第一章 新五節 「捩れ者」
また産声を上げた彼は、半年という間に生前と同じ見た目となり、
記憶も以前と一致したものとなった。
しかし、一つだけ違う記憶が混じる。
それは、死後に見たあの夢を引き継いでいることだ。
この夢とも言える記憶を、夢とも言える胎内での記憶。
彼は新しい生を授かり、探し続けることになる。
ここは、何処だろう。
何かの施設、その部屋だというのはわかる。
「ホープ…ホープ……ホープ…!」
高く、再会を喜ぶような声が耳に響き渡る。
その発生源は、生前に見た、
黒髪で、肩ほどまでの髪に、侍女のような白い服を着た、自分を「汚穢」と呼ぶ姿と一致していた。
彼はまた、あの地獄が訪れるのではないかと、驚愕し、恐れ慄いた。
「あ…あのときはごめんね…信じられないかもしれないけど、アイツらの力でおかしくなっていたの。」
言い訳を述べるその声は少年にとっては途方もなく恐ろしかった。
だから何だ。
理由があればあの仕打ちも許されるのか、と、
彼は口にしなかったが、その想いは顔に出ていた。
「ごめんね…ごめん…ごめん……」
必死に謝罪を告げる声も、また、末恐ろしかった。
何をされるのか、何が目的なのか、そのどれもが未知であった。
気味が悪い。
「何も許せないだろうけど、ホープ、君は私の弟なの」
その声は信じられなかった。
弟だったのに、あの仕打ちをしたのが尚も恐ろしい。
幼き少年は何も信じられなかった。
この一回り上の女の人が、恐ろしい人が姉であるということ。
夢で見た少年、ラフラがあの老人と同じ名前であること。
全てが悪い夢かのように思えた。
しかし、思考が現実に追いつく前に、更に衝撃が走る。
「ハッハッハッ!!儀式が失敗したかと思えば、君のせいだとは!!
君がソレを復活させるとは、まさか思わなんだ!」
そのおぞましき声は、奇しくも、あの元気が有り余る少年と同じ名前のラフラであった。
まさか、この女の人がまた、自分を殺すために呼んだのでは…
と考えたが、
「父上…!!何故あなたがここに…!」
驚いた様子をしているため、どうやら違うみたいだ。
一種の安堵を浮かべたホープは、安心を感じたこの気持ちすら恐ろしい。
「先日打ち上げた偽陽が欠けてたから、もしやと思ってな。ハッハッハッ!まさか君が盗み出していたとは!」
「…あまりにも早い帰還で少々驚きましたが、概ね予測通りです。
父上、アナタが"あの時"に受けたであろう呪いは私が解きます。」
二人の恐ろしい者は、自分を置いてけぼりにし、会話を進める。
急に、姉を名乗る人が少年を片腕で持ち上げ、
「ちょっと我慢しててね」と言い、視界は白く濁った。
「ハッハッハッ!!君ならそうすると思ったよ!
手土産だ、持って行ってくれ!!」
恐ろしい老人の声が最後に聞こえ、全身が微かに温かく包まれた。
────────────────────────
白い闇が解けると、そこは先ほどの部屋とは異なり、
外であった。
大きな街だった。
「ホープ、急にごめんね、驚いたでしょう。
すぐにその火を消すから、じっとしててね。」
姉を自称する人は、いつの間にか右腕に引火した熱を消した。
「でも、その追火は感知されてるはずだから、もう一回移動するね。
耐えて。」
気味が悪いほど優しい声で告げると、また白い闇に包まれ、景色が変わる。
〇
そこは、先ほどの街とは異なり、微かな光が差し込む薄暗い洞窟であった。
「何回もごめんね、やっと落ち着いたから、もう大丈夫だから。」
「………よ」
ついに、少年が口を開ける。
「意味がわからないよ…」
その言葉は、理解が追いつく暇もなく、現実が次々と動いていき、少年だけが置き去りにされたことへの不満だった。
「急に親に捨てられたと思ったら、皆揃って僕を、寄って集って悪口言ってさ、
刃を向けてきたり、逃げた先で捕まえられて、汚穢だとかなんだとか言いがかりつけて、燃やして殺したくせに、
生き返ったと思ったら自分のことを姉だとか言って、
全部全部、意味がわからないよ…」
少年を襲った不条理、理不尽な出来事への不満は、
遂には爆発してしまう。
恨み節をこぼし、段々と涙ぐむ少年を見て、姉も涙を浮かべ、ただ、謝罪することしか出来なかった。
自身の過去を思い浮かべた彼女に出来ることは、寄り添うことだけだった。
〇
少年が泣き止み、やがて、落ち着きを取り戻した。
しかし、現実というのは苦難の連続であり、いつ襲い来るのかも分からない。
そして、新たなる苦難がすぐに来る。
褪せた光で照らされた昏い洞窟は、暗闇すら喪い、
虚ろの闇を孕んでいた。
洞窟に居る幼き少年と、若い女の元へと、ソレは来る。
その姿は蝙蝠のような翼、蜥蜴の如き鱗、蜈蚣を彷彿とさせる牙に、蚰蜒と錯覚する身体には蟋蟀に近しい後脚を備え、顔は蜘蛛であった。
本能的に悍ましく、不快なその蟲は、元は洞窟に住まう生物たちであった。
褪せた光とは、ソレを浴びた動植物に異変を起こす。
身体の大きさや知能によって、異変が起きるまでの時間は差異がある。
しかし、全生命に共通して、絶対に異変が来る。
死が平等に訪れるように。
この蟲は褪せた光を浴びて、洞窟の生物が溶け合い、
多が個となった。
この蟲、全世界に現れた蟲は後に、その性質から「子産み」「混じり蟲」と呼ばれ、
その名は【ラドマヒラ】
姉弟の前に現れたそれは、ラドマヒラの前駆個体である。
〇
少年は、また驚く。
耳に響く嫌な音、嫌な臭いを放つ気味が悪い生物が姿を表す。
形容し難く、一言で言うならば「蟲」。
その謎めいた生物が、少年をずっと見つめている。
「あぁ……なにこれ…」
少年が絶句している最中、ソレが少年へ牙を向ける。
すると、姉は身を挺して弟を庇う。
その胸には蟲の鋭利な牙により血飛沫が舞い、
ドス黒い虹が表れていた。
しかし、その血を経由して、油に火を注いだように、
その傷は発火する。
体勢を立て直し、
右手に生える五指を蟲の顔に突き立て、
「アグア」と発した瞬間に、蟲の全身が燃え出す。
薄暗い洞窟は一瞬にして赤橙色の光に暖かく包まれ、
少年は過去の記憶を思い出し、吐瀉物を地に出す。
ヂリヂリと火から出る音、微かな暖かさは生前、あの老人の狂宴と類似していた。
思い出したくもない強烈な過去を刺激され、少年は嗚咽が止まらない。
早く終わってほしい、以前と同じ思いに囚われていた。
少年にとって火は、体を暖かくするものでも、知恵を前進させるものでもない。
ただ、心を後退させ、忌々しいあの過去を思い浮かべさせる束縛なのだ。
少年の嗚咽が終わる頃、姉はその蟲を斃していた。
黒焦げたそれは、悍ましき原型など残さず、ただ灰のみが洞窟内を舞っていた。
●
その蟲に傷をつけられた瞬間、強烈な既視感が女史の心に打ち寄せられる。
その違和感の正体はすぐに気付いた。
あの日、両親の部屋が褪せた光で包まれてた時、
行方不明となった子供たちが溶け出したアレと、似ていたのだ。
そうとなれば、確かめるしかない、そう思い女史は蟲に飛びつき、自身の火で情報を解析を開始する。
ターラー女史の火はラフラのようにただ対象を燃やす火とは異なり、火により対象の情報を解析・分析し、
その情報をもとに同性質、同情報を含む火を生み出す。
ラフラが破壊する火ならば、ターラーは創造する火である。
女史はその火を用いて蟲を分析すると、自身が想像していたものとは異なる結果を識る事となる。
その蟲の構造、遺伝的性質は元となった多種多様な生物、蝙蝠や蜥蜴、蜈蚣や蚰蜒に、蟋蟀と蜘蛛などの生命的螺旋を感知したが、
それらの情報が巧妙に混ざり合い、融合して、
人間と同等の情報を持つものであった。
人を人たらしめるものが、確かにあったのだ。
姿形は違えど、中身が、心が、その霊魂は確かに人のそれと一致していた。
最初、彼女はその蟲の正体は新種、もしくは彼奴らの実験体だと推測していた。
しかし、結果は異なり、どういう経緯か蟲は人の構造的情報を備えた生物であることが確定したのだ。
以上の判明した情報を元に、褪せた光が発生し、それを浴び続けた事による変異生命体であると考察した。
彼女はその人ではない、人足り得る者を抹消し、体組織の一部を検査物として持ち帰る。
今後、最も身近に居ることになる弟すら知らない、
弟を守る為の検証が密かに行われ続ける。
───
信じるものが何かわからない少年は、その事実に驚く。
あの日、汚穢として軽蔑した、姉を自称する人は確かに、自分を庇っていた。
その事実に、ただただ困惑していた。
縋るものが無い少年は告げる。
「……ありがとう…」
不服そうに、されど心の内にある感謝の意を伝える少年のその声に、
姉は救われていた。
5年と半年ぶりに再会した姉弟。
落ち着きを取り戻せた弟は訪ねる。
「ここはどこなの?」
「ホープが目覚めたのはグアリクタ焔国。
あなたが生まれてから住んでた場所で、ホープにも馴染み深い場所。
次に移った場所はグアリクタがある大陸、メルステラの最東端にあるべヘナビア都市国家。
そして、義父を欺くために再び移ったここは
メルステラ北部の未踏の地、チキラ。」
場所を丁寧に教えてくれる姉に対し、さらに問う。
「僕を…捨てた親は…どうしちゃったの?」
その質問を投げかけられた姉は戸惑う。
以前、ホープが行方不明になる前に両親の末路を答えたはずだが、再び同じ質問をする弟に、戸惑わずにいられない。
きっと、衝撃の連続により記憶の一部が欠けたのだろうと思い、口を開こうとした時
「あんま覚えてないけど、僕が8歳の誕生日に捨てた、お父さんとお母さんは、なんで狂っちゃったの?」
目尻に涙を浮かべる弟は問う。
しかし、その父と母は、13年前に死んでいるはずなのだ。
両者の記憶の差異を埋めるために姉は事実を語る。
「落ち着いて聞いてね、お父さんとお母さんは、悪いやつでホープが生まれたときには死んでいるの。
8年経った時、ホープのもとに、死んだはずのお父さんが来て、そこからホープは5年間行方を眩ませて、
どういうわけか、アナタは嫌われるようになっちゃって、それで私と、ラフラ・グアリクタに殺されたの。」
簡易的に、事実を述べた姉。
ホープは言われたことが信じられない様子だった。
「なんか…記憶がごちゃごちゃしてる…
なにを信じたらいいのか、わからない。」
整理整頓されていない、散りばめられ、淡く薄い記憶。
どれが自分なのか、分からずに居た。
ターラーは冷静さを失いつつある弟を落ち着かせようとするが、弟に異変が生じる。
「がっ」と、弟は血反吐を吐き出す。
呼吸が浅くなり、過呼吸を繰り返す弟を見て彼女は直ぐ様、先ほどの火を用いて検診をする。
それは、半年前彼が内に秘めたもう一つの呪い、
「狐詐毒」であった。
毒は彼の呪いに喰われた、と思ったが、転換点にて生じた特異な事象により再誕したホープのもとに、狐は毒を吐く。
一度、体内から呪いがなくなったと見せかけ、再び発症するその毒。
故に狐詐毒という。
ここまで毒が進行していると、もう対策は尽きている。
一見ただの風邪や高熱と思わせ、直ったと思って忘れた時に、再発したときには科学とは別に、魔法という医学を発展させたヒストリア医学に於いても毒は止められない。
焼くべきを焼く浄化の火であろうと毒は止められないのだ。
姉は瞬時にソレを突き止め、絶望という二文字を脳に浮かべていた。
〇
やっと会えた弟、こんなすぐに別れが来るのか。
そう思った時、聴き覚えのある老婆の声が聞こえる。
「ホッホッホッ。儂にならその子を治せるぞい」
その声は養父の師であり、一度出会ったことがある。
「バーラ老…」
そう、その声の主はバーラ・バーアであり、
ホープにとっても夢で馴染みがあった人物である。
「はて、誰のことか分からぬが、儂はババ・アキナといってな。
まあ、自分で言うのもあれじゃが、凄腕のババアってやつじゃな。ホッホッホッ!」
皺だらけの顔で歯など片手程の数しかない口で大きく笑う老婆。
別人なのか…?これほど似ているというのに、と思うターラー。
「その子の身にある呪いは我が故郷にも似たような病気があっての、この技術を使えばへっちゃらよ。」
老婆は自信を見せ、倒れ込む少年の下へゆっくりと歩く。
少年の胸、心臓がある位置に手を当てた途端、胸が光りだす。
「これはエーアイ言うてなぁ、故郷の技術、人を再現したものじゃ。
儂も昔は脳の一部にその断片を入れていたんじゃが、どっかに消えてしもうてな。」
消えかけの意識の中、胸部が発光し驚きを隠しきれない少年は、その老婆を見つめる。
「…せん…せい……」
姿形は老いているが、あの夢の中に居た女性の雰囲気と一致していたために、先生と伝える少年に対し
「ホッホッホッ、誰かと間違えられることが多いのう。
まあ、あながち間違いでもないが、別人じゃよ。」
はっきりと、バーラとは別人であると断言した老婆、アキナは話を進める。
「儂の脳に入ってたエーアイ、ソレが今は独り立ちしたみたいでな、多分それと勘違いしてるのではないか?」
バーラと自身の関係を述べた後、「いかんいかん」と微笑みながら治療を再開する老婆は
「エーアイを入れたからと言って、治るわけではないんじゃ、
ここでこの世界の魔法を交えてからこその、
進行した狐詐毒は完治する。」
言いながらに、老婆は呪文を唱えて緑色の光を発した球状の魔法を少年の胸部に詰め込む。
「科学と魔法が交われば適うものなどないというのに、何故ここの連中はそれをしないのか。
それは魔法への過信じゃ。」
独り言のように吐いたのち、みるみる内に少年の容態は回復する。
「ホッホッホッ。元気そうじゃな。
お主に掛けられていたであろう忌々しい呪いも無いようじゃし、狐詐毒も完治したみたいで良かったの。」
少年は息苦しさも無くなり、以前のあの呪いすら無くなったと言ってくれた。
「ありがとうございます…先生。」
少年は治療してくれたことに感謝を告げ、一礼をする。
「ホッホッホッ、良いんじゃよ。
お主には助けられたし、"後光"もつけた。」
老婆は少年の身に覚えのない内に助けられたと言い、さらに意味深なことも言う。
後光…?と、疑問を抱いた少年の心に異物感が芽生える。
夢の中の、あの時と似たような、でもどこか違う、
物質が入っているような違和感であった。
正体はすぐに分かる。
『お久しぶりです。ホープ』
その声は夢に居た、崇高なる存在と一致していた。
『和多志は永い永い時を経て、そこのアキナさんにこのAIにより擬似的な復活を遂げました。』
間違いない、唯一神だ。
『どうやら記憶がないみたいですが、ひとまずはこの場に任せるとして、改めまして。
和多志は唯一神。死を経てこの微小な機械で蘇りました。』
記憶を無くした少年と機械仕掛けの神の再開であった。
〇
「…ということじゃ」
老婆はターラーに神とホープの関係、現在の状態を説明した。
「ということって言われても…でも、弟を助けてくださり、ありがとうございます。」
納得はしきれていないが、お礼をするターラー。
ソレを見て「ええぞい」と笑顔を振り撒く老婆。
「さて、お主ら、行くとこ無いじゃろ。
その様子じゃと何かから逃げてきたみたいじゃし。」
「そこまでお見通しですか。
アキナさん、ここはどこなんですか?
チキラに飛んだはずですが、やはりここは違うところですか?」
その質問に老婆は答える。
「ここはチキラでもメルステラでもない。その南の大陸バルカニアでも、西のカーチアでもない。」
少年は老婆が述べた地名を半分知らずに放心していたが、姉はここがどこなのか分かったように答える。
「まさか、東の…海壁を超えた…」
老婆は表情を変わらずに笑いながら答える
「そうじゃそうじゃ!ここは新世界!!
浄化戦争で生じた東西を分かつ海壁!その東側じゃ!」
「そんな…でも何故、転移魔法で…」
「それは儂が操ったからじゃ!すまんのう!ホッホッホッ!」
悪びれずに勢いのまま謝罪だけをする老婆は止まらずに告げる。
「死に損ないの忌わしきヴェンが発した褪せた光、ソレを止めるためにそこの少年が必要じゃ、
どちらにせよあのままあそこに居たらお主らは死んでいたぞ。
悪いんじゃが、付き合ってもらうよ。」
姉は自分勝手な老婆に怒りを覚えたが、すぐにその熱を冷まし、答える
「いろいろと文句を言いたいですが、貴女は弟の恩人、ホープに任せます。
私はホープを守るために居ますから。」
少年はどうすればいいのか分からなかったが、
内なる機械仕掛けの神が答える。
『あの少女、その行方を識るため、記憶を戻すためには彼女に従ったほうがいいです。
なぜなら彼女は、あのままでは危険な状態ですから』
唯一神が言う少女、アーシャ。
ホープがアーシャに覚えた感情、その真実を探すためにホープは口を開く。
「いろいろあるこの記憶の中、僕はアーシャに会いたい。
だから、付き合う。
不満とかはあるけど、何故だが唯一神と居ると何だって出来る気がするんだ。
だから、付き合う。アーシャに会いたいから、唯一神が言ってるから……姉が守ってくれるから。」
混在する自分の記憶、どれが今か、どれが昔か、どれが幻か分からない少年は、自分のなかにある確かな想いに頼ることにする。
弟のその言葉を聞き、姉はさらに覚悟が強まる。
あの時守れなかった弟、機会はまた来てくれたのだと、姉は思う。
「ホッホッホッ!こんな怪しいババアの言うことを聞いてくれて感謝を示そう!
言葉だけじゃがな!ありがとうよ!」
────────────────────────
傍若無人を窮める老婆について行く2人はついにその洞窟を抜ける。
褪せた光が射すそこは見たことのない鉄製の建物が立ち並び、光沢が散乱する異質な、
機械仕掛けの街だった。
「儂の知識で弟子と部下たちが勝手に作った。
すげぇじゃろ。」
老婆は嬉しそうに話すが、直ぐに表情を無くし、先程までの微笑みを消し真剣に言う。
「じゃがな、こんな技術でも彼奴らには敵わん。
この街も、東も西も全てはあと10年程度で滅ぶ。」
「滅ぶ…?」
老婆は敢えて無視をし、指で此方を誘う様に合図を送る。
「付いてきなはれ。」
理解が追いつかないまま、理解に納得できないまま進む2人。
石造りのものよりも遥かに頑丈なその階段は、脚を運ぶごとに高い音を発する。
下り、下っていき、時には上がり、また降って行くと。
管のようなものが天井を無数に這い、空気を切り、風を生み出す謎の物体。
さらには地面に錆び茶色の円形の蓋のようなものまでがある。
管が向う先には鉄扉がある。
またしてと見たこともない飾りが付けられており、
横には薄黄色の丸がある。
老婆はその薄黄色の丸を手で押し込むと、驚くことに
その鉄扉が独りでに開き出す。
光芒差し込む鉄扉の先に広がっていたのは得も言えぬ香りが広がる酒場であった。
何の変哲もない、一般的にヒストリアで知られる酒場。
見たことがない未知の建造物があった先程の場所とは雰囲気が一気に変わり、緊張感など一切ない酒場。
「ホッホッホッ、そりゃあ驚くじゃろうな。
さっきまでお主らが見たこともない材質、部品があったのに扉を開けたら見慣れたような酒場じゃと。」
空間が捻れているようにすら感じる場所の格差。
落ち着かずにいる2人に老婆は近付き、
「ここは儂らの拠点。
この世界の、ねじれの位置にある休息所。
"ねじれの酒場"じゃ。
ほれ。これをもちなはれ。」
老婆は2人に小さな護符を渡す。
「その護符を持つ者はどこの扉からでも念じればこのねじれの酒場に辿り着く。
ほれ。もう帰ってきたぞ。」
先程入ってきた入り口の戸が開く。
出てきたのは傷面の大男だった。
「早い帰還じゃったな。リュエル。」
リュエルと呼ばれるその男は、左腕が粘質状に溶けていた。
「リュエルだ。まあ、そこの火教さんなら知ってるだろうが水教の流骸だ。」
聞き覚えがある、と言うより火教や風教、地教にも存在する生贄。
それは浄化戦争における浄化対象のそのはるか末裔である。
現在においてもその生贄は浄化対象であり、汚穢として取り扱われていた。
ホープはその中でも本教に指定された穢れそのものであったが故、彼の死はそれすなわち浄化戦争終結となったのだ。
生贄は死と共に、強大な魔を帯びた骸となる。
「あのイカれたオカマから命からがら逃げてたら婆さんに助けてもらってな。
以降、俺は婆さんの言いなりってわけだ。
恩義もあるわけでな。」
「イカれたオカマ……」
姉はそれが指すものはアナトだと推測する。
「俺以外にも火教には焔贄、風教の星隷、地教には生き砂がここにいる。
俺らの目的は本教とヴェンの目的を、破滅を止めることだ。」
リュエルの言葉に続くよう、老婆も口を開く。
「そのために儂ら、捩れ者がいるのじゃ。
ホープとターラーよ。リュエルとともに彼奴らを止めてきてくれ。
この永い戦いを終わらせるために。」
それは、永き時を生きたこの世ならざる者の嘆願の声であった。




