1章-2節 その門出に祝福を②
――それから五日をかけて山を下った。
かなり順調な行程だ。天候が荒れればテントから一歩も出れずに一週間過ごすことだってあるというのに。
ただ、二日目の昼前、山に住む獣の中でも凶悪度の高い『獅子』を見かけた。自分でも気づかないほどに遠くにいたが【魔眼】スキルが発動して発見してくれたのだ。あと少し近づいていれば気付かれていただろう。【魔眼】スキルがあって助かった。
『獅子』は正面から戦って勝てる相手ではない。罠にかけても村の腕利きの大人が数人がかりで仕留めるほど大物だ。息を殺して隠れるだけで済んだのは僥倖だった。その日は念のため動かずに過ごした。
そして六日目。森林限界地点を過ぎると徐々に背の高い木々が見受けられるようになってきた。足元も殆どが雪ではなく乾いた土や砂利になってきている。麓まではまだ遠いが、滑落の危険性が少しは和らいだ。
そうして何事もないまま順調に進み、日も大分暮れてきた。
あたりは砂利と残雪の斜面。大きめの岩が点在しているが見通しは良い。
夜目は利く方だが、夜は獣が活発化するため危険だ。この辺りで休んでおこう。
「テントはいい加減面倒だな……これでいいか」
野営地に見繕った大きな岩の影。雪の残った地面に手を突いて魔力を流す。魔力によって雪の体積を増幅させながら形を作る。出来たのはカマクラ。雪でできた洞だ。村では寒さの和らぐ夏の風物詩でもあった。懐かしい。
俺が横着して魔法で作り上げたものは、しかし中は不思議とかなり暖かく、外側の雪は刺すような酷く強い冷気を放つものだった。あの恐ろしい野生動物たちもこれで寄り付かないだろう、と思いたい。寝る時は内側から入り口も封じれば完璧だ。
カマクラの外で焚き火を起こし、夕食に干した『兎』の肉を食べて一息つく。
ほぅと息が漏れた。これは麓のヤク村に卸すこともある村の名物で、非常に美味しい。
……故郷の村からは、もうかなり離れたところまで降りて来た。直線距離ではおそらく大して離れていないが、登るとなると下りの倍以上の時間が掛かる峻厳な山なのだ。だから、気持ちの上ではとても離れてしまっている。俺の住んでいた村は山の威容に呑まれ、【魔眼】スキルを発動しても、もう見えない。空に輝く星々も、ここでは少し遠く見えた。
……ずっと、故郷の村に残っていれたら良かった。だが、望みを掛けていたジョブは最弱の魔導士。
俺一人で生活を続けていくのは厳しいと判断した。その判断が正解か否かは、これから分かることだ。
不安は大きく、期待は僅か。せめて体調だけは万全にと思い、今日は早めに休むことにした。
◇
更に数日をかけ、旅は最も危険な下山の段階を終えた。なんとか命を失わずに済んだが、しかし旅路の危険が全てなくなったわけではない。
周囲は鬱蒼とした森の景色。俺は山の麓に広がる森に辿り着いていた。
以前聞いた話によると麓の村では『迷いの森』などとも呼ばれているらしい。とはいえ、実際には人を惑わすような怪現象などなく、道や方角さえ見失わなければ迷うようなこともない。
年に幾度か通る程度の俺でも覚えていられる程度の道だ。
ただ、厄介な問題もあり――
ゥオオォ――――ン……!!
遠吠えが聞こえる……。
この森は『狼』の住処になっているのだ。山の飢えた獣に比べれば大した相手ではないのだが、それでも危険であることに変わりはない。数が揃えば脅威になる。
この狼たちと戦っている内に道から逸れて迷ってしまう、というのが『迷いの森』の本当の由来だろうと俺は考えている。
「急ぐか……」
駆け出す。同時に周囲の草木が揺れ出す。目を向ければ獣の影。
既に囲まれつつあった。動きが早い。
それでも、奴等は狩りを急がない。じっと監視し、昼も夜もなく攻め立て、追い詰め、そして獲物が疲れ切ったところを狩るのだ。頭が回る。
しばらくは並走していたが、不意に横合いの茂みから一頭の狼が飛び出してくる。大きく開いた顎、涎を引く歯が見えて、咄嗟に飛び退く。まるで鉄を打ち付けたような酷く硬質の音が耳に響いたが、痛みはなかった。すんでのところで躱せたらしい。
「大人しく通す気がないなら、相手をしてやる……!」
腰に括り付けた護身刀を抜き放つ。胡麻色の毛を持つ一頭の狼が行く手に立ち塞がり、低く唸っている。俺はすぐに方向を変えて走り出した。
群れで狩りを行う動物を相手にするなら、足を止めてはならない。その上で全方位を警戒しなければならず、体力と精神を磨耗する。早めに追い払うか、全滅させるしかない。
さっきは威勢良く叫んだものの、今までの俺は狼の群れを全滅させたことなどなかった。せいぜい一、二頭を行動不能にし、群れが割りに合わない狩りだと判断したところで脇目も振らずに全力で逃げていただけだ。
それでも、こちらが少しでも萎縮してしまえばたちまち狩られてしまうことくらいは分かる。
――走りながら、家から持ち出した護身刀で獣の飛びかかりをいなす。飛び出した勢いのまま刀に噛み付いた狼。武器を封じようとしたのか、刀を折るつもりか。
だが、そうはさせない。
硬い歯の抵抗を受けながらも無理矢理に手首を返し、下顎ごと叩き切る。狼が痛みに怯んだところを思い切り踏みつけると、首の骨を折る嫌な感触が伝わった。
しかし一頭がやられても、群れは冷静だ。俺の実力を見極めようとしている。冷徹な野生の思考だった。
「はぁっ……しつこいな……!」
すぐに走り出す。
移動と緊張で少し息が上がってきた。狼たちはなおも吠えたて追ってくる。周囲を覆うような声の波。十数頭いる獣たちが、代わる代わると攻め立てる。もはや俺一人を仕留めたところで、損害には見合わず、群れ全体の食料を賄えるとも思えないが……。よほど腹が減っているのか、あるいは連中なりの口減らしなのか。全く逃すつもりはないらしい。
一頭ずつ捌き、更に何頭かは仕留めているが、攻撃の手は止まない。この狼たちがここまで追いすがるのは初めてだ。俺も持てる力全てで戦うしかない。
――息を整える。護身刀を鞘に収め、両の手を空ける。別に、自身のジョブを忘れていたわけではない。魔導士系〈最弱〉の力を敢えて使わなかっただけ。
枯葉の落ちる地面に手を突く。失敗すれば、致命的な隙となるが、俺には【魔眼】スキルがあった。
それは視線を介して魔法を手繰る、魔導の真髄。
予め『視た』ものはマーキングがなされている。【魔眼】がマーキングされた魔力を感知し、獣の位置は手に取るように分かる。大した腕もない俺がこの猛攻を凌ぎ続けることができたのは、このスキルのおかげだ。
息を吐き、手の平に魔力を集める。既に慣れたものだ、集中に時間は要さない。ここで決めようとする雰囲気を察したのか、いよいよ一斉に襲いかかって来た『狼』が迫る中で、集めた力を一気に解放する。
「氷凍地槍!」
――瞬間、地面が青白く発光した。【魔眼】による俯瞰視点では氷晶の形に氷槍の群れが出現。
眼前にまで迫っていた狼が瞬間的に成長した氷の槍によって下から突き上げられ、木々の枝葉の間を高く舞う。
……まるで剣山だ。俺を中心におき、同心円状に範囲を広げながら無数の槍が狼の群れの悉くを跳ね上げ串刺しにする。
氷柱はその赤黒い血液さえも凍らせ成長し、森の様子は一変した。
肉眼の目の届く範囲全てが青白く凍りついている。森の草木が枝葉まで凍え、まるで音が消えたように静まり返る。
「……ジョブってのは恐ろしいものだな……」
熊を倒した時にも余りある力だと思っていたが、改めて魔導士系ジョブの力に独白が漏れる。
「他の魔導士系ジョブだと、これ以上か……」
無益な独り言。気温が急激に低下したのだろう、白い息が混じった。
気付けば肩で息をしている。まだ体力には余裕があるはず――となれば、これは魔力の消費によるものか。
地面から伸びた氷槍はすぐに砕け、凍てついていた草木が崩壊する。割れた氷が音を響かせて地面に降り注いだ。狼たちの死体は凍った上に更に痛めつけられ、これが狩りであれば成果もいまいちといったところだ。
「酷い範囲攻撃だ……。これじゃあ素材を剥ぐこともできない」
身体の芯まで凍ってしまったのだろう。死体は衝撃で粉々に砕け散っていた。回収して金になるものは一つもない……と、思ったが、バラバラになった死体の側に拳大で多面体の石が転がっていることに気づいた。
あれは、魔石だ……!
一般にはダンジョンと呼ばれる古代遺跡などに出現する魔物が落とすというが、俺の住む田舎は昔から『獣』たちが魔石を精製していた。彼等はその命が尽きかけたとき、自身の体を魔力に分解し、情報として自身の心臓に保管することがあるという。心臓は魔力によって変貌し、輝く石のような形体をとる。
それを人は魔石と呼んだ。――などど思い返す。全て爺さんからの受け売りだ。
ダンジョンの魔物産と故郷の獣産で何が違うかわからないが、共に高く買い取って貰える。
ただ、獣産は体の大きさが魔石の大きさとなる関係上、その欠損具合によって魔石の質や大きさ――そして価値も様々だ。更に精製途中に心臓が体から離れてしまえば、小さいまま魔石の成長も止まるし、心臓が破壊されればそもそも魔石はできない。
俺にとっては不要なものだったため、村で一人になった後は、獣の心臓を最小限かつ一撃で破壊できる術を突き詰めたものだ。これまでの生活には、魔石よりも毛皮や肉が必要だった。
そういえば以前、俺が肉を卸している顔見知りの商人に獣から採れた魔石について聞いたときは、
『獣が魔石を精製する……? 聞いたことがないな』
と言われてしまった。本来はかなり珍しいことなのだろうか。そのときはそう思い、自分が酷く田舎からやって来ているのだと自覚させられたものだが――その魔石を、この狼は精製している。
「なんだ、麓にもいるじゃないか……?」
うちの山の獣だけだと思っていたが、どういうことだろうか。
首を傾げつつ、しかしこの『迷いの森』は、普段人が近づくような所ではないと思うと、商人と言えども、この狼の特性を知らないのかも知れない。
俺は所詮、人の暮らしからは離れた僻地で生活していたはみ出し者だ。田舎者が得意気に語る情報でもないか……。
魔石を拾い集め、再び歩き出す。足取りはやや重い。
慣れない魔法行使のせいだろう。気だるい身体の重みが抜けない。
幸いにして、俺は方向感覚にはかなりの自信がある。すぐに覚えのある道に出ることができた。
麓の村まではあと少し。時間を取られてしまったから、急ごう。
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