3章-3節 最大戦力①
「汝の抱く『ヒト擬き』を殺せ。これは譲れぬ」
邪悪な笑み。死ねと言ったり殺せと言ったり、物騒な偽魔族だ。しかも予想通りの条件で、いっそ拍子抜けする。シアの暴言がよほど気に食わなかったのだろう。器の小さい女だ。偽魔族の中では侯爵という高い地位にあるようだが、これでは他の偽魔族どもも知れてるな。
――などと、胸中でこき下ろしてみるが、ライラーに反応はない。俺が苦悩していると思って薄ら笑っている。シアなら俺の内心などすぐに看破しただろう。同じことを考えただけで雷撃の音が耳元で爆ぜるに違いない。となると、ライラーの観察力は決して高いわけではないと知る。
逆に、シアは俺の意図に気づき始めたかもしれない。
表面上は無言を保ったままシアをゆっくり地面に下ろし、向き直る。左手に持った鞘に更に魔力を注ぎ込み、増幅させる。地面を突くと、一息に周辺が凍りついた。シアが凍結しないのは、彼女の持つ魔法抵抗によるものだろう。
刀を鞘から引き抜く。白い霧が刀身から放たれていた。周囲の温度が急激に低下していくのが分かる。
「……」
蒼玉の瞳に俺が映る。互いに言葉はない。
シアの目には信頼の光が宿っている。俺が何かしらの打開策を行っていると、やはり気付いている。ライラーに悟られぬようほんの小さく頷いた。最後まで、俺に付き合うという意思だ。
「さぁ、やるのぢゃ!」
ライラーのそれは最早笑声だった。
隠し切れない邪悪さが滲み出た命令に、俺は刀を振り上げ魔力を練り上げる。
「氷縛壁柩!」
そして詠唱と共に、刀を振り下ろした。刃に宿った冷気が放たれ、シアへと殺到する。それを、呻き声一つ漏らさずに受けるのだから、シアは並外れている。
寒いのは、苦手な筈なのに……。
極限の冷気は数瞬の時間でシアを氷の中の彫像へと変えた。それはまるで絶世の美姫を象ったかのような、美しくも儚い印象を与える。
俺には、彼女を傷つけることなどできない。
「――あっははは! 良い趣向ぢゃ! 氷を扱う汝らしいのぅ」
無詠唱ボーナス獲得の頭痛がする。ライラーは手を叩いて喜んでいる。
俺はこの偽魔族に向き直らなかった。刀を持つ手が震える。寒さのせいでは決してない。
こんな手段を取らざるを得なかった自分自身が許せなかった。もっと強くならなければ。唇と、己の無力さを噛み締める。
……そんな、無力な俺の元に、いつか、聞いた声が届いた。
「嵐鏖――」
見上げた先に、蒼銀の鎧を着た女が宙を舞っていた。
その手には、美しくも禍々しい、蒼の魔剣。
「――垓濤刃!」
女は空中で身体を捻り、何度も回転しながら詠唱を完成させた。
特大の警報が脳内に鳴り響いたのはその時。魔眼が女の魔剣から放たれる刃の波濤を知覚したのはその次の瞬間だ。不可視の刃が恐るべき速度と量をもって殺到する。
俺は凍ったシアを抱いて身を伏せることしかできなかった。
「なっ――」
ライラーの絶句は、絶命の息だったろうか。
次々と間断なく放たれる無色の斬撃がライラーに降り注ぐ。
大気が悲鳴を上げ、ライラーとともに地面の石畳は無惨に切り裂かれていく。
縦横無尽。斬撃だけで地面が沈んでいく光景など、誰が見たことがあろうか。
威力、射程、精度、どれを取っても一流の凄まじい技だが、自身の至近で起きる大破壊には、叫び出しそうな恐怖が先に来る。
「おのれええぇぇ――!!」
まさしく地の底から怨嗟の声が響く。
先ほどまでの余裕など全くない、ある種飾らない本音だ。斬撃による即死は避けたようだが、局所的な地殻変動には対応しきれなかったらしい。いくら【強奪】といえど、飽和攻撃を相手にするのは限界があるようだ。
崩れた地面、土砂を吹き飛ばし、ライラーが現れる。所々に裂傷を負った血塗れの姿。今、俺の隣に着地した女の姿を認めると、偽魔族の女は指を向けた。
「下がって」
立ち上がったところを、女に軽く押される。同時に、ライラーの指先から放たれる黒条の一閃。黒い光が見えたと思った瞬間、眼前では火花が散っていた。
黒の魔力と、蒼の魔剣の壮絶なぶつかり合い。爆ぜた魔力が火花となって乱舞する。女の魔剣が、【強奪】の力に正面から抗い、押し返していく。
「気持ちの悪い魔力。吐き気がする」
魔剣が振り抜かれる。黒の魔力を両断し、透明な刃はライラーへと走る。その斬撃が届くよりも早く、次の魔法が完成している。
「嵐霆凱剣!」
小さな――しかし強力な竜巻を伴う斬撃が瓦礫と土砂を掘り起こして舞い上げた。一緒に飛ばされるライラーは最早死に体だ。全身を竜巻状の刃になます斬りにされ、血を流している。何とか致命傷だけは防いでいるような状態だ。
やがて竜巻が収まると、ライラーは大量の土砂と共に地面に落ちた。今度は埋もれたりせず、しかし血と泥に塗れた見るも無惨な姿に変わり果てていた。
「久しぶりね、ネーヴェ・サタールンタ。レゾンに着いたら私に会いに来てと言ったこと、覚えていたようね」
「サフィール・ワンダラー。こんなに早く会えるとは思っていなかったが」
女――サフィールの背に言葉を投げる。彼女はまだ構えを解いていない。臨戦態勢のままだ。
「あんたの友達のリースに、泣きながら頼まれたのよ。『ネーヴェさんとシアさん――わたしの友達が死んじゃいそうだから助けてください』って」
どうやら、俺のメッセージはリースに伝わっていたようだ。まさかサフィールが来るとは思っていなかったが、最大戦力で応援を頼んだのは確かだ。
ライラーの勧誘を受けている間、地面を刀で打って俺の力を披露したあの瞬間、魔力を地面に這わせ、レゾン地下を網羅する下水道を通じて冒険者組合まで氷を伸ばした。地面を這わせるよりも安全且つ液体の方が俺の魔力は伝導率が高かったからだ。
そのまま組合内部の壁に魔力を浸透させ、追加の魔力を送り届けて氷で文字を書き、危機を訴えたのだ。
魔力を細く長く速く、そして密かに伸ばさなくてはならなかった。ライラーを相手にしながらも、それはほとんど自分自身との戦いだった。そもそもガウフの刀による魔力の増幅がなければ組合まで魔力は届かなかっただろう。俺の魔法――氷雪系魔法は射程が短い。目に見えない、あるいは声の届かない範囲には効力を及ぼし難い。
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