29
ライアがサツキを侮蔑的な目で見下ろしている。
その横には怪しいフードがいて、シアはナイフで脅されている。魔術を使おうものなら、首に赤い線が走るのだろうというのは想像に難くない。寸分の詠唱も厳しいはずだ。
ライアは言った。シアを殺す、と。従えばお前は助ける、と。
今の状況を整理してもなお、サツキは理解していなかった。豹変と言うことさえ難しいほど変わり果てた。一瞬で。
「選んでよ。従うか、死ぬか。あたしは答えを聞きたいだけなの」
サツキが疑問でいるのは、ライアの口調からどうにもやる気を感じないことも影響している。渋々なのではないかとさえ感じた。嫌がっていると言っても良い。
「話し合わないか? まだ交渉の余地はあると思うんだ」
「ない。陛下の命令は絶対だから」
「……独裁ってのは本当なんだな」
「だね」
会話を避けようとしている。サツキの目にはそう映った。
即ち悪手。動揺を誘えるほどの話術はない。これ以上は機嫌を損ねるだけと判断した。
「戦うしかないのか?」
「そうだよぉ? 皆も、用意はできてるよねっ?」
ライアの問いに、三人ともが力強く首肯した。
是非もなし。ならば——と、脳裏にあるべき姿を描いた。
「なっ、なにこれ!?」
ぐにゃりと車両が歪み、座席や机が床に溶けて沈んでいった。
その分は車両を繋ぐドアを封じるのに使い、剣を振り回せる広さの戦場が完成する。
「サツキこんなことできたの!? ちっ、想定外だよぉ……!」
苦虫を噛み潰した顔でライアが呟く。
未だ首にナイフがあるシアも小さく頷いた。
お前は反応しなくていい、とサツキは言いたくなったが、視線を送り返すだけに留めた。
「相手が誰であろうと、シアを傷つけるつもりなら——俺は本気で戦う」
狙いはシアを脅すフード。車両の奥側、ライアたちに守られるようにして、壁際に立っている。
ならば、サツキの力でどうにでもなるのだ。
——サツキは剣を向けた。
刹那、ナイフを持つ右手が壁から生えた腕に掴まれ、叩きつけられる。
「いっ……!?」
反動でナイフが手から落ちる。床で跳ね返る前に、床の中へ埋め込んだ。
シアはその隙を逃さなかった。
「〈水よ、穿て〉!」
水が現れ放たれる——と、誰しもが思っただろう。
だが現実には何も起きない。今まで窮地を救ってきたシアの魔術は、虚空に雲散霧消した。
「あっ、あれ……どうして……」
「チャンス! ほら、二人ともそいつを拘束して。壁から離れて真ん中で。隙間ないように」
「ちょっ——やめて!」
助けなきゃ。
思考は巡る。分かっている。
だが、サツキの目に映る残酷な事実が、身体を動かすことを止めていた。頭の中を動かすことで精一杯になっていた。
(魔術を詠唱した瞬間……背中の模様が煌々と光った……! 魔術に必要なマナを封じ込めるように……!)
魔術として形を変えるはずのマナは、籠の中へ閉じ込められた。
飼い主に呼び戻されたかのように。
今やシアは二人がかりで腕や身体を動かせないようにされている。猿轡をつけられ、声さえまともに出せない。
「っ~~!!!」
ぼんやり〝さつきくん〟と言われた気がしていた。
剣を握る手に力が入る。
「いい加減に——しろッ!」
指示をしている以上、ライアは指揮官と言える。リーダーを倒せば話は早いはずだ。
だから、まずは魔術師であるライアを倒そうと決めた。魔術を使うなら接近戦に持ち込むほうが良い。剣を喉に突きつける程度はするつもりだ。
「サツキぃ、あたしのこと、分かってないね?」
ライアの口の動きは、魔術を詠唱するそれではない。サツキに向かって喋りかけているだけだった。
とんっ。ライアは右足の踵で軽く床を叩いた。
刹那、サツキの左側に靴が迫る。先端には鋭利な刃が顔を出していた。
あまりに早い蹴りに反応が遅れ、咄嗟に後ろに転がるようにして回避した。
「反射の速度は早いね。くふふっ、でもこれで近づけなくなっちゃったよぉ?」
ライアは左の袖から長いナイフを取り出した。剣よりはかなり短いが、狭い車内では剣よりも扱いやすい。
「近づいてこないなら、あたしから行くよ? なにせ早く仕事を終えたいんだもの」
そう言いながらライアはナイフを投げた。
真っ直ぐに空中を突き進むその刃を、サツキは床から壁を作り出して防ぐ。
一安心したのも束の間。木製の壁を突き破り、どこからか取り出したナイフが右手に硬く握られていた。
剣を振るも、素早い身のこなしで避けられる。攻撃を繰り出す度に距離が縮まっていく。
「もうあたしの間合いだよっ!」
首を目掛けて突き。
身体をよじって躱す。
斜めに振り下ろされれば、一歩引いて回避する。
それは何度も続くものではなかった。頬を浅く切られ、服に掠り、いよいよ一歩も引けないほど追い込まれる。
「あぁもう——!」
サツキは選んだ。やはりライアを殺すことは出来ない。
天井の木を使って、ライアの四肢を拘束する。
青空の下、ライアは壁から伸びる木に手足を掴まれた。
「ぐっ……ちゃんと強いね。あたしの力じゃ抜け出せそうにないや」
そう言いながらも苦笑いを浮かべていた。
目には微かに喜びが揺らいでいる。
諦観。それがよく似合う表情だった。
「あーあ……あたし負けちゃった」
次いでシアを縛る二人を木で引き剥がす。
かなり強い力で抵抗されるが、しかし異能には敵わない。ライアと同じ格好で縛り付け、身動きの取れないようにした。
「はぁっ……はぁっ……」
力が抜ける。
シアを助け、ライアを縛る。これで状況は解決した。
簡易的な椅子を作り出し、そこに腰掛けてサツキは空を見上げる。
「あとはエディンに到着してから考えよう……」
サツキは何も考えたくなかった。裏切りなんて人生でそう経験するものでもない。いつから裏切るつもりだったのかも分からない。
ただ、空は青かった。サツキの胸中を埋め尽くす曇天を嘲笑うようだった。
「——い」
「……ん?」
ふと、ライアの口から何かが零れた。しかし声は別人に聞こえた。
身体を起こし、剣を出して眺めていると、さらに動きがあった。
「許さない——わたくしの依代となる四大公爵でありながら! このわたくしを裏切ったことを!」
「わたくし……? お前誰だ!?」
いつものライアとは違う傲慢さが滲んでいる。人を見下す、という程度ではない。己が世界の頂点であると確信し、人にそう感じさせる声色だ。
「サツキくん……! そいつは第三世界の女王ジヴリナ! ライアちゃんはジヴリナに憑依されたの!」
シアの言う通り、一人称さえ女王らしい高貴さに変わった。四大公爵も、ライアが説明していた。
「……第三世界の四人しかいない貴族、依代か」
「おほほ! そうね、マヤは四大公爵よ? わたくしの手足、あるいは目であり耳であり口である、ね」
「マヤ……? ど、どこかで聞いた覚えが」
「その通り。あなたのクラスメイトのマヤちゃんよ。本名はマヤ・ライア。ずーっとあなたの傍にいたの。わたくしの可愛い傀儡ちゃんが」
ライア——いやジヴリナは、四肢が動かないはずなのに、余裕で、傲慢で、憐れむような笑みを浮かべていた。
丁寧に答え合わせをしている。自分が出題者で、サツキは回答者でしかないのだ、と。
思い返せば、マヤはサツキのクラスにいた。黒髪ツインテールで、秩序らしくない陽気さを持った少女だった。確かに、ライアと似ていた。
「さて、サツキ。あなた、わたくしの仲間になる気はない?」
「いったい何を言って——」
「もし仲間になるなら、あなたの命は保証してあげるわ」
「シアの命の保証は?」
サツキが問いかけた瞬間、ジヴリナは歯を剥き出しにして怒鳴った。
「——するわけないでしょう! その悪魔を! 虐殺の大罪人を!」
「な、なんの話をしてるんだ!? 虐殺……?」
「サツキくんっ!」
ジヴリナの向こうで、シアの声が聞こえた。
涙を流し、必死に叫んでいる。
「ご、ごめん……私のせいで……こんな……」
「おほほ! 無様ね、管理者ともあろうものが……あら、〝元〟でしたわね? もっと無様ですわー!」
「ジヴリナの言葉は……別に嘘じゃない、の……」
床に崩れ落ち、暗い顔でひたすら袖を濡らしている。
不意にサツキは思い出した。今みたいな表情を、かつて見たことがある。
——荒くれ者とは酷いなぁ。そんなこと言われても、今の私には〝元管理者〟って肩書き以外は何も無いよ。……というより全部失った。正確には〝没収された〟かな。
薄暗い路地裏、シアは深淵とさえ呼べる瞳で語っていた。
管理者が没収される、という言葉がずっと引っかかっていた。
「……第三世界で虐殺をして、管理者ではなくなった?」
「っ……!」
「そう! その通りよ! 賢いわね坊や、やっぱりわたくしの仲間になるべきよ! おほほほっ!」
シアの瞳から光が失せた。
絶望。終焉。恐怖。
数多もの〝終わり〟が、その目の奥に見えた。どこまでも深い闇で、それは心と繋がっていた。
人の心をもし覗き見ることができたなら、きっとこういう形をしている。どこまでも落ちる穴だ。シアのそれは、きっとサツキよりも深い。
「だから殺すのか? シアを」
「そうね、わたくしはずっと復讐がしたかったの。かつて第三世界の八割を滅ぼされたその恨みを晴らしたくて……今日までずっと耐えてきた! 本当ならあの第六管理者も甚振ってやりたいくらいなのだけれど……」
「俺はずっと気になってたんだ。第六管理者はどこに行ったんだ? 俺は『いない』って聞いてるんだ。今は代理の人がいるが……」
「あら、知らなかったのね。無理もないだろうけど……」
驚いた素振りをするジヴリナ。その奥でシアはまた申し訳なさそうに視線を逸らした。知っていて言わなかったのだとサツキは理解した。残念だとは思うが、思慮があってのことだろう、とも。
ジヴリナが深く息を吸った。そして、続ける。
「この世界、いえプレローマは——時間を繰り返しているのよ。期限は世界が一つ滅ぶまで。その時点で世界は一定の時間まで巻き戻り、新しい世界線が始まるの——滅んだ世界がいない世界線が」
「世界が……滅ぶ……」
「既に滅んだのは第二世界、第四世界、第八世界、第九世界。ちなみに第四世界はそこの女が滅ぼしたのよ。わたくしはなんとか耐えたのだけれどね」
確かに、オルフレッドが語った憧憬の剣の旅路にはその四つの世界が含まれていなかった。
「じゃ、じゃあ、そこに住んでいた人は?」
「さぁ? 少なくとも管理者は死んだわ。〝滅ぶ〟条件はわたくしたち管理者もまだ分かっていないの。管理者の死が一つの原因であることは判明しているけどね」
「なら、かつてシアが殺した人々は今生きてるんだよな?」
「そうね。もちろん、別の理由で死んだ者もいるわよ」
「——なら、俺はシアの味方でいたい。過去の失敗を、罪を、俺は許してやりたい」
「サツキくん……!」
一方、ジヴリナは眉間にシワを寄せた。静かに激情を滾らせ、サツキを睨んでいる。
「へぇ……わたくしと敵対するのね。いいわ、喧嘩は買ってあげる」
次の瞬間、拘束が破壊された。
軽々と、ベッドから起き上がるのと同じだった。
「死に方を考えておくがいいわ!」
瞬きを一つ。
既にジヴリナはいなくなっていた。
「こっちよ?」
背後から声がして振り向くも、いない。
僅かに視界の端を何かが通り過ぎた。ドアの近くの壁にジヴリナが着地しているところだった。遅れて、ジヴリナが押しのけた空気が風となってサツキの頬を撫でる。先程の切り傷はもう閉じていた。
「あらら、見失っていたわねぇ。もしわたくしが刺していたら——もう死んでるわよ?」
「ッ……!」
「〈炎よ、剣となれ〉!」
「そういえば、あんたもいたわね。……魔術は相変わらず発動しないみたいだけど」
やはり、マナは背中の封印が阻害している。
これでは何度行使しても発現しない。
「もう黙ってなさい——よ!」
「っ——!?」
ジヴリナは足の甲でシアの腹を蹴った。サツキの封じたドアに叩きつけられ、酸素が抜ける音がした。
血は流れていない。足のナイフは出していなかったようだ。
「さて——坊や、覚悟はいい?」
直後、サツキの心臓は熱く燃えた。そんな感覚がした。
ドク、ドクと鼓動を感じた。
見下ろすと、紅く黒いものが流れ出ている。床に滴り落ちる速度が、いつもの何十倍も遅く感じた。
「うわああああああああああ!!!!!!」
すると、首を掴まれた。凶悪に歪んだジヴリナの顔が青空を隠す。サツキは床に叩きつけられ、ジヴリナは馬乗りになった。
「この程度じゃ、死に方も選べないわね」
心臓に刃が突き立てられた。
その度にサツキの全身が揺れる。生を後悔するほどの痛みが神経を伝う。
「痛い痛い痛い!!!!!」
「ジヴリナっ……! やめて!!!! サツキくんは悪くないの!!!! おねがい……! おねが……い……」
血が心臓から溢れ出る。生命が逃げ出していく。
未来も、夢も、希望も、一緒くたになって、全てを振り切って去る。
抑えつけられて絞まる喉から出る叫びは、懺悔にさえならない。自分を苦しめる存在への憎悪を焚きつけるための薪でしかなかった。
「全く、マヤも甘いわね。本気を出せばこれくらいは出来たはず。わたくしの力も合わさっているとはいえ、ほとんど彼女の素の力なのに……ま、甘いからわたくしがわざわざ出てきたんだけど」
カチリ、と歯車が合った気がした。
ライアのやる気のなさや喜びの色。それらはサツキたちへの優しさだったのだ。その分、行き場のない怒りが生まれ、痛みに塗りつぶされていく。
「これで良いわね。……ほら、あんたたち起きなさい。仮にも侯爵クラスの実力者がどうしてそこでお昼寝なんかしているの? 死にたいの?」
「「「はっ」」」
「よろしい。じゃあ、そこのゴミを拾って帰るわよ。坊やは放置でいいわ。面白くないもの」
「ま……て……」
サツキが振り絞った声は、確かにジヴリナに届いた。
気だるそうに振り向き、言う。
「わたくしの舞台の上で、元気に踊ってちょうだい。マリオネットになるというのなら、まだ受け入れてあげるわよ。それじゃあ、ごきげんよう」
術式列車から、シアを抱えたジヴリナたちは飛び降りた。
もう、サツキは限界だった。
追うこともできないまま、血の海でサツキは静かに目を閉じた。
「面白い!」「続きが読みたい!」
と思っていただけましたら、
画面下にある☆☆☆☆☆を押して頂けると幸いです!
ブクマも是非!
それらがモチベになります!!!




