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裏切りの温もり

 離宮の空気は、今日も澱みなく私を包み込み、適度な毒気が心地よく脳を痺れさせていく。

 窓の外、門の隙間に設置した「目安箱」を覗けば、そこには期待通りの刺激的なスパイス。それを一枚ずつ、指先で愛おしむように開く瞬間こそが、今の私にとって至福の時。


────

【投函内容:震える手で書かれた、怨嗟のメモ】

「ノノシリーナ、お前の返信のせいで、逃げ続けていた借金取りと和解して働くことになったぞ! お前のような不幸の塊が、勝手に人を救うような口を利くな! 泥にまみれて死ね!」

────


「……ふふ、素敵。感謝の皮を被った、純度の高い呪詛だわ。私に『死ね』と言い放ちながら、生きる活力を得てしまうなんて。なんて皮肉で、甘美な復讐かしら」


いつの間にか、私の性癖を心から理解してくれる民衆が増え始めていた。こうして、私に罵倒を届けてくれるのだ。

 溢れる悦びをそのままに、万年筆を走らせる。


────

【返信:歓喜に濡れた、流麗な筆致】

「まあ、素晴らしい! 私の汚れた言葉が、あなたの人生をさらに『労働』という名の苦行に追い込んだのですね。まさに私の望むところ。どうぞ、汗と泥にまみれて私を呪い続けて。私はこの離宮の暗がりで、あなたの憎悪を抱いて永眠しますわ」

────


 本心を綴り終え、ふと思いに耽る。

 今日はなんだか、いつもとは違う予感がする。もっと肌を刺すような、根源的な刺激が私を襲うような、そんな予感。……そう確信した、その時。


 背後から、射抜くような視線。

 辺りを見渡そうとしたとき、静寂を切り裂く音が響く。


 ――ギッ。


 重苦しい唸りを上げて、ドアが鳴った。

 そこには、粗末な変装を解きもせず、私をじっと睨みつけているギルバート王子の姿が。


……ギルバート、王子?


 私は胸が高鳴り、脳内には快楽物質が怒涛のように溢れ出す。

 わざわざお忍びで、しかもこっそり侵入してくるなんて! きっと、これまで以上の新しい罵倒や、見るに堪えない蔑みの言葉を、サプライズとして届けに来てくれたに違いないわ。


「……あら、ギルバート王子。ついに私を直接罵り、辱め、いたぶり、虐めに来たのね♪」


 私は椅子から勢いよく立ち上がり、両手を大きく広げる。

 仁王立ちのまま、彼がこれから行うであろう「蛮行」を妄想し、全身の細胞をレセプターにして待ち構えるのみ。


「さあ、ギルバート王子! 私を思う存分罵り、虐め倒して! あなたのその冷たい言葉で、私を粉々に粉砕してちょうだい!!」


 王子は、酷く怒りに震えているのか、おぼつかない足取りでフラフラと私の元へ。

 ああ、その殺気! ついに私という存在に限界が来て、懐に忍ばせた短剣でも突き刺すつもりなのかしら。

 膨らみ続ける妄想に、脳内のキャパシティはとうに限界を迎えていく。


「……っ!!」


 ついに、来た!

衝撃を覚悟して固く目を閉じる。

しかし私の体を、凄まじい力が締め上げる。

 ……けれど、それは刃の痛みではない。ギルバート王子による、あまりにも力強い「抱擁」であった。


「えっ……?」


 あー、分かったわ。きっとこのまま、万力のように私の肋骨や背骨をへし折るつもりね!

 骨が悲鳴を上げ、凄まじい音とともに砕け、内出血の果てに意識が遠のいていく――。その苦痛の絶頂を妄想するだけで、心はもう抑えきれない。


さあ、早く私を圧死させて!


 …………でも。でも、どうしたことか。

 王子はいつまでたっても、私を抱きしめたまま、時が止まったかのように微動だにしない。

 それどころか、私の首筋に、熱く湿った液体が滴り落ちてくる。


「……え? もしかして、王子……泣いているの?」


 自分以上の奇行。理解不能な行動。

 エキセントリックな私の思考回路をもってしても、今の彼の意図を読み解けず、ただ混乱だけが押し寄せる。


ああ……分かったわ。これは、私の期待を完璧に裏切るという名の、高度な精神的拷問なのね! 体の芯がゾクゾクしてくるわ! さすがねギルバート王子。


 恍惚とした抑えきれない吐息を、彼の耳元で漏らす。


「ギルバート王子、そんなに我慢せずとも、私をこのまま圧迫死させてくださってもよろしくてよ? 私はすべてを受け入れますわ」


 私がそう告げると、王子はさらに激しく落涙し、私を強く、けれど壊れ物を扱うような繊細さで抱きしめてきた。


「すまない……本当に、すまなかった、ノノシリーナ。すまなかった……! 私を……この愚かで救いようのない私を、どうか、どうか許して欲しい……」


 訳が分からない。

 王子は、こんなにも私を「快楽の離宮」という名の聖域に閉じ込め、溢れんばかりの刺激を与えてくれた。だというのに、なぜか彼は謝っている。


「これも何かの作戦なのですか、王子? でも、あなたはこんなことをする人ではなかったはず。一体、どうされたというの?」


 王子が私の両肩を掴み、真っ赤に腫らした眼差しで、私の瞳を見つめてくる。


「すべて私が悪かったんだ、ノノシリーナ。高慢で無知な私が……。君が許してくれるのなら、私の婚約者として、いや伴侶として……王女として、城へ共に……戻ってほしい。お願いだ! 君が望むのことなら、どんなことでも償う。だから……!」


 伴侶? 城へ戻る?

 それはつまり、この「毎日がご褒美」の生活を捨てて、あの退屈で健全な「王妃」の座に戻れと言うこと!?

 私にとって、これ以上の「虐待」などこの世に存在するかしら!


 その絶望(快感)に打ち震えようとした、次の瞬間。

 半開きのドアが、何者かの手によって、暴力的な勢いで押し開けられた。

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