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 ワタシが眠りから覚めたのはその物音を聞いてすぐだった。それまで薄暗かった格子の外が、一気に明るくなる。


「おはよう」


 声の主はやっぱり『おはようの人』だった。毎日のように聞こえるその声。何時しかワタシの記憶は、『ホームページの人』から『おはようの人』に変わっていたのだった。そしてその人の声が聞こえれば、それは食事の合図でもある。ワタシは嬉しさから格子の箱の中を駆け回る。


「おなかすいた! おなかすいた! 早く食べたい!」


 空腹のお腹がワタシの心を代弁する。ワタシは冷たい格子の扉に噛り付き、執拗に格子を揺さぶるのだった。ワタシの自由を奪う憎たらしいこの檻。そんな苛立ちから噛り付くという行為に拍車をかけていたのかもしれない。もちろん、そんな非力な抵抗で、この頑丈に閉ざされた格子の扉が開くわけも無い。あとは『おはようの人』がその扉を開けてくれるまで、ただ黙々と揺さぶり続けることで、意思表示するしかないのだ。何故ならワタシの声は永遠にあの人に届かない。そう、記憶が教えてくれるのだ。


「はいはい、ちょっと待ってね」


 すると、『おはようの人』が格子の扉に手をかけた。ついにこの時がやってきた。開かれた格子から飛び降りた瞬間、ワタシの自由なひと時がやってくる。


「ぷぅ! ぷぅ! ぷぅ!」


 ワタシは大はしゃぎしながら鼻を鳴らし、喜びを身体で表現する。駆け回っているワタシを『おはようの人』は笑みを浮かべ見つめながら、あの格子の檻の中を丁寧に掃除してくれている。


「早く! 早く!」


 食事にありつきたいのは山々なのだが、掃除が終わるまで美味しいご馳走にはありつけない。何故ならいつも掃除が終わらなければ食事の準備をしてくれないからだ。悩ましいひと時でもあるが、これはむしろメインディッシュの前菜といった所なのだろうか。


 ならば、ワタシも馬鹿ではない。そんな悩ましい時間も有効に利用するのである。ワタシは食事までのこの自由なひと時を、日ごろの運動不足を解消するかのように、本能のまま駆け回り存分に楽しむのだった。


「はい、キャロ、お待たせ」


 鈍った身体能力を解きほぐすかのように駆け回っていると、そのうち聞こえてくる言葉。その声を聞いたワタシは『おはようの人』に向かって突進した。それはいよいよ食事の用意が出来た知らせなのだ。


「待って、待って。キャロ、はい、立っち!」


 ワタシが『おはようの人』の側に駆け寄ると、その人はワタシの大好きなお菓子を頭上で見せびらかす。届きそうで届かない、なんとも微妙でもどかしい距離だ。そんなことから、ワタシはいつしか『立っち』の声と共に、ひょいっと前足をあげて立ち上がる習慣が身についていた。


「よくできました」


 すると、いつものようにお菓子を差し出してくれた。本当に面倒なことをさせる人だ。この自然界で何の意味がこの動作にあるというのか。ま、そんなことはどうでもいい。とりあえず食べるとするか。


 食事中も満面の笑みを浮かべ、ワタシの頭や背中を優しく撫でてくれる『おはようの人』。その温かい手に触れられると、何だか落ち着いてとても気持ち良い。だが、ワタシにとって優先順位は食事なのである。何故ならこのチャンスを逃し、食べ物にありつけなくなれば死活問題だからだ。ワタシはモグモグとお菓子を頬張りながらふと考えた。


 ワタシは何も分からないうちに、この『おはようの人』の居る場所へやってきた。始めのうちは不安で一杯だった。この人を信用する事など簡単にはいかなかった。


 ただ、ワタシは今までこうして生きている。それはこの人が、ワタシに生きてゆくために絶対必要な食事と飲み物を与えてくれているからだ。もちろん、その為には先ほどの『立っち』のような無意味な指示を守らなければならなかったが……。


 今がまさにそうだ。檻の外に解放され、自由気ままに駆け回り、お菓子を頬張った数分後、格子の箱へ戻ると、ワタシの食卓にはちゃんと牧草や果物が用意されている。それがワタシの生活になっていた。それだけではない。その他にも『キャロ! おいで』という呼び声がすれば、一目散に駆け寄るといつもと違う時間にお菓子を貰える事もあった。


 そうそう、何より忘れられないのはオシッコする時だ。言われた場所ですればいつもと一味違った極上のお菓子を与えてくれたのだった。毎日このお菓子でもいいのにトイレの後でしか与えてくれない。しかも悪ふざけして場所を変えるとお菓子だけでなく温厚な『おはようの人』が怒って機嫌を損ねる。この人は人間でいう所の女なのだ。メスの性分なのか何となく嗅覚で分かった。


 ふと、気づけばワタシは人間と何ら不自由なく過ごしている。この人はワタシと温かなコミュニケーションを取ってくれる。だからこそワタシは今生きている。生きてゆく為にワタシがこの人に逆らう理由は無くなっていたのだ。そして、何よりもこの人と触れ合える時間が、ワタシにとって大切な居場所であり、大好きな時間となっていたのだ。


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