深淵からの招聘状
離宮の静寂を、無慈悲な金属音が打ち砕く。
半開きのドアからなだれ込んできたのは、聖十字騎士団の白銀の鎧を身に纏った者たち。だだ、何かがおかしい。彼らが放つ空気は、およそ神に仕える騎士のそれではなく、死の沼から這い出した亡者のような湿り気を帯びている。
「……ここに許可なく立ち入ることは――」
ギルバート王子が私を庇うように叫び、腰の剣に手をかける。
けれど、私はその背後で、今まで味わったことのないような、得体の知れない高揚感に全身を貫かれていた。心臓が、警告ではなく「歓喜」の鐘を打ち鳴らす。
先頭に立つ指揮官らしき騎士。その兜の奥に潜む「目」と視線がぶつかった瞬間、私は金縛りにあったように動けなくなった。
一瞬のはずなのに、永遠のような感覚。
その瞳に吸い込まれるように、魂の形を書き換えられていくような、おぞましくも甘美な感覚。
「フッ……」
指揮官の口端が、不気味に吊り上がる。
ふと視線を戻せば、あんなに激しく動揺していたギルバート王子が、まるで精巧な石像にでもなったかのように固まっていた。彼だけではない。周囲の騎士も、私を見張っていた離宮の護衛の兵士たちも、時を止められた剥製のように、その場に立ちすくんでいる。
ゾクゾクと、背筋を氷の指でなぞられるような快感が走る。
次の瞬間。
視界が、世界が、音を立てて崩壊していた。
「あら……? ここは……一体……」
離宮の壁が、床が、天井が、煤けた霧のように消えていく。
代わりに現れたのは、視界を赤黒く染める熱蒸気に包まれた光景。肌を焼き、細胞を沸騰させるほどのマグマが川となって流れ、熱蒸気が肺を焼く場所だった。
ギルバート王子の姿はない。聖騎士や兵士たちの気配も、完全に消えていた。
聞こえてくるのは、幾千、いえ、幾万の人間が上げる、終わりなき断末魔の合唱だった。
「……まあ。なんて、なんて素敵な舞台装置なの!」
宙を見上げれば、私ですら見たこともない禍々しい拷問器具が、自意識を持っているかのように浮遊していた。
鈍く光る截骨鋸、脳髄を抉るための頭蓋穿孔器、喉を裂く扁桃腺切除器。それらが機械的な正確さで、石柱に打ち付けられた生贄たちを「調理」している。
生きたまま肉を削がれ、皮を中途半端に剥がされ、白く輝く骨と拍動する内臓を剥き出しにしながら、人々は絶叫し続けていた。
けれど、真の光景はその先にあった。
破壊し尽くされた肉体が、次の瞬間には不自然な速度で再生していく。そして、癒えた端から再び鋸が入り、絶叫が再開されるのだ。
死ぬことさえ許されない、永遠の破壊と再生。
「究極の……究極の辱めだわ。生という名の檻に閉じ込められ、ただ壊されるためだけに生かされるなんて!」
その時、天を突くほどの凄まじい圧力が私を押し潰した。
視線を上げれば、そこには城砦ほども巨大な「何か」が鎮座していた。
怪鳥?
そう呼ぶには、あまりに冒涜的な造形。
全身を覆うのは羽毛ではなく、黒ずんだ半透明の粘液。そのドロリとした液体は常に溶けかかったように波打ち、泥に沈む無数の亡者が助けを求めて這い回っているかのように蠢いている。
くちばしを形作るのは、数えきれないほどの様々な種族の「手」。それが幾重にも折り重なり、震えながら獲物を求めているかのよう。
そして、目。
巨大な眼窩の中には、数百の小さな目玉が円形に集結し、それらすべてが独立して動きながら、私一人を焦点に捉えていた。
憎悪。飢え。底知れぬ快感。
それらが混濁した視線が、私の魂を文字通り「舐り回す」。
突如、私の体が念動の不可視の力で宙に浮いた。
抗う術などない。ただ、巨大な怪鳥の意思に従い、私は真っ赤に煮え滾るマグマの奔流へと投げ落とされた。
「あっ♡」
一瞬だった。
全身の神経が焼き切れ、脳が蒸発し、存在そのものが「痛み」という純粋なエネルギーへと変換される感覚。
熱い。痛い。苦しい。
けれど、その絶望の頂点で、私は震えるような、凄まじい「快感」を覚えた。
これよ。これだわ! これこそが、私が夢にまで見た、救いようのない最期。
この快感を味わって消滅できるのなら、本望。ゴミとして、燃えカスとして散れるのなら、これ以上の幸福はない。
そう確信し、意識を手放そうとした瞬間。
再び、瞼を開けることができてしまった。
「……え?」
開いた自分の両手を何度も見る。
傷一つない体。
けれど、脳には先ほどの焼き殺された記憶が、生々しい快感として刻まれている。
間髪入れず、再び念動が私の体を吊り上げた。
「待って、もっとゆっくり絶望を味わわせて!……ああっ、でも最高よ♡」
二度目の投下。
再び、マグマが私を飲み込み、肉を焼き、骨を溶かす。
死の淵へと引きずり込まれる痛みの衝撃。それが、細胞を狂わせるほどの愉悦を連れてくる。
そして、また。
気づけば、私は再び、元の場所に戻っていた。
紛れもない現実。
私は、死の苦痛を二度、連続して味わった。
この怪鳥――この深淵の住人は、私に「永遠の快楽」を味わわせてくれたのだ。
私は震える手で自らの顔を覆い、指の隙間から微笑んだ。
「ンフフ……もっと、もっと頂戴。私の魂が、真っ黒に染まって消えてしまうまで……!」
私は恍惚とした表情で、再び自分を痛めつけてくれるのを、今か今かと待ち構える。




