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ヴォイニッチ紀行  作者: 志尾 結尾
第一巻第壱章 褪せた時代
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第一巻一章一節 「終に至る日」


個であり全である唯一神(ヴァティ)

父であり母である唯一神(ヴァティ)

唯一神が生み出した無数にある現象を象る芽生えたての神性、芽神(ヴァ=リクタ)

信ずることは翼を持たぬ人間の救済である。


『万物の主よ、我らに翼をもたらす者よ、

 穢れ多き我らに清き尊い導きを、

 万物の子らよ、我らの声を主に届ける者よ、

 儚く惨めな我らの声に禊を、

 信ずることしか道がない我らに、どうか救済を

 穢れ無き天地へお導きください。』


この教えを持つ宗教、ヴァティリクタ


翼を得たもの、翼を失ったもの、翼を拒んだもの。

彼らの足跡はヴァティリクタが統治する

ヴァドグア教国を起点として歩を進める。




△▼△▼




「ホープ……死なないで。」


「………生き抜いて」


「お前は、死ぬなよ」

 

「あんまり早くこっちに来るなよ」


「どうか、生きてほしい。」


今、生とは程遠い状態で思い出すのは、かつての仲間たちから、愛すべき人たちから送られた死を否定した言霊たち。


現実から逃げるために、心は死を渇望するようになっていた。

不死という呪い、死を拒む呪言、意思を拒絶する災い。



私は、生き抜くのに疲れたよ。


だから私は信仰という呪い、希望という絶望、

愛という憎しみを享受し、

唯一神という大いなる災いをその身に宿してしまった。

唯一神だけが、私を永らく苦しめる地獄から解放してくれるだろうと期待して。



▼△▼△



救歴684年。基底世界で例えるなら紀元前頃の文明レベル。

216年続く腐敗した世界が救済されてから684年。

ヴァグドアの隣国、「グアリクタ焔国(えんこく)

その西方に広がる未だ汚染された土地。

そこでは不要な塵芥が捨てられる。

穢土(ランダルティ)

今日も変わらず捨てられる忌み子達、

産まれるべくして産まれた、望まれなかった孤児たち。


そこに新たな塵芥(ゴミ)が捨てられる。


純然たる穢れを象徴した忌み子すら悍ましく思うほどの黒髪はヴァティリクタが最も嫌う「迷い」を形にしたようなほどの方向を失った髪。


魅入られたものは余りの不気味さに正気を失い怒りと殺意が芽生える、神にすら見捨てられたであろう薄気味の悪い鮮血の色をした瞳。


その体に吸収されるであろう栄養すら拒んだかのように骨の浮き出た身体。


産まれ落ちたこと自体が罪であるのに、大罪を犯し、罪の重さに耐えきれなかったかのような短い足。


この混沌を窮めた同調性のない穢土の住民ですら此奴を見て思うことはただ一つ。



『なんで、生きてるの』



人の形をしているだけの別の生物。生物ということすらおこがましいほどのそれが、

肩身離さずに持っていた御守に書いていた名前は


()()()


希望を意味する言葉を皮肉として込められていた。


「生まれてきてごめんなさい」


ホープが言う言葉はそれしかない。

この下賤な穢多非人はその言葉しか発さない。

言葉の意味が分かっているのか定かではない。



しかも、その言葉を聴いたものは皆不幸に見舞われる。

ある者は盲目に、

ある者は難聴に、

ある者は奇病に、


『コイツは呪われてる。』

『コイツは狂ってる。』

『私の目を返せ、盗人。』

『俺の耳を返せ!!咎人!!』



住民の罵詈雑言は、8年しか生きていない心を歪めるのには十分だった。

いや、元々歪んでいたのかもしれない。



彼はある日、魔物として討伐依頼が出された。


討伐に向かったのは穢土に広がる汚穢を清める浄化騎士。

剣を振ること10年。剣技を磨くこと5年。

そして浄化者から認められ、騎士となる。


華麗な剣閃。刃を向けられた汚穢。

誰もが「ケダモノがやっと死ぬ」と思った矢先、

刃が当たった瞬間に刀身が錆び果てた。


自らの剣を屠られた騎士は鍛え上げられた拳をケダモノに打つ。

だがその拳はホープの肌に触れると同時に壊死し、

枯れ果てた。

結果、ホープは多少の傷を負いながらも騎士を全滅させた。


この事がきっかけでヴァティ・リクタより

浄化対象の汚穢

として指名手配をされる。


神に見放された土地である穢土。

民に廃棄された集落。

人に軽蔑された汚穢である少年。

彼は集落を離れ旅に出た。



────────────────────────


芽神と教徒リクタ

芽神は教徒に自らが庇護した土地に住まわせ、

教徒は芽神に祈りを捧げる。

芽神は芽生えたての神性、ゆえに祈りや信仰により

己の格を高める。

そして唯一神は教徒からの畏敬、芽神からの忠誠。

教徒に教えを預け、芽神に力と調律を任せた。


ヴァティリクタは世界人口の8割が教徒であり、

教国はその聖地である唯一神の庇護下の土地

「ヴァグドア」


世界にいくつもあるそれぞれの芽神が庇護する国々。

炎の神たる芽神「グーア」

その庇護下の土地であり、グーアを崇める熱狂的な国が

グアリクタである。


集落を出て数十時間。


穢土の最寄りにある森にて

鹿や猪、果てには熊までもが

ホープを見て怯え震える。


ある時、足を怪我をしたキツネを発見した。

介抱しようと、善意で手を伸ばし触れた瞬間

キツネの足は壊死し、息絶えた。

耳に刻まれたのはキツネが最期まで怯えて許しを請うような鳴き声。

キツネの残骸から逃げるように後ろを振り向くと

歩いてきた足跡に生い茂っていたはずの雑草、ソレが

褪せた色で枯れていた。


まさに呪いだった。


▼△▼△


「あなた、呪われていますね。」


人を避け、森を歩いていた中、急に意識外からそう声をかけられる。


「失礼、私は暗き夜空に浮かぶ神秘の欠片、世界の残滓、星々の流れを観ることでこの世界の生物、その運命を占う

星占術師。名前をヴェン・ヒストリアと申します。」


ヒストリア、その名は唯一神が作ったこの世界を表す。


「…呪いは強力で、

あなたを見るもの全てがあなたに対し、憎悪を向ける」


生まれて初めて、否、捨てられてから初めて、マトモに話してくれる人を見かけた。


「さらに近付く者、動物、生命に死をもたらす。

10代前半そこらでその道はあまりにも茨が張りすぎていると思いません?

その呪い、断ってみませんか?」



胡散臭い薄ら笑みを浮かべながら、世界の名を冠する奇しい男は告げた。


「あなたについてるその呪いは何年もこの世界を苦しめた穢れ。その同種。」


この身に降り掛かった謂れのない呪い。

その根源はあの穢れと同じだった。


「旅をするなら東が良いでしょう。

なんせ、東からは気まぐれな太陽が顔を出す。

東へ東へ、飽きてもさらに東へと。

きっと、退屈しませんから。」


「それではまた、東の地にてお会いしましょう。」




再会を示唆する言葉で一方的な会話が終わった。

目を合わせていたはずなのに彼奴は自分を見ていなかった。

まるで他の者に聞かせているような、そんな眼差しだった。


「とりあえず東に行けば良いって、ことだよな。」


本能があの男を警戒しているが、東に向かう以外の選択がまるでないという直感もあった。



東に行く。


そう決意した途端に腹が振動とともに音を奏でる。

空腹を報せたのだ。


思えばあそこに棄てられてから1週間ほど、まともに飯を食っていなかった。


食べ物は無いか、このうるさい腹を抑えるものは、


一気に圧しかかる空腹と食欲の波。


あたりを見渡しだしソレがあったことを思い出す。




先のキツネだ。



キツネに気付いた途端、次の行動に至った思考は何もない。

本能で動いていた。

食すという行動。

先程までの助けたいという慈悲はそこには欠片もなく。

感謝すらも無い、

生きるためだけの原始的な食事。



そこには後付けの感情などの濁流が一切ない

大自然の清流であった。



しかし、キツネには厄介なモノがある。

基底世界に存在したエキノコックス。


それはこの世界にも似たような立ち位置で別の名で存在する。


狐詐毒という名で知られるそれはエキノコックスと違い数時間という短期間で症状をもたらす。


初期症状は風邪や熱に近く、数カ月後には肺に多数の腫瘍が発生、呼吸困難になりやがて死を迎える。


その正体は病原菌や寄生虫、ウイルスではなく、

呪いである。


この世界では基本的にウイルス以外は医学魔法という代物で如何なる進行具合であろうが治せる。


しかし、ウイルス、天然の呪いと人工の呪いだけは魔法ではどうにもできないのだ。


そしてホープが食べたキツネには狐詐毒が潜伏していた。


今、ホープを蝕む呪いは2つ。


1つはまだ名も知らぬ他を蝕む忌々しき呪い。


1つは己を蝕む呪い。


その2つが己の身体に共存しうる可能性はまだ自覚していないホープに絶望をもたらす。


しかし、数時間後

観測していた私は見てしまった。

ホープの中にある忌々しき呪いが狐詐毒を平らげたのだ。

本来、呪いは掛け持ちできるものであるが、

彼のなかにあるその呪いは強大が故、別の呪いを喰らうことかできる。


結局、ホープは自分のなかで起きた静かな戦いに長い間気付くこと無くその日と別れを告げ眠ることになる。



────────────────────────



夢なき夢を見て目を覚ましたホープ。



驚くべきことにそこには天井があった。


昨夜、自分は野外で寝ていたはず。


まさか今までがただの悪夢だったのか?それとも…




「汚穢が目を覚ましたようです。開祖さま。」



汚穢という呼称により、自身が最悪な状況に陥ってることを察した。


迂闊だった。

森の中で自身に触れるものは皆朽ち果てるから安全だろうと思って就寝したのは不味かった。



開祖と呼ばれた老齢の男の声音が耳に響く。


このあと起こるであろう出来事が幼き脳でも予言のように容易く想像できる。



「ホープくん、で合ってるかな?

この年にもなると物忘れが酷くてね。」



合ってないと嘘をつくために声を出そうとしたら異変に気付く。


「おや、喉を痛めてしまったのかな?声なき声には力など宿りやしないのに祈りでも捧げようとしたのかな?

かわいそうに、唯一神は死んだというのに。」



蔑むように話す男の内容に理解が追いつかない。


神が死んだ?嘘か?いや、開祖と呼ばれるほどの男がそんな嘘をつくのか?

様々な疑問が浮かぶがそんなホープを置いていくように男は喋る。


「684年前に唯一神は死んだのだよ。大地を蝕んだ汚穢の浄化と共に。

おおっと、すまない。自己紹介がまだだったね。

私の名はラフラ・ヴァ=グアリクタ。

ヴァティリクタのグアリクタ派開祖だ。

今年で千年も生きる老獪だが立派な人間でまだまだ現役だよ。」


疑問に次ぐ疑問で声すら上げられないホープの脳は限界を迎えていた。


「早速で悪いが君は世界を蝕んだ汚穢をその身に宿しているんだ。

これを浄化するには君の血液に混じる汚穢を燃やさなければならない。このグーアの火でね。


大丈夫。

祈りさえあれば罪人でも汚穢であろうと世界から拒まれていろうと唯一神が赦してくれて来世を与えてくれる。

もう死んでいるがね。ハッハッハッ!!」


実質的な殺害予告であった。

逃げれるのであれば逃げたいが手足に腹部には枷がある。

それは向こうに生殺与奪の権を握られているということである。

そして握っているものが自身を殺す気満々でもあるという絶望から

涙をながし声にもならない声を上げるが、

この老人はグーアの火と呼ばれるものを自分の手に当てた


「そんな騒がないでくれ。すぐに呪いは燃え広がりホープくんもすぐ逝くさ。」



熱い、熱い、熱い。

手に燃え移った炎は全身に広がり、外側も内側も燃やし尽くしていた。


「焼死というのは想像を絶するほどの痛みが伴うらしいが、これほどとはな!

この刺激こそが千年に及ぶ永き人生の楽しみだ。」



ホープの耳に響く炎の音と共にラフラはさらに想いを綴る。



「私はね。男児が好きなんだ。性的にね。

それも痛みつけられ悶え苦しむ男児は

如何に上等で熟成した高級酒、仕事を終えたあとの至福の一服、一流の料理人が作った最高傑作の料理など足元に及ばぬほどの絶頂をもたらせてくれる!!」


最悪だ。自分の声で埋もれてよく聞こえないが、この男の性癖など知りたくない。早く終わらせてくれ。

でも痛いのは嫌だ。誰か助けてくれ。



「あぁ!年甲斐もなく射精が止まらないよホープくん!

君が呪われ他者に、烏合の衆にどう言われようが私は君を愛しているよ!!

ターラー女史!すまぬがこの駄棒から溢れ出た怠汁を拭いてくれたまえ!」


「畏まりました。」


ラフラは両手を伸ばしながらその漲る棒から溢れるものの処理を頼む。

鼻をかんでもらう子供のような絵面であった。


「あー、それと、その焼死体も処理を頼むよ。

私は席を外させてもらう。」


「畏まりました。」


顔一つ変えずに答えるまるで機械仕掛けの人形のように答えるターラー女史。


熱いはずの扉のドアノブ。

それを軽く開けるラフラ。

さらに熱いはずの遺体に触れ処理を始めるターラー。

そして。


「これで、貴方の敵討ちは終わりましたよ。

主たるグーア。忌々しき唯一神とその化身を貴方に捧げます。グーアの祝福を今ここに。」


太陽を見つめ祈るラフラ

捧げられた高僧である開祖の祈り。

その開祖の背には()のようなものが生えていた。


「開祖さま。処理が終わりました。

主・グーア様のお膝元への供物の準備も完了しています。」


ターラー女史が事務的に話し開祖へと報告をする

ラフラはすぐに移動を始めるように指示した。



──────


万物の主(ヴァティ)万物の火(グーア)

我々はついに、汚穢の残滓を浄化いたしました。

与えられたこの翼の名に恥じぬ行いを致しました。

我ら翼なきものに、翼を与え、使命を与えてくれました。

信ずることしか知らぬ我らに救済をいただき、最も清き感謝を。

そして、万物の主(ヴァティ)万物の子(グーア)。汝に汚穢の首を供物として捧げます。

千年の戦いが今ここで、

このラフラ・ヴァ=グアリクタが終わりを告げさせて頂きます。』


グーアのお膝元と呼ばれる高尚な神殿にて祈りの言葉と共にホープの首をラフラが自ら捧げた。

ラフラは後ろを振り返り数多の信徒に告げる。


「216年間の浄化戦争は一旦幕を閉じたかのように思えましたが、684年が経った今、再びその残滓が姿を現した。

我々が遺していたグーアの火。その祈りが届きその残滓もすぐ浄化されました。

信徒の皆様。千年間にも及ぶ戦いに参加いただき、

感謝を伝えます。」


ラフラの感謝、その言葉を聞いた信徒は盛大な拍手を送り、その多くが涙を流していた。


「我々は始まりに立ったのです。

これからも変わらずに祈りを捧げることが翼なき者の努め。

皆様、これからも良き世界のため、美しき世界のために頑張りましょう。

それでは浄化の儀、ここに閉会をお知らせします。」


△▼△▼


浄化の儀、終了を聞き彼らは聖地に祈りを捧げたのち、

一同に外を出る。


「なんだ……あれ……」「なにがおきてる?」「とまうなっているんだ?」「なぜこんなことに…?」


外から聞こえる騒音にラフラは首を傾げて秘書的立ち位置のターラーとともに外の様子を確認しに行く。

何が起こったのか、そんな疑問とともに外に行くと一目で答えが分かった。


太陽が無くなっていたのだ。

かといえ月もない。


代わりに大地は褪せた光で満たされていた。


「千年前と、穢れた時代と…」


ラフラが微かに声を出す。


「同じだ……」



────────────────────────


 


後世で初聖(ういせい)と呼ばれたホープ。


彼の一度目の死をきっかけに世界は褪せる。


清く眩しく空に浮かぶ太陽。

翼なき者達を見守り行く末を眺めて下される神が如し、

太陽が眠りにつき、代わりに彼らの魂を月華の恩寵より悪しき者どもより守ってくださる月。



この循環は汚穢(ホープ)の死をきっかけになくなる。

永く短い救済が終に至る日。


以降は褪せた時代と呼ばれるようになる。

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