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「まぁ、ここまで逃げれば大丈夫でしょう」
「はぁ……はぁ……っ」
学校から逃げること十数分。辺りはモノクロのビルが並ぶ表通りから移り変わり、ビルの影が落ちる裏路地になっていた。
表通りに比べて雰囲気——特に清潔感は殆ど変わらないが、息苦しい学校よりも、奥まったこの場所の方がよほど開放感がある。
監視カメラもなく、休むにはぴったりの空間と言える。
少女は数度の深呼吸ですっかり元気になっているのに対し、サツキは地面に両手を置いて肩で息をしていた。額から流れた汗が白い地面を濡らすと、すぐに少女から溢れる色彩に呑まれてしまった。
特段体育が苦手ではないとサツキは認識しているが、ここまで体力の差があるのは何か原因があるはず。それもまた、少女の正体のヒントの一つに思えた。
「これからどうしようかな。あっちまで行く方法は——うぅ、結構苦しい状況かも」
「なぁ……そろそろ色々と教えてくれないか?」
一人で何かを考え込む少女の言葉を遮ったサツキに向けられたのは、きょとんとした表情だった。何度見たって綺麗で、整っていて、それが逆に不自然だと思った。
無意識に、〝この世界のものじゃない〟なんて言葉が浮かんだ。
「そうだね、説明がまだだったよ。ただ……」
「ただ?」
「どうして君はそんなに楽しそうなんだい?」
不意にサツキは自分の頬を触った。確かに表情筋が少し硬くなっていた。
その感触が、笑っていることの証拠だった。
胸は未だ高鳴っていた。走って疲れたからかと思っていたが、そう言われれば興奮のせいに感じられる。
「普通、こんな状況だったら——この世界の住人なら、困惑するか、怯えるかするよ。秩序を踏みにじって、破ってるんだからね。でも君は楽しそうにしている。やっぱり君は私の思っていた通り面白そうだ」
「思っていた——って、えっと、それはどういう……?」
「今は気にしなくていいよ。いずれ分かることだからね」
そこまで言って、少女は咳払いをした。
背筋を伸ばし、碧い目をサツキの瞳に向けながら少女は続ける。
「私の名前はシア。かつての第八世界管理者だよ」
「管理者……」
「ふふっ、そんなに目を丸くしてどうしたのさ。もしかして初めて見た?」
「そりゃそうだろ、管理者なんて規定世界じゃ見る機会は一生ない」
「規定世界には管理者がいないからね。無理もないよ」
顔にはプライドが滲んでいる。あるいは、サツキを見下すような自信だ。それが無性に対立心を刺激し、反撃を繰り出す。
「でも、あんたは〝元〟なんだろ? 管理者に元があるなんて聞いたことないけどな」
「なっ……もしや嘘だって言いたいのかな!? 私は生まれた時から管理者だったんだけどな!?」
「おっ、図星か?」
「はぁ~~~!?」
サツキにとって、シアが管理者かどうか、あるいは生まれた時から管理者だったのか、そうでなかったのか、というのはどうでもよかった。
ただ、サツキの知らない色がそこにある——それだけでシアに興味を持っていた。
姿勢を変え、サツキは地面に座り込む。建物の隙間から覗く空を見上げながら、疼く好奇心に任せて言葉を放つ。
「だったら証明してみてくれよ。管理者は異能を持ってんだろ?」
「それが無理だから〝元〟ってつけてるんだよ!? もう!」
「じゃあただの不法侵入した荒くれ者じゃねぇかよ!」
「荒くれ者とは酷いなぁ。そんなこと言われても、今の私には〝元管理者〟って肩書き以外は何も無いよ。……というより全部失った。正確には〝没収された〟かな」
サツキは反射的に、シアの顔を見た。
明るいシアの顔には影が差していた。伏せた瞳が仄暗い深淵そのものと化したかのようだった。
「だから今は、色々魔術が使えて、実はそこそこ強いだけの元・ちょーすごいお姉さんさ!」
だがそれも一瞬のこと。
すぐに顔を上げ、えっへん、と胸を張って自慢げな顔をした。
しかし、それが妙に頼りなく感じてしまうのが不思議だった。たぶん、容姿の若さはサツキとそれほど変わらないからだろう。
「じゃあ、そのそこそこ強いお姉さんは、どうして普通の少年を誘拐なんかしたんだ? コソコソ俺を狙っていたみたいだったが」
「えっ、あれ見えてたの!? 認識阻害の魔術使ってたのにぃ……」
ドヤ顔が一転、目を丸くして驚いていた。
もはや、威厳を失ってただの面白い少女になってしまったな——サツキはそう感じた。
「そもそも俺は昔からマナが見えるからな。無理もないと思うぞ」
「なるほど……そっか、それなら納得がいくよ」
なぜ? と疑問を問いかけたい衝動に駆られた。
だが、シアの確信めいた表情を見てなんとか飲み込んだ。どうせ聞いても教えてくれない——というのが分かってしまったからだ。人が秩序を乱さないようにするときの顔を、サツキは何度もその目で見てきている。
「それはそれで意味が分からないんだが……まぁ、理解してくれたようで何よりだ」
小さく溜息を付き、流されてしまっていたもう一つの疑問を口にする。
「それで、結局誘拐した理由は何なのさ」
「プレローマの外に行くための〝仲間探し《スカウト》〟だよっ!」
「スカウ……ト……?」
誘拐からかなり遠い場所にある言葉に、脳が理解をするまでに時間がかかってしまった。
普通、友達や仲間になりたい人を誘拐なんかしない。
サツキの中で常識が崩れる音が聞こえた。ガラガラという音だ。
「俺は……孤児だぞ。この世界には俺しかいないはずの。なんでそんな俺を」
そのせいで、普段なら口にしないようなことを吐いてしまった。
親がいて、家庭があって、自分がいる。それが普通の世界において、孤児とは異端そのもの。よそ者としてそれ相応の扱いを受けてきた。人生がモノクロになっていた。価値なんかない——はずだった。
「君のことをとある人から聞いていてね。仲間になってくれるだろう、って」
「とある人……? 【憧憬の剣】の誰かか? あんたも冒険者なら、【憧憬の剣】って冒険団は聞いたことあるだろ? 俺はあの人らに育てられた。そのリーダーが俺の親父、正確には養父だ」
どこからかサツキを拾って来た親父は、【憧憬の剣】と共に規定世界に移住してサツキを育てていた。なら、その誰かに話を聞いていてもおかしくはない。それどころか、皆が生きている証拠になるのだ。サツキにとってまさに吉報。じんわりと、期待が胸の中で膨らんでいく。
「なるほどね……」
「別に信じなくても良い。少なくとも学校の奴らは誰もまともに取り合わなかった」
「いいや、信じるよ。あの有名な【憧憬の剣】に子どもが混じってるっていう噂は私も知ってた。それが君なら、合点がいくよ」
自分の話を信じてくれた——と喜びが顔に出る前に、「自分の知り合いではない」ことに気づき、表情を固めた。
しかし、それを悟られるまいと言葉を振り絞った。
「じゃ、じゃあ親父の知り合いとかか?」
「ううん、違うよ。言ってしまえば君の母親かな」
「母親……? 俺に母親はいないはずなんだが」
「まぁまぁ。そのうち話すよ」
シアは平気な顔をしてうそぶく。サツキからすれば、ただでさえ存在しない信用にさらに瑕をつけるような真似をされるのは不愉快だった。
そのせいか、自分の吸った空気から〝怪しい匂い〟がした。
「けど、仲間にはなれたよね——サツキくんっ?」
「まだ仲間になった覚えはないぞ……ってかなんで俺の名前を?」
「さっき落ちた時にクラスメイトの子が言ってたじゃん。お姉さん耳良いからバッチリ聞いてるよ」
「……今すぐ逃げ出したくなってきた」
反射的に恐怖を感じ、小さく身震いをする。
思い返せば、確かに「サツキくん!」と誰かが叫んでいた。
まさかそれが侵入者に情報を与えることになったとは、本人も思っていないだろう。
「何言ってるの、私たちは逃げてる最中でしょ?」
「そういやそうだったなぁ……!?」
「〈生命よ、見るな〉」
シアがそう呟くと、二人の周囲にマナが渦巻いた。全身を覆うように展開されたその煌めきは、見ているだけで意識が朦朧とする不安定さを秘めていた。
「さっ、行くよ!」
再び手を引かれ、太陽の光が差す表の世界へと足を踏み入れた。
白い地面に反射した光は眩しく、街を流れる河川は空の青と同じ輝きを放っている。
「じゃあ、このまま東の方へ行くよ。追手が来てるといけないし」
「というか、来てないわけないよな……この世界は混沌を許さないんだから」
サツキはそう呟いて、走ってきた方向を眺めた。
すると、遠くに黒い集団が見えた。一糸乱れぬ動きで徐々に近づいてきている。その威容は学校の先生とは比べ物にならないほど恐ろしかった。
「やっぱ来てんじゃねぇか警備隊!」
「さすが警備隊。通報から出動、そして追跡が早いねぇ……」
「感心してる場合か! シア、早く逃げるぞ!」
「元からそのつもりだよ。〈風よ、共にあれ〉」
逃げようと踏み出した足が、途端にふわりと軽くなった。
風が背中を押し、揺れる木々の葉を横目に二人は駆け出していく。
「警備隊は銃を持ってるはずだから、もし戦うとしたらどんな魔術を使おうかな……」
「あれと戦う気なのかよ……!? どこに向かってるか知らないけど逃げるの優先だよなさすがに!」
サツキの疑問に対し、シアは微笑みを返した。そしてすぐに前を向き、しばらくの沈黙が訪れた。
「……」
走れど走れど全く変わり映えのしない景色は、規定世界らしいとすら言える。
秩序らしく街中にある時計は、学校を抜け出してから三十分が経過したことを示していた。ただ何度も見ているものだから、同じ時間を繰り返し見ると動いている気がしないし、サツキはここに住んでいるのだから尚のこと飽きてくる。たとえ「逃走劇を繰り広げている」という非日常の中であってもだ。
だからこそ、その慢心を秩序は許さなかったのだろう。
「——ッ!?」
刹那、サツキは右腕に強烈な鋭い痛みを感じた。
その影響で身体が硬直し、走った勢いのまま身体は地面を滑っていく。
「サツキ!?」
「いっ……てぇ……!」
右腕を見ると、そこには血に塗れた黒い剣が突き刺さっていた。
鍔の辺りまで貫通しているが、傷口からそれ以上の血が溢れることはなかった。
「どっから飛んできたんだよこの剣は……! てか認識阻害はどうなってる!?」
「まだ時間切れじゃないし……たぶん、効いてない。逃走ルートは直線じゃないし、何度か見かけた警備隊の隊員は警戒しながらゆっくり歩いてた。でも一人だけ、的確に私たちを追いかけてくるヤツがいた。その剣も、そいつのものかもしれない」
「俺と同じような目を持ってる、とか?」
そう言いながらサツキは剣を見る。ぼんやりと、虹色の光が剣に纏わりついているのが分かる。つまり、マナを帯びているのだ。
「それはない。他にあるとすれば、努力だよ。手練れの冒険者ならばね」
この瞬間にも、腕はズキズキと痛んでいる。剣の冷たさと血の熱さが混じり合っている。あるいは、そもそも剣と血が混ざり、身体に溶け込んでいるようにも思えた。鼓動が脈打つ度に痛みが引いている気がした。
「今これを抜くと出血で持たない。ごめん、あっちに着くまでそのままかも……」
「いや、大丈夫だ。なんなら不思議と『自分と一体になった』みたいな心地がする」
「えぇ……? 剣と一緒になるのってなんか嫌じゃない……?」
「そうか? 俺は親父たち冒険者が使う剣に憧れてたし、そう思えば気にならないけどな」
微妙な面持ちをしながらも、シアは手を差し伸べた。
サツキはなんとか力の入る左手でその手を掴み、身体を引き起こす。
「くっ……痛いのは痛いし、何をするにも剣がとにかく邪魔だな……」
「無理しないで——って言いたいけど、まだしばらく無理をしてもらう……よ——」
優しさがこもったシアの言葉は、言葉尻がすぼんでいった。
サツキが視線を追った先には、この逃走劇の終わりを告げる使者が佇んでいた。
「……やっべ」
「追いつかれちゃったね……あはは……」
現れたのは、十人程度の黒尽くめの集団だった。その黒は全て装備であり、ピストルを腰に携帯している。
その先頭に立つのは、顔のほとんどを隠した偉丈夫。装備は似ているが、腰にあるのはピストルではなく剣だ。
「銃を持たない警備隊……?」
シアもその剣士を見たことがないらしかった。
そのうえ、雰囲気は尋常でない。親父や教師とは比べ物にならない威圧感。それにあてられてか、サツキの心臓はかつてないほど早く鼓動を打っていた。
「規定世界警備隊・第六部隊隊長のツルギだ。速やかに膝をつき、投降せよ」
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