多賀谷2
潮に通うようになって、しばらく経った日。
潮を出て、僕は、自分のマンションに向かった。
だけど、入口のゲートで拒否されて、中へ入れなかったんだ。
僕の部屋だったはずのポストには、見覚えのない男の名前が掲げられていた。
ゲートの前で何度も端末をかざしたが、光るのは赤ばかり。
それでも、かざすのをやめられなかった。
最後は、中から出てきた住人に不審な目で見られて、逃げるようにゲートを離れた。
ちょっと離れたところで、誰かに連絡しようとして、端末を開いた。
だけど、父親の番号が、宛先にも履歴にも見当たらない。母親も同じ。
ターニャの番号は、そもそも前に消してしまっていたし、多分彼女もそうしているさ。
一ノ瀬の宛先も出てこないままだ。
ただ、一ノ瀬がレポートを添付したメールだけは残っていたんだ。
逆に言うと、端末の連絡先と通信履歴には、それ以外何も残っていなかった。
そうこうするうちに夜は更けてきた。大学も閉門時間だろうし。
仕方なく、公園のベンチで夜を明かすことにしたんだ。
背もたれの金属が氷みたいに冷たかった。
一ノ瀬と羽目を外して飲み歩いたのは、いつだったか。
はっきり思い出せないが、こんな夜はそれ以来だ。
翌朝、状況を相談するため、大学へ向かったが、中に入れなかった。
ゲートで承認されない。
顔見知りの守衛さんがいたので、声をかけてみた。
「多賀谷ですけど、ちょっと手違いで承認されなくて」
不審な顔をされて、話を打ち切られた。
守衛さんは、端末を取り出し、どこかに電話しようとした。
僕は、ここでも、その場を後にするしかなかった。
◇ ◇ ◇
結局、今いるのは、いわゆる木賃宿ということになる。
街の中心にあるけど、裏通りのさらに裏通り、カタツムリの殻の奥にあるような宿だ。
入口の扉を開けると、狭い廊下がまっすぐ伸びて、その脇に二畳の部屋が並ぶ。
個室だけど、隣の寝返りの音まで筒抜けになる。
取り柄は、安いことと、ステーブルコインで泊まれるというところだ。
カードが使えなくなってることに気づいたとき、僕は慌てて残高をコインに変えた。
有難いことに残高はあった。
でも、引き出せたのは一部だけだった。スコアが足りないからだ。
宿のテーブルにコインを、十枚ごとの山に並べる。
毎日山の数が減っていく。
山が一桁を切ったとき、僕はようやく立ち上がって、求人広告を探し始めた。
塾の講師とか家庭教師は門前払い。
訪問販売はノルマ制でとても僕には勤まらない。
倉庫の在庫管理にも応募しようとしたが、スコア600以上が条件だ。
それで、病院の事務員なんてどうだろうかと思って、小さな病院にも行った。
入口で、紙袋を大事そうに抱えた女性が僕を追い越していった。
年齢は、ちょうど僕や一ノ瀬の母親世代だろうか。
なんだか深刻な顔をしていた。身内に何かあったんだろう。
病院に入って、少し行ったところに事務局の窓口があった。
僕は、「事務員募集の貼り紙を見たのですが」と、眼鏡をかけた職員に声をかけた。
「応募は端末からお願いします」
外に出て端末を操作したが、やっぱりスコアが低くて応募できなかった。
クラスで上位五パーセントだったこの僕が。
◇ ◇ ◇
重い足取りで宿へ入ろうとしたある日、男に呼び止められた。
「多賀谷さんだよな。ようやく見つけた。前に潮にいなかったか」
人に声をかける時は、まず自分から名乗るのが普通じゃないのか、と僕は言ったんだ。
男は真鍋と名乗り、一ノ瀬のことで知っていることがあれば教えてほしい、と続けた。
僕は、一ノ瀬がどうかしたんですか、と聞いた。
「木山っていう教授が心配していてな。連絡がつかない」
僕は、自分も一ノ瀬に連絡がつかない、というか、つけられない、と正直に真鍋に言った。
「何か、一ノ瀬が行きそうな場所とかに、心当たりはないか」と真鍋はさらに聞いてきた。
しばらく考えてみたが、思い浮かぶのは、一ノ瀬の部屋と研究室。
後は、一度だけ一緒に行った潮ぐらいだ。
「ほかには、思い当たりません。そういえば一ノ瀬のレポート……」と僕は言いかけた。
「嫌な話だ。読まないほうがいい」
真鍋は僕の話を遮って言った。
そして、持っていたノートから一枚破り取ると、連絡先を書きつけて、僕の手に押しつけたんだ。
僕も、真鍋に自分の連絡先を教えた。
真鍋はそれをノートに控えると、何か思い出したら連絡をくれと言って、路地の向こうへ立ち去った。
◇ ◇ ◇
潮に座って、端末の中に残った一ノ瀬からのメールを、もう一度眺める。
ダウンロードして保存しておいたものだが、添付ファイルはまだ開いていない。
嫌な話だという、真鍋の言葉が頭に浮かんだが、僕に残された「記録」はこれだけだ。
一旦、自分の宿に帰って、本腰を入れて読んでみることにしたんだ。
暗い部屋の中で端末に目を凝らす。
「一ノ瀬のレポート確認」。優先度、低。まだ残っていた。
添付ファイルは二つ。PDFとデータファイルだ。メールにメッセージもあった。
「ゼミのレポート、もし時間があれば読んでくれないか。都市のメンテナンスログと古生物のデータを比較したやつなんだけど」
一行空けて、「Matchbox Blues」と書かれていた。あいつらしいやり方だ。
"I ain't got so many matches but I got so far to go"
一ノ瀬の部屋で、同じ箇所まで何度も戻しながら聴いた曲だったんだ。
PDFの方を読んでみたが、真鍋が言うほど嫌な話とも思えない。むしろ面白い発見だ。
嫌な話と言った男は、いったいこのレポートの何を指してそう言ったんだろう。
それよりも、付録のデータに何らかの「信号」が含まれるとされているのが気になったんだ。
もし本当なら、計量経済の研究で何度もやってきたから、信号は抽出することができそうだ。
僕は、手元の端末から、専用のアプリに接続した。
「通信信号であることを前提に、このノイズを解析してほしい」
しばらくすると、画面に結果が出た。
通信規格:該当なし
復調候補:数値列
0093/3412/5267/6120/……
数字は、いくつも並んでいた。
念のため、三度、自分の手でも検証したが、数字に間違いはなかった。
そのうち、3412というノードには見覚えがあったんだ。
手記の男の番号だ。あの路地で拾った紙束の最後に書かれていたノード。
前に検索したときは、「該当するレコードが見つかりません」と返された。
僕は、そのノードも含めて、現れたノードを、一つずつ検索してみた。
すると、見知らぬ人の名前か、「レコードなし」という、どちらかの結果が返された。
連絡先に出てこない一ノ瀬のことも検索してみた。
そうしたら、一ノ瀬のノードには中井という名が記録されていた。そんなもの、見たくはなかったが、どこかで覚悟はしていたのかもしれない。
"Baby the more you cry, the further you drive me away"
じゃあ、僕のノードはどうなっているんだろう、と思って、0928を検索してみたのさ。
◇ ◇ ◇
それから幾日か後、真鍋は、多賀谷がいた宿の前にいた。
真鍋のノートには、「一ノ瀬の友人。多賀谷。端末を要確認」と書いてある。
真鍋は何度か多賀谷に連絡したが、応答がない。
そのうち、「該当するレコードが見つかりません」とメッセージが出た。
宿の入口の扉は開いていた。
長い廊下の両脇に並ぶドアの表札を、真鍋は一つ一つ確認しながら、多賀谷の部屋を探した。
やがて、あるドアの前に立ち、何度かノックをしたが応答がなかった。
真鍋は、周りを見回して、ドアノブを回した。
ドアは静かに開き、暗い部屋に向かって、真鍋は言った。
「多賀谷、いるんだろ。もう一度頼みがある」
しかし、返事はなかった。
真鍋の目は徐々に暗がりに慣れていき、しばらくして部屋の中の様子を見渡すことができた。
窓には厚いカーテン。床には個人用端末。
敷きっぱなしらしい布団。
部屋の壁際に何かが盛り上がっている。
「砂だ」
真鍋は部屋に足を踏み入れ、それに手を触れて、そう呟いた。
◇ ◇ ◇
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NODE-0928 照会不能
通信信号解析:復調候補 12件
記録台帳照会:参照先不一致 12件
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