4章-1節 逆さ天空③
懐からランス謹製の魔力回復薬を取り出して、一口飲み込む。目減りしていた魔力が身体に満たされ、活力を得られた。即効性が高すぎて若干恐ろしいが、そうも言っていられない。
「よし。行くぞ、シア」
「え――ちょっとネーヴ!?」
言うが早く、シアを抱きかかえた。
「氷透陣」
普段、何気なく使っている氷の生成魔法を、この時ばかりは詠唱によって発動。詠唱による世界への影響力が、魔法を完全に支配下に置く。
足元には氷の滑走路を形成。透明な路は急勾配を描いて大穴に浮かぶ浮島に届いている。
「行くぞ……!」
シアを抱えたまま、氷の滑走路を一気に下る。
「ちょちょちょ、ネーヴぅ!?」
急勾配の滑走によって落下に近い加速を得る。内臓が浮き上がる錯覚。速度によって、耳に吹き込む風が轟音となる。空気の壁が厚く感じた。
靴裏で滑りながらも、続けざまに氷透陣を発動させ、浮島の間を縫うように氷の道を作り出していく。射程が短いせいと、凄まじい速度のせいで滑走路を形成した次の瞬間には通り過ぎている。が――
「――っ!」
「ネーヴ、飛んでる! 飛んでるわよ!」
分かってるよ!
あまりの加速に滑走路の形成が間に合わなかった。
途切れた路。大穴に向けて弾丸の如き速度で射出される。二人分の重さによって反転しそうになる身体を、体捌きでなんとか制御。眼下に迫る浮島からほぼ垂直に氷を生やし、滑走路を再形成。それを、踵で踏みつけながらも更に角度調整して無理やり減速。浮島に両足を深く曲げて着地する。
足元には散らばった氷の破片。逆さの木が生えた浮島は俺たちが着地した衝撃では離散せず、とりあえず息を吐く。
「これ、慣れるのに、時間かかるかも……」
シアの声には疲れが滲んでいた。重量制御の魔法を使えるが、単純な落下の経験は少ないのかも知れない。逆に俺は山の急勾配を滑り降りることもよくあったからか、思った以上には上手く行った。……もっとも、魔法を制御しながらの滑り降りるなんて経験がなかったから、今投げ出された訳だが。
「――しかし、距離は離せないな」
見上げると、追っ手の数はやや減ったものの、先頭の翼竜との距離は縮まってきている。相手をできる数まで減ってくれるか、諦めてくれれば良いのだが。
「相手は飛んでるもの。今の方法じゃ、下向きに加速できる連中より速く移動することはできないわ」
いずれは追いつかれる。言外にシアは告げる。
確かに、俺の魔法には推進力が足りない。二人分の体重と重力が全てだ。仮に速度を上げたとしても今のように足場が追いつかなくなるだろう。いずれは制御できない落下になるのがオチだ。……シアがいるから死ぬことはないだろうが。
とにかく、少しでも距離を取って相手の数を減らしていくしかない。
浮島と浮島の間を再び氷の滑走路で駆け抜け、大穴を螺旋を描くように急角度で降りるが、やはり上からの圧力は増してきていた。せめて安全地帯か戦いやすい地形を見つける必要があるのだが。
「――ネーヴ! 来るわよ!」
心臓を握り込むような圧迫感。心根を震わす威嚇の叫び。……いや、あれは翼竜たちの
鬨の声だ。たった二人の人間を相手に、翼竜の群れが全力で殺しに来ている。
奴らの速度を考えれば、彼我の距離は最早至近と言っても良い。
「……シア、迎撃は任せる。回避は俺に任せろ!」
滑りながら、離すまいと抱き止めていた腕を緩める。右手を繋いで、シアを氷の滑走路に下ろす。二人で半身になって滑り降りることになるが、手綱は俺が握っている。二人分の滑走を制御したことはないが、俺ならできる。できると思い込ませるしかない。
「ええ、任されたわ! でも覚悟して。魔力、貰うわよ!」
宣言とともに空気の帯電。――詠唱前から周辺に雷撃が発生している。
大魔法の気配……!
次の瞬間、脱力感、あるいは喪失感が全身を襲う。
それはまるで衝撃のようだった。折れ曲がりそうになる膝を叩き、奮い立たせる。俺が体勢を崩せば、シアの魔法は完成しないだろう。
――上空では熱線魔法の発生を魔眼が感知。まさかと思って俯瞰の魔眼で確認すると、先頭集団は全てメイジ。その数は……数えるのが馬鹿らしくなる。
左手に握り込んでいたランスの魔力回復薬をまた口に含む。削られた魔力が回復。……その瞬間に殆どが消え失せる。残るのは精々、滑走路を形成する程度の魔力だ。回復薬の効果はまだ続いている筈だが、魔力が身体に満たされる前に奪われ続けている。
上空からは熱線魔法が降り注ぐ。俯瞰視で確認しながら滑走路の進路を制御。俺の役割を果たす。
「雷煌――」
シアの詠唱。魔眼でも捉え切ることが出来ないほど巨大な紫電色の魔法陣が宙空に描かれた。それは提供した俺が思わず総毛立つほどの魔力を宿し、息を呑むほどの美しささえある、立体魔法陣。
シアが右手に持つ短杖を振るう。宝珠が紫電色に輝き、最後の引き金が引かれる時を待っていた。
メイジが更にブレスを放つ。うねり束になり、そして拡散して、移動を続ける俺たちに迫るが、決して当たってなどやれない。魔眼を総動員して弾道を読み、死ぬ気で滑走路を形成しつつ、死んでも、シアの手は離さない。
「――紅莫獄!!」
高らかな詠唱とともにシアの魔法が完成。
瞬間、世界は収束した。
雷と炎の暴風が立体魔法陣の空間を満たし、荒れ狂う。魔法に触れた多くの翼竜が消滅していく。稲妻に掠っただけでも溶断される凄まじい熱量だ。その一条だけでも死の光。それが幾重にも重なって踊り、奔り抜ける。そこに現れたのは稲妻の坩堝だった。空間を飽和する雷が翼竜の熱線などとは比較にならないほどの力をもって暴れ狂う。
やがて空間そのものが熱量に耐えきれず、捻じれる。飛び交う雷撃と炎撃が、周囲の空間を巻き込みながら立体魔法陣の中心へと圧縮されていく。範囲内の翼竜に逃げる術はない。何者も、逃れることはできまい。
そして、世界は破裂する。
空間圧縮から解放。同時に放たれる衝撃波。爆心地から遠く離れた筈の俺たちにさえ届く。背中を押され、空中に飛び出しながらも、シアを抱え直してなんとか体勢を整える。
立体魔法陣の範囲外でも近くに迫っていた翼竜は衝撃で原型を失うほど千切れ飛び砕かれた。衝撃波は大穴の壁を圧搾する。あまりの高圧によって壁の岩石は結晶化、砕け散っている。周辺にあった浮島は跡形もなく消えていた。
大破壊の後は静寂が訪れた。
爆発の圧力に押され、壁側にまで吹き飛ばされたが、壁を凍結させてなんとか垂直に滑走。そのまま再び穴に飛び出て、木の根が張った浮島に足を下ろす。ようやく息を吐けた。
「……シア、もしかして、俺を、殺す気か……?」
「なによ、生きてるじゃない」
魔力枯渇と回復を繰り返し、その上何度も回転しながらもなんとか空中で体勢を整えて着地した俺を褒めて欲しい。身体は明らかに不調を訴えていた。笑う膝は気力で保たせている。
「とりあえず、時間は稼いだわ。まだ殲滅には程遠いけれどね」
自信に満ちた顔で、シアは顎をしゃくって見せた。その先にいる翼竜の群れは、数こそ多いものの戸惑いを見せていた。先頭集団が丸ごと消滅するか爆散するかしたのだ。もし人間だったなら追撃は素直に諦めるだろう。そうしなければ指揮官は無能に過ぎる。
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