第一章第十節 「脈流れる骸の願い」
仮死状態から生存した彼は「俺はリュエルではない」と告げた。
「あの女の…雷で思い出したんだ…俺はリュエルじゃなかった…俺は……ジンドだ……」
その言葉にターラーは生死を彷徨ったことによる錯乱状態だと決定付けた。
彼女にとって『あの女』は記憶されていない。
そして自分は自分ではなく、『ジンド』という知らない名前まで出された。
「リュエル、とりあえず落ち着きなさい。
英雄の残滓で一命を取り留めたもののいつ傷が開くか…」
ひとまず冷静にしようとするターラーだが、「残滓じゃない」と彼は言う。
「それは英雄の死に水だ。
現に、英雄の意思が入ってきた。」
「死に水…?それに意思って…」
「流骸は死ぬと、そいつの生前の記憶が保存された水を遺す。それが死に水でな、他の流骸に与えると、記憶が入っていくんだ。」
「つまり、君には…」英雄の記憶と、リュエルの記憶が入っているのか、そう思い聞こうとする間もなく彼は答える。
「俺には死した英雄アスロックの意志と、今も生きている親友、リュエルの記憶がある。
俺はリュエルを救ってやりたい。」
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【五年前】
「あらあら、ホープくんを捕まえたのね。
ご苦労様でした。」
リュエルは推薦された指導者の私室、その扉の前で女のように取り繕う漢の声を聞く。
間違いなく指導者だ。
「じゃあ和多志はこそこそと嗅ぎ回る鼠どもの処理をしておきますわ。
じゃあまたね、先生。」
鼠どもの処理…?まさか秘術が…バレたのか?
そのように考えを巡らせ、少し緊張をする。
「緊張してるのね。大丈夫よ。和多志は優しいからね。」
扉越しに他者を感知し、更には緊張していることを突き止めたそれに、リュエルは更なる畏怖を覚える。
まだ顔を見ていないのにはっきりと伝わる格の違い。
この大聖堂に入る前、首都として機能している竜都に足を入れた時から空気が明らかに強張っていた。
今から彼が会うのはそういう存在だ。
「入って来なさい。阿名多の味を知っておきたいの」
彼の言葉、彼の所作、彼の息遣い、それら全てが己の生死に関わっていると察知し、自分たちがしていることがどれだけ危険なことか再認識をした。
しかし、それ如きで生への執着を捨てた彼には及ばなかった。
この国に災厄をもたらした元凶に一矢報いるため、元凶を討ち滅ぼすために彼はここに来たのだ。
さらなる覚悟を宿し、扉の取っ手を握り、その部屋へと入る。
「あら、思ったより好みの顔をしているのね、阿名多。」
その空間は大蛇に見つめられている捕食者の絶望と生への脱却を思わせるように異質だ。
まだ何もしていないのに、死を覚悟していた。
坊主頭に張り付けたような笑顔、袈裟と法衣を身に着けた巨漢が立っていた。
学院史上、五指に入る実力を持つリュエルだが、それでも勝てる可能性は皆無だと感じていた。
それほどまでに、彼の存在感は常軌を逸していた。
彼を生身で感じているリュエルは一つ気付く。
この男、笑顔を張り付けているが何一つ心から笑っていないのだ。
「初見でこの笑顔を見抜かれたのは初めてだわ。
阿名多、相当強いのね。
まあいいわ、初めまして、和多志は水教開祖、アナト・ヴァ・ルトリクタよ。」
なんと、偽っていた笑顔に気付いたことを言い当てたのだ。
何処まで心が読めるのか?そんな疑問もあるが、ここは大人しく礼儀を返すしかない。
「お初にお目にかかれて光栄です。
ウィルバニス所長より推薦いただき、開祖専属の料理人として本日より働かせていただきます、国立研究所所員兼、料理人のリュエルと申します。
拙いながらも舌を唸らせるため最善を致します。
何卒、よろしくお願いします。」
「あらあら、そんなにかしこまらなくても良いのに。
早速、腹が鳴いてるから頼んじゃおうかな。
結構うるさいわよ?和多志。」
〇
「阿名多凄いわこれ、なにこれ、感動を超えた感動だわ。
今まで食べてた料理は何だったの?すっごいおいしいわこれ。」
先程までの張り付けた笑顔と違い、それは心からの笑みだった。
届く。これならば、届くかもしれない。
「気に入ったわぁ、阿名多のこと。
もっと教えてほしいわね。」
恐ろしいほどまでに、造作もなく信頼を得たのか?
心が全く読めない。
この男は一体、何者なんだ?
「私のことなど知っても、大して面白みもございませんが、よろしいですか?」
「いいのよ、もっと阿名多のことを教えて?
生い立ち、好きなもの、嫌いなもの、好物や趣味、何を思って料理人になったのか、何故学院に来たのか、そんな事を知りたいの。
ねぇ、教えて欲しいのよ。」
リュエルの半生を知りたがっていた。
言って良いのか、と思っていたが、不思議と話していた。
彼はその才能から親に気味悪がられ捨てられた幼少期の記憶を消すかのように、存在しない親を作り出し、学院へ通ったこと、
好きなものは人を笑顔にすること、これはずっと親が自身に対して笑みを向けなかったからであること。
それと子供である。
嫌いなものは逃げることであり、それも幼少期の頃、息子が親である自分たちを超える才能を持ち、現実から逃げて酒に入り浸っていた経験からである。
好物はシチュー。
寒くて孤独に震える夜、母が振る舞ってくれたから。
趣味は釣り。
父が休日の日、連れて行ってくれたから。
料理人を志したのは両親が喜んでくれたから。
学院に来たのは両親をおかしくした元凶を探るためで、そこでこの国の現状を知り、砂煙が原因であることがわかった。
故に国立水術研究所にて砂煙を研究していたこと。
そこで所長に料理を振る舞ったら絶賛され、ここに来たことを話した。
隠していることもあるが、真実しか語らなかった。
「なるほどね。そんな過去があったなんて。
てことはあれかしら、ルアンとアリーニの息子かしら。
あの子たちの感情に似ているからね。
まあ阿名多には聞こえないだろうけど、ここに来たときの感情は恐怖と敵愾心で満ちていたのに、今ではすっかり術中にハマって安心と信頼に満ちているわよ。
殺さないから安心してね。
阿名多の料理が美味しかったのは本当のことだから。」
耳が聞こえない、というより認識していないリュエルに真実を語る。
何故ならリュエルにはこう聞こえていたのだ。
「大変だったわね。貴方はルアンとアリーニの子ね。
綺麗な瞳に鼻筋、貴方を構成する全てがあの二人に似ているもの。
砂煙は私が責任を持って打ち消すわ。
あれは私が千年前にしくじらなければ、起きていなかったの。
ごめんね、貴方には、いいえ、国民たちには酷いことをしたわ。
だからどうか、私を信じてほしいの。」
そう聞こえていたリュエルは、アナトを信じたくなっていた。
不思議と、そんな力があった。
しかし、リュエルも、何の対策をしていないわけではない。
彼が大聖堂に来る前、体内、魔霊体に着けていた盗聴石。
その親機には真実が聞こえていた。
国立水術研究所、ねじれの酒場。
彼ら反逆者たちの耳にはちゃんと届いていた。
「リュエル……クソ…!」
ジンドの声が研究所に響く。
「リュエルを信じよう」
ウィルバニスは言いながら、ジンドの肩に手を置く。
その手を振りほどき、声を荒げるジンド。
「なんで行かせたんだ!!捨て駒のように使いやがって!なんで俺に知らせなかった!!命はそんな軽くねぇぞ!!」
胸倉をつかみ、唾を飛ばしながら叫ぶ。
「すまない、アヤツの妙技、その全貌を把握しておきたかった。そして、彼の想いを無碍にできなかった。」
〇
それは二ヶ月前、ウィルバニスが協力を申し出た時だ。
「私は生まれつき、洗脳の類が効きません。
だから、私は彼奴を騙せる。」
「それだけでは危険だ。奴は洗脳だけであの座に就いたわけではない。
奴には強大な力がある。
いくら君が学院五指に入っていようが、奴には勝てない。」
自ら提案したことだが、それでもリュエルを行かせるにはまだ早すぎる。
あと十年、せめて五年は力をつける必要がある。
「何も力で彼奴を殺す必要はないですよ。
世の中にはまだ誰も知らない、未知が広がっている。」
彼は上を向き、嬉しそうに言う。
「知ってますか?所長、この世には魔法の他に人体に甚大な被害を及ぼすものがある。
それは科学ですよ。
二つの大きな法則がある世界だ。
殺す方法なんていくらでもある。」
「リュエル……」所長は悲しげに呟く。
彼は歴代の捩れ者の中でも屈指の力を誇る。
そんな彼が自ら命を捨てようとしているのだ。
「あいつは死んでも蘇る。
現に、私たちは奴を八回殺しているが、それでもあいつは蘇るんだ。
その仕組みを握るのが聖水だ。
奴は水芽神の器だ。」
「水芽神がどうしたんですか?関係ないですよ。
だってあいつは、アナトは私の…両親を狂わせて殺しているんだ。」
と言いながら、彼は透明な水筒を取り出す。
「ウィルバニスさん。コレが何かわかりますか?」
「ただの水筒というわけではなさそうだが…
皆目見当もつかない」
そう、透明な水筒のなかには液体が入っているだけだった。
「父と母は昔、ウィルバニスさんが所属する前まではここの所長と副所長でした。
両親は狂いながらも、僕に伝えたかったため、秘密を記憶として遺していたのです。
それが死に水。
流骸の運命を記した液体です。」
「死に水……聖水と対を成すはずのそれが何故…」
「私が調理室で発見したこれは3つありました。両親の死に水。
それで私は両親のことを思い出せた。
そして最後の一つであるこれは、アナトのものです。」
所長はその死に水の正体を聞き、瞳を大きく開く。
「なぜアナトのそれを……」
「死に水によると、両親はアナトを殺すために模索をしていました。
そして辿り着いた。
アナトが流骸であることを。
ウィルバニスさん、彼の不死性に聖水が関わっていると言ってましたね。
水芽神の聖水、生き水とも言えるそれは人体に極限の癒しによって死んでも蘇る。
だが、完璧な力ではあるが器は不完全だ。
排出されたこの不要で不完全な死に水は彼にとって毒です。
彼の人生を濃縮したこの死に水もまた、生き水が持つ極限の癒しによって情報量が増える。
これを彼に投与すれば、彼を弱体化できる。」
ウィルバニスはただ驚いていた。
知らない情報を彼が集めたことではない。
捩れ者が数十年数百年かけて集めた情報を一人で知り得たという事実に。
「すべて知っていたよ。だが、それを君に伝えるのは早いと思っていた。
君の覚悟も十分に伝わった。」
「良い性格してますね。
ウィルバニスさん、ジンドに伝えてください。
……………」
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リュエルがアナトに見せた感情はすべて演技だった。
アナトの専属料理人となり、4年が経過した。
「そろそろだな…」
と、リュエルは独り話す。
彼が2年間で知り得たアナトの性格、嗜好、癖から殺害方法を確約し、遂に実行に移す。
「開祖さま。本日の朝食です。」
じゃがいもを茹でて潰し、調味料を混ぜ合わせた前菜。
卵を溶き、味付けして焼き、巻いたもの。
稲の種子を数千個ゆでたもの。
海から採れる植物を旨味で煮込んだ汁。
アナトの眼前にある御膳、今までに出したすべてにアナトの死に水が含まれている。
微量の死に水を違和感なく投与し、少しずつ彼を狂わせていたのだ。
「なんだか最近、調子がいいのよ。
たまには阿名多も食いなさいよ。」
何も知らないアナトは食事を誘うが、その食膳には死に水以外にもう一つ含まれているものがある。
リュエルが4年間で創り出した、存在しない人物の記憶が記された死に水である。
彼の名前はカナト。
アナトが浄化戦争時に亡くした双子の弟、という設定だ。
なぜこのタイミングで投与したのか。
それはアナト自身に現在のアナトではない過去のアナト、その死に水の複製品を多量に内在させ、自分を見失わせてからではないと、異質感に気付いてしまうからだ。
「美味しいわぁ、ホントに…うっ……」
実際には架空の弟は2年前に出来ていた。
だが、アナトの精神は安定していたのだ。
精神が不安定になったのは2年前、アナトが少しの失敗をした時に自身の腕を傷つけていた所を目撃したのだ。
本来のアナトはどれほど怒りに飲まれても、決して自身を傷つけなかった。
「なんでこんなに美味しいのよぉ」
アナトの表情は徐々に曇り始める。
美味しい、と褒めて喜々としているが、彼は頭を強く掻き始める。
「和多志への当てつけってこと?阿名多も食いなさいよ!!」
と、自身の爪が剥がれ、頭皮が捲れるほどに掻きむしり、終いには頭蓋骨が露わになっていた。
『落ち着いてくれよ。兄さん。』
その声はアナトの脳に響く。
懐かしいその声は、己が殺したはずのカナト。
憎たらしくて愛おしくてたまらない弟の声だ。
『またそうやって自分を傷つけて、もっと自分を愛してくれよ。』
あの日、自身ではなくアスロックに味方した裏切り者。
それでも自分に優しく問いかけた裏切り者。
『兄さん、なんで俺を殺したんだ?砂煙なんて撒いて自国民を陥れ、嫌われる真似までして、なんで水芽神を己に宿した?』
違う。違う。違う。
和多志は…私はただ…私は…
カナト…私は…
あなた達の味方だったの…
『味方なわけ無いだろ。
あの蛇に唆されて裏切ったのはそっちだろ。』
違うの。
私達はあいつにすでに負けていたの。
『兄さんが…蛇に呑まれなかったら…』
蛇…蛇って…そうか…風の…
『ずっと信じてたのに…』
『あれに勝てるのは兄さんだけなのに…』
『殺さないで…正気を戻しておくれ…』
カナト…
「随分と架空の弟と思い出があるんだな。
もしくは自身の一部の記憶を架空の弟に当て嵌めたのか。
だが、これで下準備完了だ。
後は調理するだけだな。」
独りで虚ろを向き話すアナトを他所に、聖水の在り処へ向うリュエル。
「聖水って言うから綺麗なものを想像していたが、泥水のように濁っているんだな。
来てくれ、ウィルバニスさん。」
聖水がある部屋の扉が開き、姿を現したのはウィルバニスだ。
「君を信じてよかったよ。
ジンドも喜んでいる。」
リュエルの前に現れた彼は頭を下げる。
「本当にありがとう。」
そしてリュエルは「頭を上げてください」といい、聖水を渡す。
「これは聖水を完璧に模倣した液体です。
効果効能は確認を取ってます。」
と言い、ウィルバニスは口を少し開ける。
間を起き、「いつの間に作ったんだ」というが、
「それと、これは僕の死に水です。」
「生きているのに…?」と驚く。
「簡単なことですよ。自分の魔霊体を騙して排出させました。
これと聖水をジンドに渡してあげてください。」
「どうして、ジンドに…」
「私ではアナトには勝てません。
アナトを錯乱状態に陥れることはできても、肉体を完全に殺すことは出来ない。
だから、秘術を習得している彼じゃないと勝てない。」
リュエルは勝てないと言った。
そしてウィルバニスに伝えるのだ。
「ジンドに伝えてください。
私は君のことが今でも好きみたいだ。って」
〇
ジンドがその死に水を得たのは現在より半年前。
ホープが死したとき、褪せた光が大地を照らした時だった。
リュエルの、血が流れた生者の死に水を飲んで半生を追ったジンドは独り呟く。
「はは…俺にそんな趣味はねぇって言ってんだろ…馬鹿が…」
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【現在】
「リュエルは、俺の親友だ。
水の開祖、アナトを今もなお足止めしている。」
悲しげな表情でジンドを名乗るリュエルだったものは続けて話す。
「アスロックの死に水には英雄の記憶は無かった。
だがよ、願いが記されていたよ。」
「願い…?」
とターラーは聞く。
「俺に教えた秘術でアナトを解放してやれ。ってな。
だから解放してやる。アイツが死に物狂いでしがみついてる生ってやつからな。」
「ジンド…」と困惑してるターラー。
「馬鹿な友の願いでもある。
まあいい。お前らには関係ない話だ。
とりあえず先を目指すぞ。」
と言いながら霊殿を進むジンドの表情はどこか淀んでいた




