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1章-3節 燎原の火①

 秋も中頃に差し掛かる。行く道には黄金色に染まった平原が広がっていた。なだらかに下る道、黄金の原は地平線の向こうまで広がっている。

 火をつけたら物凄い勢いで燃えそうだと益体もなく考えながら進む。

 夕べ聞いた話によると、街道を進めば野生動物に出くわすことはほとんどないという。人間を襲うものは総じて知能が高く、田舎で少ないながらも定期便が出ている街道を狩場にするリスクを把握しているからだとか。山の獣は血に飢えていて油断などできないが、このあたりの動物は少しばかり温厚なのだろう。

 ――歩き出してしばらく経った。

 代わり映えのしない平原の景色が続いている。後ろは振り向くまいと決めていたが、『山』の姿はどんどん遠くなっていることだろう。

 山道や森の中に比べれば格段にに歩きやすいし、獣に襲われないので安全でもある。

 日差しは強いが秋の涼風に背中を押され、脚はどんどん進んでいく。昨晩ベッドの中で抱えていた不安な気持ちも、どこかに置き去りにした。

 そうして、西の夕暮れが迫る。草原の先に沈もうとする太陽。

 風向きが変わり、向かい風がこれ以上進むなと肩を押す。


「そろそろ休むか」


 乾いた喉を潤し、野営の準備を始めようとした、そのときだった。


「……や――――!」

「……ん?」


 風に乗って声が聞こえたような気がしたが。

 冷たい風が背の高い草木を薙いでいく。辺りには誰もおらず、耳を澄ませど何も聞こえない。気のせいだったろうか? あるいは風の音か。

 いや……山暮らしの長い俺が声と風を聞き間違えたことなどない。獣を判別出来なければ、命の危険さえあるのだから。

 意識して【魔眼】を起動し、魔力視の俯瞰視点に切り替える。集中すると、ここから街道を逸れた草原の先、小さな林の方に魔力反応がある。


「いーやーーーー! こーなーいーでーくださーーーい!!」


 今度ははっきり聞こえた。魔力視は走ってこちらに向かってくる一人の人間と、それを追う多数の何かの姿を捉える。魔力視は魔力を捉えるため、探知には向いているが、はっきりとした姿形は分からない。だが、おそらくはこの辺りに生息している獣だろう。

 ……どうしたものか。

 警戒で止まっていた息を吐く。なんとも力の抜ける光景だった。

 手を出すことはできるが、状況が悪化する可能性もある。そもそも、俺の助力が本当に助けになるかわからない。状況の悪化を招いた挙句、両方とも助からない、では目も当てられない。

 幸い、間抜けに叫びながら逃げているくらいには余裕もあるようだから、ここは見て見ぬふりで移動しよう。

 ――そう決めて、巻き込まれないよう退避しようとしたときのことだった。


「いい加減にーーーーしてっ、くださいっ! 炎焼弾アミ・バーレ!」


 少しだけ怒気の孕んだ声。俺の脳にはにわかに警鐘が鳴り出す。

 一陣の風が背の高い草原を薙ぎ倒した。目を向けたその先に見えたのは、両手を胸の前にかざす少女の姿。警鐘が強くなる。【魔眼】が起動し、主観での魔力視と望遠を発動させる。

 捉えたのは、彼女の手から放たれる火炎。灼熱の暴威が少女を追い立てていた獣――黒い毛の狼に殺到する。彼女にしてみれば、少し脅すつもりだっただけかも知れない。そして狙い通り、狼たちは突然の炎に驚き、慌てて林へ引き返していった。

 ――が。


「最悪だ……」


 季節は秋。草木も空気も乾燥している。そこに火種が現れれば、どうなるかなど『火を見るより明らか』だ。……なんてのは冗談にしても出来が悪過ぎる。ついでに、さっき火を点けたら、なんて考えた自分の考えを呪う。


「これは、見て見ぬふりもできないか……」


 ――枯れ草に着火した魔法の炎は、驚くべき速度で延焼する。よほど燃え移りやすいのか、たちまち少女の全周が炎に覆われていく。炎を見ているのに寒気さえした。

 少女が状況を理解できずにおろおろしている間に、彼女は燎原の火に呑まれつつあった。このままでは命はない。

 もうもうと黒煙が噴き上がり、いよいよ呼吸も苦しくなったのだろう。少女は脱出を試みたが、時すでに遅し。どこにも道はない。

 魔法で炎を放つくらいだ、この火勢も操れそうなものだが――。

 自分にできないことを考えても仕方ない。

 穂波はヤク村を出た頃から途切れ途切れになりつつも街道沿いをずっと続いている。下手をしたら村にまで延焼する可能性もある。放ってはおけない。


「こっちだ!」


 地面から生え伸びた氷の壁が炎を阻み、少女の退路を築いた。だが分かる、これでは長くは保たない。氷雪が熱を奪うよりも強く、炎が吹き荒れている。

 いくらなんでも火勢が強すぎる。通常の炎ではなさそうだ。元々は魔法から引火したものだからか。

 少女はこちらの脱出路に気付いたようだが、その足並みはすでにふらついていた。煙に巻かれたせいだろう。いつ意識を失ってもおかしくない。

 俺の氷雪では一時的な効果しか得られないとなると、この延焼は止められない。彼女がこの炎を手繰れることを信じて助け出すしかない。でなければ、この炎は俺たちの犠牲だけでは済まない。


「クソッ、酷い災難だ……!」


 意を決して、少女の元へ向かう。とにかく彼女を回収しなければ。

 歩き難い草原を氷結して圧縮し、平らな道を整備。少女の元まで真っ直ぐに伸びた氷の道を駆け抜ける。

 轟々と唸り渦巻く炎に向かって走るのは恐怖でしかない。炙るような熱の風が押し付け、氷の道がすぐに溶け出す。

 少女の身体がふらりと揺れた。遂に意識が失われたのだと分かる。

 氷の地面に倒れ込む前に、膝を滑らせながら受け止めることが出来た。


「おい、しっかりしろ! おい!」


 呼びかけ、煤けた頬を叩いても目覚めない。危険な状態かもしれないが、それは俺も同じだ。とにかく、全力で炎を押し留めつつ後退するしかない。

 少女を傍らに寝かせ、両の手に魔力を集める。

 焦らず、急がず、されど迅速に。


氷凍地槍クロセルス・フルム!」


 振り絞るように全身の魔力を集中させ、できる限りの範囲を思い浮かべて地面へと放った。

 青白い光が地面を覆い、瞬く間に広がっていく。火勢の強い林側に強い力を向わせると、炎と冷気がぶつかり合うのを感じた。炎に魔力を感じるのだ。集中を切らせば即座に俺の氷雪魔法など、すぐに霧散してしまうだろう。


「やはり魔法の炎か……!」


 額に汗が滲むのは、辺りが熱いから、だけではない。最早俺の手に負える段階を過ぎているのだ。頼みの綱である少女に起きる様子はなく、炎を押し留めながらの撤退さえ難しい。あるいは、この女も、街道や村のことも、全て投げ打てば――俺一人ならばまだ逃げ切れるが……。


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