ノノシリーナ王女
離宮を去る朝、私の胸は期待と不安で千々に乱れていた。
王宮へと続くメインストリート。そこを突き進む白銀の馬車。沿道を埋め尽くす群衆の熱気を感じた瞬間、私は「ご褒美」を求めて窓から身を乗り出す。
「さあ! この恥知らずな醜態王女が戻ってきましたわよ! 石を投げなさい! 『泥棒猫』でも『変態王女』でも、好きなだけ罵声を浴びせてちょうだい!!」
私は満面の笑みで、両手を広げて叫ぶ。
けれど、返ってきたのは、鼓膜が震えるほどの爆発的な「歓喜」の叫びだったのです。
「ノノシリーナ様ーーー!! お帰りなさい!!」
「私たちの悩みを救ってくれた王女様だ! 万歳! ノノシリーナ様万歳!!」
「ああ、なんて謙虚なお方だ……! あんなに罵声を求めて、民衆の負の感情を一人で背負おうとなさるなんて!」
――えっ?
違うの。背負いたいんじゃなくて、ぶつけられたいの!
拍手喝采。降り注ぐ花の雨。ひれ伏す人々。
誰も私を蔑まない。誰も私を汚さない。
「……どうして。皆、私を認めているというの? こんなに正しく、美しく扱われるなんて……屈辱を通り越して、もはや新手の拷問だわ……っ!」
私が複雑な心境で膝を震わせていると、隣に座るギルバート王子が、慈愛に満ちた微笑みで私の手を取ったではありませんか。
「ノノシリーナ。君の『変態』が、ついに、この国を動かしたんだ。これからはもう、誰も君を蔑ろにしない。私が一生をかけて君を『変態王女』として愛し抜くと誓おう」
「……っ!!」
最悪、いえ最高? 分からないわ!
ギルバート王子の瞳には、かつてあったドス黒い恨みに満ちた鋭い瞳など微塵もなく、ただ真っ直ぐな、一点の曇りもない「変態愛」が宿っている。
私は一生、この「理解された変態」という名の檻に閉じ込められてしまう。背筋がゾクゾクするほど、素晴らしい未来だわ……!
────
数日後、王宮の大広間で行われた結婚式は、歴史に類を見ないほど盛大なものだった。
国内の有力貴族はもちろん、他国からも、この国家公認の私「聖ドM」を一目見ようと、名だたる貴族たちがこぞって参列していた。
私は重たい純白のボロドレスに身を包み、壇上に立っていた。ギルバート王子が、私の願いを叶える為に用意してくれた特注ドレス。大勢の他国の貴族達の、ドン引く視線が快感だわ。
その列の中には、かつての私のライバル(?)ミーナの姿も。
彼女は相変わらず、おかしな言動をしている。
「ノノシリーナ様! なんて素敵なの! 貴女のおかげで、ハッピーの魔法が王国中を包み込んでいますわ! 私、感動してハチミツになっちゃいそうですわ!」
彼女、本当に何も変わっていない。
私を憎むどころか、今や私の最大の理解者として、惜しみない祝福を送ってくれる。
そしてギルバート王子からの言葉が始まった。
私の耳元に届いたのは、他ならぬ彼だけが私に贈ることのできる、最も最高で甘美な「誓いの言葉」だった。
「……誓おう、ノノシリーナ。私は、君が死ぬまで、君が最も欲する『罵り』で君を飾り立てると。そして世界中が君を称賛し、清らかな王女として崇める中、私だけが、君が救いようのない変態であることを囁き続け、君の心を支え続けると。私だけが、君のその汚れた魂を、一生蔑み続けてあげると誓う。」
「……っ!! ああ、あああ……っ!!」
広間に響き渡る万雷の拍手の中、私は、その眩い光の中心で、静かに狂喜の深淵に沈んでいた。
なんて、なんて凄まじい純粋な変態愛。
彼は、私が誰よりも蔑まれたいと願っていることを「理解」した上で、あえて愛の言葉を罵倒に変えて捧げてくれたのだ。これよ、これなのよ。
「ええ、一生私を救いようのない、ゴミ王女と呼び続けて!」
ギルバート王子との誓いのキス。
数千人の参列者が、固唾を呑んで見守る中、ギルバート王子の唇が重なる。
広間に響き渡る万雷の拍手。
ほぼこの国の貴族。他国の貴族の拍手はまばらだ。
唇から伝わるのは、ドS欲。そして、「お前を一生逃がさない」という強烈な愛。
私は、その眩い光の中で、本当の自分を生かしてくれるギルバート王子の腕に、身も心もすべて預けた。
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万雷の拍手と、ノノシリーナの「ゴミ王女と呼び続けて!」という絶叫がドーム状の天井に反響する。周囲の貴族たちは「なんて純粋な献身!」「魂の剥き出しの交錯だ!」と涙を流してハンカチを噛み千切っている。
その狂乱の渦中で、エルゼは扇をこれ以上ないほど硬く握りしめ、アルフォンスの耳元で氷のような声を漏らした。
「……アルフォンス、聞こえたかしら。ノノシリーナ王女、今『ゴミ』っておっしゃったわ。それも、世界で一番幸せそうな顔で。……私たちの国も大概だと思っていたけれど、ここは次元が違うわ。概念そのものが腐り落ちている」
アルフォンスは、教祖としてのポーカーフェイスを維持しつつも、額にうっすらと脂汗を浮かべていた。
「ああ、エルゼ。……心の中で呟けと言ったが、訂正する。思考を停止しろ。……見ろ、あの新郎のギルバート王子の目を。あいつは本気だ。『愛しているから罵る』のではない。『罵ることが愛である』と、脳の回路が完全に焼き切れてしまっている。……私たちの『殺意が愛に変換される』という高度な知的遊戯が、子供のごっこ遊びに見えてくるほど、純粋で、救いようがない」
「ええ、本当に終わっているわ。……見てみなさい、あのミーナという娘を。『ハチミツになっちゃいそうですわ』なんて、脳内に花畑どころか、養蜂場でも作っているんじゃないかしら。……アルフォンス、私、あの方々だけには勝てる気がしないわ。毒を盛っても『スパイスが効いていて刺激的ですわ♪』などと言われそうですもの」
エルゼの冷徹なツッコミも、この会場の熱狂にかき消されていく。
ギルバート王子がノノシリーナの腰を引き寄せ、熱烈な(しかし中身は罵倒に満ちた)キスを交わす。
「……アルフォンス。……帰りましょう。これ以上ここにいたら、私たちの『殺意』まで、妙な湿り気を帯びてしまいそうだわ。あんな風に『蔑んで』と直球で来られたら、私のプライドが、逆に彼女を甘やかしたくなってしまいそうで反吐が出るわ」
「奇遇だな、エルゼ。私も今、あの王子を見ていて、いっそ清々しいほどの殺意が湧いてきた。……だが、ここで剣を抜けば、あの王女は『最高の余興だわ!』と喜ぶだろうし、信者たちは『愛殺教祖様からの血の祝福だ!』と踊り出すだろう。……負けだ。私たちの負けだ、エルゼ。この世界には、関わってはいけない深淵がまだまだある」
二人は、周囲が「感動のあまり言葉を失っている聖夫婦」と勘違いして道を開ける中、一度も後ろを振り返ることなく、足早に会場を後にした。
「……アルフォンス。……帰ったら、あなたを本気で特注地下室に放り込んで差し上げますわ」
「……ああ、期待しているよ、エルゼ。……あんな『ゴミ』なんて生温い言葉ではなく、もっと洗練された、私の心臓を素手で握りつぶすような殺意を聞かせてくれ」
馬車に乗り込んだ瞬間、二人はようやく、自分たちの「まともな(と信じている)憎しみ」の世界に戻れたことに、深い安堵の溜息をつくのだった。
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盛大な儀式から数日が過ぎた、現在の王宮。
そこでは、他人が見れば「理想の新婚夫婦」、私たちにとっては「この世で最も純粋な聖域」が広がっていた。
王宮の最奥、最高級の調度品で飾られた王妃の寝室。
私は今日も、豪華絢爛なシルクの寝具に横たわり、朝から晩までギルバート王子による「執拗な献身」を受けている。
「ノノシリーナ、今日のスープの温度はどうだい? 君のような『繊細なゴミ』の喉を満足させるよう、私が毒見を兼ねて三度も作り直させたよ。……お前のために苦労させられる私の身にもなってほしいものだな」
「……まあ、ギルバート。なんて温かい御言葉! 私のためにわざわざ……。ああ、スープが喉を通るたびに、あなたの『蔑み』が染み渡るようですわ……っ!」
ギルバート王子の瞳は、かつての憎悪ではなく、深い理解に基づいた「加虐愛」で燃えている。
私を「蔑む」ことをやめるのではなく、「愛ゆえに蔑む」ことで私の精神を極限まで充足させる。これこそが、彼が見出した私への唯一無二の愛し方なのだ。
公務の場でも、私たちの「遊戯」は止まらない。
大勢の隠れ変態家臣も含め見守る中、ギルバートは私の手を取り、うっとりと囁く。
「見てくれ、我が王妃のこの凛とした姿を。中身が救いようのない『放射性痴女』だとは、この場にいる誰一人として真に気づくまい」
「……っ!! ああ……! 全方位から崇められながら、その裏で正体を無慈悲に暴露され続ける……。この絶望的な背徳感、たまりませんわ!」
そう、これが私たちの新婚生活の一幕。
私が「ゴミ」であり続けたいと願うからこそ、ギルバートは私を「黄金」でコーティングし、誰にも触れさせないよう厳重に檻に閉じ込める。
国中から愛されれば愛されるほど、私の内側の「汚れ」はギルバートだけの独占物となり、その価値を高めてくれる。
「ノノシリーナ。明日は隣国の使節団との晩餐会だ。君をまた、公衆の面前で、君がどれほど変態な女か、私の口から教えてやるからな」
「……はい、ギルバート様! 精一杯、変態愛を感じてみせますわ!」
窓の外には、今日も民衆の、私たちを称える歌声が響いている。
私達の歪な物語は、この眩しすぎる「幸福な変態愛」という名の王国の中で、どこまでも深く、熱く、そして美しく凌駕するのであった。




