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ヴォイニッチ紀行  作者: 志尾 結尾
第一巻第壱章 褪せた時代
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第一章第三節 「胎動」

教国南部のとある村


「おかあさんおかあさん!!」


朝は珍しく娘の声で目が覚めた。

私は毎朝、小鳥のさえずる声、気持ちのいい朝を告げる陽射しで家族の誰よりも早く起床し、唯一神へ祈りを捧げるのが日課だった。


しかし、今朝は娘が先に起きていた。

この段階ではまだ数ヶ月に一度あることだが…


「あのねあのね!たいようがなくなってるの!!」


一瞬、何を言っているのか分からなかった。

そして言葉の意味を理解しても、分からなかった。


娘が寝ぼけているのかと思ったが、「そんな事あるわけないじゃない」と言い、私はカーテンを空けた。


いつも日が出る方向のカーテン。

文字通り、娘が言った通り太陽はなかった。


曇っている、とかではない。

何しろ外には雲が一つもない、快晴のはずなのだから。


だけど、晴天を作るはずの太陽がなく、あるのは黄昏時のような褪せた、赤と青が混じったような光のみ。


悪寒が止まらなかった。

震えが止まらなかった。


あるはずのものが無いというのは、それだけ人の心に瑕疵を与える。


慣れ親しんだ腕が事故により欠損、親の訃報。


このとき私が味わったのはそれらと何ら遜色のない喪失感だった。


そこから私は、倒れるように眠りについた。





〇〇〇〇





私が目を覚ましたのは、娘と誰かの声。


少なくとも旦那の声ではなかった。


身体を起こし、耳を澄まして娘が何を話しているのかを遠耳を立てた。


なぜか、私の心が、心の奥底が近付いては行けないと警戒をしていたのだ。


娘の声が聞こえる。


「うんうん、知らないよそんな子」


『では………な……器の』


「?なにいってるのわからないよ」


片方の声は旦那の声よりも野太く、震えているような声であった。


娘の声も、元気ではあるが喉の調子がおかしいような、

どことなくそんな雰囲気があった。


私は扉の隙間から娘と話している正体不明の男の姿を確認しようとした。



信じられない。


部屋には娘しかいない。

娘は一人で喋っていたのだ。


『スイヨウでミたされたオなきコアカはアナタではないのですか』


ずっとずっと娘は一人で話していた。


野太い声で意味がわからない言葉を話している。


娘のどこからそんな野太い声が出るのか。

悪霊に取り憑かれているのではないのか。


「だからちがうって!おねがいだからかえって!!」


聞き慣れた声で、少しやつれた声で娘は叫ぶ。


自分の中にいる謎の意思。

それに抗っていたのだ。


『でしたら、アナタはケガレシラヌコウケツのオトメですか?モチアジシラヌ、オトメですか?』


「なにいってるかわからないよ…おかあさん!助けて!!」


泣き叫ぶ娘の声に居ても立ってもいられず、部屋を飛び出し娘を抱きしめる。


「タナ!大丈夫よ……大丈夫だから…お父さんが助けてくれるから……きっと浄化してくれるから………」


娘を、タナを落ち着かせてから浄化騎士として務める旦那のもとへ行こう。


そしたらこの娘の中にいる悪霊を祓ってくれる。


『アナタはこのムスメのハハですか?』


悪霊が娘の声帯を借りて私に話しかける。


「娘から出ていって」


『アナタのムスメに初潮はオトズレていますか?』


この悪霊から発せられた言葉の意味を理解して、

私は心の奥底から嫌悪感と憎悪が芽生える。


何を言っているのだ、こいつは。


これ以上娘の身体にコレを置いてはおけない、

そう判断した私は娘を背負い、旦那の勤務先へと急ぐ。


1秒でも速く向かわないと、何が起きるのか分からなかった。




〇〇〇〇




勤務先である駐屯地の付近。


あれからずっとコイツは娘に初潮が訪れているかどうかを聞いてきた。


それ以外の話はしてこなかったのが余計に気持ちが悪い。


駐屯地の目の前、門番へ事情を説明し、旦那のもとへ向かった。


旦那がいるはずの休憩室へ駆けつけ、その扉を開けた。


「ラナ!どうしたんだタナを連れて…」


「大変なのあなた!タナが…タナが悪霊に!!」



『アナタの、アナタたちの娘は初潮を迎えていますか?』


野太い声で話す娘、それを聞いた旦那は直ぐに異変を感じ取った。


浄化騎士として、娘の魂にこびりつく穢れだけを祓う用に準備をし、簡易儀式を執り行う。


『アナタたちの娘は処女ですか?』


嫌悪感が凄まじい。


娘は齢9歳でまだ性知識すら知らないはずだ。

この悪霊の目的は何なのか、

一刻も早くコイツを祓って貰いたい。


「ラナ、タナを抑えていてくれ。」


旦那に言われた通り、私は娘の腕を抑えた。


旦那は固唾を飲み込み、本来、浄化対象の咎人にのみ抜刀する浄剣を鞘から抜き、ゆっくりと娘の首元に近付けた。


「穢れの濁流に溺れし咎人よ、咎人を咎人たらしめる邪なる魔よ、我が祓魔浄化の剣のもと、世界へ散れ。」


『アナタたちの娘は恋を知りませんか?』


本当なら祝詞を捧げる者と執行者の最低二人が必要な儀式ではあるが、今回の対象は幼児であり、緊急性が問われるもの。


一人で簡易的に祝詞を唱え、穢れが宿るとされる下腹部に峰打ちをする。


『「あああ!!」』


娘が、娘の声と野太い化け物の声、両方が入り混じった絶叫を放つ。


この世の者とは思えない声で叫び、娘の心配をするとともに安心感を覚えた。


浄化戦争で確立された祝詞、

祝詞を唱え執行することでどんな穢れ、悪霊、魔物であろうが祓われてきた。


これで娘が、気持ちの悪い化け物から解放される。


娘は倒れ、気絶をしている。


娘が起きたら、娘の大好きな野菜と肉を振る舞おう。

娘が欲しいものを買ってあげよう。

ピクニックでもなんでも、太陽はなくなっちゃったけど、

それでも頑張って娘との時間を過ごす。





〇〇〇〇






娘が気絶してから2時間ほどが経った。


旦那に娘が何があったのか、

太陽がなぜ消えたのかを聞いたが、


「今まででタナのような事例は聞いたことがない。

悪霊に取り憑かれたら人間の動きを忘れて、動物的な動きをするか、もしくはずっとその悪霊の人格に乗っ取られる。一人で会話は聞いたことがない。」


「太陽が消えたのは理由が分からない。

焔国の方で正式な浄化戦争の終戦が告げられた途端に太陽が消滅したってのは上から聞いたが、俺等下っ端では情報が少なすぎる」


とのことだった。

私は、やはり太陽がなくなったのと娘が取り憑かれたのは関係があると思う。


「ひとまず、ラナが無事でよかった。

今回の勤務も今日で終わりだから、タナが起きたら久しぶりに出かけよう。」


「じゃあ、ナチャの滝に行こう、私とあなたのの初デートの場所だし。」


「そうしよう!久しぶりにサンドイッチ作るぞ!」


思い出を振り返り、過去を追想した。


二人の淡く、鮮明な甘い蜜月の過去。

三人での繊細で楽しく描く未来。


私たちは娘を撫でながら、起きるのを待っていた。






〇〇〇〇







『どうやら合っていたようです。

ご質問に返答して頂き、ありがとうございます。』



娘が起き上がった途端、急に野太い声で話し出す。

儀式の失敗?そう思ったのもつかの間。


娘の臍あたりから出てきた臓器が天高く登っていき、



『このエナはお預かりします。

それではスイヨウで充たされた世界でミグラカを見届けてください』


と告げた。


娘を産んだからわかる、エナと呼ばれるアレは胎盤だ。


なぜ、孕んでもいない娘に胎盤が形成されているのか、

疑問の波が押し寄せてきて私は嘔吐をして、気を失った。



後ほど旦那から聞いた話によると

『さようなら』と残し、ソレは消えたみたいで、

娘はもとに戻っていた。


娘はこの一連の出来事を一切覚えていなかったみたいだ。


儀式で取り除けなかったアレがいつ戻ってくるのか分からない。


漠然とした不安と底知れぬ嫌悪感を遺してアイツは消えた。



以降、2年後のあの日まで娘は元通りになった。



2年後の、あの日までは。





────────────────────────




首脳会談より半年後。



褪せた光の被害報告が一万を超えた。


被害者は皆、褪せた光を1時間浴びた女児と男児のみ




曰く、精通を迎えたか、初潮を迎えたかと尋ねられ、


曰く、童貞か、処女かと問われ、


曰く、妊娠してないのに胎盤が臍から自ずと出てきて空に登り、


曰く、左睾丸が尿道から自ずと出てきて空に登っていった。




いくら魔法があれど信じられない出来事が起きていた。


しかし、対策と言えるものがある。




「ホープの遺骨がある半径79km圏内に居る幼児は被害を免れる。」


この事を受け、

焔国、樹国、源国、雷国、教国の五大国はそれぞれ、この褪せた光の対策を半年間で行なっていた。



各国はホープの死骸を用いて

偽りの太陽、月を作り出し、

聖杯、幣帛、鏡、聖剣、祭壇を作成。

 

これらは「逆魂」と呼称される幼児に取り憑く悪霊を惑わせ祓うための儀式の祭具である。


─────



「私の男児たちを…許せないね、これは。」


男は嘆いていた。


「逆魂がなんだって思っていたが…」


男は喚いていた。


「未来ある男児の……」


男は悔いていた。


怒り心頭に発した。



自分の想い人たちを好き勝手に陵辱した傍若無人たる逆魂を許してたまるかと、

怒り狂っていた。


「ホープくん、済まないが君の力を貸してくれ。」




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