32
「は……? 主様……?」
質の悪い冗談に思えた。
サツキの目の前で嬉しそうにはにかむ少女は、管理者代理アトラ本人であろうが、尚更不快になる。
(シアを奪われて……俺は苦しいのに……こいつは……)
「冗談などではございませんよ。しかし……信じて頂けないのであれば、証明してご覧に入れましょう。こちらへ」
アトラはサツキの腕を掴んだまま、部屋を出て歩き出した。
証明するというのなら抵抗する意味もないと思い、サツキは静かに従う。
廊下はどこまでも続いていた。突き当たりが見えないほど、遠い。等間隔でドアが並び、右側には窓がある。おかげで暗闇ではないが、薄暗いように感じた。
「そんな顔なさらないでください。大丈夫です。魔術で移動しますから」
「っ……」
サツキは内心を見抜かれ、背筋がゾッとした。ただ遠くを眺めていただけだと自分では考えていたからだ。
管理者代理を務めているだけはあるな、と感心し始めている。
「俺……嫌そうな顔してました?」
「別にあからさまだったわけではないですよ。ただ、私はちょっぴり人の気持ちを受け取るのが得意なんです」
真紅の瞳をサツキに向け、片方だけを閉じた。いやらしくない程度だが、自慢なのだと伝わる。
サツキは自分の得意なものは何か——と考え、何も思いつかなかった。第一、大事な人をみすみす奪われた自分が、得意なことを誇れはしない。
「あっ、私に敬語は必要ないですよ。先程も申し上げた通り、あなたは主様。主人なのですから」
「……年齢は、いくつなんだ?」
「私は十四歳です。恐らく主様より下でしょうし、砕けた口調で構いません」
実際、サツキは十五歳であり、年齢で言えば上。従わない道理はないように思えた。というより、有無を言わせぬ圧が静かに発されている。
サツキはひとまず受け入れることにし、口調を改めた。
「……そうか。分かった」
「うふふっ。ありがとうございます。では——行きましょうか。〈主よ、お導きください〉」
次の瞬間、廊下がぐにゃりと歪み、二人は沈み始めた。
サツキは力を使っていない。右手を一瞥すると、淡く煌めきを放っていた。
「ご安心ください。主様の御力なのですから、身を委ねて構いませんよ。私は主様に願っただけです」
アトラが言い終わると同時に、身体は石造りの広間に落ちた。
ぬるっと抜けてきたので怪我はなかったが、泥のようになった床を通り抜けて落ちる経験などしたことなかったサツキは、現実感のなさに少し動揺していた。
「こ、ここは……?」
「謁見の間でございます」
謁見の間——つまり、高位者に拝謁する場所ということだ。
それを裏付けるように、中心には赤い絨毯が真っ直ぐに伸びている。奥には一段の段差があり、壇となっている奥には大きな椅子が一つ。説明されずとも、それが「玉座」であることは察せられた。
ひんやりとした空気が全身を包む。厳粛な場である証左だろう。
「さぁ、どうぞお座りください」
「ちょっと待て。俺が座るのか? この第六世界の中心にある城の玉座に? この世界の頂点は管理者だよな?」
「? 当然では? 主様は間違いなく、〝第六世界の管理者〟なのですから」
——あぁ、言われてしまった。
サツキはそう思った。
魔術を詠唱せず、この世界を変えられる人間などいない。詠唱して初めて炎は空中に現れ、形を変え、世界を変える。水は、風は、土は、魔術によって操られる。
火を起こし、水を汲み、風が吹き、土を掘る。マナを介さずそれらを使うのは、操るとは言えないのだ。
なら、詠唱をせず、世界に願い、変えるのは誰か。
それは誰もが知っている——管理者だ。
サツキ自身、薄々勘付いていた。土の魔術を水に変え、塔で世界を自分のものにして、コンクリートでサーフィンして。そんなの、異能がなければ出来ない。
「お願いです。どうか、玉座へ。私たち臣下をお導きください、主様!」
「そんなの……無理だ……俺が導いてほしいくらいなんだよッ!」
嫌なくらいに、その怒声は響いた。どこかに反響して、醜い感情の吐露をサツキの耳へ重ねて送り届ける。
残響が耳の奥で蠢いて、脳みそが食われる気さえした。
「……申し訳ありません。私も少し、焦りすぎていたようです」
寂しそうに目を伏せるアトラ。自省していることはすぐに分かる。
自分よりも年下の子に、そうさせたという自覚が、事実が、サツキの胸を締め付けた。
「今すぐに管理者としての態度を求めることは致しません。ですが、その身の力をどうかお認めになってください。あの座は、あなただけのものですから」
「認める……」
目が覚めてから、サツキは自分の全てを否定していた。
選択を、実力を、感覚を、未来を、否とした。
けれど、この力だけは認めなければならない。存在している。見えなくても、サツキのものであり続けている。
「少しくらい、そろそろ認めてもいい頃か」
段差を上がり、レッドカーペットの上を歩く。
足から返ってくる感覚はふわふわとしていた。誰も歩いたことのない、ただ一人のための玉座。
つま先が触れるほどの距離でサツキは振り返った。
日が落ちたのか、ほとんど灯りのない謁見の間に、アトラが跪いている。一人だけの臣下なのだ。
「ふぅ……」
覚悟を決め、肘置きに手をつき、ゆっくりと腰を下ろす。
硬い椅子は快適とは言えないが、どうにも居心地の良さがあった。いるべき場所だとサツキは確信めいた直感があった。
「——ここに、新たな第六世界の管理者が誕生しましたこと、お慶び申し上げます」
顔を伏せたまま、アトラは言った。
十四歳が出せる雰囲気ではない。サツキよりもずっと大人びていて、ずっとしっかりしている。
「そんな堅苦しくなくていいよ。俺は……そういうのが得意じゃないんだ」
「なら——おめでとうございますっ!」
顔を上げ、嬉しそうにアトラは笑った。年相応の、幼気な表情をしている。
つられてサツキの口角も上がった。エディンに来て笑ったのは初めてだ。
『管理者の着任を確認——ようこそ、第六管理者。プレローマの答えとなり、万民を導くことを願っています』
塔の時に似た声が、サツキの頭に聞こえた。
耳から入ってくるそれではない。頭の中で生まれたと思えるほど、直接的だった。
「では、主様。お名前を教えてくれますか?」
「サツキ。サツキ・アルヴェルクだ」
「うふふっ……良い名です。気に入りました。よろしくお願いします、サツキ様」
僅かな光がアトラに降り注ぐ。
膝をつき、恍惚とした表情で祈る姿は、間違いなく〝聖女〟と呼ぶに相応しかった。
管理者と聖女。第六世界の最高権力者たる二人が、ここにいる。
「サツキ様。どうか、これまでの旅路をお教えください。どこで生まれ、どう生き、ここに戻ってこられたのか」
「……俺はさっき、仲間に裏切られたんだ。それで相棒を攫われて、一人でここに来た。だから……まだお前を信用できない」
信じたい。胸の内を曝け出してしまいたい。
だが、サツキは怖かった。優しさや善意につけこまれるのが恐ろしかった。我儘だと分かっていながらも、何も話したくない気持ちだった。
「私は協力を惜しみません。サツキ様は私の主なのですから。信じていただくためなら何だって致します」
「今だって怖いんだ……隠してるナイフが飛び出てくるんじゃないかって……」
出会った直後より冷静になったからこそ、銀の煌めきを無意識に探している。袖、ポケット、足……あらゆるところに注意が向いてしまう。
「ならば——」
アトラは服のボタンに手をかけた。
——パチリ。
一つずつ、外れていく。衣擦れの音が反響もせず静かに消えていく。
「なっ、なにを……」
「信頼は簡単に築けるものではありません。ですが、私たちは運命で結ばれています。この身は管理者であるサツキ様に捧げるのです」
アトラは、着ていた服を全て脱いだ。
鎖骨から胸、腹、下腹部——足のつま先まで、全てが露わになる。
白磁の肌は芸術品の如き脆さと儚さを秘めていた。強く触れれば割れ、崩れ落ちてしまいそうなほど、細い。
「これでよろしいですか? 武器などは隠しておりません。魔術が怖いのでしたら、剣か何かを突きつけても構いません」
サツキは、一切の感情が湧かない自分に恐怖さえ抱いていた。
考えるのが嫌になっていた。アトラの言葉に唯々諾々と従い、剣を出現させ——肌に触れる前に下ろした。というより、力を抜いた。
「どうして……そこまで出来るんだ。俺なんかのために」
「——私、寂しかったんです」
「さみ、しい……?」
「小さい頃から魔術が使えて、仕事もテキパキ進められて、家族や周りの人に褒められて。いつしか、いずれ現れる管理者を支えたいと思うようになったんです。ここで働き始めて、主を信じる心が認められて管理者の代理になって……四年が経ちました」
サツキは眩しかった。希望を見て努力してきた少女の夢が。目を背けたくなるほど明るくて、でも目が離せなかった。アトラの瞳には、サツキも見ていた憧れが映っていたから。
「ずっと、一人だったんです。立場というのは、人を孤独にします。そこにやっと現れてくださったのがサツキ様——あなたです。だから……一人にしないでください……一緒に分かち合いたいんです……!」
あらゆるものを隠さず、ありのままの姿で吐露された感情は、嘘に思えなかった。もしこれが嘘ならば、真実はどこにもなくなる。ベールを剥いで見えるものが嘘ということになる。
サツキは信じることに決めた。自分の目を。マナを。
「分かった。話そう、俺の全てを」
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