3章-7節 商人の依頼③
「まだまだまだありますが、中層まででしたらこの辺りが冒険者の主な死亡原因となります。無数の死があの奈落に沈んでいます」
リースはそこまで言い切ると、一度言葉を切った。重い沈黙が降りる。周囲の音はまるで別世界の出来事のように遠く鈍く響いていた。
「……ネーヴェさん、もちろんアルクスさんとの縁は大切ですし、ガウフ氏の武具は値の付けられない価値があるのはわかります。ですが、今一度考えてもらえませんか? それは本当に貴方たちの命を賭けるに足る理由になりますか?」
真摯な瞳だ。翠色が艶めいて見える。
リースは俺たちを本気で案じている。だからこそ、俺も本気で向き合わなければならない。
「……俺には、一つ目標がある」
山を降りてから、まだ誰にも言っていなかった目標。
「目標、ですか……?」
翠の瞳には探るような光。
「ああ。……知っての通り、俺は今はもう誰もいない山村の出身だ。村長――俺の父親が死んでから、徐々に人が出ていき、とうとう最後の一人になったのが俺だ」
みんな、村を出た。生きるためにはそれしか方法がなかったからだ。俺はそれを悪いなどとは微塵も思わない。俺自身、神託ジョブに最後の望みをかけていたが、結果は〈氷雪士〉。
神託が降りるまでは、皆が残してくれた物資を食い潰して生活していたが〈最弱〉を引き当て、限界を悟った。結果故郷を捨て、こうして街での生活を始めている。
「村のみんなが今、どこで何をしているか、俺は知らない。手紙も届かない辺鄙な山だったからな。だけど俺は、みんなが今もどこかで元気に暮らしていると信じてる――信じたいんだ」
共に過ごした村人たち。子供は少なかったから、最年少の俺は随分と可愛がられたものだ。そんな思い出たちは、今も胸の奥にある。
「だからいつか、あの山で共に暮らし、そして別れたみんなに、俺は伝えたい。『俺は――ネーヴェ・サタールンタは、ここにいる!』とな。それを聞きつけてやって来た奴らと一緒に故郷を懐かしんでもいい。ここで一緒に生活したっていい。一目でも逢えたらいい。そのために必要なものは、金でも、武具でもない。人と人との繋がり、縁、そして信用だと、俺は思っている」
だからこそ、アルクスに目を付けられた今は絶好の機会といえる。大商人との繋がりなど、そう易々と築けるものではない。
「だからリース、俺の無茶を許してくれ。リースも、俺にとっては大切な縁――仲間だ。それを蔑ろに出来ないから、こうして真正面から正直に頼むしかない。ズルい言い方だと分かっている。山の男は臆病なくせに欲張りだからな。俺にもその血が流れてる。だが――必ず無事に帰る、それは誓って、約束する」
リースは可憐な顔に複雑な表情を浮かべている。眉根を寄せたり、瞑目したり。
「……本当に、ズルいです。私じゃ、ネーヴェさんの決意を変えられないじゃないですか」
「リースでも、シアでも……親父や爺さんに言われたって変わらないさ。俺は昔から頑固で通ってる」
「ネーヴェさんらしいです……」
溜息一つ。
「じゃあ、約束ですよ。傷一つ負っても、怒りますからね」
「厳しい条件をつけられたものだ。だが、善処するよ。痛いのは嫌いだ」
リースはようやく笑みを取り戻した。自分でさせておいておかしいが、彼女には怒りや悲しみよりも、ずっと笑顔の方が似合う。
「……本当は力ずくで止めようと思ったんですけど」
――だから、そんな恐ろしい呟きは聞こえなかったことにした。
時々、彼女が長い時を生きるエルフであることを忘れるが、それ相応の実力とか手段もあるのだろう……。
リースはまた息を吐くと、真剣な眼差しを向ける。俺たちのために腹を括ってくれたようだ。
「逆さ天空には詳細な地図がほとんどありません。それでも浅層については充実していますが、逆さ天空の本番、大穴が始まる上層より下のエリアは殆ど流動的ですので」
崩れる足場が載った地図は確かにあてにできないだろう。
「ただ、大穴の淵、壁のあたりは地形を変えません。そういう安全地帯をまとめた地図は用意しますね。……地図は本来組合から支給するものではないのですが……ネーヴェさんには、私のとっておきを内緒で差し上げます。約束ですからね」
「血流紋登録の話か。そういえば登録はできたのか?」
採血してから数日経ったが、成否の報告は受けていない。
「私自身で登録はしていたので、理論上は上手くいきそうだったのですが、やはり想定外が多くて少し苦戦しています。エルフ族とヒト族とで血流紋の構成に違いがあることがわかったので、各種族に対応するには時間がかかるかもしれません」
技術的な話はよく分からないが、遅れたところで別に俺が困るわけでもない。
「その後、俺以外の登録者は集まったのか?」
「いいえ。既に根も葉もない悪評が広がって、既存の冒険者たちからは敬遠されてますので。だからといってネーヴェさんやシアさんのようにレゾンで新規に冒険者登録をする方は、実はそう多くもありませんし」
今のところはネーヴェさん一人だけです。困ったようにリースは頬をかいた。
「そういえばシアは断ったんだな」
「シアさんは……事情が事情ですから。ジョブもスキルも書いてませんので、私も察しました。エルフといえど、知ってる者の少ない情報らしいので」
シアを魔族と認識できているのはレゾンでも俺とリースくらいなものだろう。生字引たるリースはともかく、俺が知っていることの方がむしろおかしいのだが……改めて我が家の蔵書の珍品揃いには目を見張るものがある。家を氷で封印してきて良かったと今更になって思う。
ともあれ、表立ってシアが魔族であると発言するわけにもいかないのは確かだ。ライラーという魔族の存在が解明されて公表されると、魔族のイメージが更に悪くなる。
「この際、シアは街の英雄に仕立てあげて立場を確立させてやればいいんじゃないのか」
「シアさんにその能力はありそうですが、望むかどうか……。それに、英雄は尊敬以外に畏れも抱かせます。残念ですが、一定数の反感を買うことになるでしょう」
やんわりとリースにたしなめられてしまう。
「冗談だ。ただ、街の人たちからの信頼は得られるようにしておきたいな」
「それでしたら、いいお仕事、斡旋しますよ」
リースは調子の良い笑顔を作る。まさに営業スマイルだ。
「今度、是非頼む。じゃあ、俺はこれから準備を始める。夕方、シアを迎えに来るから地図はその時に」
「わかりました。他にも役立ちそうな情報は集めておきますね。……ただ、ネーヴェさん。本当に、万全を期してください。私の知る限り、熟練パーティーの最速のペースで、下層まではおよそ二日間の道のりです。どんなに急いでも、往復で四日分の物資は最低限必要になると思ってください」
「わかった。……大丈夫、無血で帰ってくるさ」
リースは不安そうな顔に無理やり笑顔を浮かべて見せた。そうするのが、冒険者組合の従業員たる者の役目なのだろう。
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