レオナに「閣下のことが好きですか」と聞かれました。答えるのに時間がかかりました
弁当を届けることが、いつの間にか習慣になっていた。
最初の日から数えて五日が経った。
毎日届けるわけではない。閣下が「今日は昼に戻る」と朝食の際に言った日は届けない。
でも週に三回ほどは府に向かっていた。
府の受付の衛兵も、私の顔を覚えてくれた。
「宰相夫人のお越しです」と言う前に扉を開けてくれるようになった頃、フィリップさんが廊下で待ち構えるようになった。
「奥様、今日は根菜スープの日ですか」
「はい。それと焼き菓子を少し」
「閣下が喜びます」
「喜ぶかどうかは……」
「喜んでいます。言葉には出しませんが」
フィリップさんがそう言って笑う。
閣下が「余計なことを言うな」と睨む。
私がその横で弁当を置く——というのが、定番の流れになってきた。
閣下の執務室での時間は、毎回十分ほどだ。
弁当を置いて、短く会話して、戻る。
それだけだが、その十分の間の心の声が、毎回なかなか大変なことになっている。
「(来た)」「(今日は何を持ってきた)」「(冷めていないか)」——言葉にならない気遣いが、常に届いてくる。
それを受け取りながら、私は少しずつ困っていた。
本物だと認めた。
閣下の心の声は本物で、閣下は私を思っている。
でも、それに対して私はどう思っているのか。
そこだけが、まだ自分の中でうまく整理できていなかった。
*
五日目の夕方、レオナが部屋に入ってきた。
「アメリア様、少しよろしいですか」
「何ですか」
「聞いていいですか、一つだけ」
レオナの顔が、いつもより少し真剣だった。
からかう前置きなしに、直接入ってくるときは、大事な話だ。
「……どうぞ」
「閣下のことが、好きですか」
私は返事をしなかった。
しばらく、窓の外の白薔薇を見ていた。
夕暮れの光の中で、花が橙色に染まっている。
「……難しい質問ですね」
「難しくないと思います」
「難しいんです」
「なぜですか」
私はしばらく黙った。
「……好き、という感情がどういうものか、自分でよくわからないんです」
「え?」
「嬉しいとか、安心するとか、側にいたいとか——そういう気持ちはあります。閣下が怒ってくれたとき、嬉しかった。馬車の中で眠ってしまったとき、起き上がりたくなかった。弁当を受け取ってもらえると、府から屋敷に帰る道が、少し軽い気がします」
「それ、全部好きじゃないですか」
「そうかもしれないですが」
「そうです」
「でも」
私は膝の上に手を置いた。
「好きだとして、どうすればいいかわからない」
「受け取ればいいじゃないですか。閣下の気持ちを」
「それが——」
言いかけて、止まった。
どう言えばいいのか、うまくわからない。
でもレオナは待っていた。急かさずに、ただ待っていた。
私はゆっくり、言葉を選んだ。
「前世の話をしてもいいですか」
「聞きます」
「前世で——日本というところで生きていたころ、私はあまり目立たない人間でした。会社でも、友人関係でも、なんとなく空気のような存在で」
「そんなことは」
「あったんです」とやんわり遮った。「事実として、そうでした。誰かに特別扱いされるとか、誰かが私のために何かを、ということが、あまりなくて。好かれた記憶よりも、軽く扱われた記憶の方が多い」
レオナが黙って聞いていた。
「同僚に『地味だね』と言われたことがあります。悪意があったわけじゃないと思います。でも、何人かから、折に触れてそういうことを言われて……自分でも、そういうものだと思うようになっていました。存在感がない、印象に残らない、特別ではない、と」
「……」
「この世界に転生してきてからも、同じでした。男爵家の娘で、器量も良くなくて、取り立てて目立つ部分もなくて。だから、政略結婚で宰相夫人になっても、閣下が本当に私を——」
そこで、言葉が詰まった。
「本当に私を、見ているとは思えない、と」
「アメリア様」
「はい」
「それ、全部思い込みです」
レオナが静かに言った。
「地味と言った人たちの言葉は、その人たちの感想であって、アメリア様の事実じゃない。存在感がないと思われていたのなら、その人たちがちゃんと見ていなかっただけです」
「でも、複数人から——」
「複数人でも同じです」
レオナが、はっきりと言った。
「私は子どもの頃からアメリア様の側にいました。地味じゃないです。ちゃんと見れば、ちゃんとわかる人です。わかっている人は、わかっています」
「レオナ……」
「閣下も、わかっています。だから本を読んで練習して、花を植えて、弁当を受け取っています」
私は少し黙った。
「……それはそうかもしれないですが」
「まだ否定しますか」
「否定、というより」
私は正直に言った。
「怖いんです。信じて、間違えたら、と思うと」
「間違える、というのは?」
「やっぱり違いました、という状況になったときに、立ち直れるかどうか自信がなくて」
レオナがしばらく私を見た。
それから、静かに言った。
「アメリア様」
「はい」
「怖いなら、ゆっくりでいいと思います。でも——」
「でも?」
「閣下も、怖いんだと思います。同じように」
私は顔を上げた。
「アメリア様が『嫌いになられたら』と怖がるように、閣下も怖がっていると思います。それでも、本を読んで、花を植えて、弁当を食べています。怖いのに、動いているんです」
私は何も言えなかった。
「怖いもの同士が、怖いまま、少しずつ動いている。それでいいんじゃないですか」
六話のレオナの言葉と重なった。
お互い様、と言っていた。
(そうか)
(怖いのは、私だけじゃないのか)
窓の外の白薔薇が、夕闇の中に白く浮かびはじめていた。
「……好きです、たぶん」
声に出して言ったのは、初めてだった。
「閣下のことが。好きかもしれません」
「かもしれない、じゃなくて?」
「……好きです」
言い直したら、耳が熱くなった。
レオナが「よかった」と言った。泣きそうな顔だった。
「泣かないでください」
「泣いてないです。目が潤んでいるだけです」
「同じです」
「違います」
二人でしばらく、ふふ、と笑った。
*
夕食を終えて、部屋に戻ろうとしたときだった。
廊下で閣下と鉢合わせた。
閣下が私を見て、一瞬止まった。
それから口を開いた。
「明日、二人で出かけないか」
唐突だった。
心の声より先に、言葉が来た。
(……練習した、のか)
と思った。
声に出す前に、心の声が来ることが多い閣下が、今日は言葉を先に出した。
「……どちらへ、ですか」
「帝都の花市場が、今週末まで出ている」
花市場。
「(……好きそうだと思ったが)」
少し遅れて、心の声が届いた。
(白い花が好きと言っていたから、か)
(そういうことを、覚えていて、考えていて、誘ってくれるんですか)
「……行きます」と私は言った。
「そうか」と閣下が返した。
「(……よかった)」
短い声が、聞こえた。
閣下がまた歩き出した。私も自分の部屋に向かった。
廊下を歩きながら、さっきのレオナの言葉を思い返した。
怖いのに、動いている。
閣下も、そうなのかもしれない。
練習して、言葉を先に出して、誘ってくれた。
(……私も、ちゃんと受け取らないといけないですね)
部屋の扉を開けて、中に入った。
レオナがまだ起きていて、私の顔を見た瞬間に全部わかったらしく、「どうしました?」と聞いてきた。
「明日、閣下と二人で出かけることになりました」
レオナが「え!?」と声を上げた。
「どこへですか」
「花市場です」
「花市場!!」
レオナが両手で口を押さえた。
目が完全に潤んでいた。
「今度こそ泣いていますよ」
「泣いてないです」
「泣いています」
レオナが「……おやすみなさいませ、アメリア様」と言って部屋を出ていった。
扉が閉まる前に、廊下で小さく「やった」という声が聞こえた気がしたが、聞こえなかったことにした。




