ターニャ2
潮のカウンターの上には、小さなモニターがある。
音を消したまま公共広告を繰り返し流している。
AIを正しく使うよう呼びかける啓発映像だけど、誰も見ていない。
私も今まで、画面があることすら忘れていた。
私の端末の画面には、二度目の奨学金否認の通知が来ている。
あいかわらず、URBOSは理由を言わない。
否認の通知は同じ文句。
コインの落ちる音で、顔を上げた。
入口の読み取り機の前で、多賀谷がコインを落としていた。
しゃがんで拾って、もう一度通そうとして、向きを間違えて、また落とした。
三度目でようやくコインを通して、多賀谷はちょっと悲しそうに読み取り機を見た。
なんて言うか、「来たことがある」わりには、慣れてない。
それとも、動揺でもしているのだろうか。ないと思うけど。
「お久しぶり」と私は言った。挨拶ぐらいは普通にしておきたい。
あの日とは違って、多賀谷は一人だった。一ノ瀬は一緒じゃない。
多賀谷は無言で、窓際の私の席から一番遠いテーブルに座り、コーヒーを頼んで、端末を見始めた。
私は、さっきまで読んでいたコミックに戻る。
▽ ▽ ▽
「宇宙船地球号」
〈三巻〉
ドローンから送られる地表データを展開すると、惑星表面の様子が点描として現れる。
これを基に整地を行い、新たな居住地の開発を進めていく。
しかし、先日からこのデータに不明なノイズが混入し始めた。
ノイズを分離して、解析してみたが、うまくいかない。
私は手を止めて、天井を見上げた。漠然とした記憶が蘇ってきた。
それは、私が端末の前に座っている記憶である。
私はノイズにデータを混入させ、どこかへ発信している。
記憶と現実が地続きになっているような感覚。
意識の混濁を疑うべきである。
私は、中枢神経の刺激剤をURBOSに処方してもらうこととした。
URBOSはディスプレイの中から、私に質問し、執務室のセンサーを通して私の状態を観察する。
私の横には医療用ロボットが立っていて、私の腕を取ると、肘の内側にパッチを貼った。
「一時的な記憶の障害です。コールドスリープ中の記憶はあまり思い出さないほうがいいでしょう」
ディスプレイの中から、URBOSが言った。
ふと執務室の窓から外を見ると、空のかなた、むき出しの岩山が連なる辺りに、色のない線がある。
それは徐々に幅を増しながら、こちらに近づいてくるように見えた。
△ △ △
それから多賀谷を時々店で見かけるようになった。
いつも一人だった。
何度目かに、多賀谷は私の向かいに座った。
多賀谷は前置きもなしに、私に言った。
「スコア、いくつになったと思う」
「600を切った」と続けた。数字を口にするとき、声が少し掠れてた。
スコア952。
付き合っていた頃、彼が一度だけ自慢とも照れともつかない顔で見せた数字だ。
冗談みたいな落差。けれど、そんな顔を多賀谷はしていなかった。
「理由は分かってるの」と一応は聞いてあげた。
「分からない」
多賀谷は笑おうとしたが、うまくいかなかった。
「だけど、再審査を申し込んだ」と多賀谷は言った。
「面談があった。奥の部屋で。端末のない部屋だった」
端末のない部屋。私はカップを置いた。
「笹野って人だった」
多賀谷はそこで一度、目を伏せた。
「前に、ここで話してた……」と口ごもりながら言った。
「……ずっと瞬きしてる人で。やたらに黒目が大きくて……」
私に「それ、記録とかはあるの」と言った男が、同じ部屋で同じ人間に会った。
多分、同じことを言われたんだ。
でも、私は多賀谷に何も答えなかった。
「それで、異常接触っていうのがあって」と多賀谷は続けた。
「特定のノードとの接触がマイナス評価される。その人が言ってた」
「それって何を言いたいの」と私は聞いた。
「最近接触した人なんてほとんどいないんだ」
私は多賀谷をまっすぐ見ながら、ゆっくりと言った。
「要するに、何を、言いたいの」
多賀谷は、あえて言えば、今会ってる人ぐらいしか思い当たらない、と答えた。
怒りよりも、諦めみたいな気持ち。
テーブルの上でコップが揺れて、水が少しこぼれた。
マスターがこちらを向く。
「違う、そういう意味じゃない」と多賀谷は言った。
「冗談だよ。つい……」
弱々しい声だった。
改めて見ると、シャツの袖口が黒ずんでいるし、パンツにも皺。
でも、ざまあみろとは思わない。思えたらよかったのに。
◇ ◇ ◇
それからしばらく経って、次に見かけたとき、多賀谷はコインを一度で通していた。
ようやく慣れたんだ、こっち側に。
そして、席に座るとテーブルに端末を置いて、じっと見つめている。コーヒーにも口を付けない。
画面はもう暗くなっている。それでも見ている。
こちらの視線に気づくと、端末を仕舞った。きっと、また、スコアのことだろう。
そういえば、多賀谷といつも一緒にいた一ノ瀬って、いつだったか、何か難しそうなレポートを送ってきてた。
変なデータが付いていたから、メールは見ないで全部削除した。
ウイルスだったりしたらシャレにならないし。
だけど多賀谷はすぐに席を立った。
店を出ていくとき、多賀谷はドアの前で一度足を止めた。
私には一瞥もくれなかった。
なんだかすごく冷たい風が、ドアの方から吹いてきた。
その風に溶けるように、多賀谷は街の中に消えていった。
多賀谷がいなくなってからは、いつも一人でコーヒーを飲む。
マスターは、コーヒー一杯で、何時間粘っていても何も言わない。
私がいつもここにいることも、マスター以外誰も知らない。
ちょっとした隠れん坊、それとも鬼ごっこ。
誰から隠れてるわけでも、逃げてるわけでもないけど。
前は邪魔が入ったけど、マスターにもう一度頼んで、潮で働いてみるのも悪くない。
もしかして、誰にも頼めない願いを、密かに解決する裏稼業とかやってたりして。
コミックの読みすぎかな。
「ちょっと、店を見ていてくれますか」
最近、マスターは、私に店番を頼んで、自分は奥に引っ込むことが多い。
一度、こっそり様子を窺うと、端末じゃなく古いタイプのパーソナルコンピューターの前に座っていた。
背をかがめて何かを打ち込んでいた。いくら店が暇だからって。
一応はお客さんだし、私。
この間、そんなマスターに、「前に時々私と話してた学生、最近来ましたか」と聞いてみた。
マスターはしばらく黙って、それから言った。
「お客さんのことは、覚えないことにしてるんで」
この街で誰かを覚えないことって、多分、優しさ。
いなくなったなら、どこかで元気にやってる、と思っていればいい。
私は、潮のテーブルの隅に自分の名前を爪で刻んでみた。
◇ ◇ ◇
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NODE-5829 承認ログ抜粋 対象:ターニャ
信用スコア:598 → 624(異常接触 影響低下)
異常接触:NODE-0928 影響:軽微
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