3章-1節 レゾンの悪魔(真)①
3章 氷雪士の挑戦
挑む者だけが知る。
自らの輪郭と、その輝きを。
――ハロルド・グレイ『人の歩みとその本質』
◇◇◇
細目の男は距離を取って立ち止まった。短銃をもてあそぶ姿には余裕を感じる。
「君、カノジョが怪我したのに随分と冷静だね? なに、余裕なの?」
どうやら相手も俺に同じ印象をもったようだが、俺に余裕なんてない。
普通、こんな場面では激昂して襲いかかるものなのかもしれない。だが、それは悪手だとシアが止めてくれた。
シアがやられた以上、俺一人でこの場を切り抜けなければならない。激情に駆られそうな身体を理性で抑えつけている。いつ弾け飛ぶとも知れないドス黒い感情を今は捻じ伏せる。
「ウーベル・ホークス……お前が噂の『悪魔』だったのか」
「そうさ。まだ誰も正体を掴めていない、存在の確証もない『悪魔』とは、ボクのことさ」
可笑しそうに笑う。こんなに堂々と行動している自分の正体を未だ掴めていない者たちを嘲る笑声。正体を知った者はいないか、ことごとく殺されてきたのだろう。
さっきはどこかの男のことを語っていたが、どうやらそれは昨日シアに殺されかけて俺が魔法で殴り飛ばした奴のことのようだ。まさか、あいつも『悪魔』の被害者だとは思ってもみなかった。
ドルフやあの男のように、痛めつけられた者だけが噂を広め、やがて形作られた『悪魔』という影法師の正体。それがこの男だ。
「どうして俺たちを狙う!」
「別に特段の理由はないよ。あの男が君のカノジョを狙ったから出来た、ただの奇縁さ」
「そんな理由で……!」
男は俺の怒りなど意に介さない。理由らしい理由など、この男には必要なかった。
こいつにかかれば俺たちは――道ゆく誰であっても、愉快な玩具なのだ。翻弄し、嘲り、飽きたら捨てる。自分が楽しむためなら手段は選ばないだろう。
「ボクには別に互いに理解し合って争いを止めようなんて気はない。憎いならかかっておいで。ボクたちはもうどうしたって相容れない。ただ殺し合うだけさ」
可笑しげに笑う。絶対的な自信だ。俺たちには万に一つも勝機がないと確信している。
ウーベルの言う通り、俺たちは相容れない。分かり合う要素など塵一つとしてない。男は自身の正体を暴露したことで、俺たちの反応を見たいようだが、付き合ってられない。一秒でも早くこの男を倒し、シアに治療を施さなければ。
――ガウフより借り受けた刀を抜き放つ。赤光が銀の刃を血色に染める。
「言葉は要らないと。効率的だね。経過を楽しむボクとしては少しつまらないけど」
男は右手の短銃を俺に向けて構えた。あれから放たれた弾丸が、シアの腹を貫いたのだろう。初めから俺を狙った凶弾だった筈だ。どんなことをしても傷を負わなそうなシアが、今は血を流して倒れている。通常の弾丸ではないのか。あるいは、悪魔とやらの力によるものかもしれない。
怒りで視界が赤く染まっていく。許せない。
…………許せないが、今は必死に唇を噛んで抑える。確実にここを切り抜けなければ、シアの身が危ない。
息を吸い、吐く。
そして脱力。
気合いも入れぬまま、感情を凍結。上体を振りながら大股で無造作に接近。
なんのつもりか、銃を構えたウーベルも計りかねる様子で首を傾げている。
間合い。相手の顔を見て、殺意を込めた横薙ぎの一閃。
ウーベルの咄嗟の後ろ跳びで回避されてしまった。その細い目には驚愕がある。
「予備動作も何もなく、ただ歩んで斬るなんて……ボクを道端の障害物としか思っていないのか……!」
ウーベルの声に余裕がない。それだけ、異常な一閃だったのだろう。父から手ほどきを受けた狩術の応用だが、今となってはほとんど自己流だ。
父は無心の剣と呼んでいた。
自身を空とし、ただ頬に吹き付ける風のように獲物を狩る、静の技。使える場面は限られているが、これまでに対峙した格下の獣相手ならば必殺だった。が……感情の抑えが利かなかった。殺意が伝播し、攻撃が空ぶった。一度見切られれば二度とは通用しない技だ。
短銃の反撃が来る前に再び距離を詰めるべく機を伺う。放たれた銃弾を避ける能力など俺にはない。放たれないようにするか、狙いを逸らすか、放たれる前に避けているしかないのだ。
「……嫌いだなぁ、その目。田舎者が調子に乗って」
底冷えのする声。どうやら俺の素性をある程度考察できているらしい。そもそも村の服を着ているのだから、その程度は分かることか。
俺の接近と同時にウーベルの右腕が上がった。五歩の距離、ここからならまだ短銃の方が早い。弾丸の軌道は銃口と目線から予測することしかできない。警戒しながら二歩を瞬時に詰め、更に進む。
右手の銃口がこちらを向いた。男の顔に半月の笑み。
瞬間、俺の頭をよぎったのは、相手の神託ジョブのこと。【悪魔】のような異常なものは神託スキルに由来するものだろう。
ならばジョブは? 短銃がジョブと関係するだろうか。自分を省みたとき、得物とジョブは必ずしも一致しない。
違和感を覚えたところに、引き金に掛かる指が動いた。駆けながら直角に跳び、弾丸の軌道から逸れる。乾いた発砲音が遅れて届いた。
着地と同時に前へ。進み出そうと脚に力を込めたところで、ウーベルの左手の指の間に三本の艶のない杭のようなものが握られているのが見え、悪寒がした。
「そら、避けてごらん……!」
頭を下げ、ほとんど地面を這うような体勢になった俺の頭上を、手首を翻す動作だけで放たれた杭が鋭い風切り音と共に通り過ぎて行った。
同時に、鞘を杖に一息に身体を押し上げる。追撃の弾丸がすぐに来ることは分かっていた。石畳で弾けた銃弾が礫を上げる。
「ははっ! いいね君!」
楽しそうなウーベルの声が耳障りだ。奴も馬鹿ではない。みすみす刀を持った俺の接近を許したりしない。銃弾と暗器を駆使して距離を取り続ける。
――そう、奴が使っているのは暗器だ。袖口から取り出した杭を無造作に放ってくるが、底を突く様子が全くない。そもそも、外見からして最初に取り出した杭の三本も隠し持てるような服ではない。間違いなく何らかのジョブ、それに関連するスキルの恩恵だ。
飛んでくる暗器を刀や鞘を使って何とか防ぎながら、思考を巡らせる。俺たちが不意打ちを受けたことを考えれば、気配を消すスキルを持っていてもおかしくはない。加えて暗器を使用するジョブ……〈暗器使い〉や〈暗殺者〉、そのあたりが妥当だろう。
3章の開始です。
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