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ヴォイニッチ紀行  作者: 志尾 結尾
第一巻第壱章 褪せた時代
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第一章 幕間 「種と蕾」


 世界が出来る前、そこは昏く包まれており、無すら無かった。

 

 されど、そこには無があった。


 その無は有を含み、やがて一つの意志となる。


 それが唯一神(ヴァティ)と無二の神(ヴェルン)、その原型たる完全者"ヴァル・ア・ヴェズ"。



 世界の意志である完全者(ヴァル・ア・ヴェズ)はまず、昏く包まれた空間に心地の良い闇と光を作った。


 そこに大地を作り、空を作り、海を作り、世界に火を灯した。

 

 さらには大地は樹を、空は大気、海は生命を、火は太陽を作り出した。


 そこから完全者(ヴァル・ア・ヴェズ)はただ見守った。

 被造物がどのように成長するのかを。


 やがて生命は知恵を望み、人となった。


 創造主たる完全者(ヴァル・ア・ヴェズ)は光たる実像と、闇たる虚像に己の意志を分裂させた。


 それが無二の神(ヴェルン)と唯一神(ヴァティ)である。


 



 引用「星の歩み」 著 ホープ・ホルプトリア




────────────────────────



 それは夢のように、または脆く遠い過去のように。


 あの日の続きを見た。



 知らないはずなのに、知っているわけがないのに、どこか、見覚えのある景色、声音、出来事。


 既視感とかそんな次元じゃないほどの。


 また、思い馳せたあの頃を思い出せるのか。

 



 ◯



 この前追体験したのは大木でかつてのラフラたちと遊び、大木のなかで唯一神に魅入られ、先生の家でアーシャと出会った所までだ。



 次は、何処から始まるのだろうか…




「ホープ!目を覚ませ!ホープ!!」



 この声は…ラフラだろうか。

 自分が知る限り、ラフラの声はそこまで成長していなかった。

 だが、ホープには一度聞いた人の声音、声調、口調などを読み解き、その人物を特定する特技があった。


 間違いなくラフラだ。


「こんなとこで死ぬんじゃねぇ!!!」


 死ぬ…?自分は死ぬのだろうか…

 そうだ…アーシャは…彼女は何処に…


「アーシャ…は…」


「あまりの衝撃で記憶が飛んだようだわ…ラフラ!奴らを足止めしといて!」


 自分の問いに返答したのはアニカだ。

 アニカも声に成長を感じる。

 おそらく、思春期あたりだろうか。


「ホープ、一度しか言わないわ。

アーシャは5年前、私たちが12歳の頃に死んだの。

あなたは今17歳で、私たちはアーシャを殺したヴェン・ヒストリアを討つ為に戦っているの。」


 ………ちょっと待て…

 死んだ………?


 あの時の続きが見れると思っていたホープだったが、彼が今見ている過去は9年後であった。


「現実を受け止めなければ前に進めないの、私たちにできることは、立ち上がってアレを止めることよ。」


 アレ………?


 ホープは何気なく、アニカから視線を外した。

 

 すると、目に映ったのは巨大な、尋常でもなく著大な"蕾"であった。


 それは今にも花が咲きそうに花弁を開きかけていた。

 薄紅色の花弁は開きそうな反面、中にいるそれを抑えているようにも見える。



 ただ、ホープは直感した。

 アレを開花させてはいけないってことを。


「はは、顔に出てるよ。

でも、アレだけは止めないといけないってことが伝わったようね。」


「なんなんだよ…アレは一体……」


 大陸を、尊きこの大地をも覆う花。

 気味の悪さはそれだけではない。


 微かに、花の中に無数の生命の気配を感じる。


「見てわからない?大きい花よ。

それも、子どもを栄養とする悪趣味の…ヴェンらしい花。」


 ヴェン……現実で、現在でよく話題に上がる彼か…


「アニカ!奴らに気づかれた!逃げるぞ!!」


「ホープ!説明は後!逃げるわ!」


 左手を引っ張られ、一緒に走るホープは、右手をふと見た。

 あったはずの右手はなかったのだ。


 声にもならない悲鳴を上げた。


「あなたが私たちに希望をくれたように、私たちもあなたを助けるの!第一、ホープは腕がなくなってもめげないでしょ!ラフラと同じくらいバカなんだから!」


 一体、自分は9年の間で、どんな歩みを、どんな関係を築いてきたのか。


 そう思うと、涙とともに、笑みがこぼれていた。


「笑ってる場合じゃねぇぞ!ホープ!」


「わかってる…わかってるよ!」


 わかってるんだ。

 もう、この世界が終わりかけていることなんて。


 ただ、可笑しくて笑ってるんじゃない。


 幸せを感じられるから、笑ってしまう。


「バカ二人で大変だわ。アナトがいてくれたらよかったのに」


 そうだ、アニカが言うとおり、アナトは何処だ?


「なぁ、アナトは?」


 と聞くが、2人の表情は曇る。


「…死んだよ」「死んだわ。」


 先程までの幸せが掠れていく。


 それと同時に、未来の、現在のホープは自信の中に新しく、古い過去の記憶が入っていく。


 アナトが死んだ時の、少し前の記憶。





◯





「早いとこラフラちゃんとアニカちゃんと合流しなきゃいけないわ。

って言っても、アナタがいるから期待させてもらうわよ、ホープ」



 野性的だが、少し女性を意識しているような声。


 アナトの声だ。


「いいや、こっちこそ期待してるよ。なんたって城塞と例えられるアナトがいるんだ。」


 あの時と同じように勝手に口が動く感覚は、まだ慣れない。

 それにしても城塞と称されるアナトの実力が気になるホープだが、その城塞から一目置かれている自信の実力も気になっていた。


「来たわよ、"種人(たねびと)"たちが。」


 アナトの目線の先、はるか前方に確かに動く者がある。

 目を凝らし、その対象を見つめるとソレラは文字通り、植物の種が身体中に浮き出た人間であった。


「まったく、先生もいい趣味ね。私たちを捨ててヴェンの元に行ってしまったし。」


 先生の寝返りを聞き驚くホープだが、この身体を制御している"ホープ"には驚きが感じられない。


「あぁ、結局、アーシャを直接殺したのは先生だ。

ヴェンが裏で操り、"ラクシュ"がアーシャを引き止めていた。

奴らにはそれ相応の罰を与える。

ついてきてくれよ…アナト。」


 アーシャの死に関わる人物のなかに、ラクシュの名前が出てきた。

 ジンドやアスロックに深く関わっているであろうラクシュ。

 彼女は過去にも存在したのか。


「当たり前でしょ、アナタが私たちを助けてくれたんだからね。」


 過去の自分がどのような功績を成したのか、どうも気になるが……

 種人達はもう眼前まで近付いて来ている。


「アナト、援護を頼む。

俺はこのまま突っ切る。」


 まだ自分に残っている右腕には異様な剣…?が握られていた。

 その剣は握れないほどの太い柄があり、鍔の境目から柄頭に繋がる細い柄が着いてある。

 細い柄を掴み、刀身は柄と比べ細く、さらには前腕ほどしかない刃で非常に釣り合いが悪いものだった。


 特徴的なのはそれだけではない。

 自信が掴んでいる細い柄の部分には親指ほどの円錐が突き出ており、どうやらそれは押せるようだ。



「しかし、アナタのテイストブレイカーはいつ見ても惚れ惚れとしちゃうわぁ。」


「あぁ!!何回でも興奮しろよぉ!!」


 そう言い、テイストブレイカーと呼ばれるそれを大量にいる種人に向け振るう。

 種人たちは剣の斬撃を食らうが止まらない。


「食い足りないなら味変が必要だろ?」


 ここで、自分は細い絵にある謎の突起を押すと

 種人たちが食らっていた斬撃は炎を孕み、引火した種人たちからは焦げ臭い匂いを帯びていた。


「ハッ!!まだ隠し味はあるぞ?」


 さらに突起を押し、今度は斬撃が分裂し、種人たちを斬り刻む。


 三種類の斬撃を食らった百は居るであろう種人たちは力尽き、大地に倒れこむ。

 倒れた種人たちの身体は急速に朽ち果て、大地の一部になった。


「そのボタンを押したら属性が変わるっての、私にも欲しいわ〜。」


「先生から盗んだ技術だ。この戦いが終わったら作るよ、アナト。」


 種人たちを倒し、少し油断をした彼らに次の刺客は迫った。


「あらあら。お久しぶりですねぇ。ホープ先輩とアナトさん。」


 嫌味が少し含まれたような女の声。

 聞いたことがないはずなのに、何処か知っている声だ。

 現実の…先日の出来事から予測して、おそらくラクシュだろうか。


「私は風なんです。風芽神(ハターナ)から奪って風になったんですよ、先輩…!」


 好意があるような甘酸っぱい声を自身に向ける彼女だが、間違いなく敵だ。


「どの面下げて来たのよ…ラクシュぅ!!!!」


 怒りを顕にしたのはアナトだ。

 今にも血管がはち切れそうなほどに憤怒している彼はすぐに詠唱を唱えだしたが、


「私、アナタのことずっと嫌いでしたよ?男の癖に女のように振る舞うその中途半端さが癪に障るんですよ。

穢らわしくてずっと消したくてウズウズしてました。」


 ホープとは対照的にアナトに悪意を向ける彼女。


「駄目だ!アナト!煽りに乗るな!」


 というが、もう遅かった。


 彼女の攻撃はもう、終わっていたのだ。


「アナタが水芽神(クトゥーシャ)の力でも得てたら届いたかもしれませんが、もう遅いですよ。


ね、ホープ先輩。」


 恍惚極めたその表情とは裏腹に、その風の矛はアナトではなく、ホープに向いていたのだ。


 死を覚悟した彼は走馬灯を浮かべた。


 浮かべたのだが、現実、現在に生きるホープはその走馬灯が見えない。


「ホープ!!」


 何十mも離れてたはずのアナトはいつの間にか、自身を庇っていた。


 風の矛、鎌鼬の斬撃を代わりに食らったのだ。


 両腕は切り離され、瞳は輝きを失い、自立して歩くこともできなくなったその身体を見て、自身の右腕を失った痛みすら無かったホープはただ「アナト」と叫んでいた。


「どいてくださいよ、アナトさん」


「黙りなさいよ……私は水の城塞よ、こんな風ごとき……」


 強がっているアナトは声もおぼつかなく。

 最後の力を振り絞り、水術で壁を作った。

 最期の二人の時間を邪魔されないように


「ホープ……いろいろ楽しかったわ……。

でも、先生がヴェンと結婚してから全てが狂った……

これは私の最後の恩返しよ……」


 「それ以上…口を動かすな……」



『だから……どうか……


  ホープ………死なないで』



 左腕と、ないはずの右腕から感じられるのは鮮明な死であった。

 暖かい生とは程遠い、生命の余熱で温められた骸であった。


「アナト……アナト……」



「先輩開けてくださいよ〜」


 剣も無く、握る腕もなく、ホープは出血多量により失神をする。




◯




「思い出したよ。アナトは俺を庇って死んだってことを。

なぁ、剣も握れねぇが、最後まで俺は抗うよ。」


 記憶を取り戻したホープと、失った記憶を追体験した現在のホープ。

 現在ではアナトは敵であるが、間違いなくこの時点では味方であった。

 裏でアナトを、ラフラをおかしくした人間がいる。

 それはヴェンとラクシュ、先生だろう。


「何回も言ってるでしょう。私たちがホープを見捨てるわけないって」


「あぁそうだぜ!俺はまだお前に勝ってねぇからな!」


 絶望的な状況でも明るく振る舞ってくれる彼らに鼓舞され、疲弊し尽くした身体を動かす勇気と、希望をくれた。


「それに、ここで躓いてたらアナトにドヤされちまう。」


「そうね。早く来すぎよってあの子なら言う。」


 一緒に走って、何処までも走って、過去を馳せた。

 9年のあいだでどれだけ関係を築けたのか、不思議と理解出来ていた。


 ただただ心地が良かった。しかし、それと同じくらいには穴が空いていた。

 万全な状態ではなかった。


「相変わらず、手が係る子たちね。そう思わない?ヴェン。」


「それが子どもというものですよ、アキナさん。」


 走っていた途端に聞こえたのは先生、バーラ・バーアの声と…知らない男だ。


 ヴェンと呼ばれているが、自分が知っているヴェンの声はまるで目の前のそれとは違う。


「何回も言わせないでくれる?私はバーアよ。」


 すこし憤り、名を訂正させようとするバーアだが


「私が"アキナ"と言えばアキナなんですよ、アキナさんの紛い物。」


 独善的に威圧をする我儘な男だった。


「……まあいいわ、横にうるさいのが二人いるようだけど、消しておく?」


「言わなきゃ分かんないんですか?貴女がそう思うならそうしてください。それが善なのだから。」


 先生はすこし、怯えているような表情だった。

 しかし、悠長に考えている暇はない。

 見なくてもわかる。今の自分たちではこいつらに勝てない上に囲まれている。


 何とか打開策を…


「ホープ」


 左手を引っ張ってくれていたアニカはただそう呼んでいた。

 引っ張る力が弱くなり、瞬きをした瞬間にアニカの身下半身は吹き飛んでいた。


 皮膚と骨に守られていた臓腑は外に露出し、赤黒い血が水溜まりを作っていた。


 彼女の名前を呼ぼうとした時に彼女は辞世の言葉を吐いていた。


「………生き抜いて」


 ただただ、叫んでいた。


 その叫びは、嘆きは、遠吠えのように。


「余所見すんじゃねぇ!!!」


 ラフラのその声に反応し、敵の方向を見ると次の一手が来ていた。


 空間がひどく歪んでいた。

 

「アキナさんのマイクロ波を操るっていう御業は凄まじいね。」


 ヴェンがなにか言っているがそんな言葉は何も聞こえちゃいなかった。


 ラフラまで失ったら…過去の自分は耐えられなくなる。


「走れ!後ろを振り向くなよ!!ホープ!」


 そう言われ、戸惑いながらも、自分にできるのはそれだけだった。


 ただ走った。


 走り際に彼は一言。


「あんまり早くこっちに来るなよ」


 言い残して、後ろから爆風が襲う。





────────────────────────





「逃げれるわけないじゃないですか。」


 ヴェンの声が脳に何度も何度も打ち付けられる。


 少し気絶していたのか。


 そういえば、唯一神(ヴァティ)は…


「唯一神(ヴァティ)なら私が五年前に奪いましたよ。って言っても、未来のアナタは覚えていないでしょうが。」


 …………心が読まれている。

 それどころか、自分が未来から来ていることを理解しているのか。


「概ね、この魔力の躍動からして一億年後の未来でしょうね。

私は世界を何度滅ぼせましたか?」


 一…億年…?


 聞き馴染みがない馬鹿げた単位に思考が遅れるホープ。

 当然だ。この夢が過去であることを予測できても、その過去の年数がそこまで離れているとは思わない。


「あちゃあ、喉がつぶれていますね。でもご安心を、私は心が読めるので対話は可能ですよ。

一億年後、ホープくんは一度死んで再出産され、本物のアキナさんに導かれる…

ありがとうございます。」


 そこまで読まれるのか。

 自分が今、考えてすらいない脳の引き出しから情報が漏れた。


「と言っても、これ以上は何もできませんが。

ここで動けば未来はすぐに変わる。

それに、史実通りなら本物のアキナさんが来るはずです。

アキナさん、ホープくんの邪魔をするなよ」


 史実通り…?もしかしてこの男は、心を読む以外に未来予知すらできるのか?


 さまざまな考えを過ぎらせたホープに救いの一手が来る。


 そう、ヴェンが言う通り、アキナが来た。



「こっちだ!ホープ!」


 それは、若かりし日のアキナであった。


「アキナさん!久しぶりですねぇ!

この世界には特に思い入れはありませんが」




 空間がねじれ、そこから出てきたアキナに向けヴェンはただ吐き捨てる。



「私はアナタのことを一万年前から愛してますよ。

たとえそれが、何億年経とうが」



 男が捨てたのは憎悪ではなく、混じりっ気のない純粋な愛の告白であった。

 

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