3章-1節 レゾンの悪魔(真)③
表情の読めなかった道化の笑みにヒビが入る。どうやら、何かしらの琴線に触れるものがあったらしいが、知ったことではない。
――あぁ、道化というのは我ながらよくできた例えだ。自らの能力に踊らされるなど、道化と言うにふさわしい。
「君は遊ばれているのが分かっていないのか。生意気な」
「お前のような無様な小者に遊んでもらう趣味はない。独りで積み木遊びでもやるんだな」
「こんの……! 言わせておけば!」
激高するウーベルが短銃を向ける。引き金が引かれ弾丸が発射されたが、その音が届くよりも早く、身を屈め賭けの突進。弾丸は髪の数本を引きちぎってどこかへ消える。十歩の距離を零に近づける。
ウーベルの顔には憤怒。余程痛いところを突かれたと見える。
悪魔の男は弾丸の反動で跳ね上がった右腕に対し、直角を描くようにして左腕を振るう。指の間に出現していた幾本もの暗器が投擲される。十歩あった距離は既に至近に達していた。俺に避ける間もないと判断したのだろう。それは間違っていない。
会話の隙に練り上げていた魔力を解放する。魔導領域が凍らせた地面から氷の腕が伸び上がり、飛来する暗器を蹴散らしながらウーベルへ到達。氷の剛腕が道化の頬を、その側頭部を殴り飛ばした。
ウーベルの身体は地面と平行に飛び、落ちてからも弾みながら近くの壁に叩きつけられる。
――確かに避ける間は無かった。だが、反撃はできた。
ウーベルは一つ勘違いをしていた。精度さえ重視しなければ、俺は無詠唱で魔法を扱える。多くの人が可能な手段ではないにしろ、考慮を外すべきではなかったな。
それに、詠唱――言葉は一番手軽な魔法発動の手段だが、自分の思う形に魔力を練り上げる想像力さえあれば、詠唱は必要ない。シアがそれを教えてくれた。
想像こそが創造する。
祖父の言葉は金言となって俺の裡にある。
「無詠唱、だとぉ……!」
倒れ伏しながら、ウーベルが怨嗟の眼差しを向けてくる。鼻が折れて血が吹き出していた。冷静に距離を取れば殴り飛ばされることもなかった筈だが、頭に血が上っていた。会話を引き受けた時点で俺の策略にはまっていたというわけだ。
カプラ族のものと思われた捻れた角は地面に転がっていた。これを頭に付けて、見た者の印象を操作していたのだろうか。
「随分と姑息な真似をするんだな」
詐術で仕留めた俺が言えたことではないが。
ヒトは目につくものほど記憶に残りやすい。ドルフが必死に思い出した特徴も、どうやらウーベルの手の内だったようだ。
角を拾い上げる。軽くもなく、重くもない、漆黒の角。捩じれた節がやけに不吉さを醸しているが、悪魔の男が付けていたという印象が先立っているだろうか。
「――あぁっ、それは! それを、返せっ!!」
悲痛な声に目を向ければ、這いつくばったウーベルが手を伸ばしていた。血を喉に絡ませて何度もむせながら、それでも伸ばした手は戻さない。必死の様子だ。……ただの付け角だと思ったが、違ったのだろうか?
「返して欲しければ素直に答えろ。これは何だ」
刀の峰を、ウーベルの顎に添える。刃を返せば、いつでも止めを刺せる。妙な動きをした瞬間に殺せる覚悟はある。暗器は警戒するが、予備動作なく攻撃できる状態ではないだろう。
「それは……それは……」
紅の発光が収まった右目が泳ぐ。左目から流血。氷の剛腕――無詠唱で放たれた氷刻厖掌が頬骨ごと眼球を破砕していた。
顔面や前頭部が陥没し、血塗れだ。早く治療しなければ命にも関わるだろう。恐らくそれが分かっていて、それでも答えあぐねている。重要なもののようだ。
「俺は別に聞かなくてもいい。仲間の治療もあるからな」
捻じれた角が俺の魔力に晒されて凍結していく。血塗れのウーベルの顔も比例して青ざめた。
「それは、ボクのスキルなんだ――!」
「なに……? どういうことだ?」
「ボクの使えない神託スキルと交換したんだよ! それを身に付けていれば、【悪魔】スキルが使えるようになるって!」
自分の神託スキルと、この『角』を交換した、だと?
何を言っているのか、言葉は分かっても理解が追いつかない。
スキルを交換……そんなことをできる者がいるとしたら、それは神託を授ける大いなる存在と同等の力を持っているのではないか。
考えていると、角の表面を凍結させていた魔力が、内側に浸透しだした。その時だ。
手に持った漆黒の角が、ドクンと、脈動した気がした。俺の魔力がそこにあった別の魔力に触れる。
……絶大な力だ。この魔力リソースさえあれば、〈最弱〉の俺でもレゾン全域を氷の棺に納めることができるかもしれない。
神託スキルというものの持つ力が魔力に変換されればこうもなるのだろうか……?
「なんだ、これは……」
背筋に冷たいものが走る。
触れてはならぬもの、見てはならぬ禁忌が形を持ったかのような不安。
「それを、返してくれ……!」
ウーベルの声は最早懇願ですらある。その嗄れた声に目を戻すと、そこにあったのは老人の顔。髪は白く顔面は皺に覆われているが、左目の潰れたその顔はウーベルのものだった。
脳内に極大の危険信号。
手に持った角を足元に投げつけ、全力で刀を振り下ろす。が、刃は角には到達せず中空で静止した。
鍔鳴り。断ち切らんと振り下ろした刀と、角から放射された魔力が拮抗し、鍔迫り合いを起こしている。
「なんなんだ、これは……!」
俺の理解の及ばないことが多過ぎる。努めて冷静を保ちながら、しかし目の前で起こることへの対応で精一杯だ。どうなっている……!
悪態を吐きながらも、渾身の力を込めて刀を押し込む。
鍔迫り合いで徐々に刃を押し込んでいく。じりじりと刀が降りていく。やがて刃が角に触れると、それ以上の抵抗はなく、黒色の角は両断された。魔力の放射も同時に止まる。
角はボロボロと形を崩し始めた。
「終わった……か?」
安堵の息が漏れる。
――が、それはすぐに飲み込むことになった。砕けた角から魔力が溢れ、今度は辺りに広がっていく。霞のように、だが風に揺れるでもなく立ち昇っていく。
脳内の警鐘は先程からずっと鳴り響いている。ここは危険だ逃げろと、故郷の山で培った感覚、そして【生存本能】スキルが全力で訴えている。
だが、俺の後ろにはシアがいる。仲間を見捨てることなどできはしない。
広がり続ける魔力。今はまだ無軌道な力の塊だが、言い換えれば山積みにされた爆薬のようなもの。火種さえあれば容易に弾け、大災害をもたらすだろう。そうなれば、ここから離れた場所にいるリースやグレイブも無事では済むまい。
魔法は使えない。例え自分自身の力でも、これだけ膨大な魔力が存在している空間で魔法を放てば、とても制御などできないだろう。暴走して終わりだ。何が起こるかも分からない。
かと言って、物理的に対処できる手段もないのが現状だ。もはや溢れ出る魔力は止められないだろう。ウーベルに目を向けるが、細かく痙攣して空を眺めるだけになっていた。茫然自失。この男にも事態を把握できていないらしい。
ではどうする。どうしたらいい。魔眼が魔力の広がりを視覚化しているが、既にあたりを覆いつくしている。西日の差す路地裏が、魔力に満たされている。
そうして俺が迷う間にも、事態は進んでしまう。
無軌道に見えた魔力の広がりが、螺旋を描くように回り始めたのだ。
大元となる角の破片に目をやると、無色だった筈の魔力に、一筋の黒い魔力が流れ込んでいるのが見えた。
黒い魔力は水に落とした絵具のように、広がった透明な魔力を犯し、蹂躙していく。そして魔力の螺旋は一秒毎に速さを増す。同時に俺の嫌な予感も増大。悪寒が背筋を貫いている。
俺の魔眼で見る景色では、全く先を見渡せないほどの黒い嵐が巻き起こっていた。
……最早、手の施しようがない。
シアを連れて脱出しよう。そう決めると、身体は素早く動き出す。この状況下で俺に出来ることはシアの身を守ることだけだ。
「ネーヴ……なにが、起きてるの……?」
路上に横たえていたシアを抱え上げる。痛みに呻いたが、こればかりは耐えてもらうしかない。
「俺にも分からん。だが、ここにいたら不味いことだけは分かる」
「そう、ね……。いざとなったら、わたしは置いて行きなさい」
「俺が先に死んだら置いて逝ってやるよ」
馬鹿なことを言うシアを笑ってやりながら、走り出す。
辺りからは人の声が聞こえ始めている。俺とウーベルとの戦闘音に続いて、膨大な魔力が出現したのだ、魔導士はもちろん、他のジョブでも感知できるのだろう。
闇の螺旋は竜巻ほどの速さに達すると、少しずつその範囲が収束してきた。しかしそれは爆縮にも似た不吉な前兆だ。一度縮んだ後に広範囲を吹き飛ばすのではないか。そんな俺の考えは、しかし全く的外れなものだった。
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