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【個別実験・1】
「おい、サツキ。何ぼーっとしているんだ? ペンが動いていないぞ」
「……ん、すみません……」
「次、赤点を取れば留年なんだから、しっかりな。では続きからやるぞ。この部分に関しては——」
俺は夢を見ていた。あるいは、夢を見ていると言っても良い。
名前を呼ばれ、先生に起こされた。微睡みの夢はパチンと割られた。
しかし、この状況はおかしい。俺はシアたちと塔を攻略し、謎の野郎に変なことを言われたばかりだ。
規定世界の学校で授業を受けているはずがない。
そのうえ、更におかしいのはこの瞬間だ。この頃には、既に侵入者——シアは俺の机の周りでうろちょろしている。俺はその動揺を隠しているはずなのだ。
先生に怒られないように廊下を見るが……いない。マナも一切反応していない。
シアが壊してくれたはずの学校に俺がいる。なんとも意味不明だ。
「夢ならいいのに……」
自分で呟いて気づいた。これは夢ではなく実験だ、と。博士はそう言っていた。
「つまり、俺の行動は全部見られてるんだろうな」
俺がどう動くか。それを観察しているに違いない。
塔という不可思議な存在を操れる人間なのだ、納得できるだけの材料は揃っている。
「サツキ、授業中だぞ。静かにしなさい」
この状況を脱するため、ヒントを探すことにした。
アラクネも魔獣もいない世界。倒す相手もおらず、どう抜け出せばいいか検討もつかない。
だが……秘密の多いシアなら、俺にヒントをくれていてもおかしくない。口に出した台詞の一つ一つが、俺を変えていく少女なのだ。
——まさか本当にいるなんて、最初から自分の色を持っている人間が……!
(色、か……)
視線を落とし、机の上の教科書とノートを眺める。当然モノクロで、色と呼べる色はない。
右手に持つペンも0.5ミリの黒シャーペン。
それを持つ腕、も……
(モノクロ——じゃない!)
ツルギを殴った時。奴隷に囲まれた時。俺の右腕は淡く光っていた。
更に言えば、剣を吸収し、いつでも出現させられるのも右腕だ。
そして今も——淡い碧の光が空を映す鏡のように灯っている。
俺の人生の、どうしようもない時にこの手は南極を打ち砕いてきた。塗り替えた。なら、もしかして——
「っ……!」
黒いシャーペンのボディが青色に染まった。
色の波は伝染し、教科書をカラフルにした。
机に木の色を浮かび上がらせ、床を艶のある木材に変えた。
窓枠は銀色に、カーテンは淡い黄色を帯びた。
隠された色が、存在を露わにしていく。
「なにこれっ……!」
「服に色が……!」
「ひいっ!?」
「嫌だ——!」
かつてシアから溢れ出した色が、今度は俺から溢れ出す。
教室を本来の色に還しているのだ。
しかし、クラスメイトは皆否定する。逃げ出すものさえいた。
「なぁ、みんな。なぜ恐れる? 色は世界を儚くも力強く染め上げる。なんで拒むんだ?」
俺の質問に答える人はいない。色と共に恐怖は伝播し、普段なら絶対に揺らがないはずの秩序は鮮明に塗り替えられていった。
もはや教室にいるのは、俺と先生だけだった。
「——サツキ。どうしてか分からないのか?」
「そうだ。俺はずっと色を求めて生きていたんだ。受け入れないなんて……考えられない!」
「席につけ。二者面談を始めよう」
一瞬で理解した。目の前にいるスーツの大人は先生ではない。中身がまるきり異なる。
これはまるで——
「博士。わざわざ俺を一人にして、なんのつもりだ?」
「おぉ! 気づくのが早いねぇ。とはいえ、今は先生だ。先生と呼んでくれ。担任でこそないが、ね」
ガタリ。景色が移り変わり、俺は教室の中心で机を向かい合わせにして椅子に座り、先生と対峙していた。二者面談というのは冗談じゃないらしい。
「……先生。質問に答えろ」
「怖い怖い。まぁ、答えるさ。まずは君の質問の答えだ。——怖いんだよ、変わるのが」
「……は?」
「この規定世界は退屈だ。裏を返せば、冒険のない極めて平和な理想郷なんだよ。魔術もマナもなく、機械と技術で回り続ける、人類の目指す先だ。そこに安住する者は、決して退かない。これが最も平和で安全な形だからだ」
意味が上手く掴めなかった。
これが理想郷——認めたくない。否定したい、しなさいと身体が俺に命じる。だが、事実であることも理解できてしまう。
冒険がない日常は考えられないが、それは危険を孕んでいる。どっちも無くなってしまえば、なるほど確かに平和だ。安全だ。でも俺はそんなの認めたくなかった。まだ俺は冒険を続けたいのだ。
「先生は君を元通りの生活に返すこともできる。全部なかったことにして、削除できる。また高校で人生を生きていける。どうだ?」
「ふざけるな、そんなの御免だ! だいたい——」
「まぁ落ち着け。進路は第一志望の通りにいかないこともある。冷静に比較し、よりよい未来を選ぼうじゃないか」
妙に理知的な口調に、俺は押し黙るしかなかった。
反論してもバカバカしいだけだ。
「まず。規定世界は素晴らしい。人類の叡智が詰まった科学の街だ。病や死さえ存在せず、あるのは秩序とそれを維持する力だけ。一定の幸福を永遠に得られるのだよ」
まるで自慢をされている気分だった。説明ではなく演説。自分の作ったものを「すごいだろ?」と押し付けている。
俺は冷静に振り返る。果たして今と昔、どちらが幸せなのか。
規定世界での日常は、博士の言う通り平和だった。病気になったことはないし、危険もなかった。
第六世界での冒険は、間違いなく苦難の連続だった。寝込みを襲われ、少女を助け、奴隷商に喧嘩を売り、かと思えばパトロンになり。でもその分楽しかったのだ。
「ふんっ、やっぱり俺は冒険者の方が性に合ってる。お前の自慢はもう聞きたくない。飽きた」
「そうか、残念だ……なら、君の右腕の絵筆で世界を塗りつぶしてみせなさい。『俺は世界を変える』と叫び、それを実現しなさい」
「言われなくてもやるさ。俺は、俺の意思で世界を——変える!」
俺は立ち上がり、窓に触れた。白と青の世界を前に目を閉じ、望む世界を瞼の裏に着彩していく。
——世界よ、俺に染まれ。
「やはり、勇者の名は伊達じゃないな」
目を開く。ぼやけた景色はすぐにはっきりと形を得た。
退屈だった規定世界の町並みは——宙に浮いていた。ミカレスタと規定世界を融合させたみたいに、ビルが輪を成している。
近くで見ようと窓に顔を近づけるも、何にも触れない。窓どころか壁ごと姿を消し、桟橋に変わっていたのだ。
一歩、足を踏み出す。眼下に広がるグラウンドは青々しく、塀の外は無限に彩られた俺の理想郷。
「もっと見たい……」
教室の椅子と机を材料に、桟橋をさらに伸ばした。
いよいよ俺の視界は空と街だけになり、学校を桟橋に変えて前へ前へと進んでいく。
「ははっ! あははっ! これが……俺の世界っ……!」
愉しくて仕方なかった。笑いが止まらなかった。
あそこのビルを変えて魔巨の像にしてみたり、近くのビルを三角錐にしてみたり、黄金にしてみたり……
まるで世界で遊んでいるような感覚だった。
「君は勇者だ。その名に見合うだけの力を持っている」
「そう、なんだろうか。俺はまだ実感がない。勇気……俺はそれしかないような気もする」
「違うよ。先生は君が勇者になれない条件を知っている。おめでとう。既に君はその条件から外れている」
「条件……?」
「いずれ分かることだよ。それに、ほら。遊び場よりも冒険がしたいんだろう? 早くそちらに行くべきだ。君ならこの世界を壊すことさえ能う」
「……そうだな。俺は帰るよ。じゃあな、先生。二度と会いたくない」
「それは先生の気まぐれ次第かな」
俺は振り返らず、建物全てを素材に、天まで届く足場を作り上げた。
まっさらになった地平の上で、俺は空に触れた。
「開け、門よ」
一本の亀裂が入り、空が裂けた。その空隙は、規定世界の壁を思い起こさせる。
「——冒険は、まだまだ続く」
虚空に身を委ね——俺の意識は暗転した。
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