第56話:邪なる神の軍
セレファリア王宮・王都セントラル
《神の塔》──玉座の間。
白銀の魔法陣に立つ三つの影は、まさしく神の軍の象徴だった。
聖女セリスは静かに祈りを捧げ、その身から溢れる光が床を照らす。
巫女イリーナは膝をつき、伏せた瞳の奥で微かな苦悶を隠す。
そして、神に選ばれし騎士ミリアム。
洗脳によって心を奪われた彼女は、虚ろな瞳のまま剣を胸に抱いていた。
王エルヴァンは玉座に腰掛け、満足げに微笑む。
黄金の瞳が、三人を慈しむように、しかし残酷に見下ろしていた。
「よい……実に美しい光景だ」
「神の声を持つ聖女、神の目を持つ巫女、そして神の剣を振るう騎士」
「この三つが揃えば、もはや我が国に逆らう者など存在せぬ」
ゆるやかに立ち上がった王のマントが、赤い炎のように翻る。
「神の軍を整えよ」
「国内の兵を再編し、神の名の下に新たな部隊を編成せよ」
「選別された者は神兵として徴用し、拒む者は──粛清せよ」
「はっ!」
側近たちは一斉に跪き、王命を受ける。
その声に込められたのは忠誠ではなく、畏怖だった。
「国外への備えも怠るな」
「神の軍が動くとき、世界は膝を屈する。これが神の意志だ」
その言葉とともに、玉座の間に雷鳴のような威圧が走る。
エルヴァンの瞳には、もはや人の理を超えた支配者の光が宿っていた。
だが──
イリーナの胸中には、凍りつくような恐怖が渦巻いていた。
(……このままでは、国全土が血に染まる……)
(神の名を騙る軍が、無実の人々を踏みにじる……)
けれど、その意志は鎖に縛られている。
セリスの放つ聖なる拘束が、肉体と霊魂を縫い止めていた。
(……それでも……見ている……)
沈黙の奥で、イリーナの意志だけが、確かに燃えていた。
「さあ──神の軍の準備を急げ!」
「我が名のもとに、世界を正す時が来た!」
王の声が玉座の間に響き渡る。
兵たちは無言のまま頭を垂れ、雷鳴が夜空を切り裂いた。
王都の上空では、黒い雲が渦を巻き、稲光が塔の頂を照らしていた。
まるで天が、この暴挙を見下ろしているかのように。
その頃──遠く離れた前線。
ゼクスは魔導球を通し、崩れ落ちる融合体が黒霧に溶けていく光景を見つめていた。
球面には、まだ血の飛沫が残像のように揺らめいている。
「これで勝ったと思うなよカイン」
彼の声には感情の起伏がなかった。
畏怖も悔悟もない。あるのは純粋な評価だけ。
全ては、神の軍を完成させるまでの時間稼ぎにすぎない。
「いくらでも替えが効く。強化兵は捨て石で良い」
冷たく吐き捨てたその言葉が、無人の司令室に響く。
そして、口角をゆるやかに吊り上げた。
「終わりじゃない……ここからが始まりだ」
椅子の背に体を預け、指先で魔導球を軽く叩く。
球面が切り替わり、王都に残る強化兵の反応数が次々と浮かび上がる。
「ありったけの強化兵を呼び出し、黒の軍勢にぶつける。それで十分だ」
笑みが深まる。
それはもはや狂気と紙一重の自己陶酔だった。
「必要なのは時間だ。神の軍が完成し、俺はその功績で王国の頂点に立つ。栄華も富も、すべて俺のものだ」
魔導球が反応数を刻むたび、ゼクスの瞳は愉悦に濡れていく。
まるで自分の玉座が積み上がっていくかのような錯覚に、彼は酔っていた。
「そのためなら──」
台尻を蹴り、彼は戦場模型の上に歩み寄る。
そこには、破壊された街と倒れた避難民の小さな人形が散乱していた。
「同じ釜の飯を食った騎士団だろうと、国民の命だろうと──知ったことじゃない」
「俺は生き延びる。俺だけがな。最後に立っている者こそ、正義だ」
忠義も理想も、とうに彼の中では死んでいた。
「俺が造るのは神の軍ではない。俺自身の未来だ。
国でも、王でも、神でもない──ただの俺のための生活。
酒を飲み、女を抱き、金で笑う日々。それでいい。それだけでいい」
そして、魔導球を掲げる。
その瞳には、もはや人間の理性など残っていなかった。
「全軍起動。敵は黒の軍勢。壊滅するまで地を穿て」
起動符が脈動し、地中の術式が連鎖して輝く。
それは冷たく、無慈悲で、
しかし確かに王の意志を代弁する動きだった。
この瞬間、王国は人の手を離れ、神と狂気の領域へと踏み込んだ。




