木山
一ノ瀬のレポートを私は三度読み、読み返すたび、書き込みが増えました。
疑問符、参照先、再計算の値。三度目には、疑問符は、ほとんど残っていませんでした。
気が付けば、ティーポットの紅茶がすっかり冷めていました。
ゼミで学生が二つの事象を並べて何かを発見したような顔をするときがあります。
地質年代の変動と王朝の興亡、恐竜の絶滅と大恐慌などを無理に並べ、似ている点を検証してみせます。
「学問に真摯に向き合えば、偶然と必然は自ずから明らかになります」
私は大抵そう言って、彼らを戒めます。
似ているものを見つけるのは難しくはなく、偶然の一致を除いたあとに、なお残る一致が大事なのです。
一ノ瀬は、非常に興味深い一致を指摘する一方で、「偶然の一致である可能性を排除できない」と留保していました。
さすが私の教え子です。こうした慎重さは、どこへ行っても役に立ちます。
私は、指導教授として学術的見地から再検証することとし、一ノ瀬のレポートについて、自ら分析を行いました。
結論は、一ノ瀬の仮説は正しいというものでした。
さらに、データを日付順に並べ直すと、両者の一致は時間とともに増していることが分かりました。
これを、端末上に常駐しているAIは「収束」と評価しましたが、収束と評価するためには、まだ検証が必要でしょう。
しかしながら、都市の拡張パターンが、捕食者のそれに近づいているというのは、大きな発見と言えるかもしれません。
もう少し内容を詰めれば、学会で発表することもできそうです。
また、レポートの付録にはノイズデータも添えられていました。
ただし、データに混入したノイズが何かに見えたとしても、大して意味のあるものではありません。
ノイズはノイズです。本来的に除去すべきものです。私は付録のノイズデータを削除しました。
サモワールのお湯が沸きました。私は紅茶を入れるために席を立ちました。
▽ ▽ ▽
古生物学概論Ⅰ:木山教授
今日の出席者は三名ですね。よろしくお願いいたします。
さて、古生物学というものは、過去から現在に残されたものを、系統的に記録し、大昔の生物の生態や、それを通した地球の状態を考察するという学問です。
考古学と似ていますが、考古学は、人間の営みや歴史を考察するという点で異なります。
では、なぜ古生物学が必要なんでしょう。
ひとつには、過去の気候変動や災害などにどう対応したのかを知ることで、これから起こることへの対応のヒントが得られます。地球環境の変化とかですね、温暖化とか。
もうひとつは、昔の生物の進化や絶滅について知ることで、人類がどこから来て、未来にどうなっていくのか、についての知見を得ることができます。
よろしいでしょうか。
そういえば、私の若いころですが、大学は非常に荒れていましてね。
ほら、構内の石畳、ところどころ無いでしょう。
剥がして、投げたからなんですよ。学校に向かってですよ。教授とかにね。
何のためかっていうと、私にはよく分かりません。
私ですか、もちろん参加していないです。
だけど、考えていたのは、この石畳が遺物になって、後世に残ったら面白いだろうなあ、ということでした。
誰かに発掘されたりしてね。どう解釈するんでしょう。石畳を剥がす生物ですよ。
あれ、気が付くと学生さん一人しかいな……(クリック音)
△ △ △
今日の講義も充実したものでした。
一名は録音もしていたようです。文字起こしして頂くほどのものではないのですが。
講義から研究室に戻り、面談の日時を決めようと一ノ瀬に連絡していたので、返信を確認しました。
しかし、一ノ瀬からは返事がありません。何度か連絡しましたが同じです。
そういえばここ最近はあまり顔を見かけていないような気がします。
保護者の方に連絡して、状況を確認しようと思いました。
しかし、ご両親やご兄弟などの連絡先については、私は承知していませんので、学生課に問い合わせました。
「教授、個人情報ですので。学生課からも連絡はしておきますから」
一応は連絡先を承知しているようでしたので、とりあえずは、任せておいてもいいでしょう。教授の仕事ではありません。
学生の生活のことは学生課で、勉学のことは私が。これが役割分担というものでしょう。
ただ、他にも気になることがあって、奨学金審査まで一か月を切っているということです。
一ノ瀬の信用スコアは下がっており、もう、奨学金の基準すれすれになっていたはずです。
私は、このことも学生課に伝えておいた方がいいだろうと思い、端末に手を伸ばしました。
私の端末の呼び出し音が鳴ったのは、そのときです。反射的に私は呼び出しに応答しました。
かけてきたのは真鍋という記者で、以前一度、当たり障りのない科学面の取材で顔を合わせたことがありました。
端末ではなく紙のノートに私の話を書きつけていて、別れ際に紙の名刺をくれました。
今どき、紙に記録している記者。それでよく覚えていたのです。
「先日、潮という店で、学生さんたちが何か揉めていましてね。奨学金がどうとか」
真鍋の声は静かでした。
「大学の先生で知り合いといえば先生ぐらいなもんで、連絡させてもらったんですが、この辺について何か思い当たることがありませんかね」
「いきなり、思い当たるかと言われましても」と私は答えました。
「そこにいた学生さん、多賀谷さんと一ノ瀬さんと仰るんですがね。ご存じないですか。大学はここだけですしね」
真鍋は私の答えにかぶせながら言いました。
「運用局に聞こうとしたんだけど、空振りでねえ、それでこちらに」と真鍋は続けました。
私は一瞬迷いました。ただちょうどいいタイミングだったのも事実です。
「一ノ瀬というのは、私の学生です」と私は答えました。
「少し前に彼からレポートを受け取りました。その後、彼に連絡がつかないのです」
そして続けました。
「奨学金については、私も心配していますが、特に何も承知していません」
真鍋は少し黙ったあと、私に言いました。
「話をしましょう。そのレポートも見せてください。潮……、いえ、時々行くバーで。座標は後で送りますよ」
研究棟を出るとき、ゲートに端末をかざすと、ほんの一瞬海の匂いを感じました。
銀杏並木の上を、広告ドローンがCMの静かな旋律を流しながら通り過ぎていきました。
◇ ◇ ◇
真鍋のほかに客は一人もいないバー。カウンターの中では女性が、黙々とグラスを拭いています。
暗い室内のカウンターの隅に、あの記者がいました。数年でずいぶん白髪が増えていて、手元にはやっぱり紙のノートを広げていました。
私が名乗ると、彼はノートを閉じずに、隣の椅子を顎で示しました。
私は印刷してきた一ノ瀬のレポートを、カウンターに置きました。
真鍋はゆっくりとそれを読み、それから、紙のノートに何かを書き込みました。
「俺の経験したことだが」
真鍋はノートを指さしながら言いました。
さらに、真鍋は続けました。
「先日、会うはずだった男がいた。運用局の職員だ。消された記録のタレコミだ」
真鍋は私の顔を見据えながら言いました。
「来なかった。しかも、端末からはそいつの記録が丸ごと消えていた」
私は叫び声を抑えたと思います。
「一ノ瀬もまずいネタに触れたのかもしれない」と真鍋は続けました。
私は、そのとき真鍋と同じことを考えていたと思います。明確な因果が確認できないにもかかわらず。
「一ノ瀬に何かがあった、と言いたいんですか」と私は努めて冷静に聞きました。
「レポートに捕食者ってあっただろう。その言葉が気になるんだよ」
私は真鍋の言葉を否定しませんでした。比喩としても学術的にも正しくないにもかかわらず。
「しかし、捕食と言うなら、必ず痕跡が残ります。その痕跡を追えば……」
真鍋は、わずかに笑いました。
「運用局の男にはもう会ったんだが、えらく気味の悪い奴で、何の手掛かりにもならなかった」
真鍋はノートに何か書き足しました。
それが私の名前だったのか、一ノ瀬の名前だったのか、それとも別のことだったのか、私には見えませんでした。
「なんにせよ、痕跡とやらを見つけるのは、ずいぶん骨が折れそうだ」
そして、真鍋は席を立ち、外に出ていきました。
カウンターの女性が、真鍋に会釈をしました。
そのとき、ちらりと首元に入れ墨のような模様が見えました。その模様を、研究室のどこかで見た気がしました。
ただ、はっきりとは思い出せませんでした。
◇ ◇ ◇
私はほどなくして研究室に戻り、書棚から記録用のノートを一冊抜き、新しいページを開きました。
そこに日付を書き、少し離して、一ノ瀬、真鍋、木山と並べ、三つの名前を線で結びかけて、途中でやめました。
そして、いつものように紅茶を入れて、考えを巡らせました。
一ノ瀬は、目立ちませんが優秀な学生です。
私は教育者です。学生たちには、私のもとでしっかりとした成果を残して、それを糧に社会へ羽ばたいていってほしいのです。
私は、きっと真鍋が彼の行方を追ってくれると信じています。学生課ももう少し熱心になってくれるといいのですが。
窓の外には、いつもの夜の構内がありました。
清掃ロボットが石畳を往復していますが、石畳の目地に銀杏の葉の欠片が残っています。
街で銀杏があるのはこの大学だけです。手間のかかるものをなぜ残しておくのか、私にはよく分かりません。
私は立ち上がると、ティーカップを手に、ずっとその様子を眺めていました。
◇ ◇ ◇
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NODE-3306 承認ログ抜粋 対象:木山
信用スコア:733 → 730(基準内)
混入データ:削除
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