3章-5節 不調 ――悪魔の呪い①
「長かったわね」
「ああ。怪我はもういいのか?」
医務室に戻ると、シアはベッドの上で身体を起こし、窓の外を見ていた。部屋にランスの姿はない。席を外しているようだ。
日は沈み、赤光の残滓が僅かに届く。もう間もなく、日も落ちるだろう。窓から見える中庭は他の部屋から放たれるぼんやりとした明かりに照らされている。
「ええ。ランス先生は本当に名医ね。この短時間で、それも薬だけで、あの傷が治るとは思わなかったわ」
血塗れだった服からは流石に着替えている。真っ白いシャツを着たシアの姿はどこか儚げだ。
だからこそ、違和感がある。儚げなんて、普段のシアからしたら考えられもしない。軽口ばかりを叩く大飯食らいに抱く印象ではない。
「……どうした?」
ベッド脇の椅子に腰かけた。リースもどこか不安そうな顔をして、俺の隣に立つ。
ベッド脇の棚には呼び鈴だけがポツンと置かれていた。
「……魔力がね、回復しないのよ」
顔を窓の外に向けたまま、ポツリと、独白のように告げる。
「【悪魔】スキルの効果かしらね。あんな傷、本来なら受ける筈もないのに、その上、魔力の生成にまで影響を与えるなんて。……はぁーぁ、嫌になるわねホント。ネーヴ、こんなお荷物は捨てて、他の冒険者と組んだら? あなたなら、すぐに――」
「馬鹿なことを言うな」
昔、落ち込んだとき、母さんにしてもらったように、シアの頭を撫でる。刃のように鋭い角さえ、今はしょげて見えた。
――全く、嫌になるのはこっちの方だ。仲間にこんなにも辛い想いをさせてしまっている。
「任せろ、俺がなんとかする」
「……さっきもそう言ったわね。それで本当になんとかするのだから、ネーヴは凄いわ」
顔は背けたまま。
だが、暗がりを臨む窓にはその顔が映されていた。泣き笑いのようなその表情を、俺には見せたくないのだろう。
俺としても、そんな顔のシアを見ていたいわけではない。一刻も早く、力を取り戻してやる必要がある。
今のところ、手掛かりはウーベルだけだ。締め上げるなり脅すなり、どうにかしてシアの回復の術を聞き出さなければ。ただ、あの廃人相手に何ができるかは、やってみなければ分からない。
「シアさん、ランス先生には……?」
「言う前にバレていたわ。本当に、凄い先生ね」
「でしたら……!」
「リースさんの期待には応えたいところですが、こればかりは何とも言えませんね」
後ろから声が掛かる。振り向けば、医務室の入り口に立ったランスが難しい顔をしていた。
「これは病というよりも呪いの領分だ。対処法はもちろん幾つか考えつくけど、ネアルさんの身体にも大きな負担をかけてしまう」
言いながら、手に持った青い液体の瓶を振る。今までに何度か見たことがあるものだ。この組合の売店にも並んでいる。ただ、その透明度の高さや不純物の無さは並みの品質でないこともうかがわせる。魔眼が起動。すぐに最高品質の魔力回復薬と判別した。
「これは極一般的な、魔力を回復させる薬だけど、ネアルさんの今の状態では効果がないんだ」
何故、と問う俺の視線にランスは頷く。考えてもみないことだったが、最高品質の薬ならば、シアの魔力枯渇などすぐに解決しそうなものだが。
「魔力を回復させるということがどういうことか、ネーヴェ君にはわかるかい?」
ランスの問いに首を傾げる。言葉の意味の通りではないのだろうか。
「この薬自体が魔力を持っていて、飲むことによって魔力が補充される、というわけではないんだ」
ランスは続ける。瓶の中の青い液体が揺れている。
「魔力を回復させるのは、あくまで自分自身なんだ。この薬には、その機能を補う薬効や栄養素が含まれているだけ。魔力を回復――つまり生成するのは脳にある器官だというのは知っての通りだけど、ネアルさんはその魔力を生成する機能が止まってしまっている」
「その器官を活性化することはできないのか?」
「正確に言うなら、強力な呪詛のような魔力が、働きを阻害している。これでも僕は薬の専門家だ。さっきも言った通り、治療ができないわけではないけれど、解呪には強力な薬を継続的に投与する必要がある。身体への影響、負担はもちろん大きい。苦痛も伴うだろう」
「そうか……」
医者らしい冷徹な診断に、肩が落ちる。
英雄クラスの名医でも、大きなリスクを取るしかないのなら、それだけウーベルの【悪魔】スキルが凶悪だったということだろう。あるいは、ライラーの【強奪】か。いずれにしても厄介な連中だ。
「ヒトには生まれ持っての魔法抵抗がありますよね。脳も含めて、特に内臓系に作用する魔法の効果はかなり低いはずですが」
「魔力は血流にも乗るから、全身に魔力を満たした状態なら、本来持続的な効果は不可能とさえ言えるわよね」
「だが、その魔法抵抗を上回れば通用するんだろう?」
それだけ強力な魔法を打ち込まれてしまったということではないだろうか。全員が答えを求めてランスに視線を投げる。
「ネーヴェ君の言う通りだ。魔法抵抗分だけ威力や効果が目減りするけど、相手の魔法抵抗を上回る魔力を常に込めることができれば、効果は持続する」
ランスは俺たちの視線と言葉を引き取った。一拍置いて続ける。
「他には、相手の魔力を受け容れるよう、自身で魔法抵抗力をコントロールできれば魔法抵抗が高くても効果は発揮されるね。ヒトの身体はこれで凄く賢くてね、筋力増強などの支援魔法を受ける時に、実は自動的に魔法抵抗力が抑えられているんだ。支援効果が減衰されたら勿体ないからね」
シアに打ち込まれた呪詛は魔法抵抗を打ち破ってきたのか。シアのことだ、強力な魔法抵抗力を持っていることはまず間違いない。それを無視する呪いか。
「魔導で言うところの呪いというものに、実は定義はないのだけど、僕なりに定義付けするとしたら、対象者にとって不利益な効果を、対象者の力を利用して作用し持続する、とするね」
「……じゃあ、わたしが、わたし自身を呪っているの?」
「うん、そうとも言える。そして今回の場合は裏を突かれた。ネアルさんの強大な魔力生成能力が、呪いの原動力になってしまっているのさ」
ランスの言に、俺の脳内で閃くものがある。
「打ち込まれた悪魔の呪いは、支援魔法に偽装されていたのか」
薬士は厳しい顔で頷いた。
「ネーヴェ君の言う通りだ。ネアルさんの強力な魔法抵抗を無にするよう、巧妙に偽装された呪いがネアルさんを貫いた。この貫通能力は尋常のものじゃない。その気になれば相手の魔法防御を無にすることができるからね。あまりに強力すぎるから、何らかの制約が必要だったとも考えられるけど、それは考えても分からないから今は置いておこう」
ランスの口から語られる【悪魔】スキルは凶悪に過ぎた。当てられてしまうと後がない。
「ネアルさんの身体には今、魔力生成を阻害する呪詛――持続魔法が打ち込まれている。おそらく、打ち込まれた【悪魔】の呪いそのものが、効果持続のための核となっていると僕は考えている」
「そんなことがあり得るのか?」
先ほどの話からすると、持続する呪いの核ごと、魔法抵抗によって無効化されそうなものだが。
「いや、普通はないよ。けれど、この呪いは本当に効果が厭らしい。呪いの核が、ネアルさんの脳で絶えず生成される魔力を奪って効果を維持している」
魔力を奪って魔力の生成を止める効果を持続させている、ということか……?
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