。
「ある薬品を飲ませました。たった一度作った食事に薬を混ぜて食わせました。間違いなく、人を殺すための毒です。それを分かっていて、私はアルに毒を盛ったんです! 殺すことを俺は選び取り、行動したんです!」
長いこと哲也の荒い息遣いだけが部屋に響いていた。みんなも俺と同じように困惑を浮かべており、哲也の言葉の真意を探っているようだった。
「それは嘘ね」
最初に言葉を発したのは母さんだった。
あんたの息子を殺したと告白した哲也に微笑み、語りかける。
「哲っちゃんの悪いとこね。何か問題が起こると責任を自分だけで背負おうとするの」
「正義感が強い子だったもんなぁ、哲也君は。でも安心なさい。誰も君を恨んでいないよ。何たって君が赤ちゃんの頃からの付き合いだ。そんなことしないって、簡単に分かることさ」
「違う! 本当に俺は――!」
哲也は唾を飛ばして叫ぶように言うが、不意に言葉を切り目をつぶった。深呼吸をし、
「すみません、興奮して……頭を冷やしてきます」と玄関の方へと歩いていく。
「哲兄ぃ、兄貴が死んですっかり変わっちゃったね。笑顔の化身みたいな人だったのに」
「蒼太はなんか聞いてないの? あんなんなっちゃった理由。もちろん毒がどうたらってのは本当なわけないじゃん?」
「いや俺も姉ちゃんたちと同じだよ。紗奈さんが亡くなった後の兄ちゃんの様子、何も話してくれないんだ。帰省してきた時には顔を合わせてたけど、でもメールとかチャットとか全部無視するんだよなぁ」
「ごめんなさい、おばさんちょっと行ってくるわ。二人は自由にしてて。冷蔵庫にはジュースがあるわよ」
母さんがそう言うと、「あたしも」「俺も行く」と瑞樹家全員が立ち上がり、哲也の後を追って部屋を出て行った。血は繋がってなくても哲也は俺たち瑞樹家の家族同然。絆の尊さを見たばかりの俺は現在の名前を忘れて、俺も行かねば、と立ち上がろうとした。
だがその寸前、「ねえ、智三」と珊瑚が袖を引いてきた。
「良い人たちだよね。瑞樹家のみんな。家族って良いものだなって思わない?」
「え? あ、ああ、そうだな」
「あの、さ……ちょっと話聞いてくれる?」
「なんだ?」
「私たちが家族になる未来って、あるかな?」
俺はしばし言葉の真意を考える。
血の繋がらない他人の珊瑚と家族……それはつまり、そういうことだろうか。
「お前……こんな時になんだよ」
「こんな時って?」
「家族を失った話、聞いてただろ? 哲……先生も、何かトラウマあるのか尋常じゃなかったし……そんな浮ついた話をしている状況じゃないのは分かるだろうが」
「だからだよ。人ってさ、死んじゃうじゃん。できる時にやっておかないと後悔することになると思ったの。で、どうなの? 私と、そういう関係になるのはアリ、ナシ?」
「ナシだ。友人という間柄かも怪しい腐れ縁で傍にいたってだけだろう? 俺たちはさ。……あれ、そういう関係だった、はずだよな?」
珊瑚は「そう、だけど」と言って、ジャンパーの下からパーカーのフードを引き出し、深々と被った。なんだ? と窺っていると、彼女は俺から顔を逸らし、肩を震わせ始める。
「ごめんっ、私も頭冷やしてくる……」
震える声で彼女は言い、ソファから飛び上がって足早に廊下へと向かった。すぐに扉が開閉される音が聞こえてきたから、きっとトイレを見つけて飛び込んだのだろう。
「……天使、おい天使。前世でも紗奈以外の誰かと恋人関係になってたが、もしかして『幸運プラン』の影響なのか?」
気配を感じて横を向くと、母さんが座っていた椅子に呆れ顔の天使が座っていた。
「そりゃそうよ。幸運な人生には愛が必要ってもんだろ。はぁ……本当に馬鹿馬鹿しい。せっかく好みのタイプに好かれたってのに、あんな冷たい言い方するなんて」
「好みのタイプってなんだ」
「あんた、前世で言ってたじゃんよ。『俺はクールな子が好きなんだ』って」
人違いだ、と言いかけたが、思い出してみれば前世の桐野浩二だった時、新居田楓に誤魔化しで口にしたことがある。あれがプランの力で実現してしまった、ということらしい。
「俺にとっては幸運でもなんでもない。煩わしいだけだ。それに、彼女たちもかわいそうだろ。その気にさせておいて、こんな結末……残酷じゃないか」
「あんたが記憶を失ってたら絶対付き合ってたし、結婚もありえただろうが。それって幸せなことじゃん?」
「でも俺は瑞樹有の記憶を思い出してしまう。それは確定事項だろ」
「んなこと言われてもなぁ、俺の一存でどうにかなる問題じゃねえんだよ。そんなに不義理が嫌ならさっさと目的達成して自由の身になってくれ」
天使はうんざりした様子で、くいっと顎で窓の方を示す。何だ? と考えていると「ほら、カメラ」と言うので、スマホを固定している三脚に目を向けた。
それが何を意味するのか分からず、しばらく考え込む。だが、その『可能性』に気づくとほとんど無意識に飛び上がっていた。
「良かったな、俺が気づいて。でも忘れるなよ。神様には労働の対価として許可を得ているが、こういった気づかせる行為は本来過干渉に値する。『幸運』に違いないから、必ず反動が来るぞ」
天使が何か言っていたが聞いている余裕はない。適当に返事をし、三脚からスマホを取って廊下奥の裏口へと向かう。外へ出ると近くの林へと飛び込み、家から距離をおいてサクラ色のスマホと向かい合った。
スマホは撮影モードのまま……つまり起動したままで、ロックが解除された状態だ。
連絡先一覧を呼び出すと近所の人たちの名前が並んでいた。どうやら母さんのスマホらしい。舞い込んだチャンスに頭がくらくらするが、それでもその名前――紗奈の生まれ変わりである可能性が高い『大尾真宵』を見逃すことはなかった。
どっ、どっ、と心臓が胸を突き破らん限りに鼓動している。額に一筋の汗が流れた。
震える手をそっと持ち上げ、『大尾真宵』にコールする。
一回、二回……コール音が繰り返される。その一回のコールが嫌に長く感じて、まだか、まだか、と心が逸るのだが、実際は四回目にして通話状態になった。
「おばさん? 今夜の会合まで連絡は取らないはずじゃ……。もしかして緊急ですか?」
「紗奈? 紗奈なのか!? 分かるか、俺だよアルだ! 今どこにいる? 無事なのか?」
気持ちがはやって気づけば捲し立てていたが、全くの赤の他人である可能性も十分に考えられた。それでも紗奈に繋がる可能性があったのだから、慎重に言葉を選ぶべきだった。
しかし、結果これで良かった。回りくどいやり取りをすっ飛ばし、すぐに答えを知ることができた。
「アル、君? 本当に? 私の婚約者で……東道に一緒に殺された、私のアル君?」
「そう! そうだよ、その『俺』だ!」
「どうして……アル君……もう前世みたいな奇跡は起こらないと思ってたのに……」
確かに、二度も死に別れたというのに再び言葉を交わせるなんて奇跡に違いない。でも今回は違う、これは自分の意思と努力で掴み取ったものだ。その事実は心に暖かな血液を送り込んでくれた。
「紗奈、聞いたよ。今世でも東道と戦ってるんだろ? 今、危険はないのか?」
「『プロジェクト・ジ・アース』っていう団体が匿ってくれてるおかげで、今のところは、ね。でも見つかるのは時間の問題だと思う」
「他に逃げ込める場所を用意してるのか?」
「東道が力を持ち過ぎた日本にそんな場所はないよ。だから、今日出国する計画なの」
「出国? それって、亡命するってことか?」
「そう……数時間後に出航する大型客船で中国に渡って、そこからドイツに。COPって言って分かるかな? 加盟国が集まって気候変動の問題解決とか相談する、あのCOP。私はそれに招待されていて、そこで重力操作技術の闇を暴くことになってるの。今晩出国する前に情報を仲間たちと共有して、COPでの暴露と同時に日本中の活動家たちに情報を一気に拡散させてもらう計画になってる」
「そ、そんな大事になってたのか。しかも、ドイツって……随分、遠いな」
せっかく掴んだと思ったものが手から零れ落ちてしまったような、一抹の虚しさが過る。でも紗奈の安全のために必要なら受け入れるしかない。俺は気を取り直し口を開いた。
「ドイツまでの安全は守られてるのか? まさか一人で行くわけじゃないだろう?」
「大丈夫、PTEが――ああ、プロジェクト・ジ・アースのことなんだけど、その中国支部と日本のドイツ大使館からボディーガードが派遣されて守ってくれることになってる」
「活動家たちだけでなく大使館も動くのか? それはもう国際問題じゃないか。ドイツまで一人じゃないってのは安心だが……なあ紗奈、どうして東道の闇を世間に明かそうだなんて危ない橋を渡ろうとするんだ? 東道がどういう人間か、身をもって知ってるはずだろ?」
「アル君は重力操作技術の問題点について、どこまで知ってるの?」
「その技術を使って作られた熱核融合炉に致命的な欠陥がある、ってことだけだ」
「そう……あのね、今起きてる天体異常、あれは重力操作が引き起きした災害なの」
「なに? えっ……どういうことだ? 天体異常が災害?」
「詳細は長くなるから省くけど、隕石の落下問題が頻発してるでしょう? 去年、アメリカの西海岸の町が丸々一つ消し飛んでしまったのは知ってるわよね? それらは全て重力操作技術が関係しているの。でも東道は気づいていながら隠匿して、世間に知られる前に解決策を見つけようとしてた。でも一向に解答が見つからなくて、被害が増え続けてるのが現状よ」
「そうだとして、紗奈が危険を冒す必要はないんじゃないか? 誰か信頼できる人に情報を託すとか、手段は色々あるだろ」
「そうしたらその人が東道に殺されちゃうよ。記憶を引き継いで生まれ変われる私だからこそやらないと。それに、このまま重力操作技術を利用していたら、二百年後には地球が滅ぶって予想されてて時間もない。家族も友だちも、この地球に生まれ変わって来られなくなっちゃうんだよ。私はそんなの嫌だ……みんなの魂が消えてなくなっちゃうなんて、耐えられない」
その気持ちの尊さは身を持って知ったばかりだ。その思いに救われた俺が否定できるはずもなく、俺だって大事な人たちの生まれ変わる未来を消したくはない。
大事な目的があるとは思っていた。それに彼女の性格上、一度やると決めたことを止めるのは難しいことも分かっていた。
だからこそ捻り出したこの一案を口にするべき時だった。
「紗奈、その役目、俺に任せてくれないか」
「え?」
「俺に紗奈が持ってる情報を教えてくれ。俺が東道の暴走を止める」
「でも、それじゃあアル君が東道に追われることになるよ!」
「何とかしてみせる。だから紗奈は余生を穏やかに過ごしてくれ。あんな残酷な過去は忘れて、今度こそ生を全うして欲しい。新たに友だちを作って、学校に行ったりして、職に就いて、それから……新しく恋人を作ったり、家族を作って……」
胸が苦しくなってそれ以上続けることはできなかったが、俺が言わんとすることは伝わったはず。どうにか俺が生まれ変わった目的の半分は達成した。後は人任せを嫌がる紗奈を説き伏せる必要がある。
そのための言葉も用意していた。最悪協力という形になるだろうかと考えてもいた。
しかし紗奈は俺が想像していたものとは違う反応を示した。
「それは許されないよ……関係ない人を巻き込んでおいて、今更逃げ出すことなんてできない。自分で始めたことなんだから、自分でけじめをつけないと……」
「ん? 関係ない人? それは……俺のことじゃなくて?」
「……アル君。もしかして知らないの?」
「何をだ?」
「前世の私たちの死体、一月前に発見されたの。山菜採りで山に入って遭難したおじいさんが偶然見つけたんだけど……私たちの他にもう一人分の死体があったんだって」
「俺たちの他に……? 一体誰なんだ?」
前世で殺された瞬間、落とされた穴にもう一人いたのだろうか。そんな気配はなかったように思えるから、別口で殺された誰かを後に埋めたのかもしれない。俺たちと同じように東道に歯向かった誰かを。
軽々しく人を殺す東道が悍ましくてたまらない。最低でも三人殺しているのに罪から逃れ続け、今や政治家だ。その立場と権力でどれだけの悪事を隠蔽してきたのだろうか。
そうして義憤を燃やしていたのだが、そんな怒りの気持ちは次の瞬間には消え去った。
三人目の死体――紗奈が口にした、その人物の名前。
それは俺と縁のある人物だった。
「新居田楓さん……友だちを探しに行くって家族に伝えて、それからまっすぐ山に向かったことまでは判ってるらしい。それで、その友だちって……他に候補がいないし、アル君のことなんでしょ? 私を探すためにアル君があの山に来てしまったのだから、ある意味で彼女の死は私が招いたってことになる。だからせめて、その子のためにも結果を出さなくちゃ……私だけが彼女の死から逃げるのは、何か違う気がするの。……アル君? ねえ、聞こえてる? アル君?」




