3章-5節 不調 ――独りの夕餉
晩秋の夜は冷える。息が街灯に照らされて白く煙る。
神託で〈氷雪士〉のジョブを得たからなのか、山から降りてきた時も、街で生活を始めた今も、寒さが心地良いとすら思える。寒いとは分かるが、不快さや苦痛はないという、極寒の雪山で生活してきた俺には不思議な感覚だ。あの氷獄の世界とは一生相容れないと思っていたが、認識を改めることになりそうだ。
空を見上げれば、二つの月が輝いていた。銀の光が柔らかく降りている。二つの月は空の双眸で、世界の果てからこの星の生活を覗き見ていると、爺さんが言っていた。お伽話をよく聞かせてくれる人だったと思い出す。
「想像こそが創造する……」
魔導士だった爺さんの口癖。俺にとっての金言。
なにも魔法に限ったことではなく、己の限界は己が決めると言っていた。人は、なりたいものになれる力を持っているとも。
厳しくも優しい人だったと、今更になって思う。
当たり前に話せていたあの頃が懐かしく、遠い。
……想いを振り払う。今は感傷に浸る時ではない。
掌に集めた魔力で、瞬間的に氷を作り出した。この僅かな力が、俺の全てだ。無力とさえ思えるが、俺はこの力を使って強くなるしかない。仲間が傷つかずにいられるよう、強く。そんな姿を想像し、自身で創造するしかない。
――グレイブの宿が見えてきた。黒猫が樽の上で横になっている。大きな窓から、厨房に立つ店主の姿が見えた。
猫をひと撫でして、宿に入る。
鼻腔をくすぐる良い匂いが食堂から溢れている。今は客がいない。次へ向かったか、これから来るのか。
「ただいま」
「ああ、おかえり。……ん? ネアルさんはどうした?」
初老だが、非常に端正な顔立ちの男は怪訝そうな顔を浮かべる。どこか一抹の不安を滲ませた表情は、シアを心配してのことだろう。
一緒に出掛けた筈のシアがいないし、俺も見た目がボロボロだ。グレイブ自身が太鼓判を押してフォール邸ダンジョンに向かったのに、こんな姿で帰ってくるとは想像していなかっただろう。
「怪我をして、組合で一日入院だ。ただ食欲はあるし、とりあえずは元気だ」
「ランスのところか。それなら安心だな」
街の宿屋にも信頼されるほど、ランスの評判は良いようだ。息を吐いたように見えたが、隠しているようだから見なかったことにした。
「怪我の様子は?」
「腹に銃創。傷は回復したが、魔力が戻らない。……俺たちは『悪魔』と、その親玉に会って、何とか撃退できた、といったところだ」
かいつまんで事の経緯を話す。
「……あんたもネアルさんも、災難だったな」
「俺はともかく、シアは……な」
僅かばかりの沈黙。
「……彼女、旨そうに食べてくれるものだから、今日は大盛りで作ったんだが、無駄になってしまったな」
話題を逸らすようにグレイブはフライパンを振った。空腹の胃を刺激する香りが食堂に広がる。
「任せろ、凍結は得意だ」
「……あんた、フランベルクのときもそうだったが、〈氷雪士〉として生きて行くよりも冷蔵冷凍の専門家として生きて行こうとしてないか?」
呆れたような視線に晒されると苦笑しか出ない。仕方ないだろう、今の俺が活躍できる場面など限られている。
「ほら、できたから冷凍を頼むよ」
皿に乗った料理がカウンターから差し出される。物凄い大盛りだ。シア垂涎の一品だろう。
何も言わずに魔法を発動。皿ごと状態が凍結し、山盛りの米と一緒に乗った料理の数々が、全て硬質の質感を宿す。状態の凍結は氷に包むわけではないが、見た目としては硬質の輝きを宿す。
「……………………なんだ、それは?」
グレイブの鋭い声に驚く。
自慢の料理だったようだし、こんな凍結方法では納得できなかったのだろうか。説明してわかってもらうしかない。
「状態を凍結した。解凍すれば、熱も味もそのままになる。ただ、凍結中の見た目はちょっとだけ悪くなるのが難点だ」
以前、グレイブに作ってもらった弁当は箱に収まっていたからシアも気付いていなかったが、ともすれば金属のような質感の食べ物を見て、食欲が湧くかは疑問だ。無論、解凍と同時に見た目も元通りなのだが。
「状態を凍結、だと……。私も様々な冒険者を見てきたが、〈氷雪士〉がこれほどの魔法を使えるなど、聞いたことがない」
「シアにもやけに器用だと笑われたよ」
「………………………………。いや、いい。お前たちが規格外なだけだな」
小声で何か言っていたが全く聞き取れなかった。とりあえず、グレイブに言わせれば俺たちは規格外ということらしいが、褒められているのか貶されているのか分からない。
「それより、ネーヴェさんも腹が減っただろう。座って食って、休むといい」
グレイブが差し出してきた皿を受け取る。シアと同じメニューだが、人並みの大盛り程度の量に落ち着いている。正直、シアと同じ量は食える気がしないので助かる。
「明日はどこか適当なダンジョンでシアに特訓をつけてもらおうと思っていたんだが、さすがにそうもいかないな」
カウンター席に座りながら愚痴がこぼれる。悪意ある奴らのせいで予定が狂った。本当に迷惑な連中だ。
「今日の明日ではさすがにランスが止めるだろう。それにあんたたちが動くと何か必ず事件が起こる。それを解決してみせてはいるから、評判は上がるだろうが、気をつけた方がいい」
「……買いかぶりはよしてくれ。間接的にでも俺は仲間を――シアを傷つけてしまった。俺がもっと強ければ、違った結果もあった筈だ」
「立ち居振る舞いはそこらの新人よりもずっとしっかりしているように思えるがね。……何にせよ、あまり思い詰めるものではない。今は前を向く方が大事だ」
グレイブの瞳には真摯な光が宿っている。
「過ぎたことでも取り返せることがある。その悔しさ、無力感さえ忘れなければ」
「……努力するよ」
「ああ。それでいい。さぁ冷める前に食べてくれ。今日のは自信作だ」
言うと、グレイブは背を向けた。洗い物でもするのだろう。
自信作とやらを鼻先に持っていく。いい香りがする。口に含むと、やはり美味い。
……美味いが、ほんの少しだけ、しょっぱいような気がした――。
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