第39話:遠見の巫女(エルヴァンside)
王宮・《秘跡の間》。
神意を受けるための儀式を行うこの空間に、ただ二人の影があった。
「王よ」
白装束に身を包んだ神官・シルヴァが、ゆっくりと跪く。
「何だ要件を言え」
威圧的に響くエルヴァンの声には、揺るぎなき自信と尊大さが滲んでいた。
「神の駒を見抜く手段……すなわち、神に選ばれし者を判別する方法。
ついに、その方法が見つかりましたゆえ、急ぎお伝えに参上いたしました」
その言葉に、エルヴァンの眉がわずかに動く。
「ようやく見つかったか。……遅かったな」
シルヴァはゆっくりと顔を上げる。
「遠見の巫女という存在がいます。彼女は、神の光に照らされし者と、影に潜む異端者を見分ける視界を持ちます」
「その巫女はどこにいる」
即座に返した王の声音は冷徹そのもの。
「ミレイダ聖王国におります」
「ほう。あの国は武力でいえば最弱。力づくでも奪い取れるな」
エルヴァンの口元が、愉悦に歪んだ。
彼は大きくマントを翻し、階段を降りる。
「その巫女、私が貰おう。そして神の軍にふさわしい者を選ばせる。
もちろん、まずは私への忠誠を誓わせた後でな」
シルヴァは頭を垂れながら、笑みを噛み殺していた。
「手配を進めておきます」
エルヴァンの目に光が宿った。
「良いぞ、シルヴァ。神の軍を真に統べるのは、この私だ。神さえも我に従わせる」
ミレイダ聖王国。
白銀の神殿と厳かな礼拝堂が並ぶ、神聖の象徴たる王都。
その空気を震わせるように、一行の騎馬が門前に現れた。
先頭に立つのは、黒のマントを翻しながら進むエルヴァン。
彼の来訪は、ほんの数時間前に届いたたった一通の使令によってのみ知らされていた。その報せを最後に、何の前触れもなく現れたエルヴァンは、まるでそれが当然であるかのように、王城の玉座の間へと堂々と歩を進めていった。
「エルヴァン。貴方がこうして急に我が国を訪れるとは、正直、少し驚きましたわ」
ミレイダ聖王国女王カティアは、柔らかな微笑みを浮かべながらも、明らかに困惑と警戒を隠していた。
エルヴァンは微笑を浮かべたまま、あくまで柔らかく答える。
「驚かせてしまったか? だが、神意に導かれた旅路に、遅れは許されないと私は思っている」
「もちろん、歓迎こそすれ、無粋に問い詰めるつもりはありませんのよ」
カティアはやや目を細め、そのまま続ける。
「それで、エルヴァン。何用でしょうか?」
その声は澄みきっていたが、目に宿るのは冷えた光。
ミレイダ聖王国の女王としての威厳がそこにあった。
エルヴァンは浅く笑い、玉座にもたれかかる。
「カティア。望むことはただ一つだ」
エルヴァンは静かに言葉を紡いだ。
「そちらに遠見の巫女がいることは承知している。その者に、会わせてもらえないか?」
カティアは微笑みを崩さぬまま、ゆっくりと首を傾けた。
その仕草には、探るような含みがあった。
「巫女に何のご用でしょう? エルヴァンが直々に求めるほどの理由……気になりますわね」
その瞳は柔らかさを湛えつつも、内心を探る鋭さを隠していない。
エルヴァンは一瞬、視線を逸らさずに返す。
「神意を測るに、彼女の力が必要なのだ。私の国でも、選別すべき者たちが増えていてな」
語調は穏やかだが、どこか余裕を含んだ響き。
真意は語らない。ただ必要だと、それだけを押し通すように。
カティアはしばし黙し、目を細める。
「……なるほど。ですが、彼女はとても繊細な存在です。力を使わせるには、それなりの理由と、信頼が必要ですわ」
「当然だ。強要などするつもりはない」
(最初から力づくで奪うなどとは言わぬ。だが……それが必要になれば、ためらいはしない)
そう決意を胸に秘めながら、エルヴァンは微笑を返した。
「では――ご案内いたしますわ」
カティアはゆるやかな仕草で背を向け、奥の扉へと歩みを進めた。
扉の向こうには、周囲の空気がわずかに緊張を帯びている。
神官が無言のまま、静かに扉が開いた。
中から現れたのは、一人の少女。
白銀の衣に身を包み、長く流れる黒髪は光に淡くきらめいていた。
その瞳は夜の湖のように澄んでおり、ひと目で俗世の者ではないと感じさせる気配を纏っている。
「ご紹介いたします。遠見の巫女、イリーナです」
カティアの声に促され、イリーナは静かに一礼した。
「初めまして、エルヴァン陛下」
その声音は穏やかでありながら、どこか遠い。
この世の理に属しながら、同時にその外にも立っているような、不思議な隔絶を感じさせる。
(……なんと美しい)
肌は白銀の月に照らされたように透き通り、瞳には一切の穢れを寄せつけぬ光が宿る。まるで神の意志が人の形を借りて顕現したかのような、そんな神聖と静謐が同居する存在。
(セリスとは異なる……だが、根は同じだ)
(人では到達できぬ高みにある者……だからこそ、手に入れる意味がある)
心の奥底から湧き上がる欲望。
その清らかさを穢したいのではない。ただ、自分のものにしたい。完全に、誰の手にも渡らぬ形で。
(力も、美も、そのすべてを……いずれ我が手に)
だがエルヴァンは、その衝動を表に出さなかった。
焦りは敗北。まずは、彼女が本物であるかどうかを見極める。
微笑を浮かべたまま、王はゆっくりと彼女に歩み寄る。
「……君の力を、少しだけ見せてくれないか?
もちろん、君の意思で構わない。私は、それを尊重しよう」
声音は柔らかく、品格すら感じさせる。
だがその奥底には選択肢など最初からないという確信が、冷たく横たわっていた。
イリーナは、まだ気づかない。
その優しさの奥に潜む支配の意志を。
カティアだけが、王の笑みにわずかな歪みを見て取った。
イリーナの前に立ったエルヴァンは、声の調子をわずかに落としながら、穏やかな口調で語りかけた。
「君の力を借りたいのだ。我が国のどこかに、神に選ばれし者がいる。私はそれを見つける必要がある」
イリーナはわずかに瞬きをし、首を傾ける。
「……王都全域を視るのは可能です。ですが、国のすべてとなると……あまりに広すぎます。どこに焦点を合わせるべきか、ご指定いただけますか?」
エルヴァンはほんの一瞬だけ、沈黙する。
(捨て駒として動かした連中の中に、もし芽があるとすれば……)
彼の脳裏を過ぎったのは、王命で遠征させた騎士団の姿だった。
本来、戻ってこないことを前提とした間引きの対象だが、もしその中に神の駒が紛れていたとすれば、話は別だ。
「……騎士団を視てほしい。先日、派遣した部隊がある。
その者たちの中に、神の気配を帯びた者がいないか、確かめてほしい」
イリーナは静かに目を伏せ、祈るように手を組んだ。
「承知しました。彼らの氣と魂を辿ります。……少々、お時間をいただきます」
その瞬間、周囲の空気が張り詰める。
巫女の意識は内へ、深く、遠く。魂の海を通じて、遠征先の彼らへと接触を試みていた。
騎士たちの氣と魂の痕跡を、一人一人確かめる。
鋼の意志、忠誠、怒り、恐怖、諦め。多くの想念が重なる中で。
「……一人」
イリーナの唇が、静かに開いた。
「一人だけ、神の光に触れている者がいます」
その声に、エルヴァンの瞳がわずかに細まる。
「誰だ。その名を」
イリーナはゆっくりと目を開き、確信をもって答えた。
「ミリアム。王国騎士団に所属する若き女剣士です。
彼女の魂には……選ばれし者の痕跡があります」
「ミリアム……?」
エルヴァンはその名を思い返す。
確か、かつてあの男カインの傍にいた若き騎士。
彼を師と仰いでいた、忠実で実直な小娘だ。
イリーナの口からその名が告げられたとき、エルヴァンの瞳がわずかに輝いた。
その表情には、予想外の拾い物に出くわした狩人のような喜びが浮かんでいる。
(なるほど……運命とは実に面白い)
口元に笑みが浮かぶ。
それは王としての威厳ではなく、人を弄ぶ者の笑みだった。
(かつてカインを敬い、その剣に心酔していた忠義の騎士。
その彼女が、今は神の光を宿す可能性を持っているとはな)
エルヴァンは椅子に身を預け、指先で軽く肘掛けを叩いた。
(……これは使える)
(あの女を洗脳し、神に選ばれし忠実な兵に仕立て上げる。
彼女がかつて敬愛した男に剣を振るわせる。いや聖なる使命として殺させる)
考えるだけで、愉悦が込み上げてくる。
義に篤く、弱さを許さなかったミリアムの純粋さすら、逆に隷属に適していると、エルヴァンは直感していた。
(強い信仰は、別の信仰にすげ替えればいい。
神のためという枷さえ与えれば、自ら進んで命を捧げる駒になる)
決して裏切らぬ理想の兵として。
「……楽しみが増えたな」
小さく呟いたその声は、玉座の間にいる誰にも届かない。
だが確かに、そこにあったのは王の喜び。
世界を意のままに支配するための、新たな遊戯の始まりだった




