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小谷城攻略戦【後編】

用語集

負傷人床=担架

傷病見立て=現代訳のトリアージ

見立て紙=トリアージ記載紙

清創水=医療用アルコール(蒸留酒、焼酎)を割って濃度それぞれ分けて使用

搬送車=4輪の牛車改造の救護車(現代的解釈の救急車)

救命胴着=現代で言うタクティカルベストのように胸部に竹の水筒を複数本格納できるようにした前掛け。


※見立て紙内容

========================

応 答 【有/無】

傷/病 【頭/首/胴/腕手・左右/ 背/臀部/足・左右】 

心 臓 【動/静/止】 

 息  【動/静/止】 

出 血 【多/少/無】 


健体/急体/傷体/終体


終期・・・死亡/心肺停止/死に際の者

急体・・・急ぎ搬送治療が必要なもの、もしくはそれに値するもの

傷体・・・搬送に悩む程度の者、急変の可能性がある者

健体・・・現地の治療で間に合うもの

========================


①新たに救走班という少数の集団を編成する。

陣頭医・・・1名 (現場指揮・搬送判断・応急処置)

担ぎ手・・・2名1組×3 (搬送・止血)

荷駄係・・・2名 (荷車にて医療品・水の運搬)


以上9名1班編成  これを複数班整備し布陣する。



笛音伝達=鉄笛、竹笛の音を組み合わせ暗号化し医務衆内で連携をとるシステム

     鉄長音3回・・・重傷者搬送中

     竹笛短音連続・・・敵襲接近など様々な音で連携をとる。

     戦事や日ごとに符丁を変えて運用している。


【医務衆筆頭 御医頭】 

・桃慧

・医務衆の最上位指示役 筆頭医 医務・管理・運用指揮者


【御医頭後見人】

・宗庵

・御医頭補助 指導役


【記録班×→医監班】20名 

・総指揮役 治長(戦場での総指揮/記録確認/物資の総合管理者)

・物資 人員 記録 等の管理


【医務班】30名

・総医指示役 一綱

・医術的処置 医の管理 指導 新理探求


【薬事班】12名

・筆頭薬師 あやめ

・薬草の管理 薬草畑の管理 調薬 投薬役


【救走班】 人員196名(救走係90名 荷駄係103名) 

・総指示役 宗次

・救務補佐役 元則

・荷駄長  一茶

・傷病見立て 搬送 応急処置役 荷駄車の運用管理 物資輸送


【治癒班】90名

・治癒長 柚

・副治癒長 琴

・患者の継続的治療 衛生管理 

京極丸の方角から上がった火は、まだ夜の底に沈む小谷山を赤く染めていた。


炎は風に煽られ、黒い煙を巻きながら山肌を這うように広がっていく。火の粉が夜空へ舞い上がり、星と見紛うほど高く散った。だが、それを美しいと思う者は本丸には一人もいなかった。堅城、小谷城の心臓とも言えるその一角が今、燃えている。



浅井長政は本丸の上段に立ち、じっとその炎を見ていた。険しい表情を見せつつもその若く整った顔に驚きはなく、怒りもない。


ただ、眼の奥だけが暗く沈み、炎の形を一つ一つ見定めるように細められている。


そこへ、伝令が転がるように駆け込んできた。

膝をついた途端、男は息も整えぬまま叫んだ。


「申し上げます!」


声は掠れていた。喉が焼けたように赤い。


「京極丸、陥落!」

広間にいた家臣たちが一斉に息を呑んだ。

伝令は拳を床につけ、さらに低く頭を垂れる。


「海北綱親様、行方知れずにございます!」


その名が出た瞬間、ざわめきが走った。京極丸を守備していた海北綱親は浅井家中において知らぬ者のない武辺の士である。その行方知れずという報せは、京極丸陥落そのものに劣らぬ重みを持っていた。


だが、長政は炎から目を離さなかった。

「そうか、分かった」


ただ、それだけであった。

あまりに静かな返答に、伝令の方が顔を上げかけた。家臣たちも言葉を失う。だが長政の声は、冷えていたのではない。揺らがぬよう、自らの内側を深く押さえ込んでいる声だった。


間もなく、次の足音が駆け込んでくる。

今度の伝令は具足の袖を裂かれ、頬に煤をつけていた。門口で一度つまずき、両手をついて身を起こす。


「申し上げます! 出丸、金吾丸、織田勢の猛攻を受けております!」


家臣の一人が思わず前へ出た。

「戦況は如何に!持ち堪えておるのか!」


「はっ。現時点では我ら優勢。守備隊、織田勢を寄せ付けず、押しとどめております!」


その報告に、広間の空気が一瞬だけ明るくなった。まだ終わってはいない。そう思いたい者たちの息が、わずかに揃う。


しかし長政は、そこでようやく振り返った。

「分かった」


同じ言葉であった。

だが今度は続けた。

「各廓の守備隊には、本丸への移動の支度をしておけと伝えよ」


伝令は目を見開いた。

「本丸へ、でございますか」


「そうだ」


家臣たちが顔を見合わせる。優勢と聞いたばかりである。出丸も金吾丸も、まだ織田勢を押しとどめている。ならばなぜ退く支度を命じるのか。誰もがそう思ったが、長政の眼を見て、軽々しく異を唱える者はいなかった。


伝令が走り去ると、広間には重い沈黙が落ちた。


長政は膝元の軍図へ歩み寄った。小谷山の尾根、曲輪、道筋、堀切。墨で描かれたその図の上に、指を置く。


「京極丸が落ちた今、本丸と小丸は断たれた。出丸も金吾丸も、今はまだ敵を押し返しておろう。だが京極丸を敵に握られた以上、山そのものは割られたのだ」


長政の指が、京極丸から本丸、小丸へと動く。

「このままでは、小谷城は砂上の楼閣よ。形は残っていても、いずれ中から崩れる」


家臣たちの顔色が変わる。


長政は続けた。


「されど、敵もまた京極丸を奪ったばかり。あそこを守るのは、夜討ちに入った軽装の奇襲隊が主であろう。織田の後続が固め切る前ならば、奪い返すことはできる。」


その言葉に、初めて家臣たちの目に火が戻った。


長政は立ち上がる。


「出丸、金吾丸の兵を本丸へ寄せる。小丸と呼応し、兵力を集中して京極丸を取り返す」


静かだった声が、そこでわずかに強くなる。


「京極丸を取り戻せば、この戦、まだ勝敗は分からぬ」


誰かが息を呑んだ。


「よいか、未だ浅井家は健在である。反撃の支度をせよ」


長政は言った。


「小谷も、浅井もまだ折れておらぬ」


その一言で、広間の空気が変わった。敗報に押し潰されかけていた家臣たちが、次々と膝を正す。老臣は拳を握り、若い侍は歯を食いしばった。彼らは知っていた、勝つための道は細い。だが、まだ道はある。


主君がその道を見ている限り、浅井家は戦える。


しかしその頃、麓の砦では、長政の策を打ち砕くための歯車が、すでに動き出していた。


金吾丸の前面に、明智光秀の隊が静かに布陣していた。


光秀は馬上にあって、激した声を上げなかった。具足の上に薄く煤が降り、額の下の目だけが鋭く砦を見ている。彼の前には鉄砲隊、弓衆と続々と居並ぶ。


「狙いは柵際。櫓の上。旗持ち。弓を持つ者」

光秀の声は低い。


「徹底的に反撃する拠点を潰せ。無駄に撃つな。決して頭を上げさせるな」


やがて合図の旗が下りた。

轟音が山腹に反響した。


鉄砲の煙が白く広がり、続いて矢が黒い雨のように飛んだ。投石の石が柵へ当たり、木片が跳ね、櫓の板が割れる。浅井の守備兵もすかさず応射した。矢が飛び、礫が落ち、怒号が返る。五百の兵は弱くなかった。長政が昼のうちに集めた前線の守りであり、浅井の意地を背負う者たちである。


だが、城の守りの要であった京極丸が業火に焼け落ちる様子を見てしまっていた。


背後を振り狼狽える者、既に本丸まで手にかかったのではと心配するものも多かった。押し寄せる敵よりも、山上の炎へ心を奪われる者が多かったのである


激しい応射の中、山頂側の京極丸の建物が崩れ落ちる。その音に一瞬浅井兵は山へ視線おも奪われてしまったのである



「今だ!放て!」

明智の鉄砲隊が一斉に火を吹いた。

その激しい銃撃に思わず浅井守備隊は頭を下げ、銃口を逸らしてしまったのだ。狭間から飛び込んだ鉛玉は確実に守備隊の骨を砕いた。一度に何人転がり落ちたのだろうか。守りに綻びが生まれたその瞬間を老練な鬼が見過ごす筈がない。


明智隊の背後槍を掲げる男が吠える

「征くぞ!かかれぇぇぇぇ!!!」


その直後、明智隊の背後で大地が揺れた。

「おおおおおおおっ!」


獣の咆哮のような声が、煙を裂いて迫ってくる。

柴田勝家率いる隊であった。


 

大身槍を掲げ、鬼と恐れられる男が、兵を率いて正面から突っ込んでくる。明智隊の射撃で頭を押さえられていた浅井兵が、慌てて槍を構え直す。しかし遅い。柴田隊は止まらない。盾を押し、柵へ体をぶつけ、梯子を掛ける。


「登れ!」

勝家の怒声が響いた。


「押し潰せ!蹴り飛ばせ!」


梯子に足をかけた兵が、矢を受けて落ちた。その肩を踏むようにして次の兵が登る。柵の上から浅井兵が槍を突き下ろす。柴田の兵は叫びながらそれを受け、なお前へ出る。刃と槍柄がぶつかり、板が裂け、ついに一角が破れた。


そこへ雪崩のように柴田隊が入った。


浅井の守備兵は崩れてなお戦った。狭い砦の内側で槍を並べ、倒れた仲間を踏み越え、後ろへ退かずに斬り結ぶ。だが、砦内へ入られた時点で、守りの形は崩れ始めていた。


そして、その崩れを確実なものにしたのが丹羽長秀であった。


長秀の隊は勝家ほど荒々しくない。だが、入る場所が正確であった。柴田隊が破った口を広げ、側面へ兵を回し、逃げ道を塞ぎ、反撃の芽を一つずつ摘む。砦の中で孤立した浅井兵は、もはや互いを支えられなくなっていく。


 出丸にも同じ波が押し寄せた。


 明智の鉄砲と矢が防御を削り、柴田の突貫が裂け目を作り、丹羽がその裂け目を整え戦果を確実なものに変えた。三つの隊は別々の性格を持ちながら、まるで一つの大きな獣の顎のように噛み合っていた。


そして、やがて浅井本丸へ届いたのは、長政が反撃の支度を整えようとしていた、まさにその時であった。


伝令は転がり込むように現れた。顔は土と血と煤に汚れ、左腕は力なく垂れている。肩で息をしながら、男は床に額を擦りつけた。


「申し上げます」

その声は、先ほどの伝令たちよりも低かった。


「出丸、金吾丸、陥落」

広間の空気が止まる。


伝令は歯を食いしばる。


「三田村定頼様、お討死にございます」


誰かが小さく呻いた。

先ほどまで優勢と聞いていた。守り切っていると聞いていた。そこからあまりにも早すぎる陥落であった。家臣たちは言葉を失い、ある者は軍図を見つめ、ある者は拳を震わせ、ある者はただ長政の顔を見た。


長政は動かなかった。

だが、その沈黙の中で、彼だけはもう理解していた。


京極丸は戻らない、そして小丸は孤立した。頼みの出丸も金吾丸も失った。


織田の後続が山へ入り、京極丸へ次々に入ってゆく。きっと固めているだろう。今さら本丸と小丸から兵を出しくても、押し返すには遅い。

 

「そうか。」


長政はゆっくりと目を閉じた。

ほんの一瞬であった。


その一瞬の内に、お市の顔が過ぎり娘たちの幼い姿が瞼の裏に鮮明に映った。そして父、久政のこと。浅井の家のこと、近江の風、琵琶湖の光、これまで信じてきた道のすべてが、胸の奥を静かに通り過ぎていく。


そして目を開けた時、彼の顔には、奇妙なほど穏やかな色があった。


「そうか、そうか。」


長政は自らを納得させるように、言葉を胸の奥に詰め込むように言葉を繰り返した。

それは敗報を聞いた声ではなく、すべてを受け入れた者の声であった。


広間の外から、甲冑の鳴る音が聞こえる。


本丸に残る三百の兵たちが、戦支度を整えていた。誰も逃ようともせず誰も泣き叫けびもせず、丸太を動かし門を固く閉ざし迎え撃つ支度を着々と進めている。若い兵の中には顔色を失った者もいる。だが、それでも槍を握り、兜の緒を締め、主君の次に下される命を待っていた。


長政はその姿を見た。敗れた城に、なお戦う者たちがいる。

その事実が、長政の胸へ深く届いた。


彼は軍図の前から離れ、ゆっくりと立ち上がる。


「皆、聞け」


家臣たちが顔を上げる。


「小谷は、もはや勝てぬ」


あまりに率直な言葉に、誰も声を出せなかった。


だが長政は続けた。

「されど浅井が、いや、この長政がここにある限り、浅井は滅びぬ」


彼は刀の柄へ手を置いた。

「出丸も金吾丸も落ちた。京極丸も戻らぬ。ならば残るは本丸と小丸のみ」


長政の眼が、広間にいる一人一人を見た。

「この本丸で、浅井家最後の意地を見せる」


老臣が涙を堪えるように頭を垂れた。若武者が歯を鳴らしながら、それでも槍を握り直した。

誰かが低く「御意」と言った。その声に、次の声が重なり、さらに次の声が続いた。


「往くぞ、長政は最後まで皆と戦い抜く。」


長政は肩で風を切り部屋の外へ出た。


朝は近かった。東の空が白み始め、山の稜線が淡く浮かぶ。眼下では織田の旗が動いていた。明智、丹羽、柴田が金吾丸へ掲げられ続々と山を駆けのぼっている。さらに真横、京極丸には羽柴の兵が入り、燃え尽きた建物から灰色の煙が細々と燻っている。


そして、長政の視界の端に、不思議なものが映った。


白い旗であった。

金吾丸の焼け跡に、よく見えないが一文字のみ書かれた白い旗を靡かせた一団が入っていく。槍を振るわず、首を取らず、勝鬨も上げない。彼らは倒れた者の傍らへ膝をつき、脈を取り、傷口を見て、担架を広げていた。


浅井の兵であろうと、織田の兵であろうと、区別していない。


長政は目を細めた。

戦場に、そのような者たちがいることを知らなかった。


織田は城を攻めている。だがその後ろから、別の何かが来ている。人を殺すためではなく、死へ向かう者を拾い上げるための一団。


ただ、思った。

信長は、戦場に何を連れてきたのだ。

だが、その問いに答える時間はなかった。


長政は白旗から視線を外し、兜を固く結び、フッと息を短く吐き一拍間を置いた。

そして、「皆の者、参るぞ!」


静かな声だった。

その声に、本丸の三百が応じた。



一方攻城側、明智、柴田、丹羽の隊を根幹とする兵たちは我先にと抵抗薄い道を駆けていた。


道は真っ直ぐには通らぬ。登る者の足は自然と細い坂へ導かれ、曲がり、狭まり、また曲がる。そのたびに上から見下ろされ、横から射られ、前へ進むには、必ず命を晒さねばならぬ。攻め手にとっては道であり、守り手にとっては口であった。


その口が、人を呑む。


柴田勝家は、金吾丸を抜いた勢いそのままに本丸へ押し上げていた。鬼柴田の隊である。先ほどまでの激戦で具足は煤に汚れ、旗指物は裂け、兵の頬には血と汗が筋を引いていたが、誰の目にも退く色はない。むしろ一度火のついた柴田兵は、崖道を駆け上がるほどに荒々しさを増していた。


「本丸は目前ぞ!」


誰かが叫んだ。


「浅井を押し潰せ!」


鬨の声が山腹に跳ね返る。前に立つ浅井兵が木戸の奥へ引いたのを見て、柴田の先鋒三十名ほどが、勝機と見た。破れた柵の間からなだれ込み、折れた逆茂木を踏み越え、狭い虎口へ殺到する。


「抜いたぞ!」


「続け、続け!」


その声に後続も押した。だが、勝家はその瞬間、眉を動かした。


道が、曲がっている。


入口は開いている。だが、その奥はすぐに折れ、さらに木戸があり、左右は高い土塁と柵に挟まれている。まるで獣の喉へ誘われるような形であった。


「いかん!止まれ!」


勝家の怒声が飛んだ。


「入るな!そこはっ!」


言い終えるより早く、虎口の左右から矢が降った。


狭い枡形の内に押し込まれた柴田兵は、盾を前へ向けていた。だが矢は前からではなく、横から来た。

上から石が落ち、土塊が砕け、柵の影から槍が突き出される。先頭の兵が膝をつき、その後ろの者が踏み止まろうとしたが、さらに後ろから味方が押してくる。前には閉ざされた木戸。左右には土塁。後ろからは手柄をあげようと我先にと進む自軍の圧。


前を進む者達に逃げ場がなかった。


浅井兵が叫び声を上げて木戸の隙間から突き出した。長柄ではない。短槍と太刀であった。

長い槍を振るには狭すぎる場所で、柴田兵の武勇はかえって封じられた。脇の下や関節の個所などの鎧の隙を狙われ、膝を払われ、倒れた者の上にまた人が倒れる。怒号はすぐに呻きへ変わった。


それでも柴田の兵は弱くなかった。


一人は柵へ取り付き、矢を肩に受けたまま敵の槍を掴んで引き寄せた。別の一人は倒れながらも刀を抜き、足元へ迫る浅井兵の脛を斬った。三十名は最後まで押し返そうとした。だが、あの枡形は兵を殺すために造られていた。勇ましく前へ出る者ほど、奥へ吸い込まれ、横から射られ、上から砕かれた。


わずかな時であった。

先ほどまで勝鬨を上げていた一隊が、枡形の内に沈んだ。


勝家は奥歯を噛んだ。


「……見事な虎口よ」


それは怒りではなく、敵への低い讃嘆であった。浅井長政はまだ折れていない。この城も、まだ牙を持っている。

だが、勝家は次の瞬間には大声で命じていた。


「押すな!道を空けよ!明智殿へ伝えい、横を潰せ!」


その声が届くより早く、明智光秀の隊はすでに動いていた。光秀は本丸の防備を遠目に見据え、横矢の出所を探っていた。柵の影、土塁の上、木戸脇の櫓、石を積んだ小高い場所。彼は激しない。勝家の兵が三十名呑まれたことを知っても、声を荒げなかった。ただ扇をわずかに動かし、射手へ命を下す。


「右手土塁。二の柵。あそこだ」


鉄砲が咆哮をあげる。それに続いて矢が一斉に放たれる。さらに投石の石が土塁の上へ叩き込まれる。浅井の横矢衆が頭を下げた。そこへ丹羽長秀の隊が、静かに、だが確実に兵を進めた。


長秀は勝家のように吠えない。光秀のように冷たく射抜くでもない。ただ、戦場の綻びを見つける目を持っていた。彼は虎口の前に兵を溜めず、左右へ散らし、柴田隊が失った空間を整理する。負傷者を引かせ、後続の道を開き、盾持ちを前へ出し、破城道具を寄せさせる。


「一度に入れるな」


長秀は短く言った。


「二列ずつ。前が伏せれば、後ろが越す。横を向け。上を見ろ。あの城は正面ばかりを見ては横から食われるぞ」


その言葉の通り、織田勢は一度目の痛手で足を止めたが、前の兵が倒れても崩れることはなく、ならば横から、ならば引いてと臨機に場を読ん見ながら進んでいった。


浅井勢もまた、よく戦った。


矢を射る者は矢が尽きるまで射た。石を落とす者は指の皮が剥けるまで石を掴んだ。木戸の影にいた者は、突き出した槍が折れれば刀を抜き、刀が欠ければ脇差を握った。本丸へ退いた三百は、数では少なかったが、城の仕組みを知り尽くしていた。どこで敵を曲げ、どこで止め、どこから射ればよいかを、身体で覚えていた。


だから織田勢は苦しんだ。

しかし虎口の一角が破れた。柵が倒れ、木戸の片側が内へ傾き、柴田隊の兵がそこへ体をねじ込む。浅井兵が押し返そうとしたが、明智隊の矢が背後の支えを削った。丹羽隊が横から入り、木戸脇を固めていた小隊を分断する。


そしてついに、織田兵が本丸の内へ入り、城内はそこからは乱戦であった。


狭い郭の内に怒号が満ち、煙と土埃で人の顔も見分けがつかなくなる。槍が槍を弾き、刀が兜を叩き、倒れた者の上を兵が踏み越える。浅井の兵は押されながらも、なお内側へ崩れまいとした。家の旗を背に、主君のいる奥へ織田兵を近づけまいとして、必死に踏み止まる。


しかし、そこへ織田勢が次々と雪崩れ込む。


外からは柴田隊。別の口からは丹羽隊。高所から明智の射撃が圧をかけ続ける。浅井兵の列は、一度締まっては裂かれ、また集まっては削られた。


その時であった。


「殿!」


誰かが叫んだ。

陣太鼓が激しく打ち鳴らされ威圧的にその場の雰囲気を飲み込んでい行く。

乱戦の奥から、浅井長政が馬廻十名ほどを従え現れたのだ。彼らは数こそ少ないが、いずれも長政の近くに仕え、最後まで主君と運命を共にする覚悟を決めた者たちである。長政の具足は煤に汚れていたが、その姿には乱れがなかった。若い顔は白く、眼だけが冴えている。


「慌てるでない!皆で力を合わせ敵兵を押し返せ!」


長政の声は大きくない。

だが、その声を聞いた浅井兵の背筋が伸びた。


「殿が出られたぞ!」

「浅井の兵よ、退くな!」


長政は自ら槍を取って前へ出た。馬廻がその左右を固め、織田兵の流れへ楔のように突き入る。勢いに乗っていた柴田兵の一角が、思わず押し返された。長政の槍は無駄がなく、目の前の敵を払うたびに兵の位置を変え、奥へ乱れかけた味方を立て直していく。


それは勝つための突撃ではなかった。

崩れた戦場を、最後に一度だけ主君の手で締めるための突撃であった。

浅井兵は奮い立った。逃げ腰になっていた者が振り返り、膝をつきかけていた者が立った。馬廻の一人が織田兵の槍を受け止め、別の一人がその脇を斬り開く。長政は前へ出すぎず、しかし退かない。彼がいる場所だけ、乱戦の中に小さな秩序が生まれた。


「長政来たか!良き強者よ!」


遠くで勝家が唸るように言った。

敵ながら見事であった。敗れた城の主が、奥に籠もって震えているのではない。自ら槍を取り、最後の兵を率いて押し返してくる。その姿を、勝家は侮らなかった。


だからこそ、容赦もしなかった。


「怯むな! 相手は浅井長政ぞ! 首を焦るな、囲め!」


歴戦の柴田隊は敵将を前に獣の如く雄たけびを上げながら浅井の兵に襲い掛かる。

長政の一撃で一度は乱れた先鋒が、後続に支えられてまた前へ出る。明智の射撃が浅井兵の背後を削り、丹羽の兵が横から入り込む。長政の馬廻が一人、肩口を突かれて倒れた。すぐ別の者がその穴を埋める。二人目が膝をつく。三人目が長政の前へ飛び出して、槍を胸に受けた。


乱戦は続き、十名いた馬廻は一人、また一人と削られてゆく。

それでも彼らは声を上げた。余力はすでに尽き果てている。しかしこのままでは押し切られるのが目に見ていた。乱戦を解き、浅井の兵が長政を背で守るように集まる。


「殿、こちらへ!」


「まだ退けまする!」


退ける、と言ったその男の頬には血が流れていた。長政は一瞬だけ彼を見た。男は笑った。恐怖を押し殺した笑みではない。長く仕えた主へ、ようやく最後の役目を果たせるという、奇妙に晴れた笑みであった。


また一人が倒れ、残る馬廻は数名。

織田勢はもうすぐそこまで迫っていた。これ以上ここで粘れば、長政自身が乱戦の中で討ち取られる。浅井家当主としての最期を整える時間すら失われる。


その時、馬廻の一人が長政の前へ進み出た。

若くはない。幾度も合戦を潜った、顔に古傷のある男だった。彼は刀を両手に持ち、長政へ一礼する。


「長政様」


怒号の中で、その声だけが不思議とはっきり聞こえた。

「恐れながら、しばしの別れにございます」


長政は男を見た。

「時をば、ここで稼いでみせまする」


周囲の馬廻たちも、黙って頷いた。

誰も戻るつもりはなかった。


長政はしばし言葉を失った。火と煙の向こうで、織田兵の影が揺れている。背後には本丸の奥の一室。前には、最後まで自分に従った者たち。


やがて長政は、わずかに笑った。


「感謝する」


その声は穏やかであった。

「そなたらと最後まで戦えたこと、嬉しく思う」


馬廻の男が、口元を歪めるように笑った。

長政もまた、ほんの少しだけ冗談めかして言った。


「先に参れ。すぐに追いつく」


そして低く続ける。


「地獄まで付き合え、よいか」


男は深く頭を下げた。


「喜んで」


それが別れであった。

長政は振り返らずその場から足を引きずりながら退いて。振り返れば、彼らの顔をもう一度見てしまう。見れば足が止まる。だから、奥へ進んだ。本丸最奥の一室へ向かって、静かに歩いた。


背後で馬廻たちの声が上がる。


「ここより先へは通さぬ!」


「織田の兵どもよ!浅井家家臣一同が最後までお相手致す!この先へ行きたければ我らの首、取って見せよ!」

刃がぶつかる音。槍が折れる音。誰かの叫び。誰かが倒れる重い音。長政はそれを背に聞きながら、奥の一室へ入った。


そこは、乱戦の外にあるように静かであった。

遠くの音は聞こえる。だが障子一枚、板戸一枚を隔てただけで、世界は急に薄くなる。長政は部屋の中央へ座した。具足の紐を少し緩め、刀を前に置く。


この部屋は娘たち、そしてお市たちと過ごした部屋。穏やかな日々が部屋の隅々から染み出してくる。

この数年のこと、父や家臣のこと、浅井の名を背負って生きた短い歳月のことが、ひとつひとつ、煙のように胸を過ぎていった。悔いがないはずはない。恨みがないはずもない。もし別の道を選んでいたなら、と考えぬはずもない。


朝倉家への忠義のために戦い、自分は浅井長政として生き、浅井長政として敗れた。

ならば、最期もまた浅井長政として迎えねばならぬ。


外で、最後の馬廻の声が聞こえた。


短い叫び。

それきり、長政の名を呼ぶ声は途絶えた。


長政は目を閉じ、そして静かに刃を取った。


小谷山の朝は、もう明けていた。東の空から差し込む淡い光が、本丸奥の一室の床を白く照らしている。炎の赤でも、血の黒でもない、ただ朝の光であった。


「朝が来たか。最後に朝日が見えた。最後にしては上出来か。」


鋭く光る刃を自身の腹へ突き立てる。

「あぁ、最後に...」


目を瞑り長政は一息、深く、長く息を吸い込み、一息で吐き出した。

腕に力を込め一気に自身の腹を突き、気を失いそうになりながら刃を横に滑らせた。


遠のく意識の中、慣れ親しんだ床の傷が目を奪う。

そしてゆっくりとその傷に寄り添うように倒れこんだ。


【浅井長政(29) 小谷城本丸にて自刃】

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