その3 【力の"原理"】
それから、しばらく経った。
あの魔術の一件以来、私は目下魔術の修行に勤しんでいる。
枝のことに関しては、後日リンデットに聞いてみたが、「知らん」の一言で一蹴された。嘆かわしい子供の好奇心を軽くあしらうとは、なんたる大人だろうか。
さて、私なりに考察してみたが、やはりイメージの具体化が良かったのかもしれない。稚拙ながら前世の知識が役に立ったということだろうか。いくら、異界の常識と言えど、前世の常識が全く通用しないという訳でもないらしい。
しかし、こんなことになるならばもう少し科学知識を得ていればよかった。と、私は少し後悔した。
何にせよ、魔術を使用できるようになったのは大きい。今はリンデットの部屋にある魔術本を読み漁っているところだ。
どうやら、人に魔術を教えるだけはあるらしく、彼女の本棚にはかなりの数の魔術本が収められていた。本棚の端に置いてあった赤表紙の『会話に困らない方法100選』とやらにも興味がわいたが、彼女の名誉にかけて、そこは触れないようにした。
とにかく新しく覚えた魔術に関する知識はかなり多い。
例えば、基本的に魔術というのは再構成の過程で、4つの基本元素に分かれるとのことだ。火、水、風、土がその4つの基本元素を指し、これらをまとめて四大基本元素と呼ばれているらしい。失敗した炎刃はこの四大基本元素の内、火にあたる。
成長に関しては、一見土に分類されそうだが、厳密には異なるっぽい。どんなことにも例外はあるということだ。
なんでも、魔術の種類は属性のほかに系統でも分類され、
①四大基本元素を媒介とする『基本魔術』
②元素とは別に物質本来の機能を促進させる『回復魔術』
③世界そのものに干渉し、世界のルールを書き換える『次元魔術』
④上記のいずれにも分類されない『概念魔術』
と、分けられている。
この場合、成長に関しては②に当たる。
ざっと調べてみたところ、③と④の系統に関しては、詳しく説明された本を見つけることが出来ず、習得は断念せざるをえなかった。
だが、③についてはかなり気になった。
仮に、世界そのものに干渉し、世界のルールを書き換えるようなことが実現できれば、ひょっとすると私がこの世界に来た真相が解明できるかもしれない。そうでなくとも、もしかしたら、それらの呪文の一端が、その懸け橋になるかもしれない。
いつか、リンデットから教えて貰うことにしよう。まあ、彼女がそれらを使用できるかは分からないが。
そんなこんなで、私は本で得た新しい知識を実際に試してみることにした。
庭を出て雑木林を抜けた先にある小さく開けた場所。いい感じに木漏れ日が差し、じめじめとしていない。元々陰気な森だったが、ここだけは雰囲気が違う。いくら人気のない森の洋館とはいえ、少しは外に出ないと息が詰まる。
家から持ってきたチョークで木に◎の目印をつける。
一旦、壁当て練習としよう。世のメジャー投手を目指す野球少年もこの年くらいから壁当て練習に勤しむものだ。
まあ、私は野球を一度もやったことないが。
適当に拾ってきたリンデットの魔術書をぱらぱらと捲りながら目星を付ける。ひとまず、いい感じの呪文から試していくことにした。よし、基本魔術から試そう。
そうして、いい感じの呪文が見つかった。
風属性の魔術、『風息吹』だ。説明には、『己が手に風を収縮させて、それを勢いよく目標に向けて放つ。他者への攻撃を目的とする魔術』とのこと。
『魔術の基本理論①』という魔術書に、風属性の項目の序盤の方に出てくる魔術なので、簡単な魔術であることは間違いない。
幸いにも詠唱の他に具体的なイメージについて、私にも理解できる内容で詳しく言及されていた。これに関してはかなり助かった。
『――――周囲の風を一点に向けて収縮させる。それを掌に収まる程度の弾になるように圧縮させ、最後にその風の塊を掌から一気に放出する。大きな鞴を意識するとよい。風で膨らませ、最後に風を送り込む仕組みに近い物に当たる。――――』
なるほど、要するに馬鹿でかい空気砲のイメージだ。
例で鞴を出しているので、この場合、風=空気と捉えるといいらしい。
イメージできたなら、まずは撃ってみるに限る。
空気砲だ、空気砲。
詠唱は――
「ガルウィンの名において命ずる――風よ、我が手に集いて力を束ね、彼方へ放て――風息吹」
掌に集められた空気は勢いよく放たれ、木の目印の中心を抉る。
――成功だ!
魔術を成功させたのが二度目だからか、この前の成長より疲労感が少ない。
これは何度でも使えそうだ。それに、私にもようやくまともな魔術が使えるようになった。しかも、なんかかっこいいではないか。
そこからは祭りだった。
色んな方法を試すという大義名分と共に、風息吹を連射し続けた。しばらく最初に描いた木の目印が見えなくなるくらいに打ち続けると、流石にあの疲労感がやって来た。
しかし、魔術というのは面倒だ。
何故一々この詠唱とやらを唱えないといけないのだろうか。
前回、めちゃくちゃな詠唱で発動しなかった炎刃を考えるに、この手順は大事なんだろうが。にしてもだ。頭の中でイメージを起こして、それを決められた文言に当てはめるなんて、なんて遠回りなのだろう。
……いや待てよ。
違うぞ。前失敗したのは適当に詠唱したからじゃないかもしれない。
単に私のイメージが悪かったのではないか。あの時は、適当にリンデットの炎刃を見よう見まねで使おうとしていたが、あくまで目に見えた現象をそのまま再現しようとしただけだ。実際にどういう仕組みで発動しているのかまでは深く考え込んでいなかった。
と、すると失敗したのは詠唱ではなくて、イメージの方にもあったんじゃないか?
リンデットは詠唱が原因と言っていたが、本当は両方なんじゃないか。
仮説を立てたら、次は検証だ。
頭の中でイメージを膨らませる。
空気を集める、……そうだ、説明にも出ていた鞴だ。空気を一点に集め圧縮。
……見えない袋に風を集めて、それをすり潰していくような感じ。この世界の空気を前世のものと同じように考える必要はない。そう思えば気が楽だ。
つまりは、この魔術のためだけに作り出された、仮想の空気。ただ特別に風を生むだけの空気だ。
掌に空気が収縮する感覚がする。いや、これは風だ。
中心につむじを作りながら小さな台風のように渦を巻く。それは、だんだんと円から球へと変わる。目には見えないが、その螺旋の球は確かにそこにあった。
後は、空気砲のイメージ、一気に押し込んで目標へ放つ!
勢いよく廻る風の螺旋を解き放つ。
それはぐんぐんと勢いを増しながら、周囲の木の葉を吹き飛ばし、茂みに向かってすさまじいスピードで突き進む。
先ほどまでのとは明らかに別物だ。
大成功だ。
詠唱なしで魔術が発動できた。これが風息吹だけなのか、それとも他の魔術にも適用できるかはまだ分からないが、ともかく。
私は今、詠唱なしでイメージだけで魔術を発動させた! その発見だけでも素晴らしい。
そんな高揚に浸っていたのも束の間、ふと茂みの奥に目が行く。
まるで小さな嵐とも言える魔球が茂みへと突き進んでいる最中、茂みの奥に人影が見えたのだ。
まさか、こんな場所に人が居るわけがないと思っていた。
しかしまずい、このままではあの魔球が人に当たってしまう。さっきまでの威力でも木肌を抉っていた魔術。それよりも威力が増したものが人に当たればひとたまりもない。
「あぶな―――」
声に出そうとしたが、間に合わない。
人に、当たる―――
轟音が鼓膜に走る。
風弾が何かに当たった音ではない。何が起きたのかは、はっきり見えた。
魔球は見えない壁に阻まれた。
しかし、跳ね返されるような感じではない。潰れたトマトのように風息吹はぐちゃりと圧殺されたのだ。
一瞬、辺りが静まり返る。
茂みから現れたその人影、――男は、真っ黒な前髪を掻き上げる。
森の中では不自然に浮くほど、ぴっしりと整えられたタキシードと、口元を覆い隠す不気味な装飾が施されたマスク。どこまでも吸い込まれるような漆黒の髪。その男は異様な雰囲気を漂わせていた。
「ご機嫌よう、小さな紳士殿」
その男は、まるで何事もなかったようにこちらへと歩みを進める。
何者だろうか。リンデットに聞いていた話では、この森に立ち入る人間は少ないと聞いていたが、何故森にタキシード? 場違いにもほどがあるだろう。
そんで小さな紳士殿って、私のことか? なんとキザな台詞なんだろうか。前世で聞いていたら虫唾が走る。
とにかく怪しい奴には間違いないが、危うく人を殺しかけたんだ。謝らない訳にはいかないだろう。
「ごめん」
ぺこりと頭を下げる。
この世界に会釈の概念があるのかは不明だが、態度だけでも謝罪の意思は見えるだろう。
「謝罪には及びません。君の魔術の前に突然現れたのは私の方です。むしろ、邪魔をしてしまった」
なんだ、見た目に反して話は通じそうだ。にしても怪しさ全開だが。
まあでも、よく考えれば、リンデット以外でまともに人と話すのは初めてだ。もしかしたら、こういう格好もこの世界では不自然ではないのかもしれない。
じろじろと観察していた私をよそにその男は首を傾げる。
「ところで、ここは人が立ち入らない森のはずだが。君はこの辺に住んでいるのかい」
「まあ、そんなところ」
「ほう」
一瞬、目が怪しく光った気がした。
獲物を見つけた蛇のような、私自身が蛙になってしまったかのような。そんな奇妙な感覚だった。自宅の居場所をほのめかしたのは悪手だったかもしれない。
「不躾ですが、この辺を案内してもらってもいいですか。知り合いに会いにきたのですが、前に来たのが随分前で道を忘れてしまって」
怪しい。こんな人気のない場所に来た目的が知り合いに会いに? そもそもこの辺に住んでるもの好きなんてリンデットくらいだが。
逆に考えると、この男はリンデットの知り合いだろうか。
「そもそもあんた誰」
私の疑問に、男は思い出したように姿勢を正す。
「おっと、申し遅れました。私は不死帝が一の柱、メフィスト・アスタレアス。この度は、不可侵の魔女リンデット・エル・ガルウィンドル殿にお話があり、この森に参りました」
怪しげな男、改め『不死帝が一の柱、メフィスト・アスタレアス』は私に向けて丁寧な会釈をする。なるほど、会釈の概念はあったみたいだ。
そんなところではない。
不死帝? 一の柱? めふぃすと・あすたれあす!? なんだその気になりすぎる奇怪な肩書と名称は!
少なくとも全部初めて聞いた内容だ。外の知識に関する本はなかったし、リンデットの話もあくまでこの森の立地に関することだけだ。
それになんだ、不死帝? 全く見当がつかない。名前からしてただ者ではない雰囲気があるが、そもそもその不死帝の柱であるらしいこの男が尋常じゃない。
それになんだ。『不可侵の魔女リンデット・エル・ガルウィンドル』? そんな物々しい二つ名一度も聞いた覚えはない。何だ不可侵の魔女って、聞くからに強そうじゃないか。しかしあれか、この森も確か不可侵の森とかいっていた。となると、それと関係あるのか……?
いや、そんなことよりも。
こいつはなんで私に全部説明した?
「初めまして、魔女と暮らす少年。シルヴァルド」
ぞくっと背筋が凍る。
名前を伝えていない。何故知っている? 私とリンデットと暮らしていることは先ほどの発言から何となく察したのだろうか。いやそれにしたって気味が悪い。
思わず後ずさりする。
「なんで名前を?」
「説明したはずですよ。不死帝が一の柱と。……ふむ。どうやら、外のことは教えられていないようですね。彼女はあんまり俗世に興味なさそうでしたし、無理もありませんけど」
一人で考えるように顎に手を当てた後、私に向き直る。
「怖がらせたようで申し訳ない。私はある程度先の未来が見えます。結構有名なんですが、貴方は知らないようだ」
そう語るメフィストの右眼の奥では、時計の針を思わせる何かがゆっくりと回っていた。
未来が見える? それも魔術だろうか。
想起されるのは以前読んだ魔術本の知識、未来を見る魔術なんて、概念魔術か次元魔術のどちらか。私の知らない未知の異世界知識だ。
そもそも本当に未来が見えるのか? それとも、単純に事前に私たちの情報を得ていたのだろうか。だとすると、わざわざそれを開示したのか。仮に何らかの危害を加える目的なら、私に目的を知らせる妥当な理由が思い浮かばない。黙って襲えばいい話だ。それとも、目的自体が嘘で別の目的を隠しているのか。
それに、本当に未来が見えるというなら我々を襲うことも簡単なはずだ。どちらにせよ、今どうこうして何とか出来るような相手でもない。今、私の使える唯一の魔術を簡単に弾かれたばかりだぞ。
ただ、話をしに来たというなら、確かに納得できる点はある。
わざわざ私にすべてを明かしたのは、後から知られて余計に警戒されるくらいなら、最初から明かして信用を得ようとした? それにしても、どう見ても不審者だが。
だが、私がメフィストを知らないということは分かってなかったみたいだ。もしかすると、こいつの見える未来の先にはかなりの限界があるのか、常時未来が見えているわけでもないのかもしれない。
ともかく、ここで明確に敵対するのは悪手だ。
相手の真意を探るしかない。
私の考えうる限りの屈託のない笑顔を浮かべ、
「一度も外に出たことないから、あなたのことも知らないや。未来が見えるんだ凄いね。それってどういう―――」
「面倒な探り合いは止めましょう。私に敵意はありません。言ったはずです、ただ話をしに来たと」
話を遮られた。
疑っていることを察したのか。
さっきの魔術といい、この察しの良さといい。只者ではない。
「そう。まあ、いいけど」
怪しい奴だが、ひとまずリンデットに会わせてみるか。
というか、他に選択肢がない。今の私はまな板の鯉だ。メフィストに生殺与奪の権を握られている。
「そうですか! それは良かった。では、案内お願いします」
にこにことマスク越しでも分かるくらいの笑みを浮かべ手を合わせるメフィスト。
煮え切らないことは多いが、今はとりあえず、あの偏屈屋のリンデットがこいつを見た時にどんな顔をするか、それだけは少し楽しみだ。
それにもしかすると、私の抱えるこの世界への謎はいくつか解決するかもしれない。
そんな淡い期待を持ち始めていた。




