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聖女は王の元に、俺は闇に──堕ちた英雄の復讐譚  作者: 雷覇


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第62話:崩れゆく均衡

玉座の間の扉が静かに開いた。

白衣を纏った神官シルヴァが恭しく膝をつく。


「陛下、ご報告がございます」

「申せ」


エルヴァンは玉座に腰を下ろしたまま命じた。


「ゼクス殿が……戦死されました」


シルヴァの声は淡々としていた。

まるで、駒が一つ盤面から消えたことを告げるかのように。

エルヴァンの表情には一片の動揺もなかった。

瞳がわずかに細められる。


「……そうか」


それだけだった。

哀悼も、怒りも、何もない。

ただ冷ややかな承認のみが、その言葉には込められていた。


「ゼクスはよくやった。時間を稼いだ。それで十分だ」


エルヴァンはゆるりと立ち上がり、玉座の肘掛けに手を置いた。


「彼が命を懸けて遅延させた間に、我らは神の軍を整えた」

「その犠牲には、意味があった。それ以上でも、それ以下でもない」


シルヴァは深く頭を垂れる。


「畏まりました」


そして、顔を上げた神官の瞳には狂気じみた歓喜が宿っていた。


「陛下……神の軍の状況をご報告申し上げます」

「言え」


エルヴァンの声に、わずかな興味の色が混じる。

シルヴァは不敵に笑った。


「想像以上の出来にございます」

「神兵候補として選別された者たちは、既に千を超えました」

「その全てが、聖女セリス様の祝福を受け、神の力に目覚めつつあります」


シルヴァは一呼吸おいて、愉悦に満ちた声で続けた。


「カインはさぞ驚くでしょうな」


その名を聞いた瞬間、エルヴァンの唇が歪んだ。

笑みではない。

それは、獲物を前にした捕食者の表情だった。


「カイン……」


低く、冷たく、その名を呼ぶ。


「あの愚かな英雄は、まだ自分が世界を救えると信じているのだろう」

「だが、奴が知るのは絶望だけだ」


エルヴァンは窓辺へと歩を進め夜空を見上げた。


「奴がどれほど足掻こうと、神の意志の前では無力だ」


シルヴァは跪いたまま、恭しく応じる。


「御意。神の軍は、まもなく完全なる形となりましょう」

「そして──」


エルヴァンは振り返り、黄金の瞳で玉座の間を見渡した。


聖女セリス。

巫女イリーナ。

騎士ミリアム。


三人の姿が、白銀の魔法陣の中で静かに輝いている。


「カインよ……お前が愛した仲間たちが、お前を討つ剣となる」

「それこそが、お前への最高の罰だ」


エルヴァンの哄笑が、玉座の間に響き渡った。


──セレファリア王国外縁部。

夜闇に紛れ、黒装束に身を包んだ一団が王都の城壁を見上げていた。

黒の軍団の先遣隊。


総勢二千。

彼らの瞳には、憎悪と復讐の炎が燃えていた。


「……やっと、ここまで来た」


呟いたのは隊を率いる男、クロウだった。

かつて王国騎士団に所属していた彼は濡れ衣を着せられ

騎士の誇りを奪われ、投獄されていた。

その記憶が、今も彼の胸を焼いていた。


「おい、クロウ……本当に様子見だけで済ませるのか?」


隣に立つ男が低い声で問うた。

彼の右頬には、鞭で打たれた痕が今も残っている。


「カイン様の命令だ。暴走は許されん」


クロウは苦々しく答えたが、その拳は震えていた。

元騎士として、命令に従う義務は理解している。


だが──


彼の視線の先には、王都の門がそびえている。

煌びやかな装飾。整然と並ぶ衛兵。

その向こうには、貴族たちが暮らす豪奢な屋敷が立ち並んでいるはずだ。


「……俺たちを散々虐げた、あの腐った連中が……」

「今も何食わぬ顔で、酒を飲んで笑っているんだ」


クロウの声が震える。


「俺は騎士だった。この国を守ると誓った」

「だが、守ろうとした民を助けたことが越権行為だと……貴族の権利を侵したと言われ全てを奪われた」


一人、また一人と、黒の軍団の面々が口を開く。


「弟は盗みの濡れ衣を着せられて、公開処刑された」

「村は税の取り立てで焼かれた」

「俺の母は、兵士に辱められて、川に身を投げた」


声が重なり、憎悪が膨れ上がる。

空気が次第に熱を帯び始めた。


「……様子を見る、だと?」


若い兵士が、剣の柄を握りしめる。


「俺たちはここまで来たんだ! 目の前に仇がいるのに何もするなだと!?」

「落ち着け」


クロウが制止するが、その声には力がなかった。

騎士として培った統率力も、この憎悪の前では無力だった。

なぜなら彼自身も同じ思いを抱いていたからだ。


「……カイン様は、慎重に動けと言った」

「神の軍の動向を探り、無駄な犠牲を出すなと」


クロウは門を睨みつけた。

城壁の向こうから、微かに音楽が聞こえてくる。

宴の音だった。


貴族たちが、今夜も酒を酌み交わし、踊り、笑っている。

何も知らずに。

何も気にせずに。


「……くそっ!」


男が地面を蹴りつけた。


「俺たちが苦しんでいる間も、奴らは笑っていた」

「そして今もだ!!」


彼の叫びに、黒の軍団全員が呼応した。


「そうだ!」

「奴らを許すな!」

「復讐を!」


剣を抜く音が次々と響く。

クロウは必死に声を張り上げた。


「待て! 待てと言っている!!」

「カイン様の命に背くつもりか!?」


だが、兵士たちの瞳にはもはや理性の光はなかった。


「今、目の前に敵がいるんだ! 討たずにどうする!!」


クロウは歯を食いしばった。

騎士として、指揮官として彼らを止めなければならない。

だが、彼にはその言葉が見つからなかった。


なぜなら──

彼自身の心も、同じ叫びを上げていたから。


「……クロウ。あんたも同じだろ?」

「あんたが一番、この門の向こうを憎んでいる」


「……っ」


クロウは答えられなかった。

彼の右手が、無意識に剣の柄を握っていた。

その沈黙が、答えだった。


そして──

一人の兵士が、ついに走り出した。


「待て!!」


クロウの制止も虚しく、次々と兵士たちが続く。


「門を突破しろ!!」

「王都に、復讐を!!」


暴走が始まった。


黒の軍団二千が憎悪に駆られ、王都の門へと殺到する。

クロウとその場に立ち尽くした。


「……カイン様、申し訳ございません」


クロウは天を仰いだ。

騎士としての矜持が、命令違反を咎めている。


「だが……俺たちにも、譲れないものがある」


彼もまた、剣を抜いた。

かつて民を守るために振るった剣を、今度は復讐のために。

仲間たちの後を追って駆け出した。

夜空に、復讐の咆哮が響き渡る。

王都セントラルの門前で、血の一夜が幕を開けようとしていた。

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