3章-7節 商人の依頼②
「一日くらいガロ洞穴あたりで今の連携の特訓をしてもいいと思うけれど……? 何か、急ぐわけでもあるの?」
「いや……アルクスから納期の指定はなかった。ただ、早めに結果を出すべきだと考えているだけだ。どうも、試されているようだからな」
期限は設けないから気が向いたときにでもと、アルクスは言っていた。
高難易度ダンジョンだ。本来なら準備に準備を重ねて慎重を期するべきだが……どうにもそんなことを望んでいるようには思えなかった。あのギラギラと光る瞳で、商人らしく冷徹にネーヴェ・サタールンタという冒険者を値踏みしていたように思える。
そんな挑戦に対する気概がなくて、冒険者などとは言えまい。
「ふぅん。まぁ大商人がわざわざネーヴを指名したのも、当然意図あってのことでしょうし、それなら納得ね。いいわ、明後日までにわたしも自分の状態を完璧に把握しておく。ネーヴの足は引っ張らないわよ」
「俺がシアの足を引くかもしれんがな」
「あなた、変なところで謙虚よね……。とにかく、情報でも物資でも、準備はしっかりして行きましょう。飢え死は絶対に御免よ」
「はいはい。グレイブに頼んで、何日か分の食料も確保しておくとするよ」
この食欲魔族はどんなときでも飯の心配だ。思わず笑ってしまう。
「ネーヴ、飢えは辛いものよ」
真に迫ったシアの声色。鋭い視線は俺の目を射竦める。
「飢えに渇き、寒さ、痛み――総じて、死の恐怖。それらは正常な判断を鈍らせるわ。決して、ないがしろにしていいものじゃないの。食料と水は決して欠かしてはならない。わたしが身を以って学んだことよ」
蒼玉の瞳は星のよう。煌めきの中に熱が見えた。
「――悪かった。当然の準備だ。怠らないようにする。絶対だ」
茶化すべきではなかった。何も食わずに生きていける人間は少ない。
ダンジョンの中の環境は未知の部分も多いだろう。最悪、その辺の草さえ食べることができないかもしれない。水だって存在しても飲めるものではないかもしれない。最悪の最悪を想定する必要がある。
思えば、山での生活も同じだった。常に生存競争を強いられてきたのだ。街に降りてきて、そんなことさえ忘れてしまっていたのか。
「わかればいいのよ」
俺の態度に満足したのか、大仰に頷く。
「……ところでネーヴ、そのお肉一切れ貰っても?」
しかし、続く言葉は肉の無心。
やはりこいつは食い意地が張っているだけではないだろうか。
「……はぁ。やるけど、病み上がりなんだから、少しは控えろよ」
皿を差し出すと、切り分けられていないデカい一枚が持っていかれた。咀嚼しながら「絶賛病んでいるわよ」などと宣う食欲魔族なのだった……。
そんなシアだが、午後から再び診察があるということで、医務室に戻っていった。結局俺が更に追加オーダーした飯も三分の一ほど食われたが、これはご愛嬌とか、必要経費というやつだろう。
「リース」
「あ、ネーヴェさん、こんにちは!」
シアとの昼食後、再び受付カウンターを見やると、リースが仕事をしていたので声を掛ける。朝も会ったのだが、パッと顔を綻ばせて寄ってくる。その姿はどこか小動物を思わせるが、言わないでおこう。
「どうされました?」
「ダンジョンについて聞きたいことがあるんだ。少し時間、いいか?」
「はい。お任せください。皆さん、少し席を外しますね」
カウンターにいる受付の女性たちも暇な時間なのだろう。二つ返事で了承していた。
ついでに俺に哀れみの視線らしきものを投げてきたが、何のことだか。
……ジリアンが言うには多くの少年少女たちが恋に敗れたようだから、どうせそのあたりのことか。もしかすると彼女等も多くに漏れず敗北者なのかもしれない。
「ネーヴェさん?」
立ち止まっている俺に首を傾げる。
「いや。――そこにしよう」
二人で食堂の適当な席に腰掛ける。リースはなにやら上機嫌そうだ。良いことでもあったのだろうか。
「それで、ダンジョンについてだが」
シアに話したのと同様に、リースにも今日の午前中に起きたことについてかいつまんで説明していく。最初こそ興味深そうに聞いていたが、アルクスから出された条件を示すと可憐な顔を歪めた。
「ネーヴェさん、逆さ天空は危険なダンジョンです。レゾン周辺のダンジョンの中でもトップクラスの難易度ですし、何人もの冒険者が帰ってきていません」
「わかってる。だが、それを押しても行かなければならない」
リースの態度はほぼ予想通りだ。俺たちの身を本気で案じる彼女が、そうそう高難易度ダンジョンへの挑戦を認めるわけもない。
反対されるのが分かり切っているのだから、黙って出て行くことも当然出来た。が、それでは友人に――仲間にあまりにも不誠実だ。だからこそ、こうして呼び出し、正直に話している。
「確かに逆さ天空の入場には、階梯による制限がありません。浅層は安全で、採取できるものも有益なものが多いからです。駆け出しの冒険者が単独で稼ぐにはそれなりに良い環境とも言えます。……ですが、ネーヴェさんが持ち帰るべき薬品の材料は浅層を超え、上層を突破し、中層を更に進んだ先、下層の一歩手前で群生しています。当然、奥へ進むにつれて危険度は跳ね上がりますよ」
下層の手前だと……アルクスめ、本当に危険なのは下層からだとか言っていたが、その手前までは行かなければならないじゃないか。今頃、安易に依頼を受けた俺をせせら笑っているのかもしれない。
「ネーヴェさんとシアさんの実力は未知数です。ガロ厄種の討伐と、悪魔、ライラーの撃退は並みの冒険者では不可能であることは理解しています。……それでも、逆さ天空は危険なのです。高階梯の冒険者ですら、浅層から先へ立ち入ることを躊躇します」
「……何がそこまで危険なんだ?」
リースは俺たちの実力を客観的に評価している。その彼女が危険だと思う理由を知っておきたい。
「まず、冒険者たちの多くは上層を突破することも困難と言われています。上層に生息している魔物は亜竜種でも翼竜系が圧倒的に多く、一体でも脅威なのに群れで襲って来ます。十分な足場を期待できない中で、自在に空を駆ける亜竜を相手にしなければなりません」
なるほど。俺の魔法は射程が短いから対策が必要だな。
「次に足場です。浅層を超えて上層に辿り着くと、足場が極端に悪くなります。上層から現れる浮島たちは集合と離散を繰り返すため、地形は絶えず変化します。足をついていても一瞬後には空に投げ出されるかもしれません」
「浮島はただ歩くだけでも危険か……。壁に沿って足場があると聞いたが」
「ありますが、それもどこまで信用できるか……。過酷な環境なので、傷んできている筈です」
足場が悪いという経験は山暮らしの俺には慣れ親しんだものではあるが、歓迎すべきものではない。山は気まぐれに人を飲み込んでいくが、逆さ天空も同じなのだろう。
「そして三つ目に、『雨』です」
「雨? 雨が降るダンジョンなのか?」
「はい。それもただの雨ではなく、遥か下方、逆さ天空の深層から高速高圧で射出される液体の弾丸です。身体が蜂の巣状に残ればまだマシ……などと言われています。未だに発生原因は判然としていませんが、ダンジョン特有の自然現象とも、何らかの魔法攻撃とも言われています」
逆さに降る雨か……。弾丸に比する威力なら、脆い足場ごと貫かれかねない。厄介だ。
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