19
朝になり、三人は宿の朝食会場に足を運んでいた。
料理がずらりと並び、様々な色のコントラストを生み出しながら、その匂いで美味しさも醸し出している。
広い会場を歩くサツキは、項垂れるような姿勢で二人の後ろを歩いていた。
「なぁ、世界ってこんなに重かったっけ?」
「いつも通りだよサツキくん……」
「あたしも変わった気はしないね」
あまりにベッドが柔らかすぎたものだから、相対的にベッドの外で身体が異常に重く感じているのだ。
旅の疲れは、人間を容易く変えるのだなぁとサツキは嬉しいような悲しいような気持ちになっていた。
「ほらサツキくん、ここに座って。身体を慣らしたら料理を取りに行こっか」
「そうだな……」
白いテーブルクロスが引かれた円形のテーブル。その周囲には椅子が四つあり、そのうちの一つをサツキはズルズル引き、腰掛け、テーブルに顔を横たえる。最大限脱力したフォームだ。
「なんでサツキがダウンしてるんだよぅ。ちゃんと立てい」
「あはは……」
思えば、この旅以来初めての安息だ。
何にも追われず、急かされず、自分の自由な意思で旅の中を生きている。それがいかに素晴らしいことであるか、サツキはよく理解していた。貴重さも、甘い果実であることも。
「でも金がねぇんだった……胃が痛い……」
「表情コロコロ変えて面白いねぇ、サツキ。くひひっ」
ライアが顔を覗き込み、口元に手を添えて笑った。隙間から見える八重歯が悪戯っぽさを更に際立たせる。
「何笑ってんだ」
「だってぇ、面白いんだもんっ。それ以外に理由とかいるー?」
「まぁ、ないな……あぁ、ベッドが遠のいている……」
明日は塔を攻略する。それは決定事項だが、今日は何も無い。
サツキは、作戦の企画立案という名目でベッドの上に舞い戻ろうと画策していた。
頭を空っぽに、周囲の話し声でも聞こうと聞き耳を立てる。
「——たか? あれは——」
「——ね。今度一緒に——」
途切れ途切れに、意味を成さない言葉以上意味未満のもの。ノートをパラパラと捲った時、文字をいくらか読めてもすぐ消えるのと同じだ。
しかしそこに、強調された一ページが紛れ込んでいた。
「そういえば、第二階層にある商店の商品が盗まれたらしいな」
「ほぉ。いったいどんなものが?」
「高級魔剤らしい。成分は知らないが、報奨金十万ルドエンだとか……あ、この話はあんまり広めるなよ? 信頼問題でもあるから……」
「そ、そうだな」
十万。一文無しのサツキは喉から手が出るほど欲しい金額だ。
どうしたものかと思案に耽っていると、同じく聞き耳を立てていたらしいライアが耳打ちしてきた。
「ミカレスタで盗み……心当たりある?」
「スラム以外ないな。人が流れやすい街で、冒険者しか使わない魔剤を盗んだら、街に住み着きでもしてなければ逃げる。術式列車に乗ってすぐだ」
「だよねぇ。あたしもそーおもう」
沈黙が一拍、訪れる。そして——
「「……探そう!」」
「二人して何の話してるのさ?」
「かくかくしかじかで……」
ライアがくるりと身体の向きを変え、今度はシアに耳打ちする。
聞き終えたシアは繰り返し頷き、「面白そうじゃん」と興味を示した。
「飯食ったら早速行くぞ!」
意気揚々と立ち上がったサツキは、ウキウキで料理の並ぶ皿へ歩き出した。二人もそれに追従し、各々が朝食を盛り付けていく。
いくら食べても良いというのだから、先払いのシステムで良かったと思わざるを得ない。
「年相応の食欲……サツキくん、さすがだね」
「コーンスープ……甘くてうめぇ……! こっちは塩味が——!」
——この時、サツキは食べることに夢中で気が付かなかった。噂話は、商人についてだけではなかったことを。
「あと、昨日の騒ぎ、知ってるか?」
「それは知ってるぞ。やけに噂するやつが多かった。詳しいことは知らないが……〝勇者〟って言葉だけ聞いたんだよ」
「そう、それだ。スラムに湧いた大量の魔獣を見て、臆することなく飛び込んだ一人の青年——勇気ある者を、誰かが勇者って呼んだ。それだけだが、かつてそんなことする奴はいなかった。俺は見たぞ——黒い剣と共に空中へ舞った、英雄の如き青年を」
◇
「自分で言っておいてなんだが、スラムに二回も来るとは思わなかった」
「うぅ……あたしも。自分から舞い戻ってくるとか……」
今度は飛び降りず、きちんと階段で第一階層へと降りた。つまり目の前は入口に当たる場所だ。もっとも、埃や灰に塗れており、建物が乱立して見通しは悪く、今にも崩れそうな古びた建物しかない。そのため、入口っぽさと呼べる要素はない。
「二人とも……ま、落ち込んでないでさっさと探しちゃおうよ。手分けして探す?」
「俺は賛成だ。ライアは……戦えるか?」
「ちょっとだけ、ならね」
「あれ、誘拐犯相手に『うっかりキミを殺しちゃったらどうするの』みたいなこと言ってなかった?」
「さぁ~~~~???? あたしわかんな~~~い☆」
白々しくもあるが、戦えるなら心配はいらない。サツキはそう考え、全員で手分けして探すことを提案した。それぞれの持ち場を決めると、サツキは担当区域を歩き始めた。
「……久しぶりだな、一人になるのは」
誰の手も借りずに世界を歩く。規定世界では簡単にできていたことだったはずなのに、今はどうにも不安だった。
周囲はビルではなく家屋。人の住む気配はない。ドアも壊されていたり、足元が不安定だったり、ここまで整備されていない環境はサツキにとって初めて。
足音は響かず、空虚に溶けて消える。それがまた不気味だった。
「どこかに隠してあるとしたら中に入らないと見つけられない、よな……」
一抹の不安を抱えつつ、路地から見える範囲で探し続けた。
次第に、情報収集の甘さや対策不足が露呈してくる現実が辛くなってきた。そもそも魔剤の色も、魔剤を失くしたという商人も知らない。もし魔剤を見つけても、次は商人探しとなりかねないのだ。気持ちの悪い汗が流れるのを感じながら、足は止めずにいる。
「——た——ろ?」
「——! ——ろ……」
はっと意識が思考から目覚めた。どこからか、声がするのだ。二人と別れてから、十数分が経過している。以降初めての人の声だ。
サツキは十字路にいる。即ち、角の家の中に話し合う人間がいる——実に怪しかった。
「もし敵なら——戦う」
剣を取り出す。黒い刀身は澄んでいて、一片の曇りもない。サツキの心模様も、同じように変化していく。
(感じろ。声はどこから聞こえる? 前か、後ろか、右か、左か——)
方向による音量の強弱。ただそれだけが手がかりだった。
「こっちだ——」
足音を消しながら歩く。声は着実に大きくなっていく。心臓は静寂を埋めるように騒ぎ出す。
深呼吸を繰り返すうちに、声の元と思われる家に着いた。
壁に耳を当て、話の内容を聞く。
「今は……九時前か。そろそろ依頼主が来る。用意は出来てるな?」
「当然です。盗んだ灰色の魔剤も問題ありません。一滴も零さず、少しのヒビなく、新品の状態です」
「なら良い。一つで三十万ルドエンは下らない品物だ、慎重にな」
サツキは思わず息を呑んだ。魔剤——目当てのものに違いない。なにせ「盗んだ」と言っている。高級という条件も一致している。三十万は高級なはずだ。
あとは——取り返すだけ。
「誰だ!」
扉を開け、中に入る。
次の瞬間、男が叫んだ。椅子にふんぞり返っていたが、サツキを認めた途端に表情を豹変させたのだ。
横に立っていた部下らしき男の顔は強張り、殺意を発している。
「その魔剤——返してもらおう」
「貴様、あいつらの手の者か?」
「親父なら、きっとこうする」
サツキは男の言葉に耳を貸さず、剣を構え——駆け出した。
「まぁいい、追っ手を寄越してくるのも想定内。お前ら、出てこい!」
——ダンッ!
唐突に男が足を踏み鳴らした。
ただ事ではないと思わず足を止めてしまう。
すると、床の下が持ち上がり、少年少女が立て続けに現れた。誰も彼も目に生気がない。服装も汚れ、首にはマナの首輪が嵌められていた。
一人が怯えたように男を一瞥し、次いでサツキを見る。希望と絶望がないまぜになったような瞳は、強い意思が込められていた。
「お前……まさか全員奴隷か!?」
サツキを包囲した奴隷たちは、手をサツキの方へと向けていた。
これからなにが起こるか、考えるまでもなかった。
「その通り。さぁ、この愚かな少年に魔術を!」
「「「「「「「「〈土よ、槍となれ〉」」」」」」」」
刹那、空中に出現したのは八つの槍。
鋭利な先端は人体を貫くことなど造作もないだろう。
一斉に放たれれば、剣で防ぐことも難しい。あまつさえ避けるなど以ての外。急いで扉の外に出たとして、一本も当たらずに……というのは考えにくい。
嫌な汗が背中を伝う。
(くっ——運命は変えられなくとも、魔術くらいは俺の思うままに従え!)
サツキはバカバカしい願いを叫んだ。
叶うことのない夢、あるいは我儘とさえ言えるそれは——世界に聞き届けられた。
一つ、また一つと土の槍が水に変化していく。パシャリ、と床を濡らし、あらゆる害をサツキの前から排除した。
呼応するように、サツキの右腕はぼうっと青白い光を灯していた。
「き、貴様なにをした!」
「さぁ? ともかく、これで邪魔するものはなくなったな」
そのとき、視界の端で時計がちょうど九時を示した。
「……おや。賑やかですね」
振り返る。そこには、痩せこけた中背の男がいた。
裕福そうな身なりの男は、背後に複数人の部下を連れていた。しかも、見覚えのある男だ。岩で打ち上げたり、逃走劇を繰り広げたりした、あいつらだ。
「お前たち、その盗人を捕縛しなさい。魔剤も確保するのです」
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