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今日からは毎日19時半に投稿します
だだっ広い平原。
第六世界を端的に表すのなら、そうとしか言えなかった。
親父やシアの話によれば、「冒険者からすればまともな方」なのだとか。
とはいえ、初めての異世界であるサツキにとってそんな事実は関係なかった。
踏みならされた道があり、周囲は木々と草が地表を覆っている。空気は澄んでいて、明らかに規定世界とは違う。そもそも澄んでいるという感覚自体がなかったからだ。サツキはシアに教えられて初めてこの言葉を知った。他にも、規定世界になかった色を表す言葉をたくさん聞いた。
「なぁシア! あれは!?」
「木の幹は……くすんだ茶色かな」
シアの言葉を聞くとサツキは内心で何度か復唱した。「そういうもの」と心が理解すると、走り出してくすんだ茶色の木の幹を触る。
荒い感触と、木の重さが掌に伝わってきた。揺れる木々の葉が自分に挨拶をしているような気がして、見上げて小さく微笑んだ。
「……よくよく思えば、規定世界から出てきたばかりの子と話すのは初めてだったかも。冒険者になってある程度経ってれば最低限の知識はあるわけだし」
「仕方ないだろ。多少は親父たちから聞いてたけど、見たことのない色が想像できるわけないんだから」
緑とか、茶色とか、いわゆる自然に存在する色の言葉は聞いていた。だけど、それをいつ使うのか、なにがその色なのかは知らなかった。他の感覚にしてもそうだ。土の感触や草の匂いなど、規定世界には存在していなかった。あれらはまさしく無なのだ。存在を知らなければ、無であることにすら気づけない。
「それは……そうだけどさ。でも、こっちの常識を殆ど知らないのもまた事実だよね。このお姉さんが全部教えて差し上げよう。先輩と呼んでくれてもいいんだぞっ?」
「シア、頼んだ」
「ちぇーっ……」
シアはなにかにつけて自分をお姉さんと呼ぶが、サツキはそれを容赦なく切り捨てている。さすがにこれをお姉さんと呼ぶ気にはなれなかったのだ。とは言っても、常識には興味がある。知りたくても知れなかったことを知りたい。その願いがサツキの足をひたすらに動かしていた。
「さっき言ったし知ってるとは思うけど、ここは第六世界。自然が多く、自由な世界だ。冒険者にとって住みやすい世界でもあるから、住人には冒険者って人も多いよ」
軽快な足取りでサツキの前を歩くシア。
くるりと半回転し、後ろ向きに歩くかたちになって続ける。
「各地にある遺跡や、この世界で二番目に大きい都市・ミカレスタにある塔で貴重なアイテムを入手できる環境も、冒険者が多い理由の一つだね」
「ミカレスタ……聞いたことがあるな。親父も確か、そこの塔を登ると言っていた」
「別名『塔の街』だからね。塔を目指すなら必ず目的地になるよ」
各世界に一つ存在する巨大な塔。それはサツキの親父が目指した場所だった。プレローマの外へ行くためには避けては通れない試練だ、と何度も聞かされたのを思い出した。
「ということは、俺らも行くことになるんだな」
サツキの問いに、シアは力強く首肯した。
「でもまだまだ遠いから、今の目的地は近くの街かな。ミカレスタに行く冒険者が準備を整えたり、彼らに向けて商売をする商人がいたりして結構賑わってるんだよ」
「俺ら、完全に手ぶらだもんな……特に俺はまだ制服だし」
「ふふっ。私は好きだけどなー? その格好。似合ってるよ」
可憐な少女にそんな褒め言葉を頂戴したことがなかったサツキは、顔が熱くなるのを感じた。それを表す言葉をサツキはまだ知らなかった。
「け、けど、やっぱ冒険者っぽくした方が良いだろ! 手甲とか、革鎧とか!」
「それも大事だよね。いざという時に制服じゃ防御力が心許ないし」
「そう! その通りだよな!」
サツキは現在無一文。防具はシアに買ってもらうことになる……というのを頭の片隅に置きつつも、憧れた防具のために熱弁が止まらない。
「でも……まずは防具なしで戦わないといけないみたいだ」
しかし、シアは目を細め、足を止めた。
その声色は一瞬にしてサツキを現実に引き戻すほどに冷静。すぐに振り向くと、前をじっと眺めた。
「ん? どうしたんだ?」
サツキの身体は震えていた。そして、すぐに違うと分かった。
震えているのは、地面の方だ。
「何が起こって——!?」
——直後、前方の地面が隆起した。
その膨らみは段々と大きくなり、大地を割いて何かが〝産まれた〟。
それは黒い動物のようだった。それは四つの足を地につけていた。それは敵意に満ちた目で牙を剥いていた。
「あ、あれって……」
生存本能が警鐘を鳴らす。警備隊の隊長とはまた違う恐怖。たとえるならそれは、この世にいてはいけないものを直視している心地。
姿形が、かつて親父から聞いたそれと酷似——いや、全く同じであると気づいたのは、すぐのことだった。
「魔獣だよ。プレローマ全域で予兆なく発生する敵。冒険者は塔や遺跡で宝を手に入れることだけが仕事じゃない。一番多いのは、間違いなく魔獣の討伐さ」
すると、次々に地面が隆起し、割け、魔獣が産まれた。あっという間に数は増え、合計で五体になった。それぞれの大きさは異なるが、光を飲み込むような黒色をしているのは同じだった。
「グルルル……」
頭から生える二本の歪な角は剣先を思わせる鋭さ。それが五体分並んでいるとなれば、不意に自分の身体が貫かれる光景が想起される。
「〈氷よ、爆ぜろ〉!」
その詠唱の次の瞬間、小さな氷の欠片がいくつか放たれた。
風を切って飛んだ欠片は魔獣が動く前に獲物まで辿り着き——爆ぜた。
一瞬にして三体の魔獣は氷に包まれ、身動きが取れない状態になったのだ。
「あと二体!」
魔獣たちがようやく動き始め、唸り声を上げながらシアの回りを走る。どうやらタイミングを伺っているようだ。
「グルッ!」
「〈炎よ、駆けろ〉!」
一体が勢いよく跳ね、シア目掛けて飛びかかった。
口の隙間から覗く赤黒い牙がシアの柔肌を割く——はずもなく、空中に現れた炎の球が魔獣の口へと入り、身体の内側から焼き尽くした。
火だるまになった魔獣はみるみるうちに形を失い、粒子となって消えていった。
「よしっ!」
だが、その時。サツキは明確な違和感を覚えていた。もう一体はどこへ行ったのか、と。
直感に従い振り向いた先には、急接近してくる魔獣がいた。須臾の間に彼我の距離は縮まり、サツキが抵抗する手段を模索する暇もなく魔獣は跳躍する。
「サツキくん!」
「シアに助けられなくともッ!」
乱暴に、策略から最も遠い行動をサツキは取った。
かつて警備隊長を倒した魔法のような攻撃——つまり殴打だ。短絡的ではあるが、間違いなく最も簡単な答えであり、サツキが持つ唯一の反撃手段なので仕方がない。
(親父みたいに剣でかっこよく戦えれば良かったんだがな……)
そんなことを思いながらぎゅっと目を閉じ、ただ手に伝わる感触を感じる。それが痛みでないことを祈りながら、だが。
「グルッ……」
魔獣の断末魔が聞こえ、手に重さがかかる。
生暖かい液体が拳を覆い、握った指と指の間に入り込む。——それが、握った手の中に異物が紛れ込んでいることをサツキに教えた。
「すごい……やっぱりサツキくんを選んだのは間違ってなかった……!」
サツキは目を開く。
目に飛び込んできたのは、魔獣が空中で——サツキの眼前で鮮血を流している光景だった。
「うわぁ!?」
その奇妙さに思わずたたらを踏む。すると、動きと同時に魔獣の死体も動いた。どうやら同調しているようだ。
そこで、ようやく何があったかを把握した。
「俺の手に……剣が……」
「サツキくんが魔獣を殴ろうとした瞬間、突然生えてきたんだよ。それが上手いこと魔獣に刺さって絶命、って感じだね」
シアの説明を聞き、数秒かけてサツキは状況を理解した。
つまり、手にあった異物とは剣の柄だったのだ。空中に浮いているのではなく、剣が刺さっている。手にかかった重さはその死体だった。
いつまでも魔獣の死体を掲げている訳には行かないと思い、血振りの要領で死体を振り落とす。地面に転がった死体もまた、黒い粒子になって空気に溶けていった。
そして、刀身が露わになる。
「——黒い、剣」
一欠片の曇りすらない、美しい黒だった。どこか妖しげでありつつも、馴染み深いような感覚。なにより——憧れが叶ったという事実が胸を満たす。
「なんだか嬉しそうだね。目がキラキラしてるよ」
「そ、そうか? そんなことないと思うが」
口はそう言いつつ、自身の口角が上がっていることにサツキは気づいていた。頑張って抑えようにも、込み上げてくる喜びがそれを許さなかった。
剣を太陽にかざす。剣の影が視界を暗くする。それが、剣をより一層輝かせた。
「……てか、これってツルギの剣か」
「だね。規定世界で腕に刺さっていつの間にか消えた剣と全く同じだよ」
あの時は謎だったが、今になって再登場するとはサツキも思っていなかった。お陰で命を救われたのだから、ツルギにも感謝しなければいけない……かもしれない。
「まさかこれを見据えて……な訳はないよな」
冗談交じりにサツキは言う。意見を聞こうとシアに目配せすると、明後日の方を向きながら肩をすくめた。
ツルギとは、規定世界の秩序を守る秩序の塊のような男のはず。誰よりも秩序たる人間が、そのようなことをするとは考えにくい。
「それじゃあ、そろそろ出発しよっか。日が落ちる前には着けると思うよ」
「だな」
思考を端に置き、サツキたちは再び草原を歩き出した。
魔獣の死体は既に消え、戦闘の痕跡はどこにもなくなっていた。
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