11
ギィ、とドアの開く音がした。
月明かりが部屋を照らし、月の下に眠る者を神秘的に映し出している。
少年と少女が、一つのベッドを半分ずつ使っていた。
片や黒髪の若者。労苦や痛みが滲んでいない顔は、整った顔立ちと言うには不足なかった。
片や人間と思えないほど美しく、そして奇妙なほど煌めく髪の少女。大人びた雰囲気を放ちながらも、眠る姿は年相応のよう。
その光景を、二人の男は下卑た笑みを浮かべながら楽しんでいた。
「俺はガキをやる。お前は女をやれ。可能な限り生かせよ」
「魔術師なんだろ? 分かってるさ。ったく、剣士は殺すだけでいいから楽だよな」
二人は互いにナイフを持っていた——緊張感などなく、強く握りしめるでもなく、臨機応変に使えるよう軽く。
足音もなく、二人は歩みを進める。
「……すぅ……」
安らかな寝顔だった。
男は思う。数分後には死に顔に変わるには丁度よい、と。
持ち手を反転させ、刃を下に向ける。直下にあるのは少年の心臓。相方は少女の太腿に狙いを定めていた。
「あばよ、サツキ——」
——キン——
刹那。質素な部屋に響いたのは、金属がぶつかり合う音だった。
「剣なんか持ってなかったはずじゃ……!」
「ギルサ……!!!」
男——ギルサが須臾の間に放った殺気は、サツキを眠りから叩き起こすには充分すぎるものだった。
ほぼ無意識的にサツキは剣を取り出し、突き出した。結果、ギルサの持っていたナイフを弾くことができた。
サツキの頭は冴えていた。親父が時々纏っていた戦場の空気——殺意に当てられたからだろう。昼間に見たギルサの笑顔と、今浮かべている下衆の顔とが重なる。
(あんなに優しくしてくれた人が……俺を殺そうとしてた……)
——なかなかどうして僥倖だった。幸先がいい。
サツキはずっとそう考えていた。
だからこそ、目の前にあるのは受け入れがたい事実。信じたくない、と心が叫んでいる。
友情。信賴。芽生えていた感情が根を張り始めていた。
けれど、情より生への渇望がサツキを支配した。
「まだ——殺されるわけには行かないんだよ!」
「黙って殺されろガキ……!」
真っ直ぐに、しかし素早く。ナイフはサツキの心臓へ吸い込まれていく。
一瞬で狙いを理解したサツキは、思い切り左肩を後方へ捻った。
ギルサのナイフの切っ先は空を切る。次の瞬間、握り方を変えて横薙ぎに振るおうとして——止まった。そして、指からナイフは零れ落ちる。
「あっぶねぇ……!」
サツキが左肩を捻った時、身体は剣と一直線になっていた。だから、そのまま剣をギルサの肩に刺したのだ。
血が傷口から滴り落ちている。肩当てを貫通し、さらに深々と刺さり神経を切ったのか、ギルサの右腕には力が入らなくなっているようだった。
強烈な鉄の匂いに胃液が刺激されるが、深く息を吐いて抑える。
「まだ甘いなサツキぃ!」
「あぐっ……!」
サツキの眼下から迫ってきたのは足。
油断もあってかそれには反応できず、顎を蹴り上げられてしまった。
視界が明滅する。歯の方まで伝わった鋭い痛みが戦意を奪っていく。
「オラァ!」
次いでギルサはサツキの脇腹を蹴った。
身体は床に落ちて鈍重な音を立て、壁際までゴロゴロと転がってしまう。
その拍子に剣が肩から抜け、鮮血が宙を舞った。月光に照らされた紅は、悍ましさを内包しつつも、生命の証に見えた。
「クソッ、剣があるならこっちも剣で戦えば良かったなぁ……っ!」
残虐に顔を歪めたギルサは、左手で腰に提げた剣を抜いた。
サツキは痛みを堪えながら立ち上がり、剣を握って向かい合う。
直後。力強く踏み込んだギルサは左腕を引き、反動で袈裟斬りを繰り出してきた。
剣を斜めに構え、その一撃を受け流す。
(おも……くない! やけに軽い——!)
嫌な予感がして、咄嗟に剣の向きを反転させ、身体の左側を守るように構えた。
——キンッ!
「ちっ……!」
サツキが受け流したあと、返す刀で横に切ろうとしていたのだ。
すると、明らかに苛立ちが膨れ上がるギルサへ、ヒーローの如き少女が声をかけた。
「そろそろお終いにしてあげる!」
その声に、ギルサは反応してしまった。顔を向けてしまった。
「〈岩よ、飛べ〉!」
シアは空中に岩を作り出し、間抜けな顔のギルサの腹へとぶつけた。
「かはっ——!」
ギルサの身体はくの字に折れ曲がりながら吹っ飛び、壁に当たった。喀血してうなだれていることから、気を失っているらしい。
「た、助かったよ」
「どういたしまして」
当然だと言わんばかりに微笑むシア。横には節々を氷漬けにされた男が倒れ込んでいた。この程度は余裕で制圧出来るのだろう。
「にしてもサツキくん、大変だねぇ。どの世界に行っても蹴られないといけない運命だなんて」
「真っ当な剣士の戦い方する奴がいないんだよ……」
「冒険者なんかそんなもんだよ。みんな知ってるけどやらない。どこぞの世界にいる騎士くらいだよ? 真っ当な戦い方なのはさ」
「それは会ってみたいな……」
未知の世界を空想しようとして、再び視界に飛び込んできた現実の惨状に思わずため息をつく。
「はぁ……どうしてこうなったかなぁ……」
サツキは脱力し、ベッドの上にふらりと座り込む。
二人の信賴を確かめ合っていた宿の一室が、知り合いとの信賴をぶち壊す悲惨な光景へと変わり果ててしまったのだ。サツキとしてはかなり嫌な気分になっていた。
「さて、と。こうなった以上、私たちには慰謝料をもらう権利がある。そうだよね、サツキくん?」
「たぶん……? 規定世界じゃ、慰謝料を払うような事件を起こす奴はあんまりいなかったから知らないが」
「というわけでそこの氷男くん! どうして私たちにこんなことしたのかな! な!」
氷男、というのは、シアの足元に転がっている氷漬けの男のことだろう。全身が凍っている訳では無いため、なんとか意識はあるようだ。
「た……たすけ……」
「あのさぁ、冒険者って自由の代わりに権利も保障されないから〝冒険者〟なんだよ? 管理者による支配が及びにくいし、住む世界を選べる自由があるのはなんでだと思う? 考えたことある?」
「い……から……たす……」
気味悪く呻く男に対し、シアは呆れた口調でぷりぷりと説教している。「こんなのは慣れっこだ」とでも言いそうな横顔だとサツキは感じた。
「願っても来ない助けを求め続けるだけならもっと氷漬けにするよ? いいのー?」
「わか……言う……」
身体を氷に蝕まれるのはどんな感覚なのか。
考えるまでもなく、全身を震わせて怯える男を見れば想像を絶するものだと理解できた。
「新米とか……見慣れないやつをこの宿に案内して……夜に襲うんだよ……金目のものは奪う……魔術師は闇市場じゃ高値で売れる、からな……」
「その奪った財産はどこに隠してあるのかな! な!」
「あの……防具屋の……奥……だ……おやっさんに聞けば……わか……」
「おっけい。ありがとね」
シアは男が持っていたナイフを取り上げた。
そして——淡々と振り下ろした。
「二度とこんなことしないでよね?」
床——男の首スレスレの——に刺さったナイフを見ながら、男はコクコクと頷いた。
「これで分かったでしょ、サツキくん。冒険者にはロクでもないやつがいる。首都の方なら裁判だとか出来るけど、地方じゃ無理だね。だから自己防衛が大事なのさ」
自己防衛と言ったものの、それ以上の感情が含まれていそうだとサツキは思った。が、口に出すことはしない。シアがおっかないことは良く分かった。サツキは偉い子なのだ。
血の気が引いているサツキを横目に、シアはドアの前に立って言う。
「——行こっか。そろそろ夜明けだよ」
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