4章-1節 逆さ天空①
見えぬ糸が結ばれるたび、名もなき力が形を成す。
行くべき道は、その手の中に。
――エドワード・レスター『心の架け橋』
◇◇◇
「ここが……」
「逆さ天空、ね……」
吹き上げて来る強烈な風に髪が暴れる。
眼下に青空。宙に浮く島に、雲のような白い靄がかかっている。遥か彼方には太陽だろうか。強烈な光源が見えたが、正体は不明だ。
「逆さまに生えてる木があるわね……」
「聞いてはいたが、目の当たりにすると異様な光景だな」
縦に伸びた大洞穴。周囲を壁に囲われた大空間の中で、見下ろしても、見上げても空がある。その中に浮かぶ島には樹木が生え、上に下にと枝葉を伸ばしていた。木の生えていない島はゆっくりと集合離散を繰り返している様子を見るに、どうやら木の根が浮島を島たらしめているようだ。
「座標で考えれば、ここはレゾン近郊の平原のど真ん中の筈だが……」
入り口は洞窟であり、そこから浅層と言われる湿っぽい穴ぐらを徐々に下って今に至る。本来は地下空間の筈だが、まるで超巨大な井戸に放り込まれたかのように、上も下も果てが見えない縦穴。どちらを見てもずっと先には空が広がっている。
「浅層からここまでの道のりで空間が歪んで、何処かに接続されたようね。遥か彼方のどこか……もしかしたらこの星ではない、異世界かも」
「そんなことがあるのか……?」
夜空に浮かぶあの星々のどこかにいる、ということだろうか。
「星――惑星という概念が発見されてから、人間の考える『世界』は広がったわ。異星の自然、動植物、魔法体系――ありとあらゆる空想が膨らんだけど……それらの全てを夜空の星々は内包していると言われているわね。それだけ、わたしたちの世界は広いのよ」
あり得ないことではない、と教師の顔でシアは説く。そして改めて周囲を見回し、息をついた。
「――とはいえ、転送装置も無しに現在の空間が別の空間に繋がるなんて本来あり得ざることだし、その上こんな光景見せられたら、もう驚くしかないわね」
俺としても頷くしかない。まるで創作の世界に入り込んだようだ。
だが、これは創作ではなく、現実。
……そう言い聞かせてはいるのだが、実際に自身の常識とかけ離れた光景を目にすると、情報を受け止めきれずに頭が混乱する。
穴を挟んだ反対側の壁は見えない。深層から立ち昇る光と浮島を構成している粒子らしきものが視界を悪くしているのもあるが、単純に距離がある。
「さ、行きましょう。ここに立ってても、魔物に襲われるわ」
シアの声を受けて歩き出す。浅層には魔物が生息していなかったが、ここからは危険な領域となるのだ。浮島を進むのは避け、壁際に設置された足場を進んでいく。
この木製の足場は螺旋を描きながら、徐々にダンジョンの下部へと伸びていた。アルクスやリースが言っていた、先達の築いた道だ。
道には目印となるように一定間隔で魔導灯が取り付けられている。ただし手すりの類はなく、落下防止の柵もない。
上層に入ってしばらく経つが、噴き上げる風は常に強く、時折身体が持っていかれそうになる。その度に俺の心臓は縮こまるのだが、シアは鼻歌混じりだ。本調子でないはずだが、余裕がある。風にも揺れない歩みは、改めて只者ではないと思わせる。
「……シアは、どこから来たんだ?」
思わず、先導する背に問いかけていた。
振り向いた顔には郷愁に似た何かと、俺には読み取れない感情。複雑に眉根を寄せたその表情で、故郷には思うところもあるのだろうと知る。
「ここから――レゾンからはずっとずぅっと離れた――本当に、人間の世界の果てよ。ヒト族が、わたしたち魔族の姿を忘れてしまうほど、離れたところ」
告げる表情は、少し寂しいものだった。再び歩き出した背中は、少しだけ小さく見える。
ヒト族がこの星全土に版図を広げて久しい。未開の地、未発見の種族はおそらくある。だが、ヒト族の認識が書き換わるほど気の遠くなる時間の中で、ほとんど姿を見せない人間の種族は存在していないのではないだろうか。
だから、シアたち魔族は、本来、存在しないはずなのだ。
「……それはこの星なのか?」
だから、俺の答えはこうなる。この『逆さ天空』に対し、この星でない異世界という可能性を示したのなら、彼女の故郷がそうであっても何ら不思議ではない。
肩が上がって、シアはもう一度振り向いた。
「……物知りネーヴにはいつか気づかれると思っていたけれど、案外早かったわね」
浮かべた苦笑には、少し気まずい想いが見て取れる。
「シアは自分の知識は隠さないからな。俺は俺で、真なる魔族はどこへ消えたのか気になって調べてもいたことがある」
その答えは家に置いてあるどんな本にも載っていなかったし、俺の知る歴史にはところどころに空白がある。そしてある長い空白期間を超えると、魔族の認識は現在のハオライル教会主導のものへと変わってしまうのだ。そうなると、追いようもない。
ある空白期間――過去最悪の戦争となったヒト族と魔族との大戦の直後。それから数百年分の魔族の記録が消えてしまっている。
おそらく魔族に関する書籍は、好悪問わず全て焼き払われたのだろう。その時からヒト族での印象操作は始まった。そうして、真の魔族はヒト族の歴史から姿を消すことになる。
いつしか世界は、魔族は悪と捉えるのではなく、悪ならば魔族としてしまった。そして本当の姿は失われてしまったのだ。
「大戦の後、わたしたちはこの星を出たわ」
シアは追いついた俺の横を歩く。
「まぁ口で言うほど簡単なことではなかったらしいけれど、結果成功しているのだから大したものよね」
「魔族は星を渡る術を持っていたのか」
「魔王様による賭けだったらしいけどね。そうしてたどり着いたのが、二つある月の一つ。エルデよ」
思わず空を見上げたが、小さく切り取られた空があるばかり。この大穴の中からでは見えるはずもなかった。
二つの月――ルーナとエルデ。この星、アールズを中心に廻る二つの衛星。
お伽話の中では兎が住むだの、鰐が住む、貴人が住むだのと言われていたが、古の魔族が住んでいようとは想像もしなかった。
「……じゃあ俺も、時々見ていたかもしれないな」
村からは星々がよく見えた。二つの月、特にエルデは大きく、夜道の優しい友だった。
「それはどうかしら。わたしたち魔族は、アールズから見えないエルデの裏側に住んでいたから、見えていなかったと思うわ」
俺のつまらない冗句にシアは笑みをこぼす。
エルデはこの星に対し、常に同じ面を向けて廻っている。その裏側は人類が未だ観測したことのない未知の領域――暗黒領域などとも呼ばれている。そこにまさか魔族の国ができていようとは。
「それに、わたしたちが住んでいたのは地下施設よ。エルデの地表には空気が無い上に、大地が呪われている。おまけに太陽光の影響で極寒と灼熱が交互にやって来る環境だもの。当時は地上の街を築くのは難しかったようね」
「よくそんなところに定住できたな……」
俺の故郷の厳しさも大概だが、月への移住ほど大変ではないと思う。
「それも魔王様の策で、大戦時でも優秀な人材を前線に出さず、残していたようね。例えば、地形を変えてしまえるほどの魔導士なんかをね。ヒト側からの侵略戦争が始まった時点で、移住の計画はできていたって、聞いたことがあるわ。――なんにしても、魔族のわたしでさえ詳しくないほどには風化している話よ」
「それだけの苦労をしてるんだ、ヒト族に恨みが募ってそうだが」
「わたし個人にはそんなの全くないわ。ネーヴは大切な仲間よ。じゃないと、身を呈したりしないわ」
シアは悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
「そこは疑ってない。俺だってシアのためならヒト族と争うくらいワケないが、魔族全体はどうなんだ?」
伝えると、シアはしばらく瞬きした後に瞑目する。硬く目を瞑り、何やら表情を固定しているようにも見える。やはり魔族はヒトを恨んでいるのだろうか。
「殺し文句よね……まったくこの男……」
「殺す? そんなに物騒なのか?」
物騒な響きだけが伝わった。
「何でもないわこの朴念仁。――魔族の遺恨は深いわね。けれど一方で、報復戦争反対の派閥も強い。だってもう、時間が経ちすぎているわ。今の生活を犠牲にしてまでこの星に戻りたい、という魔族も少ないようだし」
なぜ俺は貶されたのか。
4章の開始です。
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