第51話:初めての恐怖(エルヴァンside)
セレファリア王国・王都リグゼリア。
黄金の装飾が煌めく謁見の間に、荒々しい足音が響いた。
王エルヴァンは玉座に深く腰掛け、青ざめた使者の報告を聞き終えるなり、手にしていた金杯を床に叩きつけた。
「……何だと!? 一夜で全滅だと……!? 我が王国の精鋭がか!」
杯が砕け、赤い葡萄酒が床に飛び散る。
報告に訪れた将校は膝をついたまま、顔を上げられない。
「も、申し訳ございません陛下……!峡谷の砦を突破した直後、我が後続部隊は黒の軍勢に奇襲され……サルディナ軍もまた、全て降伏……」
「黙れぇっ!!」
エルヴァンは立ち上がり、血走った目で家臣たちを睨め回した。
「誰の策で進軍したと思っている!? 俺の完璧な計画だぞ!
その期待を裏切るとは……王国騎士どもは無能者の集まりか!」
重臣の一人が恐る恐る進み出る。
「陛下……黒の軍勢の動きは、予想を超えておりました。サルディナ首都も陥落し、黒旗が翻ったとの報も……」
「なに……首都まで……?」
エルヴァンの顔が引きつり、憤怒と焦燥が入り混じった。
「馬鹿な……過去の亡霊ごときがここまで……!」
王は拳を握り締め、玉座の肘掛けを軋ませた。
背後で控えていたゼクスが、一歩前に出て低く囁く。
「陛下、現状は極めて危険です。黒の軍勢は勢いを増しており、
我が王都に直接の脅威となる日も……そう遠くはないでしょう」
「黙れ、ゼクス……! 俺に無駄口を叩くな……!」
だがその眼には、確かに恐怖の色が宿っていた。
己の策が完璧であると信じていた王にとって、今回の敗北は屈辱であり、同時に初めての予測不能だった。
「……よい、まだ終わりではない」
エルヴァンは玉座に深く腰を下ろし、唇を噛みながら続ける。
「黒の軍勢など必ず討ち滅ぼす……」
玉座の間に、しばし沈黙が落ちた。
その静けさの中、砕けた金杯の破片が赤い葡萄酒を吸い込み、じわじわと黒ずんでいく。まるで王の心に広がる不信と猜疑の染みのようだった。
エルヴァンは、ゆっくりと視線を巡らせた。
一人ひとりの重臣の顔を見ていく。長年仕えてきた老臣も、若き将も、今は皆、王の怒りを恐れ、硬直していた。
(……この中に、裏切り者がいるのではないだろうな?俺の策が見破れる訳がない!)
そんな考えが、一瞬だが王の脳裏をかすめる。
「……ゼクス」
低く名を呼ばれ、情報担当の騎士はすぐに膝をつき、耳を傾けた。
「サルディナの残兵と、奴らの降伏の経緯を洗い直せ。生き残った者の中に、口を割らぬ者があれば……口を割らせろ」
「御意」
ゼクスの目が一瞬だけ冷たく光った。
続いて、エルヴァンは将軍たちへと命じる。
「王都周辺の防衛を再編せよ。各門の警備兵を倍にし、夜間巡邏も増やせ。黒の軍勢が近づいたとき、ただ迎え撃つだけでは足りん。罠を張り、奴らをここで潰す」
重臣の一人が、恐る恐る問いかけた。
「陛下……それは、迎撃戦を前提とした策でございますか?」
「無論だ」
王は一瞬も迷わず答えた。
「奴らがこちらに来るなら、必ず血を流させる。王都の地を、一歩たりとも踏ませはせぬ」
しかし、心の奥底では、別の恐れが渦巻いていた。
(黒の軍勢……カイン……やはりあの男か。過去の災厄が蘇ったような存在……)
予測不能の動きと、圧倒的な軍勢の強さ。
いくら自分が支配者であろうと、戦力で劣れば押し潰されるだけだ。
エルヴァンはゆっくりと立ち上がり、玉座の背後にある巨大な地図を見上げた。
黒い駒が、サルディナから王都へ向けて進軍を示している。駒の並びは、わずか数日で王国の中枢に迫ることを意味していた。
「……やはり手を打たねばなるまい。兵だけでは足りぬ……あれを使う時が来たかもしれんな」
その言葉に、ゼクスだけが意味を悟ったように僅かに口角を上げた。
王は深く息を吸い込み、再び玉座に腰を下ろす。
「全ては、我が王国の栄光のためだ。黒の軍勢など、必ず地に這わせてやる……」
その声は、先ほどまでの怒号ではなく、低く冷たい決意を帯びていた。
――だがその決意の裏に、初めて芽生えた敗北の影は、確実に広がりつつあった。




