4章-10節 シアの過去 ――目覚め
「前もちょっとだけ話したけれど、わたしは疲れたら寝る、回復したら起きるって生活をしていたわ」
「ああ、覚えてる。最初は野生児だったのかと思った」
「言われたわね」
少しだけ笑う。薪を燃やす魔法の炎が、シアの顔に影を作る。
「でもね、本当のことなのよ」
蒼玉の瞳に映る炎が揺れている。
「――わたしは、毎日を過酷な訓練で過ごしたわ。魔族の中のハイエンドとして、徹底的に鍛えられた。身体だけでなく、知識も詰め込まれた。本を読んで過ごしてきたネーヴと比べたら特段物知りって訳じゃないけれど、独りでも生きられる程度の知識と知恵はついたわ」
ハイエンド、という言葉がなぜか耳に残る。まるで物のような扱いだ。
だがシアが魔族の中でも最高峰の潜在能力を秘めていたのは間違いなさそうだ。その才能を伸ばすために大人たちが過度な訓練を施してきたのだろう。
「……それは、辛い日々だな。俺なんかガキの頃は寒さに鼻を垂らしながら外で遊んでいたぞ。……まぁ遊べる日は、だが」
言わずもがな、極寒なのでな。
「あはっ。鼻垂れ小僧だったのね、可愛い。……けれどね、別段辛さは感じていなかったの。自覚していなかった、というべきでしょうけど」
「随分と聞き分けの良い子供だったのか」
「聞き分けが良いというよりも……そうね……自分が、無かったのよ」
自分が無い……?
目で問うが、膝を抱えるシアは炎の奥にどこか遠い景色を眺めているよう。過去の自分を見るかのようだ。
「今でこそ、わたしは『わたし』だけれど、その頃は感情なんてものがなかった。自意識が、自由意志がなかった。言われたことを言われるがままにこなすだけの人形ね。まぁ、扱い易かったと思うわ」
「……想像できないな」
「わたし自身もそうよ。記憶――記録みたいなものかしらね、それがあるだけ」
今のシアは活き活きとしている。無感情で言われたことだけをこなしている姿はとても想像できない。――そんな姿は一秒だって見ていられない。見たくないとすら思う。
「今にして思えば、毎日の食事か飲み物に薬でも混ぜられていたのかもしれないわね。わたしの身体のスペックを考えたらいくらなんでも不自然だもの。それに、あの食事は、もんの凄く、美味しくなかったみたいだわ。故郷の味なんてものは幻想ね」
力無く笑いながら言う。
今では美味いものに目のないシアも、当時は頓着していなかったのだろう。
「言われるがまま訓練して、気絶したら一旦終了。わたし、真面目だったよ? 一週間眠らなかったこともあるわ」
一週間眠ることを許されないどころか、気絶すらできない。それは真面目というには度が過ぎていて、鍛錬にしても異常だ。あるいは、命令がなければ、眠ることすらできなかったのかもしれない。
「……だったら、どうやって、今の自分に?」
やはり想像がつかない。話に聞くシアと今のシアがどうやっても結びつかない。
そもそも月からやって来る理由さえない気がする。
「まぁ、紆余曲折あったのよ。ネーヴもどうやって自分の性格が形成されたかなんて、答えられないでしょう」
「それはそうだが……」
「ええ。……でも、一つ大きな事件があったのは確かよ。言ってしまえば、犯されかけたのよね」
「なっ――!?」
突然の言葉に絶句する。
「未遂よ未遂。シアちゃんの純潔は守られましたー。ま、相手は血塗れ……ではないわね。なにも、残らなかったけれど」
後半は押し固めたような声だった。
未遂犯はきっと、この世から蒸発したのだろう。だが、同情の余地は一片もない。
「そのことがきっかけで、自我が芽生えた……いえ、自我が目覚めたって感じかしら。まっっったく感謝してないけれど、契機だったことは確かね」
あまりの衝撃に抑え込まれていた自分が目を覚ましたってわけか……。
「わたしの受けていた訓練・教育は、月の魔族の中でも最高水準のものだったと思うわ。それがわたしの中に確たる――核になる『わたし』を築いた。生まれた時から人形のように教育を受けているのだから、裏側で別の人格なんて、あり得ないと思うけれど、それがわたしの根っからの性質だったのかしらね。封じ込められていただけで、裡には確かに感情があった。それが爆発して外に出てきたのよ」
「教育は教育として受け、知識は得た。感情は薬物で抑圧され裡に仕舞われて思考から分離されていたが、その感情にこそ、シア個人の想いがあったのかもしれないな」
「うん、そうかもしれないわね。……当時を思い返すと、まるで他人事なのだけど、わたし、かなり鬱屈していたのよ。あと一押しで壊れてしまうくらいに、ね」
表向き無感情であっても、従順ではあっても、秘めた想いはあった。その存在に、本人さえ気づいていないだけだった。
「けれど、そこに史上最大級のストレスを叩き込まれたわけ。一押しどころか、全力で助走をつけたドロップキックでも食らった気分よ」
「ああ、よく分からんが、もの凄い衝撃だったのは分かる」
「で、壊れるはずが、逆にはっちゃけちゃったのね。プッツンってやつよ。あとはもう、破壊の限りを尽くしたわ」
シアが破壊の限りを尽くす……心は弱っていたかもしれないが、今のように魔力を制限されていたわけでもない。しかも、そのときのシアは明確な怒り――敵意を持っている。想像して、肌がぞわりと粟立つ。それはもう、意思を持った大災害だ。
「とりあえずわたしの育った家――施設は全壊させたわ。従順だと思って手綱をつけておかなかった連中の失敗ね。とにかく暴れて、金目のものは奪って、破壊して破壊して、破壊し尽くして逃げて。追っ手が来たから倒して金品を奪ってまた逃げて。ときどきまた適当な施設をぶっ壊して逃げて逃げて……その果てに、この地球までやってきたわけ」
金品を盗んで家出したと聞いていたから、家族と折り合いが悪かったのかと思っていたが、全く違った。シアには家族がいなかったのだ。
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