第一章第六節 「霊峰」
老婆から貰った黒塗りの護符。
それは褪せた光から身を守るために光を最も吸収する色、黒により彩られていた。
褪せた光すらも吸収し得る、科学と魔法の結晶だ。
混じり気のない純粋な漆黒、そこには色など認識できない、白と対を成す色相である。
褪せた光を反射しない、ヒストリアに存在する唯一の物。
この護符はそう云うものである。
〇
「…という訳だ。まぁなんだ、これがあれば気味の悪い光など抑えられるってことだな。」
黒塗りの護符について説明をするリュエル。
23歳である彼は顔に無数の切創、左腕は粘質状に溶けており、丸坊主で身長は戸を屈まないと通れないほどある異質な男だ。
「この黒塗りの護符、これの効果は褪せた光を吸収する。
この新世界に護符と同じ性質を持つ板、吸光板を設置して行って安全圏を確保するのが今の目標だ。」
リュエルは目標を語り、新世界西部の大陸アスロックに位置するイスガルド平原を三人で歩く。
あの酒場の扉は護符を所持する者が行ったことある地へ転送もできるようで、その地へ行ったことある者と同行すると行ったことが無い者も行けるようだ。
一行はイスガルド平原の北東部、霊峰イスザリアスへと向かっていた。
「これから向かう霊峰はこの大陸で最も空に近い場所だ。
あの忌まわしい光の影響も地上より遥かに大きい。
だが、その分、吸光板も良く働く。
これを設置することによってアスロックの被害は収まる、と婆さんは言っていた。」
リュエルは何もない場所から微かな光すら感じさせない漆黒の板を取り出し、その詳細を教える。
その板の周囲は暗く、されど心地のよい闇で満たされていた。
褪せた光などという紛い物の光とは違い、実物の闇はなんて心地が良いのか。
「あの忌まわしい光の被害は確認できるだけでも子供の様子を狂わせ、生物が結合した存在も確認されている。」
その言葉はホープとターラーが数時間前に遭遇したあの蟲のことを指しているのだろう。
そして子供の被害も、ターラーは西側の旧世界に居た時、耳にしたことがある。
「おっと、その様子じゃもう出会しているようだな。
あれの詳細は俺どころか、婆さんすら知らないようだ。
そして、子供たちの被害もまた知っていないとのことで、まあなんだ、やべぇってことだな。ハハ」
被害の現状と未知数の脅威に掠れた笑いをするリュエルにターラーは口を開く
「子どもの方は何もわかりませんが、しかし、あの化け物はこちらの方で調べました。
あの化け物はその地に生息する小動物や虫たちが溶け合い、異形とはなったものの…
その根源は人間に等しい、いや、人間のものとなっていました。」
数時間前に分析し、得た情報を提供するターラーにリュエルは驚き、また掠れた笑い声をあげる。
「あの一瞬で調べたの?」
さらにはホープも驚き、「ホープを守るためよ」と口にする姉。
「ハッ!良いじゃねぇか、状況は良くねぇが、あの忌まわしい光、討ち滅ぼしに行くぞ!!」
男は一人盛り上がり、闘志を燃やす。
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さらに数時間移動をした一行は休息をとる。
木が密集している場所に火を焚き、簡易的な寝袋を用意している。
「あの光が邪魔してなければ今頃は夕方だろうな。
全く、昼夜かどうかすらも分からねぇ。
黄昏のような光で邪魔しやがって、不便ったらあらしねぇな。」
リュエルは愚痴を吐き捨てている。
目が覚めたら空の様子がおかしく、果ては灰のようなものすら舞っているのだ、少年は疲れていた。
「ほらよ、猪歩いてたから狩ってきた。食いな。」
大男はそっぽを向きながらも、仕留めた猪で作った料理を渡す
「あ、ありがとうございます。」
少年は感謝を告げる。
「飯だ飯。食わにゃ育たねぇし動けねぇ。」
食事の前に手を合わせ、食への感謝を示して食べ始める大男。
案外、この男は適当で不器用なだけで丁寧な人だと察する姉弟。
「ほら、お前らも食えよ。ここの動物は美味いぞ。」
男の所作を見様見真似に再現する弟。
一拍手一礼をし、目の前に差し出された御膳をいただく。
柔らかいその肉は噛めば噛むほど肉汁が溢れ、肉を構成する繊維がまるで食べられるために解けていく。
肉を構成するすべてが味覚に幸福を享受している。
肉を構成するすべてが身体に栄養を享受している。
「とても、美味しいです。」
久しぶりに、初めてまともな飯を食べたように、涙を流す。
ホープはこの瞬間、とても幸せであった。
「そうか、良かった良かった。」
リュエルは嬉しそうに語りを続ける。
「俺は昔、料理人を目指してたんだ。
親友と一緒にな。
ただそれはもう叶わねぇ、叶うわけもねぇ。こんな左腕じゃ。」
だが、うれしそうな声も、次第に怒りに溢れる。
「……悪いな。こんな話しても意味がない。
今日はもう寝よう。疲れただろ。
一刻も早く、この光を止めるために」
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「……おい………おい!!」
リュエルの野太い声で夢から目覚める二人。
「半年ぶりに見たぜ………月をよぉ」
半年間、姿を眩ませていた月が現れたと言っている。
体を起こし、空を見上げると。
怪しく妖しき奇しい黒ずんだ瞳のような月が彼らを照らしていた。
「気味が悪ぃな。」
そう、リュエルが言うようにまさしく、気味が悪い月だった。
褪せた光に包まれ、常に黄昏時のような明るさだった者とは異なり、その"夜"は月以外を呑み込んだ闇で溢れていた。
褪光無き褪めた夜であった。
闇に浮かぶその月とも言えぬ星は瞳のように、まるで彼らを見つめているようだった。
「火教さん、あんたはあれが何か聞いてるか?」
ターラーに問いかけると
「あれは恐らく、地教のアニカが浮かべた月です。」
と答え、ホープは思わずに口に出す。
「アニカって、黒髪の…?」
「ホープ…知ってるの?」
知ってるかのように話す弟は
「うん…おかしいとは思うけど、僕が死んでるとき見た夢にいた子。
同い年くらいのラフラとアニカ、アナトが居たんだ。」
思わぬ答えにターラーとリュエルは驚く。
「おいおいおいおい、お前まさか千年前から生きてんのか?あの野郎の若かりし時なんてそんくらいだろ。」
まず最初にリュエルが反応し
「たぶん違う、でも、見たことあるような景色だった。」
と答え、今度は姉が
「その夢、もしかしたら本来のホープの前世かもしれないわ」
と言い、唖然とする弟に姉は
「養父が、ラフラはかつて言ってたの。
ホープは、昔の友人だって。
だからきっと、その夢は…ホープの前世の記憶に間違いないわ。」
姉のその言葉に反応するように、内なる崇高な存在も脳に語りかける。
『えぇ、彼女の言う通り、幾つもある前世のうち、色濃い記憶です。
アーシャとホープが再会した前世です。』
ホープは姉と内なる者の言葉により、覚悟が強まる
「うん、余計に会いたくなったよ、アーシャに。」
そう、その覚悟であった。
「まあ何でもいいが、火教さん、あの月について知ってることを教えてくれ」
言うとターラーは脇道に逸れ出した話を本筋に戻す。
「えぇ、ラフラが言うには、創星の儀により新しい星を作り出すために必要な陽月。
その片割れです。
私の洗脳が解けていなければきっと、今ごろ儀式は完了しています。
新しい星は奴らにとっての救世主です。」
「それはヴェンが、ヴェン・ヒストリアが指示したことなのか?」
聞くと、姉は
「在籍時にヴェン・ヒストリアやそれに関する人物は聞いたことがございません。
ただ、私と弟の忌々しい父だったものはヴェン・ホルプトリアを名乗っておりました。」
あの地獄を産み出した憎たらしい親。
それは確かにヴェン・ホルプトリアであった。
「儀式の執行を指示した者はバーラ・バーアです。」
姉が答えると、リュエルは「そうか」と口にする。
「あの偽物の月と偽物の太陽が褪せた空に浮かび、祭具が揃えられ儀式が執り行われると、星が生まれてしまう。
その星が何なのか、あの月に何の効果があるのかは私の権限では分かりません。」
姉の言葉にリュエルは残念そうにして
「そうか、火教さんでもわからねぇか。
月が浮かんで夜がいつなのか分かるって素直に喜べる状況でも無さそうだしなぁ。
ちょっと待っててくれ、吸光板で様子見をするからよ。」
と言い、その黒塗りの板を出す。
「この板が光以外も吸収出来るのか不安だが、
月光は吸い取ってくれるだろ。」
そう話すと、板の周りにある気味が悪い褪めた闇は次第に心地がいい闇へと変わり、あの偽物の月の正体が暴かれる。
「おいおいおいおい、なんだよありゃあ」
あの月は、あまりにも肉肉しい赤色であった。
「なんか浮いてるよ」
ホープが言うとターラーは目にしたものを答える
「あれは…内臓…だわ…
それも……」
浮いてる正体はターラーが幼き日に目にした、子どもたちの内臓、それも生殖に深く関わるものであった。
言えるはずがない、言えるわけがない。
言ってしまえば弟は、かつての姉のように心を閉ざし兼ねない、そう思い、敢えて口にしなかった。
「見たくもねぇものを見てしまった。坊やにゃ言えねぇぜ。」
リュエルも視認したように話す。
ホープもそれの正体が気になるが内なる知能は
『亜名多はまだ知らないほうがいいです。』
と答える。
うすうすとあれの正体を知ってはいけないと思っていたため、深追いすることをやめたのだ。
「坊や、ここは俺と火教さんで見守るから寝たほうがいい。
刺激が強すぎる。」
と言われ、従うことにする。
実際、その日は月以外平和に終わったのだ。
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翌日、陽の無い朝を迎えた一行は不思議と、昨夜に比べ忌まわしい光すらも気持ちが良かった。
だが忘れてはいけない、その光は作られた世界の色褪せた光。
決して受け入れ続けてはいけないもの。
開口一番にしたのはリュエルで
「毎夜アレを観るのは心地良くない。だが、忌まわしい光を浴び続けるのも気分が悪いだろう。
霊峰イスザリアスにはあと数時間ほどで着くだろう。
とっとと板を置いて婆さんの元へ帰ろう。」
当初の予定通りに熟す為の声はどこか哀愁が含まれていた。
先日見たあの光景は、あの月は成熟した大人でも、見ていて気分が悪い。
この褪せた光を晴らすため、一行は歩を進める。
一歩二歩三歩と進め、繰り返し、その歩数が数千となり、やがて霊峰の麓へと辿り着く。
少年は想い人に会うため。
女は弟を守るために。
男はその因果を果たす為に頂上へと向かう。
【霊峰イスザリアス】
そこは浄化戦争により生じた新世界、元の旧世界に遺る因習の果てが遺る土地。
水教に狼煙を挙げた英雄はただ、民を護りその姿は人ならざるものになった。
かの英雄の残骸は姿を隠し、はるか東の地にいるとされる。
千年の間、彼が護ったものが、護りたかったものがこの霊峰にある。
信念と信念の衝突こそが戦である。




